北越雪譜初編 巻之中
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人百樹 刪定
○雪吹(ふゞき) 2/5
余が住(すむ)塩沢に遠からざる村の農夫男(せがれ)一人あり、篤実にして善(よく)親に仕(つか)ふ。廿二歳の冬、二里あまり隔たる村より十九歳の娵(よめ)をむかへしに、容姿(すがた)憎(にく)からず、生質(うまれつき)柔従(やはらか)にて糸織(いとはた)の伎(わざ)にも怜利(かしこ)ければ舅姑(しうとしうめ)も可愛(かあい)がり、夫婦の中も睦(むつまし)く家内可祝(めでたく)春をむかへ、其年九月のはじめ安産してしかも男子なれければ、掌中(てのうち)に球(たま)を得たる心地にて家内悦びいさみ、産婦も健(すこやか)に肥立(ひだち)乳汁(ちゝ)も一子に余るほどなれば小児(せうに)も肥太り、可賀(めでたき)名をつけて千歳(ちとせ)を寿(ことぶき)けり。此一家の者すべて篤実なれば耕織(かうしよく)を勤行(よくつとめ)、小農夫(こびやくしやう)なれども貧(まづし)からず、善(よき)男(せがれ)をもち良娵(よめ)をむかへ好(よき)孫をまうけたりとて一村(そん)の人々常に羨(うらやみ)けり。かゝる善人の家に天災(わざわひ)を下ししは如何(いかん)ぞや。
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○雪吹(ふゞき) 2/5
|| 余が住(すむ)塩沢に遠からざる村の農夫男(せがれ)一人あり、篤実にして善(よく)親に仕(つか)ふ。
■魚沼は塩沢の近郊のとある村の農家に、一人の息子がおりました。
実直で誠実な青年で、大変な親孝行者でした。
||廿二歳の冬、二里あまり隔たる村より十九歳の娵(よめ)をむかへしに、容姿(すがた)憎(にく)からず、生質(うまれつき)柔従(やはらか)にて糸織(いとはた)の伎(わざ)にも怜利(かしこ)ければ舅姑(しうとしうめ)も可愛(かあい)がり、夫婦の中も睦(むつまし)く家内可祝(めでたく)春をむかへ、
■その男は、二十二歳の年の冬に、【二里】ほど離れた隣村から十九歳の嫁を迎えました。
その嫁は、容姿は整い生れついての優しい性格でした。
【糸織(いとはた)】(糸作りや機織)も上手なので舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)も、
とても歓迎して誉められ可愛がられました。
夫婦も仲良く一家はめでたく春を迎えました。
※【二里】:1.3キロメートル程かもしれません。
※【糸織】糸作りと機織(はたおり)は冬の女性の仕事となっていた。
||其年九月のはじめ安産してしかも男子なれければ、掌中(てのうち)に球(たま)を得たる心地にて家内悦びいさみ、産婦も健(すこやか)に肥立(ひだち)乳汁(ちゝ)も一子に余るほどなれば小児(せうに)も肥太り、可賀(めでたき)名をつけて千歳(ちとせ)を寿(ことぶき)けり。
■そして九月の初めには第一子誕生、安産のうえ男の子だったので、まるで掌に宝石を受けたような慶事でありました。
嫁も大過なく産後の肥立ちも良くて、母乳も呑みきれないほど、赤ん坊も丸々としています。
子供の名前は千歳(ちとせ)と、めでたい名前をつけてお祝いをしました。
||此一家の者すべて篤実なれば耕織(かうしよく)を勤行(よくつとめ)、小農夫(こびやくしやう)なれども貧(まづし)からず、善(よき)男(せがれ)をもち良娵(よめ)をむかへ好(よき)孫をまうけたりとて一村(そん)の人々常に羨(うらやみ)けり。
■一家全員が真面目で、田畑の耕しと機織(はたおり)仕事もよく努めます、
小さな農家ですが充分な生活が出来ました。
「孝行息子に器量良しの嫁さま、それに良い孫までなした」と村の人も事あるごとに羨ましがって話しています。
||かゝる善人の家に天災(わざわひ)を下ししは如何(いかん)ぞや。
■こんな善行の幸せな家庭に、災害が降りかかるとは、何という天の采配なのでしょう。
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