別冊
先日亡くなられた方のお墓をお参りして、
そして、ぐるっと墓場を廻ると、、、
右奥の倒れた墓石の近く、既に無縁仏らしいと聞いていた。
が、義姉が言うには、「このあたりは玉屋敷に住んでいた人だったらしい」と思いがけない話を聞いた。
「玉屋敷」とは、
||気多神社そばの畑、「玉屋敷」という地名がついている。
||元々は畑ではなかった、ここにタマという人が住んでいたので、玉屋敷という。
||先代か先々代かが、その屋敷跡を譲り受けた(法に則って所有権が譲渡された)らしいのである。
(2014年7月19日)
そして、つながった!
撮影時には、気に留めていなかったので、正面からの撮影をしていない。
(明治)三十三年七月二十五日
玉三郎
喰丸村
山内ハツ
(2013年5月6日)
||戸棚の筒に入っていた系図を見つけた。昭和時代の末か平成初年頃に、義父(故人)が作りかけたもの。
||なんと、わたしは、『タマ屋敷の不思議』(←勝手な命名)について大発見(←個人的感想)をした。
その後に、写した写真の文字を書き写していた。
||玉三郎(明治3年~33年7月 市川市にて没、宅地は束原福松買取る)
このお墓が、義父が書きとめた系図に載っている玉三郎氏のお墓で、それを建立した方は、同氏の姉(または妹)の山内ハツさんだったのです。
このエントリのトラックバックURL: http://yebijin.asablo.jp/blog/2015/12/07/7939010/tb
※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。
別冊
コメントをどうぞ
※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。
※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。