別冊 恵比塵

130503_大芦・小屋の原2013/05/13 01:30


130503_大芦・小屋の原にある顕彰碑と墓


130503_大芦・小屋の原
どなたか、この字が読める人はいらっしゃるか。
Kさんは、この顕彰碑全文を文字化したのですが、この字だけが不明なのです。
前後の字は、尊重●也 とあります。



『會津藩戦死二人之墓』。この墓は元々は、この地ではなかったらしい。
そのことは、今日お会いした五十嵐平治氏のお話でも、「昭和郷友」に同氏が書かれた記事でも明示してある。





移設されて下部が、コンクリ(コンクリート)で少し埋められている。
K氏は車の中から、ペットボトルを取り出して、きれいに洗って文字を引き立たせていた。
化学薬品とかではない、単なる水である。一度見ればいいやとかではなく、同氏には訪れるたびに次の「宿題」が見えてくるらしいのである。
そして、わざわざペットボトルに水を汲んで準備しているのは、探求もさることながら先人への供養の気持ちがそうさせているのではないかと、いたく感心したのです。






130503_奥会津昭和村大字小中津川帰省初日のこと2013/05/13 02:08

5月3日分のブログ、色々な思い入れを含めて、駄文を弄してしまいました。
そして、「肝心!」のところでは写真も撮っていないではないかい!とも気づいた。
ほんとだ、「んだなや(^^;」

 ・ ・ ・

大芦からの帰り、K氏から「束原福松氏は大芦から小中津川に婿としてきています。おそらく、五十嵐伊之重さんと近い年代のはずです」と。
どうやら先月のフィールドワークで、野尻の親戚筋(庄市あんにゃと信子姉)からの聞取りらしいのですが、「元治元年生まれのはず」とまでK氏はメモに頼らないで記憶しているのです!
その情報源(発信源)はというと、どう考えても、ノブコ(信子)姉のような気がする(^^;

夜に、義母(ヤマト姉)に尋ねてみた。
なんということでしょう、福松氏は、本日(2013年5月3日)にたまたま大芦であった中見沢の家の出自なのでした。
聞取者(わたし:掲載子)の知識不足で、人の名前(固有名詞)の関係が整理できなくなった。



それで、別の話題を振って聞いた話がこの↓メモでした(^^;。
130503_小中津川字宮原



130504_奥会津にて朝の散歩12013/05/13 22:45


130504_奥会津にて朝の散歩1



小中津川字宮原(みやばら)あたりを一回りしてから、


はげ山の稜線、もしも満月の日あたりにこの地を訪ねると、
「への字山」のあたりから煌々とした満月が昇り一晩中あたりを照らして、
朝まだきには、再び「への字山」のあたりに、日が昇る気配、山の向こうに隠れているが、薄明かりとなってくるのです。
カラスが鳴いて、スズメもそろそろ起きだすころに、
まだ満月は白い色で、この松の木の上あたりに、隠れようとしている景色が見えるのです。



暗くて見えないが、Yの字の木は最近(今年になって)伐られたらしい。
真ん中の木は、山桜の大木。いつもピンク色の花が咲く、宮原にはもう一箇所ある(稲荷様の鳥居のところ)。
去年の今日はほとんど満開になりそうな雰囲気だった。
今年は、まだ咲いていない。

昨日バスの中で聞いた話。
今年は、隣町の三島町では桜の花は開花前のつぼみを鳥に喰われたらしい。
咲いたかなと思ったら、葉桜になっていたらしい。
それを聞きつけた人が、今年の桜はダメらしいと、とくとくと話している。
「鳥はなんでかわがんねが、桃色の桜の木の花は喰わなねーのや」
この隣には、染井吉野らしい桜の木も2本ほどある。咲いていないのです。
それでも、とくとくと、今年の桜はダメらしいと話している。
今年は、まだ咲いていないのです!もう、近くで触って見てみろ!っつうの!!!
それで咲き具合が悪かったら、「鳥の所為(せい)じゃない!」んだっつうの!

暗くて見えないが、Yの字の木にはあるものが下げられていた。
その写真は、あ・と・で(^^;



御神楽岳
ホンナ山





田んぼには、薄氷がはっていた。



別冊 恵比塵