別冊

雪吹(ふゞき)(北越雪譜)4/52018/01/31 22:48

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪吹(ふゞき) 4/5

 さるほどに夫(おつと)は先に立妻は後(あと)にしたがひゆく。をつとつまにいふ、今日は頃日(このごろ)の日和(ひより)也、よくこそおもひたちたれ、今日夫婦孫をつれて来るべしとは親たちはしられ玉ふまじ、孫の顔を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。さればに候、父翁(とつさま)はいつぞや来(きた)られしが母人(かさま)はいまだ赤子(ねんね)を見給はざるゆゑことさらの喜悦(よろこび)ならん、遅(おそく)ならば一宿(とまり)てもよからんか、郎(おまへ)も宿(とまり)給へ。不可也(いや/\)二人とまりなば両親(おやたち)案(あんじ)給はん、われは帰(かへる)べし、などはなしの間(うち)児(こ)の啼(なく)に乳房くゝませつゝうちつれて道をいそぎ美佐嶋(みさしま)といふ原中に到りし時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲空に覆ひければ 是雪中の常也 夫(おつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹ならん、いかゞはせんと踉?(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、●(つちかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峰に登がごとし、朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒地狂(てんいかりちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の槍、凍雪は身を射(いる)箭(や)也。夫(おつと)は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼口襟袖(めくちゑりそで)はさら也。裾(すそ)へも雪を吹いれ、全身凍(こゞえ)呼吸(こきう)迫(せま)り半身は雪に埋められしが、命のかぎりなれば夫婦声をあげほうい/\と哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきゝ)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく、手足凍(こゞへ)て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しに)けり。此雪吹其日の暮に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹に埋(うづめ)られて見えざれども、赤子の啼声を雪の中にきゝければ人々大に怪(あやし)み、おそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、剛気(がうき)の者雪を堀てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらはれ)たり。扨(さて)は昨日の雪吹倒れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を堀、死骸を見るに夫婦手を引(ひき)あひて死(しゝ)居たり。児は母の懐にあり。母の袖児の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや、凍死(こゝえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又声をあげてなきけり。雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(しり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪(なみだ)をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑(みの)につゝみ夫の家に荷(にな)ひゆきけり。かの両親(ふたおや)は夫婦娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひおりしに、死骸を見て一言の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声あげて哭(なき)けるは見るも憐(あはれ)のありさま也。一人の男懐より児をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行の涙をおとしけるとぞ。△里言には雪吹を〔ふき〕といふ、こゝには里言によらず。

 ・ ・ ・

 ○雪吹(ふゞき) 4/5

|| さるほどに夫(おつと)は先に立妻は後(あと)にしたがひゆく。

■ 夫が先に立ち、妻がその後をついて行きます。

||をつとつまにいふ、今日は頃日(このごろ)の日和(ひより)也、よくこそおもひたちたれ、今日夫婦孫をつれて来るべしとは親たちはしられ玉ふまじ、孫の顔を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。さればに候、父翁(とつさま)はいつぞや来(きた)られしが母人(かさま)はいまだ赤子(ねんね)を見給はざるゆゑことさらの喜悦(よろこび)ならん、遅(おそく)ならば一宿(とまり)てもよからんか、郎(おまへ)も宿(とまり)給へ。

■〈夫〉「今日はよく晴れた絶好の日和だ、良くぞ思い立ってくれましたね。
まさか夫婦揃って孫を抱いてくるとは親たちも思わぬことに吃驚するでしょう。
孫の顔を見たらさぞやお喜びになるだろうね」。
〈妻〉「とっさま(父)は先だって来ましたが、
かさま(義母)はまだ赤ちゃんの顔も見ていないので殊更喜びましょう。
遅くなりそうならば一泊しましょうか、貴方(夫)もお泊りになればよい」。

||不可也(いや/\)二人とまりなば両親(おやたち)案(あんじ)給はん、われは帰(かへる)べし、などはなしの間(うち)児(こ)の啼(なく)に乳房くゝませつゝうちつれて道をいそぎ美佐嶋(みさしま)といふ原中に到りし時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲空に覆ひければ 是雪中の常也 

■〈夫〉「いやいや、二人泊って帰らなかったら親たち(夫の両親)が心配するだろう。
わたしは帰ることにしておこう」。
などと話をしながら、赤ん坊がむずがると歩きながら乳房を含ませたりして歩を進めていくました。
そして、美佐嶋(みさしま、現六日町美佐島)という原っぱまで行った時でした。
天候が急変、にわかに黒雲が空を覆ったのでした。

※これは、雪国の冬にはよくあることです。

||夫(おつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹ならん、いかゞはせんと踉?(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、●(つちかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峰に登がごとし、

■夫は空を見て「これは大変、フキ(吹雪)になるぞ。どうしようか」
と躊躇っているうちに、暴風が雪を吹き散らして、旋風が雪を巻き上げるさまです。
まるで大波が岩を越える波涛のごとく、白竜が山峰を登っていく景色です。

||朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒地狂(てんいかりちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の槍、凍雪は身を射(いる)箭(や)也。

■のどかな晴天がいきなり天は怒り地が狂ったような変わり様。
寒風は肌に突き刺す槍となって、凍雪は体を射る矢のようです。

||夫(おつと)は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼口襟袖(めくちゑりそで)はさら也。
裾(すそ)へも雪を吹いれ、全身凍(こゞえ)呼吸(こきう)迫(せま)り半身は雪に埋められしが、

■夫は蓑笠も吹飛ばされて、妻は綿入帽子を吹き千切られて髪の毛も吹き乱されて、あっという間に目や口や襟首、袖口どころか裾も捲くれて雪が付着し、全身が凍える寒さで呼吸困難、半身は雪に埋まってしまいました。

||命のかぎりなれば夫婦声をあげほうい/\と哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきゝ)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく、

■これでは死んでしまうと、夫婦は、ほういほういと声の限りに叫びました。
しかし、ほかに行き来する人もいません。近くには人家も無く、聞きつける人もいませんでした。

||手足凍(こゞへ)て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しに)けり。

■手足は凍えて枯木のように暴風で吹き倒されて、夫婦は頭を並べるようにして雪中に倒れて死んでしまいました。

||此雪吹其日の暮に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹に埋(うづめ)られて見えざれども、赤子の啼声を雪の中にきゝければ人々大に怪(あやし)み、おそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、

■この吹雪はその日の夕方には止んでしまいました。
そして翌日はまた晴天でした。
そこを近隣の村の四、五人の若者が通りかかりましたが、夫婦のなきがら(亡骸)は雪の下なので見えません。
ところが、雪の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのです。
人びとはとても怪しんで、怖くなってその場所から逃げようとする人もいました。

※若者とは、後の文章に書いてあります。

||剛気(がうき)の者雪を堀てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらはれ)たり。

■度胸のある気の強い人が雪を掘ってみました。
すると、先ず女の髪の毛が出てきたのです。

||扨(さて)は昨日の雪吹倒れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を堀、死骸を見るに夫婦手を引(ひき)あひて死(しゝ)居たり。

■「さては昨日のふきだおれ(雪吹倒れ)だろう」
と全員で雪を掘り始めました。すると、夫婦者が手を引き合ったまま死んでいたのです。

||児は母の懐にあり。

■赤ん坊は、母の懐に入っていたのです。

||母の袖児の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや、凍死(こゝえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又声をあげてなきけり。

■母の振袖が赤ん坊の頭を覆っていたので、赤ん坊の体には雪が着かなかったので凍死する事を免れたのです。
両親の死骸の間で、再び泣き声をあげました。

||雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(しり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪(なみだ)をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑(みの)につゝみ夫の家に荷(にな)ひゆきけり。

■雪中の死体は生きているようにそのままなので、顔見知りの人がいて、これはどこどこの夫婦者だと判りました。
我が子をかばって袖で覆い、夫婦は手を離さずに死んだその気持を想いやると、さすがの若者たちも涙を流しました。
赤ん坊は懐に入れて、死骸は蓑で包んで、夫の家まで担いで行きました。

||かの両親(ふたおや)は夫婦娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひおりしに、死骸を見て一言の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声あげて哭(なき)けるは見るも憐(あはれ)のありさま也。

■夫の両親の家では、「さては二人して嫁の家に泊った」とばかり思い込んでいたので、亡骸を見て言葉も失いました。
二人の死骸に取り付いて頬ずりして大声で慟哭する、見るも憐れです。

||一人の男懐より児をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行の涙をおとしけるとぞ。

■一人の若者が、懐に入れていた赤ん坊をしゅうと(夫の母)に渡しました。
大きな悲しみの中とさてもの一つの喜びとで、両方の涙を流したそうです。

||△里言には雪吹を〔ふき〕といふ、こゝには里言によらず。

■里言では、雪吹(ふぶき)を【ふき(吹き)】と言いますが、ここでは雪吹としました。
※ふき(吹き)は、越後の国だけではなく、奥会津地方でも〔ふき〕と言います。
また、それで無くなった人を〔ふきだおれ〕とも言う。
「どこどこで、ふきだおれがあった」



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