130923_奥会津/奥奥会津 ― 2013/10/18 01:27
2013年9月23日。
奥会津昭和村からの帰り、義弟の車に同乗。
途中の気になるラーメン屋で昼飯にしようというような時間に出かけたので、寄り道時間もそこそこにあった。
もっとディープな奥会津をドライブした。
行き先の交通標識が、「只見、魚沼」と出てくる。
むかし、森に在った時には、奇形ゆえに伐採されず、そして大きく生き延び、そして神木として祀られたであろう木々。
これは、室内に展示してある。
どれくらいの大きさかを比べるために、義弟に並んでもらって写した。
遠近法によるトリックではない。人物はこの木の真横に寄りかかっているのです。
この工房の通りを面した反対側は、定尺となるような木材と(材木板)と木材チップの工場。
おそらく地元では有名な林業会社かもしれません。
130923_奥会津から南会津/前沢集落へ ― 2013/10/18 01:45
昔は、蔦で編んだ吊り橋ひとつあったかなかったかというほどの峡谷の橋。
そこに、堅牢な新しい橋も作られようとしている。
トンネルも出来ている、どっちが先かはわからないが、大型車両がバンバン通れる設備。
観光県なので、大型バスなどがバンバン走らないと困るのか?
人がそんなに行き来するとは思えないのである。
つまり、人以外のモノを移動させるため?
「道の駅」が各地にある。
国道をドライブすると、売らんかなの沿道沿いの個人商店とはちがうことと、
「道の駅」という統一ブランドとなって、サービス(トイレ、食事など)がほぼ均質化(安心感ですね)している。
その上、その敷地に出店している商品も地産品が多い。
売子も、近所の個人農家の副業商売感(安全感ですね)で、話しかけやすいとか。
勿論、他の広域知名度の高い業者のいわゆるみやげ物などもある。
地域活性化、関連雇用促進などにも一役買っているらしい。
それはそれで、いわゆる三方よしの構図とはなっているようでもある。
のであるが、イベントパンフや幟(のぼり)を見ると、どこもかしこもスタンプラリーかい!
といった、色々な補助金交付金取りを本業として仕掛けをしている他所のイベント業者の影もちらりと見え隠れする。
第三者の業者がいなければ、こんな施設自体も地元の人だけで実現できないことも重々承知はしている。
ま、どこまでが絆とつながりと、利権となのかは、わからない。
勿論全部がそうだとは言うわけではない、応援したいインディーズも、あ・り・ま・す・よ。
(少し睨まれそうだが、書いてしまった(笑))
130923_奥会津から南会津/前沢集落にて ― 2013/10/18 02:13
2013年9月23日。前沢集落にて
2013年9月23日。前沢集落にて
受付にて、
「この集落は住民が住んでいますので、指定された場所以外の庭や家の中には入らないで下さい」「はい」
「畑にも入らないで下さい、作物もなっていますが、採らないで下さい」「はい」
「中をご覧になれる家があります。その場所はここ(地図の場所をしめす)です」「はい」
「ただ、今は屋根葺き工事でブルーシートが掛かっています。立入り禁止の看板もあります」「はい?」
「それでも大丈夫ですから、入ってかまいません。その家には入ってご覧下さい」「はぃ」
「集落の一番奥に××神社があります、そこまでも行けます。」「はっ」
「そこは、近づくとスズメバチがいますので注意して下さい。騒がなければ大丈夫です」「はち・・・」
「入場料はお一人300円です。ではごゆっくりどうぞ」
この場所は、完全に居住地区で、住人が観光客相手に積極的な生活はしていない場所らしい。
つまり、対比しては失礼ではあるが、大内宿のようにそこの各家の住人が客商売で生計を営んではいないらしいのです。
中に入ると、集落の道沿いに、商店などは1軒もない。ところどころに野菜、山菜などの無人販売所はある。
それも、ひょっとすると観光客向けではなく住民同士の互助設備かもしれない。
ホントかどうか、詳しい「前沢集落」については、興味のある人はとりあえずWebででも検索してください(^^;
この橋だけが、集落への通路となる。
正面の3本の木、大木といってもよい木であるが、葉っぱを見ると「桑の木」なのである。
後で、説明の方に義弟が尋ねていた。やはり桑の木でした。
昔昔見た、桑の木は低木用に剪定してあったはずという。
御蚕様(養蚕)に桑の葉を採取するために、剪定した(手間をかけた)のであの高さ(せいぜい樹高2m)なのだというのです。
でも、桑の葉自体も大きいような気がした。
昔昔採って喰った、桑の実もなるはずだというのです。
その実は見つけられなかったが、この木の大きさだぞ。
「桑の実もブドウの巨峰ぐらいに大きくなるのか?」と訪ねたあたりから、すこしハナで笑われてしまった。
この家だけは、内部に入れる家。移築してきたらしい。
説明の係員(女性)がいらっしゃった。
奥会津弁なまり(実は奥会津なまりは会津弁ではくくりきれないほどに多様なのです)ながらも、標準語で丁寧に説明してくださる。
土間から板場と、部屋の作りと、大黒柱の話と、農具の話と。
感心して話を聞きながら、「実は、隣村の昭和村に住んでいたんだけど」と言ったら、「なーんだ、昭和村にはまけっぺ(かなわない)!」ときた。
南会津町は、元々南会津郡「田島町」が、平成時代になって近隣の村をひっくるめて合併してだだっ広い「南会津町」となった。
おそらく、地域文化歴史的には、昭和村と同じような村も「南会津町」になってしまった。
隣の南会津郡「只見町」も同じような経緯でだだっ広い「只見町」である。
その「境界」地域といってもよいような、大沼郡「昭和村」と南会津郡「檜枝岐村」は、南会津町にも只見町にも組しない(出来なかった)で、今でも「村」として残っている。
最近のブームも手伝ってかも知れないが、
南会津町は、町内施設名や地域名の一部は、南会津といわないでわざと「奥会津」と自称しているところがある。
こういうのは、すこしずるいぞと村出身者は思ってしまうのである。
もっとある。大内宿を擁する南会津郡「下郷町」、ここでは地元企画の「観光土産」の生産者ラベルに「下郷ムラおこし」などと使っている。
マチになったんだから、潔(いさぎよ)く「マチおこし」といいなさい!と思ってしまう。
ついでに書いておくと、奥会津地域の隣町の大沼郡「三島町」。
この町は、「日本一きれいな村」という全国組織の広域団体に「日本一きれいな村」の一つとして認定されている。
なんでこんなときだけ、「村」というのだね!と思ってしまうのである。
ま、昭和村は「日本一きれいな村」という名の三島町の隣の『本当の村』である。
あ、こんな話を書こうとしていて、ブログ掲載がどんどんと遅れたわけではないのだが。
さっと流して、一旦アップして9月の奥会津探訪ブログはこれでおしまい。
いつか又、再訪時にもう一度、一枚一枚の写真に能書きを垂れたいものだ(^^:。
御仏壇、ここの仏様(ご位牌)はどこかに移られたらしいので何もない。
神棚、ここには、おそらく神様が今でも住んでいらっしゃるのだと思う。
昭和村小中津川の束原一族と同じ家紋を見つけた。
「なんだ」昭和村大芦の赤田(あかだ)と同じだ。と思った。
どうもこのあたりの表記は、絶対にウケを狙っていると思いました(笑)
公園入口の無人販売、「廿いスエカ」「一玉 500円~300円」と書いてある。
集落内をただ散歩するだけなら、おそらく2、30分も掛からない。
屋内開放展示の場所には、説明員の方がいらっしゃる。
交代で複数の方がいらっしゃるのかもしれない。
たまたまいらっしゃった方が、アタリだったかどうかは分かりませんが、とても説明好きなのと、マニュアル通りの説明ではなく、当意即妙の受け答えも楽しかった。
時間があれば、半日いても飽きないかも知れないが、そんなに居座られたら迷惑かもしれませんネ。
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