別冊

150815_奥会津/気多神社渡御祭・巡行3(稲のこと)2015/08/29 01:54

2015年8月15日。昭和村小中津川にて。

気多神社渡御祭、巡行風景。

行列の後をついていかないで、逆回りしてみた。

150815_奥会津/気多神社渡御祭・巡行3(稲のこと)



田んぼの取水口近くの稲。
これはやはり水が冷たいからだと思う。
『会津学』に載っていた写真で見た気がするが、田んぼの取水口辺りは、稲を植えずにその場所を水溜りにして田んぼに廻す水を暖めるをための場所。
そんな写真である。
こんな記事を見たせいで、「冷水所(ひやみずところ)」という言葉でブログに掲載したことがある。

実はその景色に近い場所は、下中津川の熊野神社の脇から入って、役場の裏を通って折橋の近くまで続く大きな農道のある場所の田んぼに見かけることが出来る。
ははぁん、と思ったがそれは、どうやら田植機か耕運機(手押しではなく乗用型)の都合と田んぼへの乗入と出場のため回転の都合のための一画(いっかく)らしいと気づいたのでした。

機械で田植えをしたとき(最近は大抵はそういう農業団体(農協とか請負)に依頼するしかない)、そういった機械植えの出来ない場所は、手植えをする。
話が戻るが、手植えをしても田んぼへの配水の都合(この地では水を一旦暖めるための堰とか池のような設備はないと思う)で、稲穂が出来ない場所が、やはりあると思う。

それでも、稲を植えるのです、と続けてみたい。稲藁文化のことに。
そして稲刈り時節の少し前に、この青々とした稲が穂を着けないままで、人の手によって刈られるとしたら。
昨今の稲刈機械は(やはり乗用型)で、刈取りと脱穀と稲の茎(稲藁)の粉砕、ついでに稲刈り跡に撒き散らしまでしてしまうのです。

畑に使う稲藁とか、歳の神(さいのかみ)に使う稲藁分は、もっと昔であれば縄を作るための分の稲は?
もっと大事なところでは、正月の飾り、山の神の木に捧げる締め飾り。
そしてもっともっと大事だったことでは、氏神様とか神社の注連縄(しめなわ)つくり分の稲。
これも会津学かまたはK氏のブログを読んだ孫引きですが、稲作をしない桧枝岐では稲藁(米ではなくて)を買っても入手するとか、米の収穫手段以外での稲作があるらしいということもあるそうなのです。

特に、神社の注連縄(しめなわ)は、稲穂が付いて脱穀した後の稲ではなく、緑(青)の残った状態の穂の出ていない稲を青刈りしたものを使用すると、どこかで読んだ気もするのです。
昔、宮田(みやた)とかがあった時代には、その青刈りした稲で注連縄を作ったというのです。
つまり、枯れて黄色(枯色)になる前の、茎も葉も緑の状態の稲を刈り取って、ドライフラワーにしたようなものです。
有名な大きな神社などで、青々(緑に近い色)とした大きな注連縄を飾る行事などの観光写真をご覧になったことはあると思います。

それと同じような行事は、ここ奥会津にもあったことと思います。
何故かというと、神社の名前の殆どは、日本全国各地にある春日、住吉、熊野、大山祇とか気多(少しマイナーですが)神社という由来元の大社の神社の末社ともいえるのです。
規模の違いはあれ、その由来(様式)の元となる延喜式とかそういった作法があった筈だと思うからです。

そのときに、この稲穂の出ていない稲(青い稲)を注連縄(しめなわ)つくりの材料として使うとしたら、たとえ機械化されても(このあたりで歴史的時代錯誤があるが)、青い稲の残る場所にも苗を植えて注連縄用に刈り取ったのではないかと、妄想するのです。

ブログ用に掲載しようと思う写真(少しは取捨選択しています(笑))を見ながら、こんなことを妄想してしまうのです。
すると、本掲載子のブログは、奥会津のことになると特に、全くニュース性とかリアルタイムの宣伝効果とかとはかけ離れてしまって、2週間も3週間も時には月遅れの掲載になってしまうのです。昭和村大好きウスイさんにも、からかわれてしまうし(大笑)←こら!

こんな事々も、また奥会津を探訪したときに、ヒロアキさんに会える機会があれば聞いてみたいと思っています(^^;

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