別冊

130815_御旅所2013/09/11 04:37


2013年8月15日。

午後から開催される渡御祭のコースを少しだけ歩いてみた。
ちょっとした広場に注連縄で囲んだ結界がつくられている。

130815_御旅所

この場所は明らかに空地ですが、昔の家の造りではどこでも庭があった。
作業場としての庭である。集会地といえばよいか。

昨年までのブログには、「休憩所」と書いたが「御旅所」というらしい。
集落内に4箇所ほど設けられる。

実質、炎天下(去年も一昨年も途中で大夕立もあった)の下の行列のお休み処でもある。
神社の建物は元々神様は常駐していらっしゃるわけではない、祀りのための臨時(中長期)の滞在の場所である。

想定としては、とある季節に気多の神様が、渡っていらっしゃるのである。
そのためかどうかは判らないが、元々の神社は現在の神社の位置ではなく、もっと山の中にあったらしいのです。
また、気多神社の本源地は、日本海側の越の国の現石川県にある。
どこかで読んだ記憶では、気多神社の北限の地が会津地方であり、会津地方でその神社があるのはここ奥会津は小中津川らしいのです。
会津には近所(坂下(ばんげ)町)に、「気多宮」という地名がある。

えー、想定としては、つまりは神様の渡ってこられる移動中の仮の「宿舎」のような場所となる。
一旦鎮座ましますので、それなりのしつらえをして、一通りの祀りごとの儀式を行う。

この渡御祭は、気多神社では連綿と季節の行事として行われてきたらしいのですが明治の初期に廃止されたという。
従って、このような御旅所があったかどうかと、集落内のどこを通ったかといったことは判らない。
ただ、明治以前の神輿などがあったらしいのです。
この祭り事は、正式には「授光祭」といったらしいが、2010年に行事として復活させるために、通りのいい「渡御祭」という一般呼称としたらしい。

また、わざわざ渡御のコースを作って、集落内を廻ることにしたのは、神社まで歩いてこられないご老人も沢山いらっしゃるからである。
それらの家のごく近所まで、神様の方からお出ましいただくことと、御参りされる方々の人数の分散化、と、あわよくば観光資源とすることと、地域おこしなどの補助金の関係もあり、偏った宗教色を薄める効果もあるのかもしれない。

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