大芦へ4・大芦集落(5月7日) ― 2011/05/20 00:58
(掲載_110520)
大芦の愛宕山の山頂も見える。
今日歩いて発見した3つの集落の愛宕山の祠が道路から見えるように整備されていたのは、たまたまなのか、春先の集落行事(参道普請とか)としてしていることなのか、それは判らない。
続けると妄想が、はいここまで(笑)
posted at 15:39:32
帰りは、義姉の運転する車に迎えに来てもらって小中津川まで戻りました。
コメント
_ 昭和村大好きウスイ ― 2011/05/20 09:02
_ 恵比塵 ― 2011/05/20 21:57
昭和村のあいうえお 遠くにありて思うこと 【く】(07/11/22)
http://www.asahi-net.or.jp/~KD5J-IGRS/showa_aiueo/index.htm#ku_01
佐倉から仙石沢(千石沢)を抜けて大芦へ行く道がある。国道401号線である。
右手に石取山を見ながら(見えるのか?)登りきったところが、奥会津昭和の森キャンプ場である。昔は「公園」と呼んでいたと思う。
馬頭観音や何かの顕彰碑が建っていた記憶があるが、さてどうだろう。歩いて通ったのは40年ほど前のことである。
公園の近くから、喰丸に抜ける道と、両原に抜ける道もあったはず。勿論車で通れるような道ではない。杣道(そまみち)とでも表現するのか。現在であれば、マウンテンバイクの上級コースにでもなるような道(通路)である。登りの坂道は自転車を手で押して登る。両原からの道は藤吉あんにゃが自転車バイクでよくきいきい(来い来い)した。
ここからは大芦集落へ一気に下り坂。
夕方になると大芦から昭和中学校に通っている生徒の公園から下り降りる自転車がキイキイした。この「キイキイ」は自転車のブレーキ音である。
坂を降りたところが、クヌギ(橡)下である。今でもここには石灯篭がある。石灯篭の上に立って屋根の部分にぶら下がって遊んだ覚えもある。今にして思えばよくも石が倒れたりして事故が起きなかったものだ。筆者の記憶の範囲ではここに灯りがともっていた記憶は無い。
漆黒の夜、杉の林が周りをより暗くしている道で、ほのかにともる灯篭の火を見つけることは山界から人界にたどり着いた事を知らせる大きな安堵に繋がったことであろう。
集落の結界のような位置である。旅人の為のものだったのか、それとも、外に出掛けた人が戻ってくる日(夜)に「お帰り!」の挨拶の為に火を入れたのか。
クヌギ下は住所、地名ではないのである。地域の俗称であり、クヌギ下の家を指している。
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はじめて昭和村に来た時も、今でも同じです。きっと昔の旅人もそう感じたのでしょう。