140719_奥会津へ14・夕方散歩 ― 2014/08/02 02:00
2014年7月19日、夕方、小中津川にて。
気多神社そばの畑、「玉屋敷」という地名がついている。
元々は畑ではなかった、ここにタマという人が住んでいたので、玉屋敷という。
先代か先々代かが、その屋敷跡を譲り受けた(法に則って所有権が譲渡された)らしいのである。
トウモロコシ、
まだまだこれからですね。
気多神社参道、境内の上がる階段の下。
幻の「矢の原清水」、水が出ていた。
新しく、案内木も立てられていました。
いわゆるお役所看板(定型パネルと印刷文字で、××村教育委員会とか書いてある)ではなく、出処不明で手作り手書きというのがいいですね(^^;
境内脇にある一番大きな石碑、↑正面。
正面に刻字はない。
その側面↓。
どうも、前面の下半分は削られて(割られて)いるような気がするのです。
経年の風雪による自然剥離なのか、人工的意図による剥離なのかはわからない。
わからないが、隣の集落の「熊野神社」の石碑は「村社 熊野神社」とあったものが、太平洋戦争の終戦(敗戦)で、占領地日本となった状態で、GHQの施策により『村社』という陰刻文字がセメントで塞ぎ潰されたという事をK氏のブログで見てから、その現場をわたしも去年から尋ねて見て、写真に撮った。
この石碑の正面が何故削られているようにしか見えないのか、その経緯はわからないが、どうも、そんな歴史がこの境内にもあってもよさそうな、気がしてしまったのでした。
これはわたしの妄想、全くの「トンデモ説」かどうかもよくわからない。
それはさておき、側面の文字は、「大正六●●●月十五日 建立」と読める。(●字は自信なし、干支文字が混じっているかも)
なんとなく、この碑石と時期がつながるものがある事に気づいたのです。
この年に、奉納されたと思われる三方が5台ある事がわかった。
それは、2010年の夏から行事を復活したという渡御祭の祭りでわかったのです。
渡御祭の途中のお休み所で祭壇を設置するのですが、その時の貢物を載せる台(三方・三宝)を写真に撮っていました。
#1
奉納 鎮守神
納主 宮本
世話人 束原安貴
大正六年六月五日
御社屋根替正遷宮御用納
#2
奉納 鎮守神
納主 泉屋
栗城長三
大正六年六月吉日
世話人 束原安貴
#3
奉納 鎮守神
納主 澤本屋
本名喜代太
大正六年六月吉日
世話人 束原安貴
#4
奉納 鎮守神
納主 米屋
束原福松
大正六年六月吉日
世話人 束原安貴
#5
奉納 鎮守神
納主 高砂屋
束原善六
大正六年六月吉日
世話人 束原安貴
三方は一台だけ(#1)が、書き方が違う。
それには、「御社屋根替正遷宮御用納」と明記してあります。
また、#1は大正六年六月五日と明記、他の4台は、大正六年六月吉日としてある。
つまり、#1の三方は大正六年にあった屋根替正遷宮行事に実際に使用された三方であるのではないか。
なんといっても、納主が「宮本」です。
他の4台は、小中津川のそれなりの家の方々らしい。
それらの方々は、この行事の記念として、気多神社の什器備品としての三方を奉納されたのだと思う。
気多神社境内。
サダオさんが、軒下のマイマイガの駆除をしていたので、庭に立ち寄って話を聞いた。
これは、ノズル付きのスプレー式。
庭の盆栽のモミジはきれいにやられっちまった、とか、白っぽいのがメスで卵を産み付ける。
茶色いのがオスで、とにかくイキマがいい(素早く避ける、逃げる)。
140719_奥会津へ15・花火大会 ― 2014/08/02 02:41
2014年7月19日、夜。小中津川からからむし織の里フェアの花火を見る。
夜8時頃に、からむし織の里フェアのイベントのひとつ、花火大会。
昭和館のばあちゃんは、やっとの思いで、自分の家の二階まで上って、窓から鑑賞する。
今年も、田の口沢にかかる橋のうえまで行って見た。
この場所をわたしは勝手に、昭和村の「両国橋」と名づけた。
去年は、わたし一人だった。
近所の人も外に出てみている。
外は真っ暗なので、誰だったかわからないが、声で相手が知れる。
今年は、この橋の場所まで行ったら、「くらますからべご(暗闇から牛)」に出会ったように、橋の上には先客がいる。
ほほう、この場所を選ぶとは通人だな、誰だかわからないが、「こんばんは」と声をかけた。
低音で挨拶の応答があった、「どうも!」。あ、なんだ!義弟のタカシさんだった(笑)。
140720_奥会津へ16・小中津川散歩。 ― 2014/08/04 00:39
2014年7月20日、朝。小中津川。
夜半と朝方まで雨が降っていたらしい。
早めに起きて散歩のつもりが、遅めになってしまった。
サダオさんが愛犬と散歩していた、犬(名前がわからないか失念している)は昨日も会ったので少しは馴れてくれたか。
以前は手を出しただけで逃げ回ろうとしていたのに、近づいて顔を触ってなでても嫌な顔をしなかった。
雨はだいぶ降ったらしい、田の口沢の奥の路上は雨でまだ水が流れていた。
朝食時間には戻ってこられるように、ちょこっとだけ、下の道を歩いてみた。
この茶色の葉は、ひょっとしてマイマイガの幼虫(毛虫)が喰ったあとかも。
畑(タマ屋敷)に曲がってみると、義弟が畑の周りの草刈りをしていた。
みんな、朝飯前の仕事をこなしているのでした。
140720_奥会津へ17・見学バス/からむし畑へ ― 2014/08/04 01:13
からむし織の里フェアのイベントのひとつ、からむし畑(大芦)とかすみ草畑(矢の原)の見学ツアーバスがある。
本日は12時に出発とのことで、慌てて会場まで駆けつける(徒歩で)。
このバスツアーは何度か参加させていただいている。
これは、皆川吉三さんの奥様あさのさんがカラムシ畑(とかすみ草畑)の見学バスツアー(からむし織の里フェア)で見せた、苧引きの苧です。
説明員の方(元織姫?)は、「コツをつかむまで一週間も夢に見た(うなされた)」とおっしゃってました。
FaceBook発言より抜粋(先行掲載したので(^^;)
説明員の方(元織姫?)は、「コツをつかむまで一週間も夢に見た(うなされた)」とおっしゃってました。
FaceBook発言より抜粋(先行掲載したので(^^;)
生乾きの苧(原麻状態)を参加者が感嘆しながら触っていましたので、この苧は、小千谷に出荷する品物にはならないと思う(^^;
FaceBook発言より抜粋
FaceBook発言より抜粋
参加者がお持ちの葡萄蔓細工のバッグ。
ひょっとして大芦のミチオさん作のバッグかもしれない。
ツアー参加者の中から勇気ある若者が、飛び入りで2、3本苧引きをしてみた。
その心意気やよし、しかし、結果はこうである(笑)。
FaceBook発言より抜粋
その心意気やよし、しかし、結果はこうである(笑)。
FaceBook発言より抜粋
140720_奥会津へ18・見学バス/かすみ草畑へ ― 2014/08/09 01:21
140720_奥会津へ19・からむし織りの里フェア会場風景 ― 2014/08/09 01:33
140720_奥会津へ20・昨日と同じ帰り道 ― 2014/08/09 01:44
140720_奥会津へ21・マイマイガ ― 2014/08/09 02:00
6月頃に、毛虫(マイマイガの幼虫)が奥会津でも大発生したと聞いた。
毛虫の時代には、ひたすら葉っぱを食い尽くすらしい、木の若葉が根こそぎ食われた、集落によっては田んぼの稲も食われていると聞いた。
19日に奥会津昭和村の目的地に到着したら、雨上がりの庭はマイマイガの飛翔と、家の壁、屋根の庇(ひさし)には成虫となったマイマイガの産卵の最中だった。
2、3日前から蛾になって大発生だという。
産卵場所は、特に夜の灯りの近くに集まってきて、へばりついている。
灯りの種類によっては特に集まる種類があるらしい。
この電柱の上方には、防犯灯を兼ねた電灯がついている。
おそらくそれと同じ種類の灯りの電球が、家の屋根の角に設置してある。
国道(昔は県道、その前は村道だったと思う)の微妙なカーブとなる場所なので、その照明装置は公共施設(村の管轄)となっているらしいのだ。
その施設にびっしりと貼りついたマイマイガの画像は、自粛して掲載しないことにしますが、こんなものではなかった。
それこそ、10倍も張り付いていたのでした。
翌日、義弟がハシゴを立てて、駆除作業をした。
一旦は、だいぶきれいになったのでした。
ブログ掲載がいつも遅れてしまうので、ここから、後日談。
そのあと、家人宛に実家から連絡があって、家人は週末を連続して帰省したのでした。
8月3日の夕方、こんなメールが届いた。
マイマイガの卵はこの前の3連休の10倍くらいの数になってました〓
前の方はほぼ取ったけど、街灯の下のぐしにはべったり。土建業のお客さんは高所作業じゃないと無理ではといってました。
つまりは、この電柱の写真の10倍(7月20日)の密度を一旦チャラにしたのに、そのまた10倍くらいになっていたというのです。
つまりは、この電柱の写真の100倍(10倍×10倍)程度といっても決して大げさではないのです。
もう、丸八の布団(もう古いか)じゃないが、そこら一面は、ふっかふかの状態らしかったのです。
隣のHさんは、駆除作業で気分が悪くなり、医者に行ったそうです。
最近のコメント