別冊

130922_奥会津にて/夕景散歩2013/10/12 00:16

2013年9月22日。奥会津昭和村にて。


130922_奥会津にて/夕景散歩







そろそろ夕方に近かった。
が、見ておきたいところがあったので夕食前まで散歩した。

こんなになぎ倒されていても、最近の稲刈り機械は、下から櫛のような装置もあって、刈取ってしまうらしい。
ただ、このなぎ倒された稲の穂が、地面について再び水を含むと、芽を出してしまうらしい。
小さな田んぼ(とは限らないかもしれないが)では、株毎に真っ直ぐにはならずとも、倒れた稲を数株ずつまとめて、結わえて稲穂が地面にくっつかないようにしているところもあった。

どこで聞いたか(読んだか)忘れてしまったが、こうべを垂れる頃の稲は、倒れやすいのは当たり前になっている。
その時に、田んぼにヒエが混じっていると、強い茎と垂直力で、強風による稲の倒壊を防ぐ力もある、のだとか。


村の老人ホームの施設の建物。明かりの場所は、その広間だろうか。
赤い(オレンジ)色の明かりがともる。


少し行くと、赤い(オレンジ)色のデジタルが光っている白いポストのようなものがある。
老人ホームと道を隔てた「すみれ荘」という施設である。
ここには診療所と、幼稚園(保育園)の建物がある。


植栽の木には赤い木の実がたわわと生っていた。


その敷地境界の位置で、赤い(オレンジ)色にデジタルに発光しているのが、この白いポストである。
環境放射線量モニタリングポストという。
どこからか飛んできて居座っている放射線というものを調べて24時間365日どこかに告げ口する装置である。
普通のポストというのは、伝えたい人がそのポストに伝えたいことを何らかの形(ハガキだったり封筒だったり)にして、伝えたい相手に届くことを期待して投函するものである。
この白いポストは、そんな流暢なものではない。モニタリングポストというらしいのである。この白いポストは、隠密のようなものである。
宛先も決まっているのである。

勝手に撒き散らして、空気と同じ扱いの無主物として扱い、「お前のところも調べてやるからな」というお仕着せの装置である。
赤いポストのような投函口というのはない。
従って、このポストに向かって何か気持ちを伝えようと思っても、普通の手段ではその伝える術(すべ)もないのである。






既に稲刈りを済ませて、ネリ(はざ)に架けて乾燥させている田んぼがあった。
村内でも早場米になると思う。
どうも、この田んぼは田植えも「手植え」をした田んぼではなかろうか。
刈取った跡の根の配列を見て判断したのだが、こんなに曲がって植える技術を持つ田植え機はないだろう。
それとも、最近は、「手植え風田植え機」などというのもあるのか?ないない。


二階の灯りから、こちら(散歩中)を見ている人影があったので手を振ってみた。
はたして、新一郎さんでした(^^;。
二階の玄関から出ていらっしゃった。


旧中津川小学校前。
小学校があったことの面影は、少し広い空地と、校門の松の木と、今でも校門の石には陶器製の「中津川小学校」の表札が残っている。



歩いているうちにだいぶ暗くなってきた。
そろそろ、今回の折り返し場所。

山の端の陽が隠れると、まばたきする間に
だるまさんが転んだ、闇闇、だるまさんが転んだ、闇闇闇闇
だーるまさん、
まさにたそかれ(誰ぞ彼?)の時間となってしまったのでした。

下中津川の熊野神社の参道入口の社標の石。
少し見えにくいが、「熊野神社」の文字はくっきりと。


明るくして写すと、「熊野神社」の上に「村社」とある。
その文字がセメントか何かで埋められている、というのである。
この発見とそのことをK氏が、最近ブログで書いていたのです。
そして、この「村社」の文字は、第二次大戦後のGHQの指導で消されたというのです。


ますます、ほんとに真っ暗になってきた。
熊野神社。鳥居の向こうが社殿。

農道に曲がって戻り道。


デジカメの感光度を最大にしてみた。



田んぼも真っ暗で見えなくなった。
右を見ると家の明かりが見えるが、左側は山。

その山すそに、青と赤とで点滅する明かりが見える。
どうやら、野生動物避けの点滅装置らしい。
自分は明かりの装置も持参していないのである。
真っ直ぐな道なので迷うことはないが、少し寂しいし怖いぞ。
歌でも唄うか。


公民館の建物裏、フラッシュを焚いてみた。
熊が写っていた!などということはなかった。


行きにも見かけた、村の老人ホームの施設の建物。
赤い(オレンジ)色の明かりは、外から見ても、なんかほっとします。

・・・

翌朝、束原宗三郎商店に、タバコと、ついでのお使いで豆腐を買いに寄った。
「にっしゃ、あーだ時間にどこさ行って来た」
夕方の散歩を見られていたのである。
「熊野神社まで散歩に行ったら真っ暗になった」
「おっかなくねーのが、熊が出てんだぞ!」
正しく恐れる とはこういうことである。
よそ者の無謀さ。

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