別冊

160426_縄文2016/05/11 03:34

一万年のいとなみ

160426_縄文

















160429_昭和の日に見かけた国旗2016/05/11 03:42

2016年4月29日 晴れ。
日本国首都圏東京都目黒区某所の公的施設には、旗の掲揚場所が2箇所ある。
が、暫く前から一箇所は久しく旗の掲揚をしていない。
その理由はわからない。

160429_昭和の日に見かけた国旗


3本も高い棒を立てているのだが。



以前にも絶対に国民の祝日には日本国旗を掲げていたと記憶している某写真館も掲げていない。
まあ、本日は普通の一般庶民には、家族で記念写真を撮ろうというような国民の祝日ではないかも知れないし。


絶対に日本の国民の祝日には掲揚(斜めに立掛けていた)していたと思い込んでいた、日本国首都圏東京都目黒区都立大学の駅傍の某KOBAN。
なんという事でしょう、国旗が出ていないのです。
わたし(掲載子)は、思い込みが強い。
それで電車に乗ってから色々と勘繰りの妄想をした。
電車を乗り換えて(いつもの日常の移動経路ではある)恵比寿駅前の交番も国旗掲揚をしていない光景を写してやろう!
と意気込んで出かけた。
ところが、首都圏東京都渋谷区恵比寿の駅前交番は、国旗は掲揚(斜めに立掛けて)していたのでした。
掲揚していない証拠写真を撮ろうとしか思っていなかったので、恵比寿駅前交番の風景は撮らなかった。


160429_農業全書2016/05/11 04:04


160429_農業全書


160429_つい400年前の事、2016/05/11 04:06


160429_つい400年前の事、
三陸沖の地震から始まった、慶長の大地震の連鎖。
このときには、会津地方でも慶長会津地震があった。
そして若松のお城も崩壊したらしいのです。
想定外でもなんでもない、おそらくフツーの出来事なのですね。



160430_農業全書2016/05/11 04:11


160430_農業全書


ゆすら(櫻桃)

160430_若冲ブームか2016/05/11 04:13

これも伊藤若冲の画らしい。

160430_若冲ブームか


160501_奥会津昭和村へ2016/05/13 03:27

2016年5月1日、いつもの帰省コースで奥会津昭和村へ出かけました。


160501_奥会津昭和村へ
朝5時半過ぎの都内。


浅草界隈。

隅田川。


車窓





鹿沼あたり。
















160501_奥会津昭和村野尻にて2016/05/14 12:42

2016年05月01日、平年であれば桜満開の節。

雪もないが、昭和村は寒い雨もよいでした。
雨の日に畑や田んぼの野良仕事をする人はいない。
野尻の佐藤庄一さんの家に遊びに行く。
ご自宅の玄関(入口)をギャラリーにして、日本画(美人絵)を飾っているというので、それを見に行く口実でした。

160501_奥会津昭和村野尻にて





庄一さんの奥様、信子姉は昭和館の先代の束原宗司氏の妹、昭和2年生まれ。
庄一さんは、大正時代のお生まれ。ご兄弟は9人の長男。
なんとそのご兄弟とそれぞれの配偶者の方々は一人として欠けることなく皆さんがご健在。
「オレらが先に逝かねーと、兄弟てー(たち)も悪がって遠慮してんのやー」と笑い飛ばす。
村内では、最高年齢の運転免許保持者だそうです。




お二人とも、「耳がとおくなって」とかおっしゃるが、全く明晰な素晴らしい記憶力なのです。
絵は30年ほど描き続けていらっしゃるという。雅号は「庄石」。
さきの戦争では東南アジアに出征、戦後に帰還してからは、農業の傍ら生業として色々な仕事をされたという。
壁屋(土蔵の壁や漆喰壁作り)の時代が長かったという。

「若い頃は東京に行ってて、あれはなぁ、大正12年9月1日だべ」
「えっ関東大震災ですか」
「それや、9月1日正午過ぎだ」
その復興景気の仕事で、壁作り、左官業の見習いをされていたそうです。
とスラスラと出てくるのです。

昭和村に初めて出来た写真館は、大芦集落にただ一軒あったあったことやその系譜。
野尻の某氏は、本名一作村長の娘に横恋慕していたこととか、信子姉にかかると、戦前の村中のゴシップ話も出てくるのです。
もう80年も昔の事ですので、時効として書かせていただきます(笑)



あれ、これは?

家人が「わー素敵、この絵!」と言う。
「斉藤清だぞ、これは」とわたしが言う。
そうです、斉藤清さんの版画です。
わたしは何故か最近、実物の絵ではないが、斉藤清さんの絵に書かれているサイン(英字・ローマ字)を記憶するほどに見る機会が合ったのです。
だから、断言出来た。

庄一さんがご自分で描かれた絵をずらっと並べた壁面のすぐそばに飾ってあるのです。
柿の木の冬の風景は昭和村の景色ではないかもしれない。
レプリカではなさそうだが、版画はオリジナルが一品しかないということはないので、そのお宝鑑定団的な価値は分らない。
が、庄一さん(と信子さん)の若かりし頃の気持ちが入っているのではないかと思ったのでした。
わたしが思い入れで「この蔵の壁は、庄一さんが作られたものだぞ!」と言ったら、疑う人はいらっしゃるでしょうか!(笑)

断言しよう。信子さんにとっては、この蔵は見るたびに「昭和館の蔵」を想起するに違いないのだ。



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