別冊

151121_奥会津小中津川・タッチョウバにて22015/12/07 02:35

先日亡くなられた方のお墓をお参りして、
そして、ぐるっと墓場を廻ると、、、


151121_奥会津小中津川・タッチョウバにて2
右奥の倒れた墓石の近く、既に無縁仏らしいと聞いていた。
が、義姉が言うには、「このあたりは玉屋敷に住んでいた人だったらしい」と思いがけない話を聞いた。
「玉屋敷」とは、
 
 ||気多神社そばの畑、「玉屋敷」という地名がついている。
 ||元々は畑ではなかった、ここにタマという人が住んでいたので、玉屋敷という。
 ||先代か先々代かが、その屋敷跡を譲り受けた(法に則って所有権が譲渡された)らしいのである。
 (2014年7月19日)

そして、つながった!


撮影時には、気に留めていなかったので、正面からの撮影をしていない。

(明治)三十三年七月二十五日
           玉三郎
  喰丸村
    山内ハツ


(2013年5月6日)
||戸棚の筒に入っていた系図を見つけた。昭和時代の末か平成初年頃に、義父(故人)が作りかけたもの。
||なんと、わたしは、『タマ屋敷の不思議』(←勝手な命名)について大発見(←個人的感想)をした。

(2013年5月6日)

その後に、写した写真の文字を書き写していた。
||玉三郎明治3年~33年7月 市川市にて没、宅地は束原福松買取る)

 このお墓が、義父が書きとめた系図に載っている玉三郎氏のお墓で、それを建立した方は、同氏の姉(または妹)の山内ハツさんだったのです。



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