別冊

雪竿(北越雪譜)2018/01/08 21:03

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪竿(さお)

 高田御城大手先の広場に木を方(かく)に削(けづ)り尺を記(しる)して建(たて)給ふ。是を雪竿といふ。長一丈也。雪の深浅公税(こうぜい)に係(かゝ)るを以てなるべし。高田の俳友(はいいう)楓石子(ふうせきし)よりの書翰に 天保五年の仲冬 雪竿を見れば当地の雪此節一丈に余れりといひ来れり。雪竿といへば越後の事として俳句にも見えたれど、此国に於て高田の外無用の雪竿を建(たつ)る処昔はしらず今はなし。風雅をもつて我国に遊ぶ人、雪中を避て三夏の頃此地を踏(ふむ)ゆゑ越路(こしぢ)の雪をしらず。然るに越路の雪を言の葉に作意(つくる)ゆゑ、たがふ事ありて我国の心には笑ふべきが多し。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.15~16)

 ・ ・ ・

 ○雪竿(さお)

|| 高田御城大手先の広場に木を方(かく)に削(けづ)り尺を記(しる)して建(たて)給ふ。是を【雪竿】といふ。長一丈也。雪の深浅公税(こうぜい)に係(かゝ)るを以てなるべし。

■ 高田城の正面の広場には木に目盛りを印した角棒が立ててあります。
これを雪竿といいます。長さは3メートル、積雪高を正確に記録する為に立ててあるのです。

||高田の俳友(はいいう)楓石子(ふうせきし)よりの書翰に 天保五年の仲冬 雪竿を見れば当地の雪此節一丈に余れりといひ来れり。

■高田の俳諧友人、楓石子こと倉石乾山の手紙が来ていました。
それによると、天保五年の冬の中ごろの高田の積雪量は3メートルを越していると書いてありました。

||雪竿といへば越後の事として俳句にも見えたれど、此国に於て高田の外無用の雪竿を建(たつ)る処昔はしらず今はなし。

■雪竿といえば、越後の国の風物詩として俳句の季語として記載されているが、越後の国では高田以外で無用である雪竿を立てる地域は、昔の事は知らないが今は無い。

【雪竿】冬の季語として簡便辞書にも載っている。雪見竿とも。

||風雅をもつて我国に遊ぶ人、雪中を避て三夏の頃此地を踏(ふむ)ゆゑ越路(こしぢ)の雪をしらず。

■トカイの文化風流人で遊びに来る人は、実は(雪溶け後の)夏場に来遊するので、越路の雪のことをご存じ無いのです。

||然るに越路の雪を言の葉に作意(つくる)ゆゑ、たがふ事ありて我国の心には笑ふべきが多し。

■それなので、見てもいない“越路の雪”を枕詞の様にして作ってしまう、それはほとんど間違い、その地の住民からするとお笑い草のような文も多いのです。

これは、よその人が雪竿について勘違いの指摘をしていることについての反論らしい。
そのやり取りの相手が滝沢馬琴。補註〔一〕(P.303)にあり。

 ・ ・ ・

『北越雪譜』と名づけたのは、滝沢馬琴。
牧之は自作原稿をもって馬琴を訪ねている。それは良い企画であると、大いに賛同したが、自分が流行りすぎて多忙なので、結局文章を作らなかった。
それで、山東京伝が、世話をする事になったが、京伝は45歳にして突然亡くなってしまう。
それを受けて、弟山東京山が、それがしが引き受けようとなる。
そこから、京山と馬琴の確執話が始まる、、、
・・というような事が、石川淳の『諸国畸人伝』(中公文庫)に書かれています・・

雪竿、といえば、「雪の墓標」を検索していただきたい。
http://yebijin.asablo.jp/blog/img/2010/07/22/1166c9.jpg

雪の墓標

http://yebijin.asablo.jp/blog/2010/07/22/5237831



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