別冊

ブンブン・JR九州ごっこ2011/05/09 20:04


ブンブン・JR九州ごっこ
(掲載_110509)

■テレビ(110429)
ブンブン・JR九州ごっこ





4月30日、東武線にて帰省、栃木県に入ってから「ブンブンごっこ」をしたくなった。

栃木県に入ってから、豊田氏にメールしてみる。
 流れる車窓風景を撮影していく。






@yebijin 新鹿沼にちかづく、はたしてブンブンごっこにのってくれたか(笑)。
posted at 08:34:56
@yebijin --- 車中にメールが入った。新鹿沼駅西見て。いた!豊田くん、ありがとう。ばっちり写したよ。
posted at 08:53:01

奥会津へ_1104302011/05/09 20:23


奥会津へ_110430
(掲載_110509)


奥会津へ_110430







去年の夏に昭和村のイベントをした場所が、インフォメーションコーナーになっていた。
外国語の文字が並んでいる。




パンフレット「東武の会津」に、昭和村も掲載されていた。







花の役割・奥会津へ2011/05/09 20:56

■花の役割・奥会津へ
(掲載_110509)


湯西川温泉を越えて、いよいよ奥会津である。
車窓から見たとある畑の風景。

花の役割・奥会津へ
畑の端にある木、奥会津では良く見かける。
野菜を作る畑なので、畑の中に木があったら勿論じゃま!であるが、そういうことではない。
右の木はおそらくハタンキョの木ではないかと思うのである。
カンケ氏は、この木の事を「畑隠居」とどこかで書いていたが、それもいいとして、木と木のあいだにある黄色いものに着目していただきたいのである。



スイセンの花である。わざわざ、瓶に生けてあるのである。


そのすぐそばの斜面には、スイセンの花が自生しているのである。
その花をわざわざ手折って、瓶に生けて、「畑隠居」さまのところに供えてあるのである。
花を愛でる、花はお線香のようなものかもしれない。
仏壇にはお線香が箱に入っておいてある。お線香そのものは無機である。
それを1本とか2本とかを取り出し(採取し)、火をつけて供えるとそのお線香は有機となるのである。
動けない木のために、ヒトが感謝の気持ちを運ぶのである。
花は触媒である。花は木とヒトとをつなぐ。花はヒトとヒトとの気をつなぐのである。
などと、ふと考えてみました(笑)

田島駅にて・奥会津へ2011/05/09 21:01


■田島駅にて・奥会津へ
(掲載_110509)

田島駅にて・奥会津へ
















昭和村へ・奥会津へ(4月30日)2011/05/11 01:19

■昭和村へ・奥会津へ(4月30日)
(掲載_110511)


会津田島駅着。一服。これより、1110発のバスにて峠を越えて昭和村へ。
と書きましたが、去年から峠の下にトンネルが出来て、やっと冬期間でも通行できる道が確保できました。
ただ、冬期間はバスは運行していませんでした。5月1日に再開していました。
今年は、そのバスが4月1日から運行するようになりました。

昭和村へ・奥会津へ(4月30日)






昭和村散策(4月30日)2011/05/11 01:24

■昭和村散策(4月30日)
(掲載_110511)


前日にK氏に「遊んでください」とメールしておいたら、村内フィールドワークの時間を取ってくれた。
これで3年連続案内していただく。毎回新しい発見である、が、わたしは絶対的に勉強不足であることは、以下のわたしのコメントでお里が知れてしまいますね。

昭和村フィールドワーク(4月30日)




『キクザ○○ゲシ』←自分でメモした字が読めない。別称『ホケキョバナ』『雨降り花』と聞いて判った。
この花は大芦の中見沢の神社の近くの畑のそばの斜面で幼少の頃に群生していたのを思い出した。

【追記】(11/05/12)
キクザキイチゲ。機織り花、ほけきょ花、雨降り花。
ありがとうございます、いただいたコメント(_ k ― 2011/05/12 00:40)↓から追記しました。

熊棚






この花の周りの茶色のガクが、ブナの木が緑色に見える前に全体を赤茶色に見せる。
今年は数年ぶりにブナの花が多いとか。





左の斜面は昨年の夏にユリの花が咲いていた場所。


赤茶色のグラデーションは枯葉ではない。ブナの木がほきる直前の風景。


判りにくいが年末の大雪で、案内板を支える支柱が直角に折れてしまった。
この時の大雪で杉の木の被害は千本ほどあったという。



権現様。
この台座の上には去年まで道祖神があった。何者かが持ち去ったのである。


大芦へ


奇跡のファーマーズカフェ『大芦家』(^^;


『大芦家』


矢ノ原沼。


矢ノ原、会津藩士野村新平の墓。元の位置のままで風化を防ごうと囲いの設備を建てたのはK氏が18歳の時。


この時、既に会津藩は降伏していた。戦争は終わっていたのである。
ラジオもなかった、ましてや電話も携帯もない。
戊辰戦争では大芦も戦場となった。
そして大芦の戦いでは官軍にも会津藩にも戦死者が出た、地元の人も亡くなった。
戦後には、国(官軍)の施策で、大芦の一番大きな墓地(腰巻)には立派な官軍の墓が建てられた。
ずっと後になって会津藩士の墓はこの地と、大芦・佐倉・喰丸・両原の分岐点となる地(公園と呼ばれていた)に残されている。


下中津川の庚申塚。右に建っているのは呪文(祈願の文章・漢文)の書かれた塔。
横に倒れているのは、一回り前に立っていた塔らしい。
2年前に小中津川から下中津川を散歩したことがある。
平地に杉の木が数本残されている場所がところどころにある。
確証がもてるほどではないが、その場所には何らかの祠や石塔がある。らしい、と気づいた。


館(やかた)ではないかと想定される折橋にある小山。
裾野には笹の群生と茅場状態。


フキノトウの節(せつ)である。


昭和館を写す(4月30日、5月1日)2011/05/11 01:52

■昭和館を写す(4月30日、5月1日)
(掲載_110511)


今年になって営業したのは、311震災前の3月に一日ともう一回、都合2日である。

311震災では、戸棚の皿も落ちなかったし、建物自体には物理的な被害はなかった。
とりあえずは春の準備である。
昭和館を写す(4月30日、5月1日)






雪形(4月30日から5月7日)2011/05/11 02:08

■雪形(4月30日から5月7日)
(掲載_110511)


定点観測もどきでハゲ山を写してみた。
5月3日になって、山すその山桜が開花し始めた。
ハゲ山には、コブシの花が咲く箇所があったはずだが、滞在中に見つけることが出来なかった。

雪形(4月30日から5月7日)
4月30日

雪形(4月30日から5月7日)
5月1日

5月1日


5月2日

5月2日


5月3日

5月5日

5月6日

5月7日

朝景色(5月1日から8日)2011/05/11 20:14

■朝景色(5月1日から8日)
(掲載_110511)


去年は、ほぼ毎日早朝散歩をしたのに、今年は朝食前の散歩は1回だけ。
寒いのである。一度目が覚めて、ついつい布団にもぐりこんで二度寝をしてしまった。

朝景色(5月1日から8日)
朝景色(11/05/01)

朝景色(11/05/01)
朝景色(11/05/03)
朝景色(11/05/06)

朝景色(11/05/06)

朝景色(11/05/08)
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