備忘_110918 ― 2011/09/22 01:48
原発いらない、備忘_110919 ― 2011/09/22 01:49
原発いらない、備忘_110920 ― 2011/09/22 01:53
備忘_WB_110921 ― 2011/09/22 01:55

台風15号_朝 ― 2011/09/22 01:56
台風15号_帰宅 ― 2011/09/22 01:59
JR恵比寿駅夕方
地下鉄で恵比寿駅から中目黒駅まで。電車が駅に着く前で停まった。
東横線が隣りを追い越していった。東横線は大丈夫!と思ったのが間違いだった。
吹きさらしの中目黒プラットホームで待っていると、「いつ運行再開するかがわからない見込みが立ちました」とのアナウンス。
さてどうするか、と考えた。
311の日には安易にバスに乗って数時間をいらいらした。
駅構内はどんどんと人が増えてきた。
それでは、歩いて帰ろうと決めた。
濡れたら困るもの(デジカメと携帯と)をビニール袋で包んでバックに入れた。
バックの中のタオル(旅館昭和館)を出して鉢巻をして、景気をつけた。
わたしは、中目黒駅から出るときにカサはささないことにした。
それでも(畳んであっても)、風でばらけてしまった。
それでも捨てなかったぞ。何故か、けちだから。
ぶっぶー、腰痛もちなので、この風の中ではいつ何時ステッキ代わりに使わないといけない事態が発生し得るかもしれない、と思ったからである。
それでも(畳んであっても)、風でばらけてしまった。
それでも捨てなかったぞ。何故か、けちだから。
ぶっぶー、腰痛もちなので、この風の中ではいつ何時ステッキ代わりに使わないといけない事態が発生し得るかもしれない、と思ったからである。
いざ、と、通りに出るがあまりの雨(というのか)と風とで、駅横の大きなビルの壁に張り付いた。
隣りにも同じ場所に避難した人がいた。暗くなって顔までは見えない。
ビルの角から顔を出すだけで、体がゆすぶられる。
これだけの怖い風は初めてである。
風で怖い思いをしたことは、奥会津に住んでいた幼少の頃、小正月(1月15日か)に母と一緒に大芦の中見沢から山崎の母の実家まで歩いていく時だったことを覚えている。
ホワイトアウトの猛吹雪だったのである。
その時代は、大人の女性は「カクマキ」という毛布のような防寒(防雪)の大きな布をかぶっていた。
まだその頃の時代は、アノラックなどという衣料もなかった。
わたしはおそらく「綿入れ」と呼ばれる上着を着ていたと思われる。
長くなるので、この話は置いときます。
隣りにも同じ場所に避難した人がいた。暗くなって顔までは見えない。
ビルの角から顔を出すだけで、体がゆすぶられる。
これだけの怖い風は初めてである。
風で怖い思いをしたことは、奥会津に住んでいた幼少の頃、小正月(1月15日か)に母と一緒に大芦の中見沢から山崎の母の実家まで歩いていく時だったことを覚えている。
ホワイトアウトの猛吹雪だったのである。
その時代は、大人の女性は「カクマキ」という毛布のような防寒(防雪)の大きな布をかぶっていた。
まだその頃の時代は、アノラックなどという衣料もなかった。
わたしはおそらく「綿入れ」と呼ばれる上着を着ていたと思われる。
長くなるので、この話は置いときます。
そのビルの角から、三人ほどの女性が通りに出ようとしたら、飛ばされた。
一人は数メートル飛んで転んでうずくまった。あっ、と思ったがわたしも動けないのである。
隣にいた男性がやっとのことで駆け寄った。残りの二人が立ち上がっていたので、手を差し伸べた。
その手を握ってビル壁のところまで引き寄せた。
風雨は強烈なままである。件の女性は再びビルの角から通りに出ようとして、再び飛ばされそうになった。
思わず「バカ!こっちだ!」と声を出して腕をつかんで引き寄せた。
こうしてわたしはこの場所で他のうら若い(暗いのでどうだったかが判らない)女性にも罵声を浴びせて、
あ、これも長くなるので、この話は置いときます。
一人は数メートル飛んで転んでうずくまった。あっ、と思ったがわたしも動けないのである。
隣にいた男性がやっとのことで駆け寄った。残りの二人が立ち上がっていたので、手を差し伸べた。
その手を握ってビル壁のところまで引き寄せた。
風雨は強烈なままである。件の女性は再びビルの角から通りに出ようとして、再び飛ばされそうになった。
思わず「バカ!こっちだ!」と声を出して腕をつかんで引き寄せた。
こうしてわたしはこの場所で他のうら若い(暗いのでどうだったかが判らない)女性にも罵声を浴びせて、
あ、これも長くなるので、この話は置いときます。
祐天寺駅まで歩いた。
その道を歩いたことがないので、途中で若い男性と一緒になったので声をかけて尋ねてみた。
方向も道順もあっている。
まあ、線路(高架)を右に見ながら歩けば大体間違いは無いことは知っているのだが、こういうときにはやはり人(他人であっても)に声を掛けたくなるのである。
どうやら、同じく都立大学方面に帰るらしい。
ずっと同じ道行きでもいいのだが、わたしは祐天寺の駅構内に一旦入った。
ビニールに包んだ携帯を出して、とりあえず家族に同報メールをして、Twitterに投稿しておいた。
その道を歩いたことがないので、途中で若い男性と一緒になったので声をかけて尋ねてみた。
方向も道順もあっている。
まあ、線路(高架)を右に見ながら歩けば大体間違いは無いことは知っているのだが、こういうときにはやはり人(他人であっても)に声を掛けたくなるのである。
どうやら、同じく都立大学方面に帰るらしい。
ずっと同じ道行きでもいいのだが、わたしは祐天寺の駅構内に一旦入った。
ビニールに包んだ携帯を出して、とりあえず家族に同報メールをして、Twitterに投稿しておいた。
学芸大学駅まで歩いた。
少し安心してきたので、ビニールに包んだデジカメを出して写してみる。
もう一度、携帯を出して家族に同報メールをして、Twitterに投稿をすると、能天気な返事が返ってきた。
少し安心してきたので、ビニールに包んだデジカメを出して写してみる。
もう一度、携帯を出して家族に同報メールをして、Twitterに投稿をすると、能天気な返事が返ってきた。
さてもう一駅。
おーい、忘れもんだよ! ― 2011/09/22 02:04
おーい、忘れもんだよ!
台風15号、学芸大学駅から隣りの駅までに落ちていたもの。
もう一駅だと思い、学芸大駅を出ると、風はまだあるが雨は止んでしまった。
カメラを出して、気になるモノを写しながら、都立大学まで歩いた。
何が気になったかって、それは「カサ」である。
学芸大駅から目黒通りに出て都立大学駅前までの「カサ」
台風15号、学芸大学駅から隣りの駅までに落ちていたもの。
もう一駅だと思い、学芸大駅を出ると、風はまだあるが雨は止んでしまった。
カメラを出して、気になるモノを写しながら、都立大学まで歩いた。
何が気になったかって、それは「カサ」である。
学芸大駅から目黒通りに出て都立大学駅前までの「カサ」












目黒通りでうずくまっている人がいた。
なにをしているのだろうと、よく見ると、風で落ちた銀杏を拾っていた。
このあたりの目黒通りの街路樹はイチョウの木である。
なにをしているのだろうと、よく見ると、風で落ちた銀杏を拾っていた。
このあたりの目黒通りの街路樹はイチョウの木である。

気をつけてみると、銀杏はこんな形で一つの軸に二つの実をつけている。
一瞬キノコの群生かと思えるほど、ごっそり落ちている場所もあった。
一瞬キノコの群生かと思えるほど、ごっそり落ちている場所もあった。


ある場所では、街路樹(イチョウ)の木の下の土に何故か割り箸がさしてある。
近所の人が何かの種を植えて目印にしているのかもしれない。
よくわからない。
近所の人が何かの種を植えて目印にしているのかもしれない。
よくわからない。




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