別冊

雪の深浅(北越雪譜)2018/01/06 00:54

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪の深浅(しんせん)

 左伝に 隠公八年 平地尺に●(みつる)を大雪と為(す)と見えたるは其国暖地(そのくにだんち)なれば也。唐の韓愈(かんゆ)が雪を豊年の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国の論也。されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑祖(ござつそ)に見えたり。暖国の雪一尺以下ならば山川村里立地(さんせんそんりたちどころ)に銀世界をなし、雪の飄々翩々(へう/\へん/\)たるを観(み)て花に論(たと)へ玉に比(くら)べ、勝望美景(しようぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゆしよくおんりつ)の楽(たのしみ)を添(そ)へ、画(ゑ)に写し詞(ことば)につらねて称翫(しようくわん)するは和漢古今の通例なれども、是雪の浅き国の楽(たのし)み也。我(わが)越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくぢやう)の雪を視(み)ば、何の楽き事かあらん。雪の為に力を尽し財を費(つひや)し千辛(しん)万苦(く)する事、下に説く所を視ておもひはかるべし。

「校註 北越雪譜」野島出版より(P.8~12)

○雪の深浅(しんせん)

|| 【左伝】に 隠公八年 平地尺に●(みつる)を大雪と為(す)と見えたるは其国暖地(そのくにだんち)なれば也。

■『春秋左氏伝』には、隠公八年のくだりに、こんな記述があります。
「平地で一尺も積もれば大雪です」
しかし、これは暖地の国でのことです。

||唐の韓愈(かんゆ)が雪を豊年の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国の論也。

■唐代の文人、韓愈は「雪の降ることは、豊年のめでたいしるし」と書いていますが、
これも暖地だからの話であります。

 【韓愈】(簡便辞書より)
 >>中国、唐代の文人、白居易とともに「韓白」と並び称される。
 >>四六駢儷文を批判し、散文文体(古文)を主張。儒教を尊び、仏教、道教を排撃した。

||されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑祖(ござつそ)に見えたり。

■しかし「(中国の)寒国では8月に雪が降る」ことが『五雑組』には書いてある。

||暖国の雪一尺以下ならば山川村里立地(さんせんそんりたちどころ)に銀世界をなし、
雪の飄々翩々(へう/\へん/\)たるを観(み)て花に論(たと)へ玉に比(くら)べ、
勝望美景(しようぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゆしよくおんりつ)の楽(たのしみ)を添(そ)へ、
画(ゑ)に写し詞(ことば)につらねて称翫(しようくわん)するは和漢古今の通例なれども、
是雪の浅き国の楽(たのし)み也。

■暖かい地方で雪が一尺以下のつもりであれば、あたり一面の銀世界となり、
飄々翩々と雪の舞い踊るのを見れば、それはもう花に譬え宝石に譬えたりして欣喜雀躍。
その景色を愛でることは、酒に女に歌舞音曲の出し物付で、画に描いて詩につくりと、
賞玩することは日本でも中国でも昔ながらの風物でもあります。
しかしこれらの風習は、雪のさほど積もらない地方だからこその楽しみなのです。

||我(わが)越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくぢやう)の雪を視(み)ば、何の楽き事かあらん。

■我が越後の国のように、毎年毎年数メートルにも積もる雪に接すると、何が楽しいものか!と言いたくなってしまうのです。

||雪の為に力を尽し財を費(つひや)し千辛(しん)万苦(く)する事、下に説く所を視ておもひはかるべし。

■雪の為の重労働とその艱難辛苦については、この後から書いてある事々を読んで、想像してみていただきたい。

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