【与太話:彼の地に特有の文化の発顕ことについて】
〔on Facebook〕
||彼の地は昔からそういう文化人が多いってことですか。
しかしですね、彼の地近辺はつい近年は超ローカルな「妻有(つまり)」などという過疎地がいきなりアートの展示場になったりしている。たしか県立博物館館長となられた赤坂憲雄氏(民俗学者)が関られて、ビエンナーレ展とかを311の少し前から企画開催されたりした。
妻有の地は、地名が残っていた事がとても重要になってきているのではないかと愚考するのです。「つまり」という地名は、中世の庄園名に由来する十日町市・中魚沼郡地方の古称だというのです(これは、わたしが引いている「校註北越雪譜」の注釈にも書かれている)。
がしかし、わたしは“妻有”は途中で字が好字に変えられたのではないかと思っています。どういう字だったか、それはつまり“詰りの庄”です。これより奥には人が住めないという詰りの地です。
では何故そのような彼の地に文化が発生していたかいうと、これはマレビトが媒介したに違いありません。
何故そのようなマレビトが彼の地のような過疎地を訪ねたのか、というと、その時代をつらつら考えるに、天明の飢饉とか天保の飢饉といった異変でトカイでは生計を営めなくなっていた。
文人墨客ついでに宗教人(坊主・山伏・似非御師)が地方の中堅都市ではなく、情報(ニュース)の伝わりにくいその奥の過疎地にまで入り込んだのではないかと思うのです。食い扶持繋ぎにです。
その地に残った(と思われる)特有固有な文化というのは、えてして、このような事がトリガ(引金)となっているのではと思うのです。
と。すみませんすみません、わたしゃ、その詰りの庄から山古志山越した先の奥会津の生まれです(笑)。
(ここまで)
投稿してから、“つまり”の地名のことはどこかで読んだかした気がしてきました、「記憶にない」のですがどこかで聞きかじったか(笑)。
聞きかじったとすれば、どなたからかの文章(か会話)かは思い当たってしまうのです(^^;こら!
||是(これ)余(よ)が発明にあらず諸書(しよしよ)に散見したる古人(こじん)の説也。
としておきます。
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