別冊

130505_下中津川字上平2013/05/20 01:36


ヒロアキさんがもう一度、大芦に出かけられる(現地調査)とのことでお誘いいただいた。
まずは向かった先は、大芦ではなく下中津川。

下中津川字上平、この地は村の本道(主に野尻川に沿う国道400号)から横にそれた台状の地域です。
縄文時代の遺跡が埋まっている地域です。
縄文時代の遺跡は、現在の田んぼとなっている地域(平地)からは出てこない。
耕地整理をしてしまったのでつぶれてしまったのではなく、平地の田んぼは昔々は川の氾濫域にあたるからです。
その水をなんとかして稲作が出来るようになるのは、昭和村に限らずもっともっと後の時代です。
はい、弥生時代ですね。この話は、おいといて、

実はこの地は、掲載子は訪ねたことがない。
ヒロアキさんがまず訪ねたのは、菅家和孝さんの家でした。

戊辰会津戦争のときに、集落の人たちがどの場所に避難したかを聞き取り調査しているのです。


130505_下中津川字上平


和孝さんは、ご自分の住まわれる上平地区の事々を調べて記録していらっしゃったのです。
和孝さんの調査記録、手書きの詳細メモ(それもきちんと丁寧に書かれている)。
そしてその後に、ご自分なりにデジタル化(ワープロ)していらっしゃるのです。
パソコンで印刷した冊子も見せていただきました。



和孝さん:「俺もな、そのことを、しなだ(しなだ=あなた)に聞いてみようと思ってたところだっただ」
ヒロアキ氏が、たまたま(勿論偶然ではなく事前調査で狙いつけた家)訪問した家の人も、実は同氏に会える機会を待ち望んでいらっしゃったのです!
中世、山ノ内家が奥会津に入ってきた。その「山ノ内『野武士拾騎』」のひとつの家が菅家である。その出自から系図の話。



これは、同氏が記録している画像。話をしながら、すいとその画像も表示させる。


ヒロアキさんは、それを正徳6年(享保元年)1711年と確かめるのです。


次に、訪ねたい家に電話をしてくださっている。






舟木栄志さん。
すみません、ピンボケです。
初めてお会いする方で緊張してしまいました。
次にお会いできれば、和孝さんも含めて、応接してくださった奥様方の写真も撮らせてください!(^^;




■ま・と・め■
上平でお聞きした話は、縄文時代の話から、近未来の縄文遺跡の調査発掘の話まで。
戊辰戦争の話もさることながら、まさにこの地(現奥会津昭和村地域)の通史(それらの事々が全て繋がっているのです)ともいうべき事々についての、ヒロアキさんと、菅家和孝さんとその奥様と、舟木栄志さんとその奥様との会話となりました!
特に奥様方はヒロアキさんを知らずとも、同氏の父母をご存知だったりして逆取材状態での話が面白かった。まさに、お茶飲み話の真髄、と思いました。

メモはすれども、ほとんどカタカナでしか書けない(掲載子の知識不足)固有名詞のつながりも判読できない(泣)。
※今頃(5月17日現在)になってメモを転記しました。いつになったらまとめられるか判らない、楽しい宿題が出来ました(^^;
(同行記録者としてはお役に立ててないですね、すみません)

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yebijin.asablo.jp/blog/2013/05/20/6815869/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

別冊