別冊

昭和村散策(4月30日)2011/05/11 01:24

■昭和村散策(4月30日)
(掲載_110511)


前日にK氏に「遊んでください」とメールしておいたら、村内フィールドワークの時間を取ってくれた。
これで3年連続案内していただく。毎回新しい発見である、が、わたしは絶対的に勉強不足であることは、以下のわたしのコメントでお里が知れてしまいますね。

昭和村フィールドワーク(4月30日)




『キクザ○○ゲシ』←自分でメモした字が読めない。別称『ホケキョバナ』『雨降り花』と聞いて判った。
この花は大芦の中見沢の神社の近くの畑のそばの斜面で幼少の頃に群生していたのを思い出した。

【追記】(11/05/12)
キクザキイチゲ。機織り花、ほけきょ花、雨降り花。
ありがとうございます、いただいたコメント(_ k ― 2011/05/12 00:40)↓から追記しました。

熊棚






この花の周りの茶色のガクが、ブナの木が緑色に見える前に全体を赤茶色に見せる。
今年は数年ぶりにブナの花が多いとか。





左の斜面は昨年の夏にユリの花が咲いていた場所。


赤茶色のグラデーションは枯葉ではない。ブナの木がほきる直前の風景。


判りにくいが年末の大雪で、案内板を支える支柱が直角に折れてしまった。
この時の大雪で杉の木の被害は千本ほどあったという。



権現様。
この台座の上には去年まで道祖神があった。何者かが持ち去ったのである。


大芦へ


奇跡のファーマーズカフェ『大芦家』(^^;


『大芦家』


矢ノ原沼。


矢ノ原、会津藩士野村新平の墓。元の位置のままで風化を防ごうと囲いの設備を建てたのはK氏が18歳の時。


この時、既に会津藩は降伏していた。戦争は終わっていたのである。
ラジオもなかった、ましてや電話も携帯もない。
戊辰戦争では大芦も戦場となった。
そして大芦の戦いでは官軍にも会津藩にも戦死者が出た、地元の人も亡くなった。
戦後には、国(官軍)の施策で、大芦の一番大きな墓地(腰巻)には立派な官軍の墓が建てられた。
ずっと後になって会津藩士の墓はこの地と、大芦・佐倉・喰丸・両原の分岐点となる地(公園と呼ばれていた)に残されている。


下中津川の庚申塚。右に建っているのは呪文(祈願の文章・漢文)の書かれた塔。
横に倒れているのは、一回り前に立っていた塔らしい。
2年前に小中津川から下中津川を散歩したことがある。
平地に杉の木が数本残されている場所がところどころにある。
確証がもてるほどではないが、その場所には何らかの祠や石塔がある。らしい、と気づいた。


館(やかた)ではないかと想定される折橋にある小山。
裾野には笹の群生と茅場状態。


フキノトウの節(せつ)である。


コメント

_ k ― 2011/05/12 00:40

キクザキイチゲ。機織り花、ほけきょ花、雨降り花。

_ 恵比塵 ― 2011/05/12 01:03

ありがとうございます、本文内に追記させていただきました。

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