別冊

140504_奥会津・熊野神社あたりにて2014/05/17 22:24

2014年5月4日のことです。
まだ、散歩の続きです。
実は、昨年の今月今日と全く同じコースを散歩しています。
ほとんど、妄想散歩です(^^;


140504_奥会津・熊野神社あたりにて
講の石碑というのはその地域の信仰心の表明と、ひょっとして漂泊の他者(御師とか)に対する看板になっているのかも。
と思った。昔々でもいろいろなよそ者(宗教者)が布教に押しかけていたのだと思う。
つまり、「ここは『湯殿山』の霞の地なり」と、同業他者に知らしめていたのではないだろうか。
と、トンデモ説を考えました。





人か美奈
心乃内か 素直奈良
此の世乃中に鬼は何良し奈
               俊石

・・・かな

人が皆
心の内が 素直なら
この世の中に 鬼なぞはいないのだよ
               (BY 鬼より)

とか。




「熊野神社」の石碑。
指摘されなければ誰も気づかない。
上の2文字が詰物(コンクリートか)で潰されているのですね。
元々「村社」と彫られていたことと、この2文字が終戦後にGHQの宗教施策によって消されたというのです。
このことは、ヒロアキさんのブログで見つけたことです。

「村社」というのは、明治時代に国が認めたことにした公式宗教施設ということですね。
つまりは、延喜式にも遡れる、由緒と権威を持たせた公認宗教施設ということです。

ところが、「湯殿山『村中』」とある石碑は、さすがのGHQでも、「その地域の任意宗教施設」と判断したためでしょうか、
その『村中』という文字を潰した話(または役場が気を使って自発的に潰した)などということは聞いたことがありません。

ま、その数たるや多すぎるでしょうし、『村中』と記されている石碑は、クニには管理されていなかったということでしょうね。
もう一つは『●▲村中』とか、固有名詞をつけた例はあるのだろうか、と思ったのが「湯殿山」「秋葉山」などは、ヨソモンに知らしめるための看板だったのではないかと、妄想した理由の一つでした。



ここにはかつて水路(川)もあった。










これは、「しきみ」の樹だったのではないだろうか、

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