別冊 恵比塵

130505_大芦でのこと12013/05/27 22:52

なんだかブログ(日記)とはいえないペースですが、
これは2013年5月5日のことでした(掲載:13/05/27)


千石沢



130505_大芦でのこと1




ここから下り、右に行けば畑の中に道はある。
ただし、集落入口で急坂の段々道になるので車は通れない。
わたしは幼少の頃には、何度か歩いた覚えはある。
K氏との車中の話で思い出したが、この電柱がほぼ真っ直ぐに、大芦集落の大向(おおむかい)の方まで続いていたのだ。




一昨日訪ねた場所。大芦中見沢。



大芦家によってから、
大芦家では、夕方から大芦集落の敬老会が開催されるという。
その準備中でした。


130505_大芦でのこと22013/05/27 23:04

なんだかブログ(日記)とはいえないペースですが、
これは2013年5月5日のことでした(掲載:13/05/27)



130505_大芦でのこと2
■「巳待講(みまちこう)」の塔

大芦赤田地区へ。
「巳待講(みまちこう)」の塔。
後日のことであるが、少し気になって『昭和村の歴史』をひも解いてみた。
と、全く同じ写真が掲載されていました。ただし、右の石(後述予定)との配置が違っている。
耕地整理などで移動したのかも知れない。
元の位置はどこだったのか、赤田の人たちに聞けば直ぐにわかるかもしれないが、『昭和村の歴史』の写真には、遠景の山も写っている。
なるほど、、、史料的価値となる資料とはこういうことなのだな、と、いたく感心して、しばらく本ブログが止まってしまいました(笑)

【『昭和村の歴史』P.189】を抜書きしておいてみます。
1 日待と講
 昔も今も 日待講とは別別のものであり、昔は別に行われていたが、今は講のこともお日待ちといって同じ意につかわれることが多い。
 昭和には講と名のつくものは、信仰的なものだけでも他の町村にくらべて非常に多い。
 今は姿の消えたものも加えて春秋廻り宿で行われている講を列挙してみると、
 熊野講・山の神講・庚申講・恵比須講・天神講・観音講・古峰講・二十三夜講・十九夜講・甲子講・伊勢講・地蔵講・馬頭観音講・己待講・初午講・白神講・飯豊講などである。

なんと、私はこの写真を見て、「巳待講(みまちこう)」と書いたが、『昭和村の歴史』本文には「己待講」と記されていました。
『巳』の字と『己』とある。字が違うのですね。
よくわからない、よくわからないのであるが、十干十二支(じっかんじゅうにし)の干支(えと)の文字であることに気づいた。
だとしたら、専門書にあたらなくとも、わたし(掲載子)にも少しくらいは調べることが出来るはずである。
つまり、「辞書を引いてみよ」ということですな。

以下は小学館『大辞泉』(第一版第二刷)による。

みまち【巳待ち】
己巳(つちのとみ)の日の夜に行う弁才天の祭り。

つちのと【己】
《「土の弟(と)」の意》十干の六番目。き。

み【巳】
①十二支の六番目。②方角の名。南から東へ三〇度の方角。南南東。③時刻の名。現在の午前一〇時ごろ。また、その前後の二時間。または、、午前一〇時から正午までの二時間。
④①にあたる年や日。⑤陰暦四月の異称。

じつは、こんな説明をすると余計に判らなくなってしまいそうだが、【みまち】というのは結局は60日に一回巡って来る祀りなのですね。
今(2013年現在)でも、この【みまちこう】は小中津川某所でも開催されている。
昔からの講とは「わー、珍しいから見せてー」という訳にはいかないのです。
たまたまその日にぶつかった時に頼み込めば参加(参列?)させてもらえるかもしれないが、これは観光用ではないのである。

場所は明示しませんが(^^;、○○講の碑は、村内各地にありますね。
例えば「二十三夜講」があります。知ったかぶって、「にじゅうさんやこう」などというとヨソモンだなというのは判ってしまいます。
「二十三夜講」は「さんにゃこう」というのですよ。
わたしは以前に聞いたときに「さんにゃこう」を「はんにゃこう(般若講)」と聞き違えたのでした。




さて、赤田地区も、中見沢地区に勝るとも劣らず、戊辰戦争での傷跡(物理的な意味)も残っているというのです。
また、亡くなった加賀藩の遺族が戦後(戊辰戦争後)に、戦死したその地(家)を訪ねて、法要のために位牌をおいていかれたというのです。
それが、春(初夏)のぜんまい採りの真っ最中で、その家の人は多忙時節で、応接が出来ない。
それで、分家のさる家を紹介されたというの話まであるです。(カンケブログなどで勉強しました)


「大芦家」で場所とおうちの人の名前を確認したヒロアキ氏は、「今から行ってみましょうか」と。




入口(昔の土間)には、カスミ草も飾ってあるお家でした。
「はいっとう!」。しかし、アポナシです(笑)。

ヒロアキ氏の説明で、どんどんと様子がわかってくる。と、嫁様(おばあちゃんの一世代下)も、話に加わりました。

そのおばあちゃんのことは、わたしは判りませんでしたが、同じ大芦集落です、両親の名前とか親戚の名前を話すうちに、「そんじゃにっしゃは、○○のどこのが?」と判っていただいたような(^^;

「甚恵先生もな、調べで何回か来てくっちゃだ」
「まぁ、よく来てくっちゃごど」(私のことではないが)というような、ご挨拶をいただく。

(・・このペースだと、大芦であと2、3回続いてしまいそう・・)


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