130922_奥会津へ/野田君の部屋 ― 2013/09/29 03:52
2013年9月22日朝。
奥会津昭和村喰丸で子供時代をすごした野田君は大人になって、地域の博物館(おそらく会津若松の福島県立博物館)の職員となった。
その福島県大沼郡昭和村立喰丸小学校は既に廃校となっていた。
廃校となって久しいその小学校は、2010年に取壊されることになっていた。
奥会津地域の縄文遺跡発掘物の仮設置き場にもなっていた。
野田君は博物館の学芸員として、その取壊される小学校においてある縄文遺跡発掘物の調査で昭和村に出張することになる。
その映画では、野田君が出張先でパソコンで発掘物の整理をしているシーンがある。
残念なことに、部屋の内部は映し出されたが、部屋の窓を開けて外を写した場面はない。
色々な事情があったのかも知れない。
その時に宿泊した旅館の部屋から見た景色は、この風景だった筈である。ただし、季節はもう少し後の秋のころ。
ご常連のお客では、朝もやと火の見やぐらの風情がいいと言う方もいらっしゃるらしい。
とりわけ、それ以上のものは見当たらないので、そうおっしゃるのかも知れないということもある。
しかし、この部屋の窓から(身を乗り出さないで)写した写真を見ると、どこを写しても電線(電話線、有線防災無線用信号線、光ケーブルなどなどか)が入ってしまうことに気づいた。
まさか、一家に一本電燈線!というわけでもないのだろうが、一度気づいてしまうと、「うーん、気になってしまう!」。
130922_奥会津へ/朝散歩 ― 2013/09/29 04:30
130922_奥会津へ/からむし工芸博物館へ ― 2013/09/29 23:17
奥会津昭和村佐倉にある、からむし織の里に出かけました、歩いても10分と掛からない。
1日3本ある「田島(田島駅)-昭和(会津川口)」のバスの時刻表では、2分と掛からない距離である。
ただ、歩いて10分(往)+10分(復)=20分、では済まされまいぞ、という気持ちがあるのであるのですよ(笑)。
刈取りの済んだからむし畑、刈取られた後からまた成長している。
からむし畑、右と左で段がついているのは、からむしの草そのものが、宿根草なのです。
左の畑は新しく、からむしの根を植えた畑かもしれません。
地上に生える茎は季節で生えては枯れるので、毎年同じかというとそうではないのですね。
キチンと繊維を糸(布の原材料)としての「からむし」として採取するには、数年掛かるらしいのです。根力です。
今年は「からむし虫(からむしの葉っぱにつくナントカ蛾の幼虫)」を一匹も見なかった。
これも、カラムシだと思う。そのうえ、この粒粒は、カラムシの実ではないでしょうか!
カラムシは栽培畑の外にも生えています。
つまり、手をかけないカラムシという植物は、縄文の昔から、日本列島に生えていたのです。いや、今でも生えているのです。
カラムシの葉っぱは、主食にはならないが、食べられます。
天ぷらなどにすると、伊豆諸島の「アシタバ」のような、、、ただ、滋養強壮とかの効用は聞いたことがないのと、この季節では他にもっと便利な類似の草の葉っぱは庭の畑に沢山あるので、食用としての利活用では見向きもされないようである。
類似の紫蘇の葉とかですが。
からむし工芸博物館の秋の企画展示は、
「会津野尻組の戊辰戦争」
12月1日まで開催しています。
【on Twitter by 恵比塵】
二時間たっぷり、からむし工芸博物館で奥会津昭和村での戊辰会津戦争の展示にひたる。時々聞こえる地元の方の話に耳をかたむけるも楽し(^_^)。
2013年09月22日(日) posted at 11:37:29
2013年09月22日(日) posted at 11:37:29
奥会津野尻組は江戸時代以前から、北と南と越の国の要衝の地であり境(境界)の地であった。為に戊辰戦争の戦場にもなった。
2013年09月22日(日) posted at 16:48:27
2013年09月22日(日) posted at 16:48:27
その昭和村の歴史を村の先人の残した資料を主軸として解きおこす。なぜ昭和村にからむしは残ったか。までが繋がっている。
2013年09月22日(日) posted at 16:56:01
2013年09月22日(日) posted at 16:56:01
まさに、からむし工芸博物館の真骨頂となる企画展示なり。誉めすぎではないのは、24日のツアー企画に刮目せよ。9月24日、鶴ヶ城開城2日後の大芦での戦闘に合わせた特別ツアーなり。
2013年09月22日(日) posted at 17:04:07
2013年09月22日(日) posted at 17:04:07
最近のコメント