雪の堆量(北越雪譜) ― 2018/01/07 21:45
北越雪譜初編 巻之上
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人 百樹 刪定
○雪の堆量(たかさ)
余が隣宿(りんしゆく)六日町の俳友天吉老人の話に、妻有庄(つまありのしやう)にあそびし頃聞きしに、千隈(ちくま)川の辺(ほとり)の雅(が)人、初雪(しよせつ)より 天保五年をいふ 十二月廿五日までの間、雪の下(くだ)る毎に用意したる所の雪を尺(しやく)をもつて量りしに雪の高さ十八丈ありしといへりとぞ、此(この)話雪国の人すら信じがたくおもへども、つらつら思量(おもひはかる)に、十月の初雪より十二月廿五日までおよその日数(ひかず)八十日の間に五尺づゝの雪ならば廿四丈にいたるべし。随(したがつて)て下(ふれ)ば随(したがつ)て掃(はら)ふ処は積(つん)で見る事なし。又地にあれば減(へり)もする也。かれをもつて是をおもへば、我国の深山幽谷(しんざんいうこく)の深(ふかき)事ははかりしるべからず。天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の話(はなし)誣(し)ふべからず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.15)
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○雪の堆量(たかさ)
|| 余が隣宿(りんしゆく)六日町の俳友天吉老人の話に、妻有庄(つまありのしやう)にあそびし頃聞きしに、千隈(ちくま)川の辺(ほとり)の雅(が)人、初雪(しよせつ)より 天保五年をいふ 十二月廿五日までの間、雪の下(くだ)る毎に用意したる所の雪を尺(しやく)をもつて量りしに雪の高さ十八丈ありしといへりとぞ、此(この)話雪国の人すら信じがたくおもへども、つらつら思量(おもひはかる)に、十月の初雪より十二月廿五日までおよその
日数(ひかず)八十日の間に五尺づゝの雪ならば廿四丈にいたるべし。
■以下の話は、わたし(牧之)の隣町に住む六日町の俳諧友達、天吉翁が【妻有(つまり)の庄】に行った時に聞いたという。
信濃川のほとりに住む風流人が天保5年に十二月二十五日までの間、雪が降るたびに【尺】で測ったそうな。
その結果は十八丈(54メートル)になったと言うのです。
この数字はいくら雪国の人でもにわかに信じ難いと思うかもしれません。
よく考えてみると、十月の初雪から十二月二十五日までであれば、その間八十日。
毎日五尺(1.5メートル)の降雪があったら、二十四丈(120メートル)である。
ここに、【妻有(つまり)の庄】が出てきます。
注釈には、中世の庄園名に由来する十日町・中魚沼郡の古称。とあり。
【天吉老人】(注釈あり)
六日町の天王山吉祥院住職吉川知可良の通称。魚沼俳壇の重鎮で四方の春・あしか・俳諧摘要などの著がある。安政二年(1855)没、七十六。
||随(したがつて)て下(ふれ)ば随(したがつ)て掃(はら)ふ処は積(つん)で見る事なし。又地にあれば減(へり)もする也。
■降るたびごとに雪を片付けてしまうので、積上げた形では見えないのです。
また、地面にあれば固まって(詰ってくる)高さは減るものです。
※これは、降雪量と積雪量の違いですね。
||かれをもつて是をおもへば、我国の深山幽谷(しんざんいうこく)の深(ふかき)事ははかりしるべからず。
■このことで思うに、北越の深山幽谷の雪の深いことは、はかり知れないのです。
||天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の話(はなし)誣(し)ふべからず。
■まさかね、と思うかもしれませんが、天保五年は近来に無い大雪だったのです。
だからこの話は、眉唾ではないのですぞ。
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