別冊
ヒロアキさんの大芦のフィールドワークに誘っていただいた。
■からむし織の里にて
織姫交流館
大芦村(明治、大正期に昭和村はなかった)からは、旧ロシアのグルジアまで、カラムシ栽培の指導のために出かけた夫婦がいる。
五十嵐善作・ハツ夫妻である。
そして、大正時代には、大芦村の五十嵐運次・オミツ夫婦とその子と星籐太氏4人は、月ヶ瀬村の奈良晒(ならざらし)工場に4年ほど出稼ぎに行ったとの記述。
ヒロアキさんが、からむし工芸博物館の出版物「博物館シリーズ9『奈良晒と原料展』」を開いて説明してくれた。
単に出稼ぎといえば大抵は、家族で出かけるというよりも、村の中の人と連れ立つかもしれないが単身で出かけるのが普通だったのではないだろうか。
それが、カラムシに関わる村外出張は、ご夫妻で出かける例が明示されているのです。
つまり、「大芦」という地名は江戸時代このかた、カラムシとは切っても切れないブランド地だった。
そして、カラムシに関わる栽培と加工工程については男手と女手の共同作業が欠かせなかったのです。
その時代的風潮からも、男性の名前が外(表面)に出てくるのは否めないとしても、カラムシに関しては実は女性の力が大きく関与しているのではないだろうかということを踏まえて、まだまだ掘り起こすべき課題が沢山あるのです。
と、わたしは、ヒロアキさんの説明から勝手に咀嚼したのでした。
からむし工芸博物館刊行図書のURLは↓こちら(福島県昭和村 からむし織の里)。
http://www.vill.showa.fukushima.jp/kogeikan/tosyo.stm
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