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130505_下中津川、国道を南下して正法寺へ2013/05/26 21:56


130505_下中津川、国道を南下して正法寺へ


阿久戸
梵天

中世には恐らく、野尻郷の最重要地点の一つだったかもしれない。ということです。
阿久戸は「あくと」。



正法寺境内。

もとは、折橋(下中津川と小中津川の中間、柳沢(川)の橋)の道路沿いにあった、薬師様。
いつの間にかにその場所にはなくなっていたのです。
数年前に、正法寺に移転してあると聞いたことがあり、見に行った覚えがある。写真も撮ったはず。

『昭和村の歴史』(昭和48年11月刊行)260ページの図解には、「正法寺へ移転」と明記してあるのでした。



会津藩士で、戊辰戦争後も大芦に残って塾をひらいていた方(平井氏)がいらっしゃったというのです。
昭和村では、現在住職のいらっしゃる唯一のお寺さんの境内にある。



佐倉のからむし織の里を通過して、


大芦集落へ再び。

大芦集落へ再び。
一昨日との山の色の違いがわかりますか!
わからない、、、そうですよね。。。現地で感じてみないとネ(((^^;←こらっ


コメント

_ 恵比塵 ― 2015/10/08 00:02

【2015年10月7日】

||会津藩で戦後に残った会津藩士もいる。
||今井氏は大芦に残った。

 今井氏は、“平井氏”の間違いでした。訂正します。

2013年4月26日のカンケブログ(菅家博昭氏)には、以下の記述があります。

 ||戊辰戦争後の野尻組(大芦村)平井近人精一尚徳
 ||敗れた会津藩士が、大芦村に漢学私塾「奥義塾」を開く。
 ||平井精一(近人、尚徳)。
 ||その供養碑が下中津川の正法寺境内の南手(左)の薬師様堂宇前にある。

 正法寺探訪は、このことを踏まえた事でした。

 このツアーから、1年も過ぎてから(14年05月29日)、掲載子は、『昭和村の歴史』の写真に、
平井近人氏の名前があることを見つけて、Tweetしました。

 ||『昭和村の歴史』135頁の写真は「平井近人様」宛ての封筒の裏表面ということを見つけた。

 そして、また1年以上過ぎて、2015年9月22日に、同氏の調査行に同行させていただきました。
その場所は、奥会津只見町の「塩ノ岐(しおのまた)」界隈でした。主に墓地を見てきました。
すると、その近所に「二軒在家」という地名があるのです。

掲載子は、昨年参照した『昭和村の歴史』を思い出しました。
「平井近人様」宛ての封筒の裏表面の差出人のところに、「二軒在家」という文字があったことを。
びっくりしたので、うろ覚えのままで、このことを同氏に話した。
そのときにも今井と言ったかも知れないと後で思い出して気に掛かってました。

それで、本日(2015年10月7日)、これらのことをもう一度確認してみたのでした(^^;
(後で、最新ブログにも掲載予定としておきます)

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