140522_夜空1 ― 2014/06/16 01:49
140522_隠れアジサイ ― 2014/06/16 01:51
140522_夜空2 ― 2014/06/16 01:52
140523_タイガー計算機 ― 2014/06/16 01:54
140526_隠れアジサイ ― 2014/06/16 01:56
140529_昭和村の歴史(135頁) ― 2014/06/16 02:14
去年、K氏に同行した村内散策中に、「大芦であった戊辰戦争後に、大芦に住んだ会津藩士がいらっしゃる」ことと、その墓(墓碑)が下中津川の正法寺にあること、そのお墓も実見した。
その藩士の方の手紙が『昭和村の歴史』に郵便物の史料として、掲載されていたことに偶然に気づいた。
わたしは、「ををっ!」と思ったが、同氏にとっては既知のことですよね(^^;
それで、この『昭和村の歴史』(1973年)の編纂者は「何故元々の住民の郵便物ではなく、一時的移住者の方の郵便物を写真として採用したのだろうか」と考えてみた。
おそらく、差出人と宛先が村内の方であったとしたら、じいちゃんばあちゃん経由で聞いたら、村内の人間関係からプライバシーまでたちどころにわかってしまう生々しすぎる史料になてしまうから、1973年現在に村内には居ない人の封書(郵便物)を採用した、つまり慮(おもんぱか)りがあったのかも、と想像した。
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