別冊

160508_奥会津昭和村小中津川2016/06/03 02:15

2016年5月8日。

集落の堰普請だという。
まぜていただいた。
ジョリンを担いで参加した。

160508_奥会津昭和村小中津川
各所に員数を振り分ける。




通り道で、移住して来た方が、お茶の用意してくださっていて、その家の庭で一休み。

段々と下流の集合場所に集る。

堰の流れ込む沢で作業をしていた人は、この岩魚を手づかみで捕まえたというのです。

 ・ ・ ・

(後日の【on facebook】
堰普請、まぜてもらう。 8時というが、30分前には集合。
小中津川時間(^-^)

平* ** 正規の集合時間にはあらかた終了しちゃってる、昭和村あるある。

山*** 確かに連休最終日の8時からは不思議ですね。阿武隈山系のここでは24日(日)の5時半から約1時間でした。うちは非農家ですが、用水路が防火用水も兼ねているので毎年参加しています。やっぱり8時からは爺ちゃん、婆ちゃんには遅すぎるのでは?

五十嵐 ジン あのー、同じ県内でも、堰とか堀とか濠とか沢とかの感覚にだいぶ違いがあるようですね。
奥会津の集落の堰普請は、ほぼ50軒ほど(殆ど農業)が関わる農業利水の元となる水源とその配分流水路の整備な訳です。
それ以外にも色々な普請はあります。
(言っちゃ悪いですが)町内会の暗渠の掃除とか、U字溝の塵さらいとか、草むしり、落葉掃除とかでは、あ・り・ま・せ・ん!
そういった作業とか、神社普請とかは、もっと早い時間にする作業はあります。
それに、写真はすこしぼかしたつもりですが、これらの方々が爺ちゃん婆ちゃんに見えますか?
この作業は爺ちゃん婆ちゃんの共同作業ではないのです。

五十嵐 ジン そして、こういった普請には、職業的な問題(受益者としての擬似義務作業)ではなくて、所帯に爺ちゃん婆ちゃんしかいなくなって、物理的体力的に参加できなくなってしまった家もあります。
そのため、ここ十年から五六年くらいからは、本来(といっても何が本来かはわからないが)の“普請”の意味も解釈も違ってきてしまったようです。
少なくとも昭和時代の普請ではなくなってきていますね。
(田舎でも、変なところで「カネメ」になっている、それはおそらく311後のあたりから特に!)


山*** (画像投稿あり)これがこちらの堰普請です。じいちゃん、ばあちゃんが主体になるのは兼業化が進んだから。息子たちは公務員というパターン(しかも夫婦とも)が多いですよ。会津も中通りも変わらないと思います。というか、現に住んでいるから実態はわかりますよ。

五十嵐 ジン 兼業化もありましょう。
だから勤め人の休日ということもありましょう。
だがしかし、“奥”会津は、世帯構成員が爺ちゃんと婆ちゃんだけの世帯も多くなっている。

山*** それは問題だね。

五十嵐 ジン たまーに田舎に行ってえらそうな事を!と言われそうな大言壮語になってしまうので、あまりこういう発言は控えたいとは思うのですが、ついつい(笑)。

山*** いいよ。ジンさんには発言権はある!

五十嵐 ジン ありがとうございます!!
でも、どうしてもマージナルな気持ちがあって微妙なのです(^^;

平* ** 私が6~7年前に一人暮らしていた村の集落は村内一高齢化しているのでは?という喰丸地区でした。若い人なんて60~70歳代で、単身世帯(80歳以上のひとり暮らし)が多く、堰普請に80過ぎの婆ちゃんも出ていました。女性ということで比較的労力の少ない作業を割り当てられ、婆ちゃんたちと作業しました。若い力の見せどころ、と思いきや婆ちゃんたちの方が軽快に作業を進め、見事に置いていかれました。
本当は織姫で他所からきた移住者は普請を免除されます(私の住んでいた時期・場所は免除されていました)。私は勘違いをし、参加したのですが。しかし役に立とうと思っても役に立たない有り様でした…。
積み重ねてきた道具・身体の使い方を見るたびに敬服、尊敬、自分の生きる能力の低さを思い知らされます。
とりとめもなく、大変お邪魔さまでした。

山*** なるほどね 貴重な証言ありがとうございます!

五十嵐 ジン そうなのです、わたしは一軒宛の員数として参加したのですが、どう考えてもその地域の居住者と同じ「一人前」には成りえない。
それで、「混ぜていただく」という気持ちになってしまいます(^^;
地域の方々も自家用畑とかはあります(それらもそれなりの用水は使う)が、田圃(たんぼ)を生業として自分で運用する家はどんどんなくなってきていますね。
田圃ごと企業に委託してしまうから、何となく利水などは当事者意識も薄れてきつつあると思います。
それに、そういう所に委託すると、実は自分の田んぼで生産された米が配分されるわけではなくなっている(らしい)。
ヒトゴトではない気持ちはずっと持っているので、普請のことはまたいつか、改めて自分のテーマとしてしっかりしたら投稿したいと思います。

160508_トマソン物件2016/06/03 02:38


160508_トマソン物件

トマソンか?
繋いでみるのが怖い。


160508_離郷12016/06/03 02:42


160508_離郷1


後日に何とかしないといけない、倉庫(小屋)内の棚の作り。





160508_離郷22016/06/03 02:45

会津田島駅にて。

160508_離郷2










160508_離郷3・車窓2016/06/03 02:47


160508_離郷3・車窓
おそらく公共施設物としては、早晩文化遺跡となってしまう形状のベンチ。
木の肌触り(ぬくもり)もさることながら、トカイの人には、何が違うかは分らないくらいに、当たり前ではなくなった形状であることがお分かりか(笑)。
会津鉄道管轄では、残してほしい、ベンチでもある。


















奥会津昭和村大芦、ファーマーズカフェ『大芦家』の主人、佐藤孝雄さんの本。
「気がつけばカフェのマスター」、妻が買って車中でも読んではまっている。あとでこそっと読もう。こら(笑)。

160510_草削り2016/06/12 02:03


160510_草削り
草削り、うろ覚えの図。



160510_起上り小法師の木2016/06/12 02:05

ここ数年は年に一度、この月にとある場所(公共お役所施設)を訪問してあるモノを入手しなければいけない。
喜ん行きたい施設ではない。
ある時に、その施設の庭にこの花が満開になっていたのに気づいたのです。
わたしは歩きスマホはしないので、この花をそれ以前にも見ていた筈なのです。
ある時までは、歩きスマホでも無いのに気づかなかった、歩きスマホのアホ共は絶対に気づかない風景なのだ。歩きスマホは止めろ馬鹿共!←しつこいってば!、
それにわたしは気づいた。わたしは何故か、「嗚呼、この花は起上り小法師の花だ!」と感じてしまうような精神状態だったのでせう。
そしてイチオー会津の話題(起上り小法師)としてブログとfacebookに投稿したら、自分としては少なからずの反響があった(笑)。
サルビアの類のの草木らしいと。

160510_起上り小法師の木


つい、去年か一昨年に、この場所に行ったら、この木は根元近くから切られていて、切り株くらいしか無かったことがある。
それはそれは落胆しました。「クソッタレのお役所仕事め!」と。

しかし、枝を切ったら勿体無い、というのはトウシロの感傷なのですよ。
根こそぎ掘り返した訳でも無かった。すると、こうしてシュート(新枝)がどんどん出てくるものなのですね。
そういった状態だけを活用(新枝の活用)している植物もある。
例えば、紙の原料となった楮(こうぞ)とか、奥会津では今も作られている笊(ざる)の素材となるマタタビの木などである。
逆にこういった木は、苗打ちといって毎年切らないと使い物にならなくなるのである。そうです。
と、いうことを知ったのは、なんでか『農業全書』という本を読んでからのことでした。
花樹や果樹は、枝を切る事により、根に力が貯えられてその力が、枝葉を繁茂つせるというようなことがあるのだそうです。
「桜切る馬鹿、梅切らぬ馬鹿」とかいう言葉もある。

ま、毎日毎日は人目を気にするようなハレの日でもケの日ばかりでもない。っつうことかな、と。いうことにしておくか(^^;


160510_目黒銀座散歩2016/06/12 02:08



160510_目黒銀座散歩

ついでにここは、東京都目黒区の中目黒駅界隈。
この近くも、あるモノを入手しなければいけないある場所(公共お役所施設)がある、その通り道。
平日の日中にこういう所に寄り道できるのだぞ、と思うことにしている。こら。








160512_あさがお2016/06/12 02:11


160512_あさがお



160514_夜中の徘徊2016/06/12 02:11


160514_夜中の徘徊

公園の桜の木。
元々は某大学の跡地が、公園と大規模公共住宅施設(主管団体が変わったのでよくわからないが、URとかなんとか)になっている。
その頃にこの跡地に賃貸居住者として引越してきて、現在に至る。
だから、この桜が苗植えされた頃から毎年見ている風景なのです。
が、実はこの根が大変なことになっていると数年前から気づいた。




これは、鑑賞植物ともなっている、冬の間に綺麗な色で、丸まっている花キャベツのトウが出た鉢植え。
通勤路のとあるお店の前にずっと飾られていた。
“ずっと飾られていた”とは、置きっぱなしということではなく、鉢植えなので、天候によっては店の中から出したり仕舞ったりとかはしていたのだと思う。

つまりは、菜の花などと同じような菜物である事がよくわかる。
畠のキャベツやブロッコリーでも、これと同じ様になるらしいのです。


この撮影の数日後には撤去されていました。
恐らく種子(タネ)を採って、そのタネを蒔いて、次の鉢植えを作られるのでしょう。と思いたい(^^;



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