2014年5月5日(4日夜半)のことです。
テレビでは、富岡製糸工場が世界文化遺産とかで、「蚕」と「養蚕」と「桑」とか「蚕のバイオテクノロジー」とかまでの話題が目立つ気もする。
毎年季節のニュースであったのかも知れないが、全然知らなかった。
今晩は、皇后様が蚕を愛でる皇居の行事らしい話題が出ていたのです。
そんなニュースを見た後で(だと思う)、部屋に戻って、布団に入ってから、読みさしの本の続きを読んでいたら、
この写真が目に入ったのでした。写真の右側の箒(ほうき)のことである。
“皇后が目利箒(めときははき)をとって農と蚕の神を祭った。
いつの世にも勧農は国政の基であった(正倉院蔵)”
とある。
『日本の歴史 3 奈良の都』青木和夫・中公文庫(一九七三年一一月一〇日初版/一九九二年一〇月三〇日29版)
20年も前の本である。最新の知見などはないかもしれない、ま、あったとしても、わたしにはそれが最新のことかどうかとか最新の価値を判断する基礎(リテラシシー)もないので、わからない。
たまたま入手して、「読了するぞ!」と思ったので携帯(通勤移動中の読書用)している本である。
ほとんど入眠儀式用の本のようでもあるが、たまたま奥会津まで持っていって、
皇后様のニュースを見た晩に、たまたまそれに関連する頁までを読み進めてあって、たまたまそれに関する(蚕)頁に遭遇した、ということに気づいて、少し大げさに自分を褒めてみようと思ったのでした。
こんなことは、よくあることだ。見逃していることはその何十倍もあることでしょう。
だからどうしたの?ということもある。
のですが、わたしは、布団の中から抜け出して、居ずまいを正して(単に卓袱台に向かっただけですが)、「記憶すべし」と思ったことでした。
この、『日本の歴史 3 奈良の都』の著者(青木和夫さんという人)は、時々どきっとするようなコトバが書いてあるのです。
まぶしてあるという方がいいのかもしれません。青木和夫さんという人の他の著書も読んだことはないので、わたしの勘違いかもしれません。
それは読者であることの特権だと、思っています。
それはなにかというと、
『皇后が目利箒(めときははき)をとって農と蚕の神を祭った。』という説明文章も「ほほう!」と思いつつ(抜書きしようと思ったトリガ)、
『いつの世にも勧農は国政の基であった』という文章でした。
おそらくこの文章を都内で(通勤中の車内)出くわしたら、読み飛ばしたでしょう。
昨日今日の奥会津での野良仕事(一人まえ以下の作業ではあるが)を、したせいだと思いました。
い つ の 世 に も 勧 農 は 国 政 の 基 で あ っ た
2014年5月現在、わが日本国の国政ははたしてどうでしょうか。
すでにして、勧農は、世界文化遺産となりはてている。
(2014年5月5日 恵比塵 奥会津にて)
(と思ったことを後日に書いている(2014年5月25日記述)ので、その日のことが片付かない)
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