別冊

131112_空2013/11/17 23:07


131112_空



131113_アンダーコントロール2013/11/17 23:09


131113_アンダーコントロール

アンダーコントロール(←発表時期のことかな)

アンコントロールド

131115_備忘2013/11/17 23:12


131115_備忘『天狗争乱』

水戸藩の尊皇攘夷派が、藩内の内紛により、「天狗勢」となり、総勢1千名の有志が京都まで行軍する物語(史実)。
京都が争乱となり、戊辰戦争が起こる数年前の話。
太平の江戸時代、「天狗勢」が通過する各地で巻き起こった騒動に、巻き込まれた地域の藩の対応と、地元住民の事々。
なぜか、会津戦争で「官軍という名の賊軍」と「賊軍という名の会津藩」の戦場として巻き込まれた奥会津の野尻組のことを思いながら読んだ。
で、抜書きしながら、それをもう一度抜粋して、こんなことをしている。

On Twitter

『天狗争乱』にみる「騒ぎの時」に巻き込まれた地元模様

九年前の安政二年(一八五五)に多数の死者を出した江戸を中心とした大地震以来、この地方でも地震がしばしば起こり、人々を不安がらせていた。
家々から人が飛び出し、犬のおびえたように吠(ほ)える声も町の所々に起こった。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.17)【犬】

 八ツ(午後二時)すぎ、町の北木戸口から一人の若い男が駈(か)けこんできて、町役人の家に走った。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.17)【町の木戸口】

 隊列は、街道を進んで南の木戸をぬけ、天明宿へ通じる街道を進んでゆく。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.20)【木戸】

かれらは、小荷駄(こにだ)方の長谷川荘七、服部平次とともに旅籠屋の吉田屋を宿所にきめた。
小荷駄方とは、食糧その他を調達する役職で、天狗勢が町を物資補給地にすることをしめしていた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.20)【小荷駄方】

町の者が推測したとおり、天狗勢は、町の宿泊収容能力が不足しているのを知って大平山にむかったのである。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.20)【宿泊収容能力】

 長谷川は、平伏した名主たちに、飲料水をはこぶ人足四十名を昼夜交替で出し、その人数割りは四カ村の石高に応じてするように申しわたした。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.23)【人数割り】

農作業に追われている時期で、そのような暇はなかったが、後難を恐れた名主たちは承諾した。
(P.23)【後難】

その日の昼過ぎには、早くも四十名の男たちが、水をみたした桶(おけ)を天秤棒(てんびんぼう)でかつぎ、大平山へのぼっていった。
(P.23)【桶/天秤棒】

 浪人たちは諒承(りょうしょう)し、大津村に行って旅館の清水屋朝左衛門宅に泊まり、遊女を呼び入れて酒を飲んですごした。
(P.35)【遊女】

承諾した激派の千種太郎らがすぐにやってきて、偽天狗党の者たちを威嚇(いかく)する立て札を立てた。
(P.35)【立て札】

 しかし、一般民衆は、天狗党と偽天狗党の区別が次第につかなくなり、天狗というだけで恐怖心をいだくようになった。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.36)【彼我の区別】

 「お話のおもむき、もっともでございます。
私は長兵衛の分家の者で、長兵衛が眼(め)をわずらい、医者に行って留守をしておりましたところ、すぐに出頭せよという御命令でございましたので、私が代理として参上いたしました」 と、述べた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.41)【分家が対応】

 田丸は、
 「大平山をおりるにしても、山麓(さんろく)の村々に迷惑をかけたまま去るわけにはゆかぬ。
軍として行動する上で最も必要なのは、庶民の支持だ。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.68)【現地の支持】

軍用金や食糧その他の調達と人足の徴用に反感をいだいている者が多いはずだ。
それらの者たちの反感をやわらげ、われらに好意をいだくようにさせねばならぬ」
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.68)【現地の支持】

 と言って、村々の貧しい者にお救い金を、また、桶(おけ)で水を大平山にはこびあげた農民たちに酒代をわたすことを提案した。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.68)【現地の支持】

 また、飲料水を大平山にはこびあげることに従事した農民たちに対しても、酒代として計五十両二分が支払
われ、さらに今後の労賃は、その日に支給されることもつたえた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.68)【現地の支持】

深夜だというのに、人足や馬が町の中の街道を通過して、大平山にむかう、その数は人足五十人、馬五十頭に達した。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.69)【小荷駄負担量】

 重左衛門たちは、釜屋彦左衛門方にいったん集まった後、連れ立って町の南口木戸がある巴波(うずま)川にかかった木橋のたもとまで行き、天狗勢の到着を待った。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.69)【木戸】

 五月末日の朝、天狗勢の輜重奉行長谷川荘七から町役人に対して、今夜、天狗勢が大平山をおりて栃木町に泊まるから、町の主だった者は裃(かみしも)姿で出むかえるように、という指示がつたえられた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.69)【輜重奉行】

 稲葉重左衛門、沼尾孫左衛門、宮杉縫右衛門が年番裃役であったので、かれらは町役人たちを指図して、四百余人という天狗勢を分宿させる宿所の割り当てをした。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.69)【年番裃役】

 重左衛門たちは、木戸のかたわらに敷いた蓆(むしろ)の上に座(すわ)った。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.70)【敷蓆】

 道のいたる所に篝火(かがりび)がたかれ、多くの兵が鉄砲、槍を手に警備にあたった。
空には冴(さ)えた星の光が散っていた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.136)【篝火】

 七月七日の夜明けをむかえ、下妻の家並みからは炊煙がしきりだった。
幕府軍二千五百余名と水戸藩兵二百五十余名の朝食をととのえるため、下妻の宿場の者は、総出で飯をたき、漬物(つけもの)をきざんだ。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.136)【炊煙】

 全軍が朝食を終え、持ってゆく昼食用の握り飯もくばられ、筑波山にむかって進撃する支度がととのった。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.136)【兵糧】

飯田は、下妻に近い木戸村の名主の子として生まれ、名主役にもついていたことがあって、下妻をはじめ付近の地理にくわしく、斥候の梅村とともに偵察に来たのである。
(《天狗争乱》P.136~137)【付近の地理】

 十町(一キロ)ほど退いた追討軍は、道の曲がり角の藪(やぶ)のかげに陣をしき、三挺(ちょう)の車台つき大砲をすえた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.138)【地勢】

 「それならば、この者どもの褌(ふんどし)をおしらべなさい。
敵の武士ならばもっこ褌、船乗りならば六尺褌だ」
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.192)【職業誰何】

 「その方どもは船乗りか。船の中に奸(かん)(門閥派)武士(ぶし)はおらぬだろうな」
 と、水主たちに言った。
 水主の幸治郎が、
 「かぼちゃは沢山積んであります」
 と、声をふるわせて答えた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.192~193)【聞違え】

 その後、市川は、ひんぱんに支援要請の書状を田沼のものとに送り、そのはげしさは「急使織るが如(ごと)し」であった。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.208)【欺き】

 第一の目的である筑波山の占領をはたした追討軍は、頼徳が天狗勢をひきつれ……という市川の事実とは異なる訴えを信じ、評議の結果、水戸に支援の兵を送ることに決定した。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.208)【欺き】

 門閥派は、天狗勢に対抗して自衛のために各地で組織された農民たちに動員をかけていたので、それに応じた農民たちがぞくぞくと城に集まってきていた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.209~210)【農兵】

代表的なものは、鯉淵村(内原町)を中心に周辺の数十カ村の農民によって組織された鯉淵勢と称されている集団であった。
かれらの天狗勢に対する反抗姿勢は強く、門閥派の傘下(さんか)に入ったのである。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.210)【農兵】

 鯉淵勢は、農民二千六百名で編成され、竹槍(たけやり)を手にして天狗勢の分派とはげしく戦い、その戦闘力は高く評価され、門閥派から鉄砲を支給されるまでになっていた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.209~210)【農兵】

農民の集団というより、農兵隊として門閥派の有力な戦力となっていたのである。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.210)【農兵隊】

山麓には、幕命をうけた各藩が、要所要所に番所をもうけて見張り、農兵や猟師を動員して待ちうけていた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.250)【農兵猟師】

 地理も知らずさ迷うかれらを目撃した村民は、番所に走って通報し、藩兵が農兵たちをひきつれてこれを追いまわし、捕らえる。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.250)【通報】

食物をもとめて人家に入った隊員にその家の者が食事をさせている間に、家族が家をぬけ出して番所に走る。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.250)【通報】

また、かくまうと偽りを言って土蔵に入れ、扉(とびら)をしめてとじこめる村民もいた。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.250)【土蔵】

 また、地方の記録に散見している捕縛者は百五十六名で、それをくわえると三百二十八名になる。隊員は三百余名なので、隊に雇用されていて捕らえられた人足が加算されたものと推定される。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.251)【人足】

 捕らえられ処刑された者の中には十代の者が多く、棚倉藩の記録に、伊王野付近で捕らえられた大河内仙次郎と蔀幼君、竹松の名がみられ、いずれも十三歳と記されている。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.251)【年齢構成】

最年長は庄内浪人萩野栄吉四十八歳であった。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.251)【年齢構成】

 かれらの出身地は、奥州、越後、仙台、羽州、常州、上総、下総、江戸、野州、上州、尾張、薩摩と多方面にわたっている。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.251)【出身職業構成】

職業も農民をはじめ僧侶(そうりょ)、髪結い、大工などまちまちで、むろん脱藩士もいる。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.251)【出身職業構成】

 「それに、北へ落ちてゆくというが、四十人にも余る傷を負った者たちをどのようにしてはこぶつもりか。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.270)【負傷者搬送】

手負い一人をはこぶのに人足四人はいるが、この那珂湊に人足は一人もいない。
結局、みなが背負ってゆくことになろう。
『天狗争乱』吉村昭・新潮文庫(P.270)【負傷者搬送】

・・つづく・・


別冊