北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪意(ゆきもよひ)
我国の雪意(ゆきもよひ)は暖国に均しからず。およそ九月の半ばより霜を置て寒気次第に烈しく、九月の末に至ば殺風(さつふう)肌(はだへ)を侵(をかし)て冬枯(ふゆがれ)の諸木葉を落し、天色(てんしょく)霎(せふ/\)として日の光を看ざる事連日、是雪の意(もよほし)なり。天気朦朧(もうろう)たる事数日(すじつ)にして遠近の高山(かうざん)に白(はく)を点(てん)じて雪を観(み)せしむ、これを里言(さとことば)に嶽廻(たけまはり)といふ。又海ある所は海鳴(うみな)り、山ふかき処は山なる。遠雷の如し。これを里言に胴鳴(どうな)りといふ。これを見、これを聞(きゝ)て、雪の遠からざるをしる。年の寒暖につれて時日(じじつ)はさだかならねど、たけまはり、どうなりは秋の彼岸前後にあり。毎年かくのごとし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.12~13)
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○雪意(ゆきもよひ)
■○雪のきざし
|| 我国の【雪意(ゆきもよひ)】は暖国に均しからず。
■越後の国の雪のきざしは、暖国とは異なります。
||およそ九月の半ばより霜を置て寒気次第に烈しく、九月の末に至ば殺風(さつふう)肌(はだへ)を侵(をかし)て冬枯(ふゆがれ)の諸木葉を落し、天色(てんしょく)霎(せふ/\)として日の光を看ざる事連日、是雪の意(もよほし)なり。
■だいたい九月(旧暦)中旬から霜が降りて、寒さは次第に厳しくなってきます。
九月も末頃になると、吹く風は肌に冷たく、木々や草は葉を落として冬枯れとなります。
空はどんよりと曇空、ものさみしい景色となり、日光を見ない日が連日続くのです。
これが、雪の季節の到来の兆しです。
||天気朦朧(もうろう)たる事数日(すじつ)にして遠近の高山(かうざん)に白(はく)を点(てん)じて雪を観(み)せしむ、これを里言(さとことば)に【嶽廻(たけまはり)】といふ。又海ある所は【海鳴(うみな)り】、山ふかき処は山なる。遠雷の如し。これを里言に【胴鳴(どうな)り】といふ。これを見、これを聞(きゝ)て、雪の遠からざるをしる。
■空色は朦朧とした灰色の日が数日続くと、遠近の高い山の上が白くなりそこに雪が降ったことがわかります。
これを越後の里の言葉で、嶽廻(たけまわり)と言います。
海の近くでは海鳴(うみなり)がして、深山では山が鳴ります。
遠雷のような音がするのです。このことを、越後では胴鳴(どうなり)と言います。
この景色をみてその音を聴くと、そろそろ里にも雪が降ることを知るのです。
||年の寒暖につれて時日(じじつ)はさだかならねど、【たけまはり】、【どうなり】は秋の彼岸前後にあり。毎年かくのごとし。
■その年毎の気候の違いがあるので、何月何日とまでは判りませんが、
高山山頂の雪(嶽廻)や山鳴り(胴鳴)は大抵は、秋の彼岸の前後にあたります。
毎年このようになるのです。
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