120418_【震災と東北】9 ― 2012/04/20 00:38
12年4月18日、赤坂憲雄さんの東京工業大学、世界文明センターでの講話。
以下は赤坂憲雄さんの聴講をメモしたものです。そのメモを元に反芻しながらテキスト化しています。(メモ責:恵比塵)
20:05 泥の海
ヤサワウラ(八沢浦)
泥の海の中に神社が残る。12社のうち半分は津波で流された、古い神社は助かっている。
(そこにある)水田とは、明治30年代に埋め立てて干拓(した場所である)。
干拓地(明治30年代)に造った神社は新しい(神社である)。
明治には、潟(かた)、浦は水田になった。人はそこには住んでいなかった。
人口は3千万人、6千万人、1億2千万人。その人口の最大値(MAX)に東日本の災害があった。
水田を造った、住宅になった、そして町になった。元々(潟には)人は住んでいなかった。
(八沢浦の)役場のあたりも海だった。
コンクリートの境界線が突破された。
(道路は)アスファルトが途中で土になっている。海に向かって道が(沈み込んで)消えている。
20:10 境界がなくなった風景。(地盤沈下)。「泥の海」。
福島に戻って、福島で出発した。
そして、(原発との)共存は出来ない宣言。中央政府がなんと言おうと!(原発との共存は出来ない宣言)。
(メモ責:恵比塵)
・・・つづく・・・
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