別冊

150719_奥会津/からむし織の里フェア会場2015/08/12 03:52


2015年7月19日。
からむし織の里フェア会場にて。
2日目です。

昨日とほとんど同じ行動をしました。
というか、去年もですね(^^;


150719_奥会津/からむし織の里フェア会場

妻が、「からむし畑とカスミソウ畑の見学ツアーに行ったことがない」というので、一緒に出かける。



150719_奥会津/大芦にて2015/08/12 03:57

2015年7月19日。
奥会津昭和村の「からむし織の里フェア」のイベントの一つ、からむし畑とカスミソウ畑見学ツアー。
今回は連日参加させていただいた。
昨日は予習、本日は復習、のつもりで(^^;
コースおよび以下の写真も、昨日のブログとほぼ同じです。

150719_奥会津/大芦にて
昨日うまく撮れなかった、大芦山崎(和久沢?)の丘。

この丘が、竹島さん(先日都内で開催していた奥会津の写真展でお会いした)がおっしゃった場所だと思う。
「大芦の小高い丘にとてもきれいな桜が咲いていました」と。



2本の木が見えるその右側に大きなエンジュの樹が今年の春まであったのです。
今年5月に歩いて移動したときにたまたま切り株を見つけたのでした。
バスで通過したので、その場所を写せなかった。
数年前に、小中津川の診療所の取壊しがあり、その庭のケヤキとイチョウの木(一緒にくっついていた)が伐られた跡を見たときと同じ衝撃でした。
おそらくその木の根も掘り返されたのでしょう。

というのは、診療所跡の敷地の後日談。
診療所跡のケヤキの木は伐られてしまえば取分け銘木というわけでもなし、その後はおそらく普通の木材として処分(材木として売られたかチップ工場にでも搬入されたか)されたのだろうと思います。
さて、その根っ子は、更地とするには掘り返すしかないはずですが、後から出てきた根っ子だけを運ぶのも大変らしい。
それに売れる訳でもないらしい、よくしたもので、ご近所の「集めるのが好き」らしい某氏がご自宅の置場に引き取ってくれたというのです。
放置(場所があるのでただそこにおいてある)には違いないが、物(ブツ)として残った訳である。
その更地(現在はまったくの更地のまま)にいつか何らかの記念構造物が設置されるかもしれない。
その根っ子が再びオブジェとして復活するかも知れないし、またはこんな発言が、好事家の目に触れて高く売れるかもしれないのだ。
そしたらそれは、奥会津昭和村の新たな昔話が生まれるかもしれないかもしれないではないか。ま、それはないにしても(笑)。

150719_奥会津/からむし畑(大芦)2015/08/12 04:00

2015年7月19日。
奥会津昭和村の「からむし織の里フェア」のイベントの一つ、からむし畑とカスミソウ畑見学ツアーに2日目も参加してみました。


150719_奥会津/からむし畑(大芦)


皆川さんのからむし畑(大芦)。

手前に寝かせてある束と、結束してある縄にも注目です。
これは、刈り取ったばかりのからむしではなく、からむし剥ぎ作業をした後の苧殻(茎部分だけ)を再び畑に戻す(散らす)しているのです。

この縄は、からむしを刈り取ったときに、使用した縄なのです(まだ確かめていません)。
つまり、この結束用の紐(縄)は、同じものが1シーズンは畑と作業場(からむし剥ぎをする場所)しているのです。
そして最後はこの縄(稲藁製)も畑に戻す(散らす)のでしょう、と思ったのです。

このように思ったのは、昨日の夕方に、フェア会場から歩いて帰る途中で、ワタナベさんのからむし畑での作業を見て思いついたことでした。
ワタナベさんは結束材として縄にもしていない、ゆるくねじったような形状の藁で結んでいました。


どちらにしても結んでほどいてその場(畑)で捨てても翌年までには腐って肥料ともなる植物(藁材)を使用しています。
結束材料を、縄のようにするか、稲藁をしごいてゆるい紐状にするかの違い。

この差はおそらく、畑と作業場(池など水場を含む)間の移送手段によるのではないかと思いました。

連作障害のない理由とか、土壌の説明など。

150719_奥会津/からむし剥ぎと苧引き2015/08/12 04:04

2015年7月19日。
奥会津昭和村の「からむし織の里フェア」のイベントの一つ、からむし畑とカスミソウ畑見学ツアーに2日目も参加してみました。

大芦集会室会場にて。

150719_奥会津/からむし剥ぎと苧引き
からむしの茎を取り除いた(はがした)ものはこの後の写真のように束にまとめられて、左の四角い桶に入れられる。
生ものなのです。
それを、一束ごと、からむし引き用の台(舟?)に取り出す(引き台の右側)。
それを一本ずつ取り出して、まず表皮部分をこそげ落として、台の上の薄い俎板(まないた)のような形状において、刃物でこすって繊維だけを取り出す。
この作業を上下半分ずつ繰り返す。
手前の器にも注意。水が入っている。
台の上に取り出した束の上部となる部分を浸しているのです。乾燥させないためです。
このことは、菅家博昭氏が同氏のブログで説明していました。
掲載子、そのブログを参照した後で、この写真を見てその意味を理解しただけです。
詳しくは、同氏のブログで参照されたし(笑)



刈り取ったときにまとめられたからむしの一束分のからむし剥ぎをした状態。
本数はおよそ20本ほどか。
右と左の棒状のかたまりは、剥いだ残りの茎、ほぼ中央で茎は分離されているので、左右におよそ20本ずつ(あたりまえか)。
そして、剥がされた上皮の本数が、きっちりその倍の40本。
結束していた縄の色、畑にあったときとこの場所での色の違いにも注意。湿っているのです。



菅家夫妻(博昭さんと洋子さん)も、会場にいらっしゃって、取材されていた。

ご両人とも、これらの作業は熟知している。栽培もしていらっしゃる。
少し離れて見ていらっしゃったが、おそらく、吉三さん(からむし剥ぎの実演と説明)の所作で深い気づきをされたのかもしれない。
お二人で何か話されて、


洋子さんは、吉三さんの前に座り込んだ。






すでに剥いでしまった茎(苧ガラ)を使って、そのコツ、指の配置などを確認。










実体験者でなければわからない、剥いだ上皮に茎の欠片(かけら)が付いてしまっているときの苧引きのし難さ、とか、
欠片を残さない手の動きとか。



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