別冊 恵比塵
次に訪ねた家は、山崎にある家。
主人の奥様が、わたし(掲載子)をじっと見ている。
話をすると、「そうだ(そのような)気がした」とおっしゃるのです。
掲載子の母の大変近しい親戚筋でした(後で奥様のお名前をお聞きました:いちこ姉)。
この近所に豆腐屋さんがあったこと、母の生家もこのあたりにあったこと。などなど。
わたしは小学生かそれよりも幼い頃だったか、時々豆腐を買いにお使いに来た覚えがある。
その頃は、電話などもなかった。当日に予約をして出かける訳でもなかった。
まさか豆腐の値段が、その日の時価ということはなかったと思うが、母は「これで足りっぺ」と言って数十円(だったと思う)を渡す。
それを良いことに、私は豆腐を買って家に戻ってくると、母に「なんぼだった?」と尋ねられると、「××円だった」とウソを言ってお釣りの5円か10円か15円ほどをごまかしました。
豆腐の値段は母も、毎日買っていた訳でもないのでうろ覚えだったのではないかと思う。
がしかし、恐らくバレていたのである。と、カミングアウトしておきます。そんなことまで思い出して話せる方のお家でした。
■閑話休題(←どっちが!)
会津戊辰戦争で山崎で焼かれた家は3軒也。
「船鼻峠まで逃げた」という話などを聞く。
「なんで火をつけたのでしょうね」
「アトカクシだべな」
アトカクシ:跡隠し。火をつけて逃走したのは証拠隠滅や、煙と火とでどちらに逃げたのかも判らなくしてしまう意図があったらしい。
集落の端にある槐(えんじゅ)の木。
この木のことは、2011年8月12日の本ブログに書いた。
110812_大芦集落
<http://yebijin.asablo.jp/blog/2011/08/18/6056806>
「槐(えんじゅ)ノ木」という地名があること。
黄色い花が咲いて、豆の鞘のような実をつけること。
辞書で調べたのだが、マメ科の落葉高木とある。
ただ、江戸時代からここにあった木なのかどうかはわからない。
このことに気づいたその翌々日、折橋(小中津川と下中津川の境あたり)の近くの山すそもあることに気づきました。
実をつけた槐(えんじゅ)の木は、不気味な感じもする。
誰のものでもないかも知れない木であるが、キチンと手入れされている。
また、収拾のつかない文章を書いてしまいました。
会津藩預南山御蔵入大芦村
『・・・槐(えんじゅ)の木は見ていた・・・』
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