
蕎麦を頼む(5月3日) ― 2011/05/16 00:46
■蕎麦を頼む(5月3日)
(掲載_110516)
(掲載_110516)
毎年お盆には絶対にお泊りになる団体(とはいえ数名)のお客様がいらっしゃる。
今年は、ゴールデンウィークにもいらっしゃった。
蕎麦はいつもご指名である。
今年は、ゴールデンウィークにもいらっしゃった。
蕎麦はいつもご指名である。
中越地震の当日にもお泊りにいらっしゃっていたらしい。
たまたま一緒にいたお客様は、石造りの壁面の風呂場の中で何度か揺られて「怖くて(おっかなくて)入ってらんね」といって着替えも出来ずにタオル一枚で出てきたらしい。
その時には、蕎麦を茹でているときに何度か火(ガス)を止めた。
お客様がばあちゃんと話していた。「あん時の蕎麦は旨くなかったなぁ」
お互いにその時のことを知っているので、笑い話で大笑いしている。
たまたま一緒にいたお客様は、石造りの壁面の風呂場の中で何度か揺られて「怖くて(おっかなくて)入ってらんね」といって着替えも出来ずにタオル一枚で出てきたらしい。
その時には、蕎麦を茹でているときに何度か火(ガス)を止めた。
お客様がばあちゃんと話していた。「あん時の蕎麦は旨くなかったなぁ」
お互いにその時のことを知っているので、笑い話で大笑いしている。
このお客様はホントにはっきりしている。
しばらく前のことであるが、村内には数件の「蕎麦打(ぶ)ち」がいらっしゃる。
このお客様は、その違いをあててしまうのである。
ある年は、どうも製粉時に土が入っていたらしい蕎麦があった。
「昭和にきたらジャリジャリしてても、○○の蕎麦が食いたい!」
これには、参ったらしいが、蕎麦は蕎麦打ちもさりながら、茹で具合とタイミングにも技量がいるのである。
コゴミ(5月4日) ― 2011/05/16 02:06
■コゴミ(5月4日)
(掲載_110516)
(掲載_110516)
ヒルやフキノトウはばあちゃんの普段の生活圏内でも採取できるが、コゴミの採取はそうはいかない。
それなりの「ヤマ(野っ原)」に行かないと取れない。
「あそこらに行けばあるはずだ」と聞いて、わたしら(掲載子)が、のこのこと出かけて採取するわけにはいかないのである。
今年は深雪で、そのコゴミは出ていない(みあたらない)のである。
それぞれの場所にはそれぞれの既得権(慣行権)があってはじめて毎年の恵みが継続しているのである。
このことは、他の訪問者にもきちんと言っておきたい。特に、福島県の南に当たる県ナンバーの車でいらっしゃる人たちには(笑)
奥会津某村某小中津川。コゴミはまだです。今日はまだコゴミは、ないですからね、ふふ、かつぶしかけて醤油をかけてと、グビグビ、んめなぁ(笑)
posted at 19:14:51
@kazu_53 まだ集落内に出回らないのです。実はコゴミの天ぷらも食してます。純粋地産の入手経路について、こ、これ以上は内部告発になるので、tweet出来ない(笑)。
posted at 20:02:02
モミガラ撒きと石灰撒き(5月5日、6日) ― 2011/05/16 02:17
味噌樽(5月5日、6日) ― 2011/05/16 02:45
■味噌樽(5月5日、6日)
(掲載_110516)
【味噌樽】
この項は、後でまとめたい(笑)
とりあえず、写真だけ載せておきます。
(掲載_110516)
【味噌樽】
この項は、後でまとめたい(笑)
とりあえず、写真だけ載せておきます。




味噌樽、明治二十八年一月吉日○○○、、とあり。
posted at 11:44:41
訂正、味噌樽、明治二十八年三月吉日束原於○用、と読めた。これは女性の名前ではないか!嫁いだ嫁は自分の味噌樽(桶)を持参してきたとか?ちなみに三斗樽である。
posted at 17:21:34
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訂正、味噌樽、明治二十八年三月吉日束原於○用、と読めた。これは女性の名前ではないか!嫁いだ嫁は自分の味噌樽(桶)を持参してきたとか?ちなみに三斗樽である。
posted at 17:21:34
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味噌樽、屋内設備つまり竈(かまど)とかに準拠する物品に『束原於澤用』と書かれている。設置とか調達記念であれば所有を明示する『用』は付けない。謎。
posted at 20:24:53
味噌樽に女性名を明示記名、明治時代の奥会津小中津川村の謎。嫁姑の確執か、実家の味噌を伝承する知恵、それとも共同保管施設があった、南山御蔵入の地、社倉の名残りか、そろそろ酒気帯び妄想だがね。
posted at 20:41:28
訂正、昨日来の味噌樽。知ったかぶりで三斗樽と書いたがよく聞いてみると、いれる大豆が三斗であった、それに麹を米三斗分も入れるので三斗樽。今年はこれで2斗作る。3斗作ると婆様が体力的にかき混ぜられないから。
2011年05月07日(土) posted at 12:36:10
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posted at 11:44:41
訂正、味噌樽、明治二十八年三月吉日束原於○用、と読めた。これは女性の名前ではないか!嫁いだ嫁は自分の味噌樽(桶)を持参してきたとか?ちなみに三斗樽である。
posted at 17:21:34

訂正、味噌樽、明治二十八年三月吉日束原於○用、と読めた。これは女性の名前ではないか!嫁いだ嫁は自分の味噌樽(桶)を持参してきたとか?ちなみに三斗樽である。
posted at 17:21:34
味噌樽、「ばあちゃん(義母である)、先祖様で『おさわ』って人います?」「ああ、さわばぁ様のこどかな」。味噌樽の持ち主は、女性だった!それも大正15年生まれの義父(故人)からみて曾曾祖母祖母ひいひいばあちゃん。
posted at 19:37:10
posted at 19:37:10


明治28年3月に墨で記された味噌樽の所有者は判明した。昔の道具にはほとんとど屋号などの刻印はある。しかし、屋内におく設備(樽)に女性の名前が記されついるのである。
posted at 20:10:59
posted at 20:10:59
味噌樽、屋内設備つまり竈(かまど)とかに準拠する物品に『束原於澤用』と書かれている。設置とか調達記念であれば所有を明示する『用』は付けない。謎。
posted at 20:24:53
味噌樽に女性名を明示記名、明治時代の奥会津小中津川村の謎。嫁姑の確執か、実家の味噌を伝承する知恵、それとも共同保管施設があった、南山御蔵入の地、社倉の名残りか、そろそろ酒気帯び妄想だがね。
posted at 20:41:28
訂正、昨日来の味噌樽。知ったかぶりで三斗樽と書いたがよく聞いてみると、いれる大豆が三斗であった、それに麹を米三斗分も入れるので三斗樽。今年はこれで2斗作る。3斗作ると婆様が体力的にかき混ぜられないから。
2011年05月07日(土) posted at 12:36:10



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