別冊

151121_奥会津行・浅草から東武沿線2015/12/06 13:52


151121_奥会津行・浅草から東武沿線




0710は北千住で満席。
posted at 07:24:12

0710春日部で通路まで立ち客で混雑。
posted at 07:48:51

0710東武動物公園、乗降増減あるも、立ち客は微減。まだ通路混雑。
posted at 07:57:10

0710これが利根川の川霧か!
posted at 08:08:58

0710板倉東洋大前、乗客、むしろ増加した。
posted at 08:15:38

0710栃木、こ
posted at 08:29:30

降客あるも、まだ満席。
posted at 08:32:05











0710うそ!新鹿沼をすぎても満席!
posted at 08:51:36



0710下今市、どっと降客。隣の席客の話声が聞こえてくる。急に静かな停車時間。
posted at 09:10:00

151121_奥会津行・会津田島駅まで2015/12/07 00:06

2015年11月21日 浅草発0710

151121_奥会津行・会津田島駅まで









この間の豪雨で、浅草発会津田島行きの電車は運休したままである。
電車はパンタグラフを通じて、電気で走っている。
その電気の通電設備が故障してしまっているのである。
浅草から始発するのは電車である。
それで、電車は会津田島駅にも、会津若松駅にも行けないのである。
しかし、列車は会津田島にも会津若松にも運行している。
つまり、電気を駆動源としない列車が走っているのです。
運行ダイヤは元々多くはないが、時間を選べばさほど不便とも思わない(元からなので)で、移動できるのです。
「代行バスか?」とお思いかも知れませんが、そうではない。
会津線管内の会津鉄道は電車ではなく、ジーゼルカーなのです。
だから、パンタグラフに通電していなくても、レールがあればそこそこに走れるのですね。

ということで、お急ぎの方は別の手段を使えばよいし、乗り換えはあるが、そういうもんだ(諦めて)と思い込んで乗れば、さほどの苦痛でもないし、トランジットと思えば気分転換にもなる。
鬼怒川温泉駅で、30分ほども乗り換え時間があるので、外に出て足を伸ばして散歩も出来る。
ま、負け惜しみでもあるが(^^;







151121_奥会津行・隣町にて2015/12/07 01:04


151121_奥会津行・隣町にて






赤い筋入りの大根、地場物だと思う。


この店は、ポリ袋は有料にしている。県内のスーパーはほとんどそうかも知れない。
お客が自由にお持ち帰りする空き箱。
勿論燃料とか防寒材とか簡易居住建材とかの用途ではない。

151121_奥会津行・峠を越えて2015/12/07 01:08


151121_奥会津行・峠を越えて


喰丸、大芦に通じる峠道。


小中津川


151121_奥会津小中津川・タッチョウバにて12015/12/07 02:21


151121_奥会津小中津川・タッチョウバにて1




墓域の平地の外れの斜面の杉の木。
この木が、雪で墓側に倒れるのではないかとの話があるらしい。
根が張ってきたためか、近くの墓が微妙に水平を保てなくなっているという話もあるらしい。
墓域の土地(平地)部分の管理者は役場らしい、違うという話もあるらしい。
土地所有者が明確になっていなくとも、その周りの杉の木は所有者がいる。
共有かもしれないが意図して植えて育てたものである。
杉の葉拾いなどという生活慣習は無くなったので、切実な価値も認められなくなってしまった。
景色(景観)としての感情はあっても、お墓が傾いてしまうのも困る。
伐採して売れるかどうかもわからないし、売ろうと思って伐る人もいない。
恐らく墓の反対側に倒れるように伐って、そのまま倒して置くことになるのだろう。

そんなことで、再び、この杉の持ち主は誰だろう、という話になって、白羽の矢が立てられた。らしい。


幼児で亡くなったらしい「雪窓」の戒名(文字)の墓は大芦集落でも見た記憶がある。






151121_奥会津小中津川・タッチョウバにて22015/12/07 02:35

先日亡くなられた方のお墓をお参りして、
そして、ぐるっと墓場を廻ると、、、


151121_奥会津小中津川・タッチョウバにて2
右奥の倒れた墓石の近く、既に無縁仏らしいと聞いていた。
が、義姉が言うには、「このあたりは玉屋敷に住んでいた人だったらしい」と思いがけない話を聞いた。
「玉屋敷」とは、
 
 ||気多神社そばの畑、「玉屋敷」という地名がついている。
 ||元々は畑ではなかった、ここにタマという人が住んでいたので、玉屋敷という。
 ||先代か先々代かが、その屋敷跡を譲り受けた(法に則って所有権が譲渡された)らしいのである。
 (2014年7月19日)

そして、つながった!


撮影時には、気に留めていなかったので、正面からの撮影をしていない。

(明治)三十三年七月二十五日
           玉三郎
  喰丸村
    山内ハツ


(2013年5月6日)
||戸棚の筒に入っていた系図を見つけた。昭和時代の末か平成初年頃に、義父(故人)が作りかけたもの。
||なんと、わたしは、『タマ屋敷の不思議』(←勝手な命名)について大発見(←個人的感想)をした。

(2013年5月6日)

その後に、写した写真の文字を書き写していた。
||玉三郎明治3年~33年7月 市川市にて没、宅地は束原福松買取る)

 このお墓が、義父が書きとめた系図に載っている玉三郎氏のお墓で、それを建立した方は、同氏の姉(または妹)の山内ハツさんだったのです。



151121_奥会津小中津川散策2015/12/08 01:31


151121_奥会津小中津川散策
玉屋敷

2015年11月21日、奥会津小中津川はげ山近く。
紅葉の赤が見えなくなると、とたんに黄色と白がそこかしこに蛍光色のように見えてくる。












菅(すげ)だと思う。

山の裾野は、地盤が岩なのです。
割れ目が剥き出ている。





木の周りに、散らして積んである稲藁その他の草など。掃き溜めではないのです。
これは恐らく、輪肥(わごえ)という形。
木の根の消息を想像できれば、こういう草肥の仕方になるのだな。と、『農業全書』を読んでいたので、思ったのでした。
何処に書いてあったかは、後で探すことにする。



151122_奥会津小中津川にて2015/12/13 13:33


下の墓。
151122_奥会津小中津川にて















これは柳の木だと思うのです。




ご近所の方が、置いていってくれた白菜。

151123_奥会津にて・朝散歩12015/12/24 22:49

2015年11月23日、朝。小中津川から下中津川

151123_奥会津にて・朝散歩1









471日
今年は、何度も同じ画像を写しています、が、全部違う日にちです(^^;






しばらく眺めていたら、センサーがあるのか、音がしてランプがチカチカしていた。




「竹の原」というところまで歩くつもりだった。
半分も行かない地点で予定時間、出発時刻が遅すぎたのだ。
あても無い場所でUターンするにもきっかけが要る。



別冊