別冊

120418_【震災と東北】12012/04/19 02:39


120418_【震災と東北】1

120418_【震災と東北】1
12年4月18日、赤坂憲雄さんの東京工業大学、世界文明センターでの講話。
以下は赤坂憲雄さんの聴講をメモしたものです。そのメモを元に反芻しながらテキスト化しています。(メモ責:恵比塵)

19:07 1時間半を話しながら考えようと思っている。そうなって欲しくないシナリオも話します。

10から20兆円の金が東北に投げ込まれようとしている。バブルだ。仙台は秋からにわかにバブル。
国分町風俗街も2011年秋より賑わう、仙台のデパートでは日本で一番ブランド品が売れている。

九州から携帯ひとつで仙台に来て、人を集めて工事現場へ。

土木建築公共事業に金が流れる。ビジョンがないのに金をつぎ込む。

19:10 2011年4月、政府の復興会議の委員になった。誰が推薦したかは分からない。

(復興会議の委員に選ばれたのは)、(311以前に)20年間東北の村や町を歩いた、(そこを再び歩いて)声を拾って政治の場に届けるのが仕事と思った。



(メモ責:恵比塵)
・・・つづく・・・


120418_【震災と東北】22012/04/19 02:49


120418_【震災と東北】2

120418_【震災と東北】2
12年4月18日、赤坂憲雄さんの東京工業大学、世界文明センターでの講話。
以下は赤坂憲雄さんの聴講をメモしたものです。そのメモを元に反芻しながらテキスト化しています。(メモ責:恵比塵)


(復興会議では)、収束していないので原発を取り上げないことにする、と議長が言った。
(そのようなことを)誰が言わせたのかは想像がついた。

委員の一人ひとりの順番の発言では、赤坂は一番目の発言になる。(前言者の意見に賛否のコメントをつけられない。)
(一番目の発言であるが原発を取り上げないことに異論発言をした。)これは、公開された議事録にも載っているはず。
政治は胡散臭い、と感じた。

4月30日に発言時間は縮められてしまったが、「自然エネルギー特区に!」の提案をした。
フクシマ、FUKUSHIMA、マイナスのカードになってしまった。脱却してからは自然エネルギーだと直感した。

自然エネルギー特区への順番が大事。6月には「災いの風を恵みの風へ」風力を推薦したが反発が多かった。


(メモ責:恵比塵)
・・・つづく・・・



120418_【震災と東北】32012/04/19 22:26


120418_【震災と東北】3

120418_【震災と東北】3
12年4月18日、赤坂憲雄さんの東京工業大学、世界文明センターでの講話。
以下は赤坂憲雄さんの聴講をメモしたものです。そのメモを元に反芻しながらテキスト化しています。(メモ責:恵比塵)

自然エネルギー、原子力、広告会社、ベンチャー、NGO、水路、植物工場専門家などの人が集まった。
みんな、何をしたいのか何をしていいのか分からなかった。

3月23日、読売新聞にエッセイ「今、民族知の復権を」を発表した。
等身大の生業(なりわい)と知恵、どれだけ冷静になれるか、フォークロアの知恵、役に立たずと思ったこともある。

群像にエッセイ「ゴジラとナウシカ」について書いた。

19:20 「ゴジラとナウシカ」は冷ややか過ぎる文章との批判があった。自分自身もまともではなかった。

(フィールドワークについて)被災者を増やすだけなので来るなといわれた。3月末に現地に入って、4月3・4日から歩き始めた。
みんな精神的にまともではなかった。涙と抱擁(だきあって)。

(メモ責:恵比塵)
・・・つづく・・・



120418_【震災と東北】42012/04/19 22:28


120418_【震災と東北】4

120418_【震災と東北】4
12年4月18日、赤坂憲雄さんの東京工業大学、世界文明センターでの講話。
以下は赤坂憲雄さんの聴講をメモしたものです。そのメモを元に反芻しながらテキスト化しています。(メモ責:恵比塵)

19:24 フィールドワークで知った。東北に入る前に考えたことは、「民族知の復権」→無力かもと思ったが、逆転した。

4月7日いわき市にて。戻ってきていたその人は、当時町を避難して東京へ、そして西へと車で逃げた。
行った先は、熱田神宮、伊勢神宮、熊野那智の滝と巡っていた。無意識に浄土還り(?)をしていた。
そして二週間ほどしていわき市に戻ったという。

いわき市のスナックで、不安を爆発させた男は父親を殴った。中絶もあった。
何が起こったかを見たメディアはいない。
メディアが消えてしまっていた一ヶ月の空白がある。

3月12日、南相馬市ではすべてのメディアは避難してした。
住民7万数千人のうち1万人が残された。食料無し医者、警察もいない。外(町外)との連絡とれずで。

(メモ責:恵比塵)
・・・つづく・・・



120418_【震災と東北】52012/04/19 22:50


今年初めて会津若松の県立博物館に行ってきました。
ああ、ここのイベントに参加すれば「生」赤坂さんに会えるんだなぁとずっと思っていました。
今日(2012/04/18)初めて、その赤坂さんの講話をお聞きしました。
講話を聴きながらB6のノートにメモしました。
120418_【震災と東北】5

【別冊恵比塵】-120418_【震災と東北】5
120418_【震災と東北】赤坂憲雄さん・東工大世界文明センターレクチャー(120418)
12年4月18日、赤坂憲雄さんの東京工業大学、世界文明センターでの講話。
以下は赤坂憲雄さんの聴講をメモしたものです。そのメモを元に反芻しながらテキスト化しています。(メモ責:恵比塵)

30Kmラインを南下した、塩屋町。一面の瓦礫(がれき)の海、新興住宅は大被害。
瓦礫のかなたに鳥居が見えた。鳥居の後ろに狛犬、坂の上に神社。社殿のなかに布団、(そこは)避難場所になっていた。

神社が生き残っていたのを見た!山の中腹に神社、神の座を災害から守る(ための位置)。

(今年)3月11日陸前高田気仙町で追悼式があった。被害にあった高台の公民館では御詠歌と焼香。
「神社に80人避難して助かった」。神社の階段の3、4メートルまでは津波で流されていた。
(被災地をまわると)神社を巡る旅のようになっていた。宗教的なものが露出している。巡礼の旅をしている。

5月末、南三陸町三戸部で聞き書きをした。
瓦礫の中で探し物をしていた男性が見つけたものは二つのもの。亡くなられた奥さんの指輪と鹿踊りの衣装と太鼓。

(メモ責:恵比塵)
・・・つづく・・・



120418_【震災と東北】62012/04/19 22:52


120418_【震災と東北】6

【別冊恵比塵】-120418_【震災と東北】6
120418_【震災と東北】赤坂憲雄さん・東工大世界文明センターレクチャー(120418)
12年4月18日、赤坂憲雄さんの東京工業大学、世界文明センターでの講話。
以下は赤坂憲雄さんの聴講をメモしたものです。そのメモを元に反芻しながらテキスト化しています。(メモ責:恵比塵)

5月27、28日、震災の2ヵ月後には民俗芸能が復興していた。各地で民俗芸能、まつりが復興していた。

東北の芸能は(もともと)鎮魂と災難を払う(意味があった)。

鹿踊りの碑文、「小さな命をいただいて、全ての生きとし生きるもののために、この芸能を奉納する、」と碑文にはあった。(既にかすれて見えない碑文に書かれていた記録)。
鹿踊りは供養と鎮魂。

8月お盆のいろいろいな風景。土台(しか残っていない)剥き出しの風景が草で覆われていく。忘却を強いられる、と感じた。
(だが)土台の傍らには花と写真が添えられている。

19:45 福島県には「高灯篭」というお盆の風習がある。新しい死者(がお盆に戻ってこられるため)のしるし。
2万人の死者のための高灯篭。

(メモ責:恵比塵)
・・・つづく・・・



120418_【震災と東北】72012/04/19 23:17


120418_【震災と東北】7

120418_【震災と東北】赤坂憲雄さん・東工大世界文明センターレクチャー(120418)
12年4月18日、赤坂憲雄さんの東京工業大学、世界文明センターでの講話。
以下は赤坂憲雄さんの聴講をメモしたものです。そのメモを元に反芻しながらテキスト化しています。(メモ責:恵比塵)

海辺ではテトラポッドが流されて点々としている、そのテトラポッドが夏草に半分埋もれる。サイノカワラ。

海辺では一人ずつが花を持って歩いて、防波堤の裂け目からそれを手向ける。一人ひとりが順番に。
そして、海側から記念写真を撮っている。鎮魂の風景。宗教的なものが自然発生的に生まれている。

19:47 個人としての宗教者(仏教者)は活躍した、しかし、宗教者の組織は無力だった。

会議では玄有さんは、寺の復旧の支援について繰り返し発言した。しかし、宗教に国は金を出さないという。
しかし、核になったのは、神社と寺である。

対立と分断がある。(神社と寺は)そこで利害を超えて繋がるものかも知れない。
ひとつになるには、神社、まつり、芸能が(その)役割を果たしていると気づいた。

遠野物語の逸話。フクジさんの話。津波で亡くなった妻の幽霊が出た。妻は夫ではなく恋人と一緒だった。
子供と一緒ではないことなじった。

南相馬の話。車で人をはねた気がしたが車には傷がない。
心配して警察に(人を轢いたかもしれないと)相談に行く。警察は「あそこで人をはねたのは、あなたで9人目です」と言う。

(メモ責:恵比塵)
・・・つづく・・・



120418_【震災と東北】82012/04/19 23:19


120418_【震災と東北】8

120418_【震災と東北】赤坂憲雄さん・東工大世界文明センターレクチャー(120418)
12年4月18日、赤坂憲雄さんの東京工業大学、世界文明センターでの講話。
以下は赤坂憲雄さんの聴講をメモしたものです。そのメモを元に反芻しながらテキスト化しています。(メモ責:恵比塵)

岩手の海岸での話。海から逃げてくる人の声と音がする。沢山の人が聞いたといううわさ。幽霊を見たというニュースも広まる。
都市伝説であろうか?

(幽霊を見たというのは)、生き残った人が、たとえ幽霊であっても会って和解をしようとしていたのではないか。

(遠野物語の逸話の)フクジ(福次)氏は、妻のことばによって許しを受けたのでは。
(これらの逸話は)誰かが話しをしたから、残っている。

20:00 ゆうれいが必要、死者との和解を求めている。

コミュニティの再生はインフラの整備ではない。
五木村(九州)の川辺川ダムの例、神社と墓地がないコミュニティの復興は成り立たない。

11年4月21日、南相馬、検問を抜けて15Kmまで入った、小高町、島尾敏雄氏のふるさと。
15Km地点からはバクハツが見える。
(わたしはそのまま訪ねたが)、メディアは防護服、0.39マイクロシーベルト地域。

そこは、泥の海、その下は元々水田、泥の海とは潟(かた)の様相。


(メモ責:恵比塵)
・・・つづく・・・


別冊