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150815_奥会津/竹島さんのこと(妄想編)2015/08/23 03:52


■竹島さんのこと(妄想編)

この写真は、奥会津昭和館の玄関入口の廊下に掛けてある。
気づいたのは恐らく30年近く前からだと思う。
昭和村の子供たちの冬の集団登校の風景。
きちんとパネルにしてある。

150815_奥会津/竹島さんのこと(妄想編)

今年になって、会津に40年以上通い続けて写真を撮っていらっしゃるという、竹島さんという方にお会いする機会があった。
その方の写真展が都内で開催されたのでした。
K氏が竹島さんと立ち話をしているときに、私のことも紹介してくださった。
私「大芦の出身です」
竹島さん「わたしの唯一のくやみは、大芦の冬に立ち合えなかったことです」とおっしゃった。
何度も何度も昭和村を探訪されたが、真冬に大芦集落まではたどり着けなかったとおっしゃるのです。
そのころは、除雪機(ブルドーザー)も村に一台しかないような時代です。
大芦の六地蔵とか、ある丘の上の桜の景色とかの話をされました。
それらは、私もその風景が思いつく場所でした。

竹島さんは、会津に通いつめるために、安易な移動手段をご自分で封印した。
「簡単に行って風光明媚とか、村の季節行事を撮って、『天気が悪かったら戻ればいい』ではだめなのです」。
「それで、わたしは、そうならないように、自家用車を売っぱらって、電車とバスと徒歩で移動しました」。
と、おっしゃるのです!
(この言葉の一言一句がそのままではなかったかもしれませんが、そう聞きました)

このお話を聞いていたためか、先月(7月)に帰省したときに、この写真がいきなり目に入って来たのでした。
そして直感したのです。この写真の撮影者は、竹島さんではなかったかと。

というのも、竹島さんからはこんな話も聞きました。
村内を何度も何度も歩いていると、そのうちに顔見知りになって声を掛けてくれる人が出てくる。
「なんだ、にっしゃ、何にもねーところにまた来たのか?」
「写真撮りしん(する)なら、只見川とか大内宿とか、廻っとこ他(ほか)にあっぺ」

といいつつ、友達になって、その家に泊めてもらったりしたそうです。
そういうことを、数十年も続けていると、村内の世代の違う新しい人とも知り合いになったりする。

「にっしゃ(あなた)も写真撮りか」
「おら家(いぇ)には、東京から来た写真家の人が撮った写真もあっつぉ!」
と言って、竹島さんを自宅に呼んで写真を見せてくれたそうです。
なんと、その写真は竹島さんが撮った写真だった(笑)そうなのです。

パネルを外して、裏面などを調べれば、寄贈者名か撮影者名が書かれているかも知れない。
書かれているかいないか、だけだったら、まあ、急ぐこともないし、しばらくは想像している方が楽しめるし。こら!

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