別冊 恵比塵

140815_渡御祭・巡行前の準備と祭事2014/08/26 01:06

2014年8月15日。
奥会津昭和村小中津川。
渡御祭・巡行前の準備と祭事。
2010年から、復活したという渡御祭。

140815_渡御祭・巡行前の準備と祭事

皆さん、少し馴れてしまったのか、実行委員と行列参加者は12時集合とあるのですが、集まられていません。


天気予報では、ほぼ晴れの予想だったが、いきなり風向きが変わり、ぽつんぽつんと降ってきました。


この笠は、会津田島の祇園祭で使用していた笠らしいのですが、家紋が微妙に似ている。
裃(かみしも)衣裳の被り物としていい物はないかと探して、見つけて、譲り受けたそうです。


今年は、地方放送局も地方新聞社の取材は一件も見かけなかった。
「昭和記録映像」のフナキさんは、カメラの装備だけは完全武装で撮影を始めた。
地方放送局と地方新聞社の取材が一番にぎやかだったのは、2010年のことだった。
その時には、明治初年に廃れた「渡御祭」の復活ということもあって、前宣伝もあり人出も多かった。

爾来、5回目の祭りである。
毎年必ず、撮影したのは、恐らく「昭和記録映像」のフナキさんと数人しかいないのではないかと思う。
そのうちの一人は、勿論本ブログ掲載者のわたしである(爆)。


気多神社の神様が、この御神輿にお移りになられる神事(神幸祭(神輿渡御祭)と書いてあった)が本殿内で行われました。
儀式の撮影は遠慮させていただいた。
恐らく、本殿内では、
1.一旦気多の神様を、言霊(祝詞)で、いずこからか本殿の奥に降臨させたもうた。
  この時点では本殿奥は、越の国の気多大社を想定する。
2.その神様を、神輿に遷させたもうた。
3.これより、神様のお乗りになられた神輿は古式ゆかしき渡御(奥会津小中津川の気多神社の祠まで)の旅(勧請のための移動)をなぞらえる。





これは、渡御祭の復活で新調されたものではなく元々残っていたらしい。
奉納された方のお名前は彫られているが、いつ(年)かはわからない。底部に書かれているかもしれない。
恐らく樫の木で作られた、「獅子」と呼ばれている置物。重いのです。
模様を見ると、猪(イノシシ)のような気もする。イノ獅子。
熊ではないかという人もいる。「隣(下中津川)の熊野神社から逃げてきたんでねべか」。とちゃかす。

ちょうど、渡御祭の祭主を執り行う宮司さんも見ていたのでたずねてみた。
「これは菊の紋ではないでしょうか?」
「そうかもしれませんが、紋であれば普通は一つです。重ねて文様(模様)としているので、鞠(まり)を抱えて(遊んで)いる構図とか、なのではないでしょうか」とおっしゃられた。
すかさずかえされた説明に、感心しました。さすがに神職をされていらっしゃるだけに、類例を見ていらっしゃるようでした。
「ぐう」。その場でとっさに気づいただけなので、かりに宮司さんが、確かに菊のご紋だ、と回答されたとしても、わたしにはその次に続けられる誘導質問が思いつかない(笑)。



■束原家の家紋
行列の参加者の中では、決められた装束の方もいらっしゃる。
恐らく、本来(の構想)なれば、それぞれの役柄によってそれなりの装束としたいところかも。
とりあえずは、祭の半纏を着用すればよし、ということになったのかも知れない。

幣束(へいそく)と榊(さかき)担当は、裃(かみしも)の衣裳。
ゲンパクさんとヒロジさん。恐らく袴(はかま)と裃一式は自前。
それが証拠には、裃の家紋が「カタバミ」なのです。
「剣カタバミ」というらしい。
小中津川の束原家のほとんどは、このカタバミなのであるが、カタバミを囲うデザインが微妙に違うことを、昨日の墓参りで妻が気づいたのでした。
カタバミを囲う形が、「丸」と「六角形」があるのです。


お二人の裃の胸の位置を写させてもらったら、六角形でも微妙な差があることに気づいた。
「裃だからだべ」とのご意見でした。


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