別冊
2013年8月14日、昭和村大芦へ墓参りにでかけました。
いつからずれていたのだろう。去年は気づかなかった。
次にお参りする墓まで墓場を歩いていると、知っている家の庭で親娘が立ち話をしているのが見えた。
二人の顔まではわからないが声を掛けてみた。
「I子さん?」
二人がこちらを向いた。
「オレ(あ、自分の名前を言いました(笑))です」
「あらまー!」
お盆で帰省していた同級生と、そのお父さんでした。
もう一箇所のお墓に線香をあげてから、その親娘(I子さん)のところに行った。
お父さんに挨拶すると、私(掲載子)のこともご存知でした。
この方(五十嵐英盛さん)は、からむし工芸博物館内のパネル写真にも紹介されている。
今年はからむし栽培技術とその功績で国から褒章も受けられた。そこまでは知っていた。
そして、今年になってはじめて、この方が大芦村の初代村長、五十嵐伊之重さんの御子孫であるということを知ったのでした。
都内に住んでいる孫がツーリング好きで、会津田島駅から自転車で峠を越えて来るのだという。
少し到着予定時間を越しているのだろうか、それで、家の外にでて待っていらっしゃるのだという。
そのおかげで、私も挨拶が出来てお話をすることができたのでした。
大芦山崎(新屋敷)にかかる道の傍の木。
小学生時代に自宅から学校(大芦小学校)まで歩いていく通りの、各家の庭に知っている樹木があった。
それは例えば、「クヌギ下(屋号)の梨の木」「麹屋のイチョウ」「山崎の桃の木」「校庭の柳」などなど。
この木には記憶が無かった。このあたりは、なんとなく生垣のような木があった記憶しかない。
き(気|木)づかなかったのです。
が、平成25年現在、この道を歩いて見ると記憶にあった樹木はなくなっている。
一番目立つ木は、この木なのです。
そして、数年前にこの木の名前が槐(えんじゅ)という木だと判ったのでした。
大芦集落のどこかに、「槐(えんじゅ)」という地名があるのです。
いまだ、ここにある木(槐)がその大芦の槐(地名)の由来の木かどうかは調べていない。
大芦の人に尋ねてもいない、なんとなく思い出すたびに気持ちを温めている。
わたしの内では、「槐(えんじゅ)の木は残った、、、」などと感慨(妄想)を引き起こさせる樹になってしまいまったのです。
これは、いわゆるひとつの、小屋掛けの初歩技術である。
右:コケコッコ花。
中:コケコッコ花であるが、白い花。
左:自生のカラムシ、ですよね。
しかし、このペースでは、お盆の訪問記は週末までには掲載できるのだろうか、、、。
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