別冊

131204_カンジキのこと2013/12/08 01:54

FBに、奥会津昭和村、からむし織の里「織姫交流館」に佐藤平喜さんの『つるかんじき』が入荷されたとの記事が載っていた。
ついつい、コメントを投稿してしまったのがこれ↓。

(FBより掲載です)

【長文:奥会津雪譜】
昭和村大芦のことで書きますと、どの家の前にも道路と特に区別の付かない庭がありました。
同じ地面の高さに建てられた家では、その庭を囲い込む為の生垣などというものはなかったのです。
んだがらして、朝一番の道作りは「玄関から道路まで」ではなく、『つる(つるかんじき)』で雪を踏みしめて通路を作る作業は、大芦で
は自分の家から「下の家の前まで」道をつくっていました。
昭和三十~四十年代のことです。

「つる」は、おぼろげな記憶では、
 前面の紐の編みこみ模様が「鶴」模様から「つる」と名づけられたと勝手に思っていました。
そして、「(輪)カンジキ」の紐の作りは、亀甲(きっこう)なのです。つまり、形の「亀」に対称させての「鶴」なのです。

 しかし、踏みしめたときに足の力だけでは持ち上げられなくなるので、引っ張るための紐がついています。
つまり、動作(機能)としての「釣る(つる)」なのです。

 三番目は、輪カンジキの輪は竹なのですが、それを外延する輪は、材料として「蔓(つる)」なのですよ。

 ほとんど同じ形の図は『北越雪譜』などにも載っています。そこには、「すかり」という名前で載っています。
つまり、「つる」という呼称は奥州国会津野尻組(旧野尻村と大芦村界隈)の地域呼称かもしれないと思いました。
だとしたら、奥会津の雪国の人たち(現昭和村界隈)は、とても遊び心のある先達がいらっしゃった、ということでしょう。

 ほんとのことは、是非とも、平喜さんにお聞きしてください(^^;

131204_カンジキのこと
『校註 北越雪譜』(監修者宮英二・野島出版)より



 と書いてから、

魚沼郡(『北越雪譜』)では、「すかり」。
もしも、これが「しかり」とかいう名前だったら、と、妄想が浮かんできてしまった。
 と思ったことを、後で掲載することにしよう。

ずっと語呂合わせ(駄洒落)のような話をしていますが、
マタギの統領(とうりょう)のことを「しかり」というそうです。
これはつい最近読んだ小説で知りました。
頭領のことを「シカリ」と呼んでいるということだけで、何故シカリと呼ばれたのかのは書かれていませんでした。
その本に書いてあったわけではありませんが、ひょっとして、アイヌ言葉だったりとか日本語が漢字化する以前のコトバかもしれません。

マタギの世界の熊狩りプロジェクトの実践チームリーダーです。
熊狩りそのものをしないが、そのプロジェクトを差配(主催)するのは親方というそうです。
つまり漁業で言えば、船主と船頭のような位置づけでしょう。
そして、シカリが「とうりょう」=「頭領/統領/棟梁」だとするとですね、
道案内(雪道(通り道)作り)をする人は道無き新雪の原の先頭を歩くのです。
そのチームは熊狩り作戦までは、頭領の後を付いて行く。
とすると、後を付いて行くチーム(勢子だったりとか)員は、「カンジキ」ですいすいと歩ける訳です。勿論慣れていることが前提です。
お気づきか、一団の中で、「カンジキ」以外の特殊な雪中歩行道具で歩く人を、「シカリ」といった。
としたら、魚沼地方で「すかり」というのは、役割分担として「シカリ」は棟梁の履く道具ということにならないでしょうか。


ついでに、北越雪譜・鈴木牧之『校註 北越雪譜』野島出版より引用過去掲載(備忘)

http://yebijin.asablo.jp/blog/2013/01/27/6703528

http://yebijin.asablo.jp/blog/2011/01/23/5647047

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yebijin.asablo.jp/blog/2013/12/08/7099653/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

別冊