別冊

糸婁 糸侖 (北越雪譜)2018/02/14 22:22

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○糸婁●(いとによる)

 糸に作るにも座を定め体(たい)を囲位(かたむ)る事績(うむ)におなじ。縷●(いとによる)その道具その手術(てわざ)その次第の順、その名に呼物(よぶもの)許多種々(いろ/\さま/”\)あり、繁細(はんさい)の事を詳(つまびらか)にせんはくだ/\しければ言(いは)ず。そも/\うみはじむるよりおりをはるまでの手作(てわざ)すべて雪中に在(あり)、上品に用ふる処の毛よりも細き糸を綴兆舒疾(しゞめたりのべたり)してあつかふ事雪中に籠り居(を)る天然の湿気(しめりけ)を得ざれば為し難し。湿気(しめりけ)を失へば糸折(をれ)る事あり。をれしところ力よわり断(きれ)る事あり。是故(このゆゑ)に上品の糸をあつかふ所は強き火気を近付(ちかづけ)ず。時により織るに後(おくれ)て二月の半(なかば)にいたり暖気を得て雪中の湿気(しつき)薄き時は、大なる鉢(はち)やうの物に雪を盛(もり)て機(はた)の前に置(おき)、その湿気(しつき)をかりて織る事もあり。これらの事に付(つき)て熟思(つら/\おもふ)に、絹(きぬ)を織(おる)には蚕(かひこ)の糸ゆゑ陽熱を好(このみ)、布(ぬの)を織には麻の糸ゆゑ陰冷(いんれい)を好む。さて絹は寒に用ひて温(あたゝか)ならしめ、布は暑(しよ)に用て冷(ひやゝ)かならしむ。是(こ)は天然に陰陽の気運に属(しよく)する所ならんか。件(くだん)の如く雪中に糸となし、雪中に織(お)り、雪水に洒(そゝ)ぎ、雪上に●(さら)す。雪ありて縮あり。されば越後縮は雪と人と気力相半(あひなかば)して名産の名あり。魚沼郡(うをぬまこほり)の雪は縮の親といふべし。蓋(けだ)し薄雪(はくせつ)の地に布(ぬの)の名産あるよしは糸の作りによる事也。越後縮に比べて知るべし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.63~64)

 ・ ・ ・

 ○糸婁 糸侖(いとによる)

|| 糸に作るにも座を定め体(たい)を囲位(かたむ)る事績(うむ)におなじ。縷●(いとによる)その道具その手術(てわざ)その次第の順、その名に呼物(よぶもの)許多種々(いろ/\さま/”\)あり、繁細(はんさい)の事を詳(つまびらか)にせんはくだ/\しければ言(いは)ず。

 〈糸に仕上げる〉
■ 糸に仕上げる(糸縒り、いとより)場所も決まっていて、姿勢を正してすることは績む作業と同じく言うまでもありません。
糸縒りの道具やその仕方や順序など、それらの道具や作業工程の名前(呼び方)は色々様々にあります。
とてもこまごまするので、ここで書いてもくだくだしくて煩わしいので省略します。

※“糸婁”“糸侖”でそれぞれ一文字。
※(本書説明文より抜粋)
【いとより】苧桶にたぐりこんだ糸を、手代木(てしろぎ)で紡錘(つむ)をすって回転させ、これによって縷(より)をかける工程。

||そも/\うみはじむるよりおりをはるまでの手作(てわざ)すべて雪中に在(あり)、上品に用ふる処の毛よりも細き糸を綴兆舒疾(しゞめたりのべたり)してあつかふ事雪中に籠り居(を)る天然の湿気(しめりけ)を得ざれば為し難し。

 〈織り終るまでの手業全て雪中にあり〉
■紵績(をうみ)から始まって織り上げるまでの工程は全て雪のある冬の季節の手作業なのです。
高級な縮に使用する糸は髪の毛よりも細いのです。
それを〔しじめ〕たり延ばしたりして作業をするので、雪中に篭っている自然の湿り気がないと出来ない作業なのです。

||湿気(しめりけ)を失へば糸折(をれ)る事あり。をれしところ力よわり断(きれ)る事あり。是故(このゆゑ)に上品の糸をあつかふ所は強き火気を近付(ちかづけ)ず。

■その湿り気がないと、糸は途切れてしまったりするのです。
切れた個所は弱くなるので裂けてしまうこともあります。
それなので、上品物の糸を扱う場所では、(暖房の)火の近くなどはもってのほかなのです。

||時により織るに後(おくれ)て二月の半(なかば)にいたり暖気を得て雪中の湿気(しつき)薄き時は、大なる鉢(はち)やうの物に雪を盛(もり)て機(はた)の前に置(おき)、その湿気(しつき)をかりて織る事もあり。

■時によっては、織りの作業が遅れて二月半ばになってしまったりすると、雪の湿気が薄くなったりします。
その時には、大きな鉢のような入れ物に雪を盛って機織(はたおり)機の前に置いて、湿り気の調節をして織ることもあるのです。

||これらの事に付(つき)て熟思(つら/\おもふ)に、絹(きぬ)を織(おる)には蚕(かひこ)の糸ゆゑ陽熱を好(このみ)、布(ぬの)を織には麻の糸ゆゑ陰冷(いんれい)を好む。

 〈糸の陰陽について〉
■これらの事象について、我(京山)熟考するに、絹は陽布は陰、ということじゃな。
絹は蚕の糸(動物性)なので陽熱を好み、布は麻糸(植物性)なので陰冷を好む、と、これでどじゃ。

||さて絹は寒に用ひて温(あたゝか)ならしめ、布は暑(しよ)に用て冷(ひやゝ)かならしむ。是(こ)は天然に陰陽の気運に属(しよく)する所ならんか。

■そして、絹は寒いときに着れば暖かくなり、布は暑いときに着れば涼やかになるのですな。
これは、まさに天然自然の陰陽和合に叶う事ではないか。

||件(くだん)の如く雪中に糸となし、雪中に織(お)り、雪水に洒(そゝ)ぎ、雪上に●(さら)す。

 〈ついでにキャッチフレーズ(笑)〉
■かくの如く、「雪中に糸となし 雪中に織り 雪水に濯ぎ 雪上に晒す」。

※●:“日麗”で一文字。

||雪ありて縮あり。

■ 雪 あ り て 縮 あ り

||されば越後縮は雪と人と気力相半(あひなかば)して名産の名あり。魚沼郡(うをぬまこほり)の雪は縮の親といふべし。

■このように、越後縮は、雪と人と自然の気との調和があってこその名産の名前となるのです。
魚沼郡の雪は、縮の親ともいうべきでしょう。

||蓋(けだ)し薄雪(はくせつ)の地に布(ぬの)の名産あるよしは糸の作りによる事也。越後縮に比べて知るべし。

■たしかに雪の降らない地方でも布の名産地がありますが、それは糸の作り方に依る事でしょう。
このことは、越後縮と比べてみれば一目瞭然に判断がつくことでしょう。



紵績(北越雪譜)2018/02/13 22:03

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○紵績(をうみ)

 余一年(ひとゝせ)江戸に旅宿(りよしゆく)せし頃、或人(あるひと)いうやう、縮(ちゞみ)に用ふる紵(を)を績(うむ)にはその処の婦人誘ひあはせて一家にあつまり、その家にて用ふる紵を績(うみ)たて此人々たがひにその家をめぐりて績(うむ)と聞(きゝ)しがいかにといひき。いかなる人ぞかゝる空言(そらごと)をばいひふらしけん。さりながら魚沼郡一郡も広き事ゆゑ、右やうにする処もあるやらん。たとひありとも、こは下品のちゞみに用ふる紵の事ならん。下品(げひん)の縮の事は姑舎(しばらくおい)て論ぜず、中品以上に用ふるを績(うむ)にはうむ所の座をさだめおき、体(たい)を正しくなし呼吸(こきふ)につれて手を働(はたらか)せて為作(わざ)をなす。定座(ぢやうざ)に居(を)らず仮に居(ゐ)て其為作(わざ)をなせば、おのづから心鎮(しづまら)ずして糸に太細(ふとほそ)いできて用にたちがたし。常並(つねなみ)の人の紵(を)を績(うむ)には唾液(つばしる)を用ふれども、ちゞみの紵績(をうみ)には茶碗やうの物に水をたくはひてこれをもちふ。事毎(ことごと)に盥(てあら)ひ座を清めてこれをなすなり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.63)

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 ○紵績(をうみ)

|| 余一年(ひとゝせ)江戸に旅宿(りよしゆく)せし頃、或人(あるひと)いうやう、縮(ちゞみ)に用ふる紵(を)を績(うむ)にはその処の婦人誘ひあはせて一家にあつまり、その家にて用ふる紵を績(うみ)たて此人々たがひにその家をめぐりて績(うむ)と聞(きゝ)しがいかにといひき。

 〈紵績 縮に使う紵〉
■ ある年、江戸に滞在していた時のこと、こんな事を尋ねた人がいた。
〈或人〉「縮に使う紵を績む時には、ご近所の女たちがある家に集まってその家で使う分の紵を績みあげて、また別の家に集まって順番にそれらの家の分を績んでしまうと聞いたことがありますが、本当ですか」。

||いかなる人ぞかゝる空言(そらごと)をばいひふらしけん。さりながら魚沼郡一郡も広き事ゆゑ、右やうにする処もあるやらん。たとひありとも、こは下品のちゞみに用ふる紵の事なん。

 〈紵績 縮に使う紵と普通物に使う紵の違い〉
■誰がこんなほら話を言いふらしたのだろう。
魚沼郡は広いので、そのような事をする所もあるのかも知れないが、あったとしてもそれは安物の縮に使う紵のことです。

※もしや、奥會津連か(((^^:。

||下品(げひん)の縮の事は姑舎(しばらくおい)て論ぜず、中品以上に用ふるを績(うむ)にはうむ所の座をさだめおき、体(たい)を正しくなし呼吸(こきふ)につれて手を働(はたらか)せて為作(わざ)をなす。

■商品としないような普段使いの紵績みのことは、さておきましょう。
中等品以上の縮に用いる紵を績むには、作業場所が決められています。
姿勢を正して、呼吸に合わせて手を動かしてはじめて良い糸に績めるのです。

||定座(ぢやうざ)に居(を)らず仮に居(ゐ)て其為作(わざ)をなせば、おのづから心鎮(しづまら)ずして糸に太細(ふとほそ)いできて用にたちがたし。

■その作業場所ではなく仮の場所ですると、気持も落着かないので、糸の太さにばらつきが出てしまうのです。

||常並(つねなみ)の人の紵(を)を績(うむ)には唾液(つばしる)を用ふれども、ちゞみの紵績(をうみ)には茶碗やうの物に水をたくはひてこれをもちふ。事毎(ことごと)に盥(てあら)ひ座を清めてこれをなすなり。

■普段使いの布用の時には唾で湿らせて績みますが、縮用の糸を作るときには茶碗のような器に水を入れて、それで湿らして績みます。
専用の手洗い盥(たらい)の場所で手もきれいにして績むのです。

※(本書説明文より抜粋)
紵績:縮の原料糸をつくるには青苧をぬるま湯にひたしてしめりを与え、少量ずつ口にくわえて右手の爪でその繊維を細くさき、左手でこれを撚(よ)りつないで苧桶(おぼけ)に入れる。
これを【苧績、をうみ】という。



紵(北越雪譜)2018/02/12 20:29

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○紵(を)

 縮に用ふる紵(を)は奥州会津(おうしうあひづ)出羽最上(ではもがみ)の産を用ふ。白縮はもつはら会津を用ふ。なかんづく影紵(かげそ)といふもの極品(ごくひん)也。また米沢の撰紵(えりそ)と称するも上品也。越後の紵商人(をあきんど)かの国にいたりて紵をもとめて国に売る。紵(を)を此国にても〔そ〕といふは古言(こげん)也。麻(あさ)を古言に〔そ〕といひしは綜麻(へそ)のるゐ也。麻も紵(を)も字義はおなじく布に織るべき料(れう)の糸をいふ也。紵(を)を苧(を)に作るは俗(ぞく)也と字書に見えたり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.62)

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 ○紵(を)

|| 縮に用ふる紵(を)は奥州会津(おうしうあひづ)出羽最上(ではもがみ)の産を用ふ。白縮はもつはら会津を用ふ。なかんづく影紵(かげそ)といふもの極品(ごくひん)也。また米沢の撰紵(えりそ)と称するも上品也。越後の紵商人(をあきんど)かの国にいたりて紵をもとめて国に売る。

 〈〔を〕のこと 原麻の産地〉
■ 縮に使用する素材は会津産または山型県最上地方の紵(糸になる前の〔からむし〕の原麻)を使います。
白い縮(染めないまま)は特に会津産を使用します。
会津産の原麻の中でも、〔影紵(かげそ)〕というものはとびきり極上品です。
また、米沢産の〔撰紵(えりそ)〕という原麻も上品です。
これらの原麻は越後の仲買人が、産地に出掛けていって買取り、魚沼の人に売ります。

※(本書説明文より抜粋)
縮:越後の縮は、麻の一種である苧麻(からむし)の皮をはいでつくった青苧(あおそ)を原料とする。
奥州会津:陸奥国(福島県)会津郡。
出羽最上:出羽国(山形県)最上郡。
影紵(かげそ):二尺から三尺に製苧したもの。優良品が多い。
撰紵(えりそ):かたびらなどを織る良質の麻糸。

||紵(を)を此国にても〔そ〕といふは古言(こげん)也。麻(あさ)を古言に〔そ〕といひしは綜麻(へそ)のるゐ也。麻も紵(を)も字義はおなじく布に織るべき料(れう)の糸をいふ也。紵(を)を苧(を)に作るは俗(ぞく)也と字書に見えたり。

 〈〔を〕のこと 紵と苧と〉
■紵(を)を魚沼でも〔そ〕といいますが、これは古くからの呼称です。
麻のことを古言で〔そ〕といっているのは、管巻(くだまき)にした状態の物を言います。
麻(あさ)も紵(を)も意味は同じで、布に織る材料としての糸のことを言います。
また、紵(を)を苧(を)とも書きますが、苧(を)は俗字であると辞書には書いてあります。

※(本書説明文より抜粋)
綜麻(へそ):短い管にまきとって、これから織る麻。



縮の種類(北越雪譜)2/22018/02/12 00:28

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○縮(ちゞみ)の種類(しゆるゐ)2/2

||▲白縮は堀の内町在(ざい)の村々-これを堀の内組といふ-又浦佐(うらさ)組小出嶋(こでじま)組の村々▲模様るゐ或は飛白(かすり)、いはゆる藍錆(あゐさび)といふは塩沢(しほざわ)組の村々 ▲藍●(あゐじま)は六日町組の村々 ▲紅桔梗縞(べにききやうしま)のるゐは小千谷(をぢや)組の村々 ▲浅黄織(あさぎじま)のるゐは十日町組の村々也。又紺の弁慶縞(べんけいじま)は高柳郷(たかやなぎごう)にかぎれり。右いづれも魚沼一郡の村々也。此余(よ)ちゞみを出(いだ)す所二三ケ所あれど、専らにせざればしばらく舎(おき)てしるさず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.62)

■〈名前と主な組(村)〉
【白縮】堀の内組(堀の内村を中心に二十九村)、浦佐組(浦佐村を中心に五十四村)、小出嶋組(小出島村を中心に三十九村)。
【模様類または絣】いわゆる【藍錆】は塩沢組(塩沢を中心に五十八村)。
【藍●(あいじま)】六日町組(六日町村を中心に六十六村)。●は、“糸”と”浸”の右側ぶ一文字。
【紅桔梗縞】小千谷組(小千谷を中心に三十八村)。
【浅黄織】十日町組(十日町村を中心に十九村)。
【紺の弁慶縞】高柳郷限定(高柳郷は魚沼郡の隣の郷)。

||縮は右村里の婦女(ふじよ)らが雪中に籠(こも)り居(を)る間(あひだ)の手業(てわざ)也。およそは来年売(うる)べきちゞみを、ことしの十月より糸をうみはじめて次の年二月なかばに晒しをはる。

 〈製作の季節〉
■縮といわれる品は上記の各村里(集落)の女性の冬中の手作業で作ります。
来年に売る分だけの縮を作ります。
十月から糸績みを始めて、翌年二月半ば迄には織り終えて、晒し上げます。

||白縮はうち見たる所はおりやすきやうなれば、たゞ人は文(あや)あるものほどにはおもはざれども、手練(しゆれん)はよく見ゆるもの也。村々の婦女たちがちゞみに丹精を尽す事なか/\小冊(さつ)には尽しがたし、其あらましを下に記(しる)せり。

 〈手練の技術〉
■例えば、白縮などは、傍目にみると織り易そうに見えます。
知らない人は、模様のあるほどには難しくないだろうと思うかもしれませんが、
その織りの素晴らしさは織った手練の結果としてよく見えるのです。
村々の機織女たちがどれほどの丹精を尽くすかの説明は、一冊の本では書ききれません。
その概略については、次節以降に書いていきます。

※意訳少し無理ありかも(掲載子)。次の章からはもっと恐い(笑)。



縮の種類(北越雪譜)1/22018/02/12 00:24

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○縮(ちゞみ)の種類(しゆるゐ)1/2

 魚沼郡の内にて縮をいだす事一様ならず、村によりて出(いだ)せ品(しな)にさだめあり。こは自(おのづか)らむかしより其品(しな)にのみ熟練して他(ほか)の品に移らざるゆゑ也。其所その品を産(いだ)す事左のごとし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.61~62)

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 ○縮(ちゞみ)の種類(しゆるゐ)1/2

|| 魚沼郡の内にて縮をいだす事一様ならず、村によりて出(いだ)せ品(しな)にさだめあり。こは自(おのづか)らむかしより其品(しな)にのみ熟練して他(ほか)の品に移らざるゆゑ也。其所その品を産(いだ)す事左のごとし。

 〈魚沼郡内の村ごとのおきて〉
■ “ちぢみ”と総称していますが、魚沼郡内で全部同じではありません。
村によって、その村独自の制作方法が定まっているのです。
これは、むかしから同じ品物だけを作ることに習熟してきて、他の品物に目移りしなかったからです。
それぞれの名前と、産出する組と村は以下のようになります。



越後縮(北越雪譜)2018/02/08 22:09

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○越後縮(ちゞみ)

 ちゞみの文字普通の俗用(ぞくよう)にしたがふ、又しゞみと訓(よむ)べきをもちゞみと俗にならふ。
 縮は越後の名産にして普(あまね)く世の知る処なれど、他国の人は越後一国の産物とおもふめれどさにあらず、我住魚沼郡(わがすむうをぬまこほり)一郡(ぐん)にかぎれる産物也。他所に出(いづ)るもあれど僅(わづか)にして、其品(しな)魚沼には比しがたし。そも/\縮と唱ふるは近来の事にて、むかしは此国にても布(ぬの)とのみいへり。布は紵(を)にて織る物の総名(そうみやう)なればなるべし。今も我があたりにて老女など今日は布を市にもてゆけなどやうにいひて古言(こげん)ものこれり。東鑑(あづまかゞみ)を案(あんず)るに、建久三壬子の年勅使帰落(きらく)の時、鎌倉殿(かまくらどの)より餞別(せんべつ)の事をいへる条(くだり)に越布(ゑつふ)千端(せんたん)とあり。猶古きものにも見ゆべけれど、さのみは索(もとめ)ず。後のものには室町殿(むろまちどの)の営中(えいちゆう)の事ども記録せられたる伊勢家の書には越後布(ぬの)といふ事あまた見えたり。さればむかしより縮は此国の名産たりし事あきらけし。愚案(ぐあんずる)に、むかしの越後布は布の上品(ひん)なる物なりしを、後々(のち/\)次第に工(たくみ)を添(そへ)て糸に縷(より)をつよくかけて汗を凌ぐ為に●(しゞま)せ織(おり)たるならん。ゆゑに●布(しゞみぬの)といひたるをはぶきてちゞみとのみいひつらん歟(か)。かくて年歴(としふ)るほどに猶工(たくみ)になりて、地を美(うつくし)くせんとて今の如くちゞみは名のみに残りしならん。我が稚(おさな)かりし時におもひくらべて見るに、今は物の模様を織るなど錦(にしき)をおる機作(はたどり)にもをさ/\劣(おとら)ず、いかやうなるむづかしき模様をもおり、縞(しま)も飛白(かすり)も甚上手になりて種々(しゆ/”\)奇工をいだせり。機織婦人(はたおるをんな)たちの怜悧(かしこく)なりたる故(ゆゑ)ぞかし。

 ・ ・ ・

 ○越後縮(ちゞみ)

|| ちゞみの文字普通の俗用(ぞくよう)にしたがふ、又しゞみと訓(よむ)べきをもちゞみと俗にならふ。

 〈ちぢみの呼称について〉
■ 〔ちゞみ、ちぢみ〕の文字は、普通に使われる“縮”の字を使うことにします。
 また〔しゞみ、しじみ〕と読んだ方が良い物も“ちゞみ、ちぢみ”としておく事にします。

※簡便辞書によると、以下の文字あたりが、〔ちぢみ〕と同類らしい。
 【蜆:しじみ】しじむ(蹙・縮)と同源。殻の表面に縮んだ文様があるところから。
 【顰・蹙・獅噛:しかみ】しわがよること。

|| 縮は越後の名産にして普(あまね)く世の知る処なれど、他国の人は越後一国の産物とおもふめれどさにあらず、我住魚沼郡(わがすむうをぬまこほり)一郡(ぐん)にかぎれる産物也。

 〈越後の国でも魚沼郡の産物なり〉
■縮は〔越後の名産〕として日本中に知られています。
そしてそれは越後国(現新潟県)中で作られていると思うかもしれませんが、実はそうではないのです。
〔越後縮〕と呼ばれるものは、越後国の魚沼郡に限られる産物なのです。

||他所に出(いづ)るもあれど僅(わづか)にして、其品(しな)魚沼には比しがたし。

■他国でも縮を作りますが、ほんの僅かで、品質においては魚沼郡産とは比べ物になりません。

||そも/\縮と唱ふるは近来の事にて、むかしは此国にても布(ぬの)とのみいへり。布は紵(を)にて織る物の総名(そうみやう)なればなるべし。今も我があたりにて老女など今日は布を市にもてゆけなどやうにいひて古言(こげん)ものこれり。

 〈縮は新しい呼び方〉
■そもそも〔縮、ちぢみ〕という呼び方は近頃のことで、古来は〔布(ぬの)〕とだけ呼んでいたのです。
布とは本来の意味は、〔を〕を織った物の総称なのでした。
今も塩沢あたりでは婆様たちは「今日は〔ぬの〕さ市に持って行きなせ」と言うように古言としても残っているのです。

※【縮と唱ふるは近来の事】延宝九年(一六八一)小千谷村郷帳などに縮役のことが見え、この頃から「縮」の語が使われたものと思われる(本書説明文より)。

※〔を〕は、麻・苧(からむし)・葛(くず)などの植物の茎から取出した繊維(掲載氏の解釈含む)。

||東鑑(あづまかゞみ)を案(あんず)るに、建久三壬子の年勅使帰落(きらく)の時、鎌倉殿(かまくらどの)より餞別(せんべつ)の事をいへる条(くだり)に越布(ゑつふ)千端(せんたん)とあり。

 〈文献調査〉
■『東鑑』には、建久三(1192)年に源頼朝が征夷大将軍となり鎌倉へ戻る時の餞別の事を記した条(くだり)に“越布千端”(「越後」の「布」千反)とあるのです。

※つまり、建久の頃には「布」と呼称していたし、名産地としての「越後」の地名も見えるという証左。

||猶古きものにも見ゆべけれど、さのみは索(もとめ)ず。

■もっと古い書物にもありますが、そこまでは調べなくても良いでしょう。

||後のものには室町殿(むろまちどの)の営中(えいちゆう)の事ども記録せられたる伊勢家の書には越後布(ぬの)といふ事あまた見えたり。

■それより後代では室町幕府に仕えた伊勢家の文書などにも「越後布」という表記が沢山あるのです。

※この項も、本書に説明文あり。

||さればむかしより縮は此国の名産たりし事あきらけし。

■これらの史料によっても、むかしから〔布〕と呼ばれていた縮は〔越後〕の名産であったことが推測できるのです。

||愚案(ぐあんずる)に、むかしの越後布は布の上品(ひん)なる物なりしを、後々(のち/\)次第に工(たくみ)を添(そへ)て糸に縷(より)をつよくかけて汗を凌ぐ為に●(しゞま)せ織(おり)たるならん。ゆゑに●布(しゞみぬの)といひたるをはぶきてちゞみとのみいひつらん歟(か)。かくて年歴(としふ)るほどに猶工(たくみ)になりて、地を美(うつくし)くせんとて今の如くちゞみは名のみに残りしならん。

 〈なぜ縮(ちぢみ)と呼ばれるか-私案(鈴木牧之)〉
■わたしはこういう経緯ではないかと想像するのです。
・むかしから“越後布”は布の上品であった。(平織り、生平の時代?)
・その後織りの技術の創意工夫により、糸に縒りを強くかけることによって皺のある(しじませた)布を作るようになった。これは、汗をしのぎやすい。
・それで〔しじみ布〕というようになったが、〔しじみ〕となり〔ちぢみ〕と変遷した。
・このようにして、年々織りの技術も向上して、布の地にも美的感覚が加味されて、〔ちぢみ〕という名前だけが残った。

||我が稚(おさな)かりし時におもひくらべて見るに、今は物の模様を織るなど錦(にしき)をおる機作(はたどり)にもをさ/\劣(おとら)ず、いかやうなるむづかしき模様をもおり、縞(しま)も飛白(かすり)も甚上手になりて種々(しゆ/”\)奇工をいだせり。

 〈ブランドとして進化する背景〉
■わたしの幼少の頃を思い出してみると、
・模様を織り出したり、錦織り専用の機織(はたおり)の道具なども製作できてきました。
・どんなに複雑な模様でも織る事ができて、縞(しま)も絣(かすり)も上手になって、そこから益々新しい技巧が工夫されたのです。

||機織婦人(はたおるをんな)たちの怜悧(かしこく)なりたる故(ゆゑ)ぞかし。

■これには、機織の女性も賢くなってきたからだと思います。

※幾何学計算と、二進法など算法知識のことも含めてのことなのでしょうね(掲載子の感想)。



雪吹(ふゞき)(北越雪譜)2/52018/01/31 22:38

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪吹(ふゞき) 2/5

 余が住(すむ)塩沢に遠からざる村の農夫男(せがれ)一人あり、篤実にして善(よく)親に仕(つか)ふ。廿二歳の冬、二里あまり隔たる村より十九歳の娵(よめ)をむかへしに、容姿(すがた)憎(にく)からず、生質(うまれつき)柔従(やはらか)にて糸織(いとはた)の伎(わざ)にも怜利(かしこ)ければ舅姑(しうとしうめ)も可愛(かあい)がり、夫婦の中も睦(むつまし)く家内可祝(めでたく)春をむかへ、其年九月のはじめ安産してしかも男子なれければ、掌中(てのうち)に球(たま)を得たる心地にて家内悦びいさみ、産婦も健(すこやか)に肥立(ひだち)乳汁(ちゝ)も一子に余るほどなれば小児(せうに)も肥太り、可賀(めでたき)名をつけて千歳(ちとせ)を寿(ことぶき)けり。此一家の者すべて篤実なれば耕織(かうしよく)を勤行(よくつとめ)、小農夫(こびやくしやう)なれども貧(まづし)からず、善(よき)男(せがれ)をもち良娵(よめ)をむかへ好(よき)孫をまうけたりとて一村(そん)の人々常に羨(うらやみ)けり。かゝる善人の家に天災(わざわひ)を下ししは如何(いかん)ぞや。

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 ○雪吹(ふゞき) 2/5

|| 余が住(すむ)塩沢に遠からざる村の農夫男(せがれ)一人あり、篤実にして善(よく)親に仕(つか)ふ。

■魚沼は塩沢の近郊のとある村の農家に、一人の息子がおりました。
実直で誠実な青年で、大変な親孝行者でした。

||廿二歳の冬、二里あまり隔たる村より十九歳の娵(よめ)をむかへしに、容姿(すがた)憎(にく)からず、生質(うまれつき)柔従(やはらか)にて糸織(いとはた)の伎(わざ)にも怜利(かしこ)ければ舅姑(しうとしうめ)も可愛(かあい)がり、夫婦の中も睦(むつまし)く家内可祝(めでたく)春をむかへ、

■その男は、二十二歳の年の冬に、【二里】ほど離れた隣村から十九歳の嫁を迎えました。
その嫁は、容姿は整い生れついての優しい性格でした。
【糸織(いとはた)】(糸作りや機織)も上手なので舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)も、
とても歓迎して誉められ可愛がられました。
夫婦も仲良く一家はめでたく春を迎えました。

※【二里】:1.3キロメートル程かもしれません。
※【糸織】糸作りと機織(はたおり)は冬の女性の仕事となっていた。

||其年九月のはじめ安産してしかも男子なれければ、掌中(てのうち)に球(たま)を得たる心地にて家内悦びいさみ、産婦も健(すこやか)に肥立(ひだち)乳汁(ちゝ)も一子に余るほどなれば小児(せうに)も肥太り、可賀(めでたき)名をつけて千歳(ちとせ)を寿(ことぶき)けり。

■そして九月の初めには第一子誕生、安産のうえ男の子だったので、まるで掌に宝石を受けたような慶事でありました。
嫁も大過なく産後の肥立ちも良くて、母乳も呑みきれないほど、赤ん坊も丸々としています。
子供の名前は千歳(ちとせ)と、めでたい名前をつけてお祝いをしました。

||此一家の者すべて篤実なれば耕織(かうしよく)を勤行(よくつとめ)、小農夫(こびやくしやう)なれども貧(まづし)からず、善(よき)男(せがれ)をもち良娵(よめ)をむかへ好(よき)孫をまうけたりとて一村(そん)の人々常に羨(うらやみ)けり。

■一家全員が真面目で、田畑の耕しと機織(はたおり)仕事もよく努めます、
小さな農家ですが充分な生活が出来ました。
「孝行息子に器量良しの嫁さま、それに良い孫までなした」と村の人も事あるごとに羨ましがって話しています。

||かゝる善人の家に天災(わざわひ)を下ししは如何(いかん)ぞや。

■こんな善行の幸せな家庭に、災害が降りかかるとは、何という天の采配なのでしょう。



160723_奥会津にて・からむし織の里フェア風景12016/08/19 04:58

2016年7月23日、奥会津昭和村にて。

160723_奥会津にて・からむし織の里フェア風景1








道の駅(織姫交流館)にて







隣町企画の商品など







ナミ姉が今年も地機織の実演と来訪者への説明と応接をしていらっしゃった。
後刻にもう一度お邪魔する事にする。





苧引(おひき)き





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