雪吹(ふゞき)(北越雪譜)1/5 ― 2018/01/31 22:33
北越雪譜初編 巻之中
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人百樹 刪定
○雪吹(ふゞき) 1/5
雪吹(ふゞき)は樹(き)などに積りたる雪の風に散乱するをいふ。其状(そのすがた)優美(やさしき)ものゆゑ花のちるを是に比して花雪吹(はなふゞき)とすいて古歌(こか)にもあまた見えたり。是東南寸雪(すんせつ)の国の事也。北方丈雪(ぢやうせつ)の国我が越後の雪深(ふかき)ところの雪吹は雪中の暴風(はやて)、雪を巻騰(まきあぐる)?(つぢかぜ)也。雪中第一の難儀これがために死する人年々也。その一ツを挙(あげ)てこゝに記(しる)し、寸雪の雪吹のやさしきを観(みる)人の為に丈雪の雪吹の愕貽(おそしき)を示す。
・ ・ ・
○雪吹(ふゞき) 1/5
〈雪吹の寸雪の国と丈雪の国の違いについて〉
|| 雪吹(ふゞき)は樹(き)などに積りたる雪の風に散乱するをいふ。其状(そのすがた)優美(やさしき)ものゆゑ花のちるを是に比して花雪吹(はなふゞき)といひて古歌(こか)にもあまた見えたり。是東南寸雪(すんせつ)の国の事也。
■吹雪は、樹木などに積った雪が風に吹かれて散乱する状態をいいます。
その様は花が散る優しい景色として【花吹雪】などといわれて詩歌にも数知れないほど書かれていますが、
それは暖かい東南の3センチほども積るか積らないかのトカイの話です。
||北方丈雪(ぢやうせつ)の国我が越後の雪深(ふかき)ところの雪吹は雪中の暴風(はやて)、雪を巻騰(まきあぐる)●(つぢかぜ)也。
■北国の3メートルも積る越後の国では、深い雪の場所での吹雪は、暴風で雪を巻き上げる台風のようになるのです。
||雪中第一の難儀これがために死する人年々也。
※●(つぢかぜ):“旋風”のような字。
||その一ツを挙(あげ)てこゝに記(しる)し、寸雪の雪吹のやさしきを観(みる)人の為に丈雪の雪吹の愕貽(おそしき)を示す。
■その例の一つをあげて、寸雪の風流しか見たことの無い人に、丈雪の吹雪がどれだけ恐ろしいかを、ここに書いておきましょう。
雪吹(ふゞき)(北越雪譜)2/5 ― 2018/01/31 22:38
北越雪譜初編 巻之中
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人百樹 刪定
○雪吹(ふゞき) 2/5
余が住(すむ)塩沢に遠からざる村の農夫男(せがれ)一人あり、篤実にして善(よく)親に仕(つか)ふ。廿二歳の冬、二里あまり隔たる村より十九歳の娵(よめ)をむかへしに、容姿(すがた)憎(にく)からず、生質(うまれつき)柔従(やはらか)にて糸織(いとはた)の伎(わざ)にも怜利(かしこ)ければ舅姑(しうとしうめ)も可愛(かあい)がり、夫婦の中も睦(むつまし)く家内可祝(めでたく)春をむかへ、其年九月のはじめ安産してしかも男子なれければ、掌中(てのうち)に球(たま)を得たる心地にて家内悦びいさみ、産婦も健(すこやか)に肥立(ひだち)乳汁(ちゝ)も一子に余るほどなれば小児(せうに)も肥太り、可賀(めでたき)名をつけて千歳(ちとせ)を寿(ことぶき)けり。此一家の者すべて篤実なれば耕織(かうしよく)を勤行(よくつとめ)、小農夫(こびやくしやう)なれども貧(まづし)からず、善(よき)男(せがれ)をもち良娵(よめ)をむかへ好(よき)孫をまうけたりとて一村(そん)の人々常に羨(うらやみ)けり。かゝる善人の家に天災(わざわひ)を下ししは如何(いかん)ぞや。
・ ・ ・
○雪吹(ふゞき) 2/5
|| 余が住(すむ)塩沢に遠からざる村の農夫男(せがれ)一人あり、篤実にして善(よく)親に仕(つか)ふ。
■魚沼は塩沢の近郊のとある村の農家に、一人の息子がおりました。
実直で誠実な青年で、大変な親孝行者でした。
||廿二歳の冬、二里あまり隔たる村より十九歳の娵(よめ)をむかへしに、容姿(すがた)憎(にく)からず、生質(うまれつき)柔従(やはらか)にて糸織(いとはた)の伎(わざ)にも怜利(かしこ)ければ舅姑(しうとしうめ)も可愛(かあい)がり、夫婦の中も睦(むつまし)く家内可祝(めでたく)春をむかへ、
■その男は、二十二歳の年の冬に、【二里】ほど離れた隣村から十九歳の嫁を迎えました。
その嫁は、容姿は整い生れついての優しい性格でした。
【糸織(いとはた)】(糸作りや機織)も上手なので舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)も、
とても歓迎して誉められ可愛がられました。
夫婦も仲良く一家はめでたく春を迎えました。
※【二里】:1.3キロメートル程かもしれません。
※【糸織】糸作りと機織(はたおり)は冬の女性の仕事となっていた。
||其年九月のはじめ安産してしかも男子なれければ、掌中(てのうち)に球(たま)を得たる心地にて家内悦びいさみ、産婦も健(すこやか)に肥立(ひだち)乳汁(ちゝ)も一子に余るほどなれば小児(せうに)も肥太り、可賀(めでたき)名をつけて千歳(ちとせ)を寿(ことぶき)けり。
■そして九月の初めには第一子誕生、安産のうえ男の子だったので、まるで掌に宝石を受けたような慶事でありました。
嫁も大過なく産後の肥立ちも良くて、母乳も呑みきれないほど、赤ん坊も丸々としています。
子供の名前は千歳(ちとせ)と、めでたい名前をつけてお祝いをしました。
||此一家の者すべて篤実なれば耕織(かうしよく)を勤行(よくつとめ)、小農夫(こびやくしやう)なれども貧(まづし)からず、善(よき)男(せがれ)をもち良娵(よめ)をむかへ好(よき)孫をまうけたりとて一村(そん)の人々常に羨(うらやみ)けり。
■一家全員が真面目で、田畑の耕しと機織(はたおり)仕事もよく努めます、
小さな農家ですが充分な生活が出来ました。
「孝行息子に器量良しの嫁さま、それに良い孫までなした」と村の人も事あるごとに羨ましがって話しています。
||かゝる善人の家に天災(わざわひ)を下ししは如何(いかん)ぞや。
■こんな善行の幸せな家庭に、災害が降りかかるとは、何という天の采配なのでしょう。
雪吹(ふゞき)(北越雪譜)3/5 ― 2018/01/31 22:42
北越雪譜初編 巻之中
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人百樹 刪定
○雪吹(ふゞき) 3/5
○かくて産後日を歴(へ)てのち、連日の雪も降止(ふりやみ)天気穏(おだやか)なる日、娵(よめ)夫(おつと)にむかひ、今日は親里へ行(ゆか)んとおもふ、いかにやせんといふ。舅(しゆうと)旁(かたはら)にありて、そはよき事也、男(せがれ)も行べし、実母(はゝどの)へも孫を見せてよろこばせ、夫婦して自慢せよといふ、娵はうちゑみつゝ姑(しうとめ)にかくといへば、姑は俄(にはか)に土産(みやげ)など取そろへる間(うち)に娵髪をゆひなどして嗜(たしなみ)の衣類を着し、綿入(わたいれ)の木綿帽子も寒国(かんこく)の習(ならひ)とて見にくからず、児(こ)を懐(ふところ)にいだき入んとするに姑旁よりよく乳(ち)を呑せていだきいれよ、途(みち)にてはねんねがのみにくからんと一言の詞(ことば)にも孫を愛する情(こゝろ)ぞしられける。夫(おつと)は蓑笠(みのかさ)稿(わら)脚衣(はゞき)すんべを穿(はき) 晴天(せいてん)にも蓑(みの)を着(きる)は雪中農夫(のうふ)の常也 土産物を軽荷(かるきに)に担ひ、両親(ふたおや)に暇乞(いとまごひ)をなし夫婦袂(たもと)をつらね喜躍(よろこびいさみ)て立出(たちいで)けり。正(これぞ)親子が一世(いつせ)の別れ、後の悲歎(なげき)とはなりけり。
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○雪吹(ふゞき) 3/5
○かくて産後日を歴(へ)てのち、連日の雪も降止(ふりやみ)天気穏(おだやか)なる日、娵(よめ)夫(おつと)にむかひ、今日は親里へ行(ゆか)んとおもふ、いかにやせんといふ。
■そして子供が生れて数ヶ月も過ぎた頃、毎日降っていた雪も止んで、日も出て腫れたある日、嫁は、「今日は実家に孫見せにでも出かけようと思いますが、どうしましょう」と夫に話しかけました。
||舅(しゆうと)旁(かたはら)にありて、そはよき事也、男(せがれ)も行べし、実母(はゝどの)へも孫を見せてよろこばせ、夫婦して自慢せよといふ、
■舅(じさま)は傍にいたので会話を聞きつけて「それは良いことだ、にしゃ(息子)も行ってこ。
向うのばさま(実母)にも孫見せしたらそれは喜ぶべ。二人して行って自慢してくれば良い」と声をかける。
||娵はうちゑみつゝ姑(しうとめ)にかくといへば、姑は俄(にはか)に土産(みやげ)など取そろへる間(うち)に娵髪をゆひなどして嗜(たしなみ)の衣類を着し、綿入(わたいれ)の木綿帽子も寒国(かんこく)の習(ならひ)とて見にくからず、
■嫁は微笑んで、しゅうとめ様(ばさま)にその事を話しました。
「二人で行って来いと言わっちゃだが、かまねか(構わないですか)」
姑(ばさま)は「それはそれは大変だ(うれしい)」と、みやげ物の準備を始める。
その間に嫁は髪を整えて、よそ行きの着物に着替えて、綿入れ木綿の帽子も被るが、これは雪国の習慣なので全然おかしくないのです。
※伏線が書かれている。
||児(こ)を懐(ふところ)にいだき入んとするに姑旁よりよく乳(ち)を呑せていだきいれよ、途(みち)にてはねんねがのみにくからんと一言の詞(ことば)にも孫を愛する情(こゝろ)ぞしられける。
■そして赤子を懐(ふところ)包みで抱き入れようとすると、ばさまは、
「乳をよく飲ませてから包めよ、途中で歩きながらでは赤子(あかっこ)も呑み難くがべ」
と、しゅうと様の掛ける言葉一つにも、孫をめごがる(可愛かる)気持が出て来てしまいます。
||夫(おつと)は蓑笠(みのかさ)稿(わら)脚衣(はゞき)すんべを穿(はき)
晴天(せいてん)にも蓑(みの)を着(きる)は雪中農夫(のうふ)の常也
■夫のいでたちは、蓑に笠、藁で作った〔はばき(脚絆、きゃはん〕に藁沓(すんべ)を履いています。
※晴天の日でも蓑を着けるのは雪国の農夫はいつもの事なのです。
(これも伏線かも)
||土産物を軽荷(かるきに)に担ひ、両親(ふたおや)に暇乞(いとまごひ)をなし夫婦袂(たもと)をつらね喜躍(よろこびいさみ)て立出(たちいで)けり。
■お土産の品を背負子(しょいこ)に軽々と担いで、両親に出掛けの挨拶をして、夫婦揃って手を繋ぐばかりに喜び勇んで出掛けたのです。
||正(これぞ)親子が一世(いつせ)の別れ、後の悲歎(なげき)とはなりけり。
■これが、親子の今生の別れ、この後に悲しい悲劇になってしまったのです。
雪吹(ふゞき)(北越雪譜)4/5 ― 2018/01/31 22:48
北越雪譜初編 巻之中
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人百樹 刪定
○雪吹(ふゞき) 4/5
さるほどに夫(おつと)は先に立妻は後(あと)にしたがひゆく。をつとつまにいふ、今日は頃日(このごろ)の日和(ひより)也、よくこそおもひたちたれ、今日夫婦孫をつれて来るべしとは親たちはしられ玉ふまじ、孫の顔を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。さればに候、父翁(とつさま)はいつぞや来(きた)られしが母人(かさま)はいまだ赤子(ねんね)を見給はざるゆゑことさらの喜悦(よろこび)ならん、遅(おそく)ならば一宿(とまり)てもよからんか、郎(おまへ)も宿(とまり)給へ。不可也(いや/\)二人とまりなば両親(おやたち)案(あんじ)給はん、われは帰(かへる)べし、などはなしの間(うち)児(こ)の啼(なく)に乳房くゝませつゝうちつれて道をいそぎ美佐嶋(みさしま)といふ原中に到りし時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲空に覆ひければ 是雪中の常也 夫(おつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹ならん、いかゞはせんと踉?(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、●(つちかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峰に登がごとし、朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒地狂(てんいかりちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の槍、凍雪は身を射(いる)箭(や)也。夫(おつと)は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼口襟袖(めくちゑりそで)はさら也。裾(すそ)へも雪を吹いれ、全身凍(こゞえ)呼吸(こきう)迫(せま)り半身は雪に埋められしが、命のかぎりなれば夫婦声をあげほうい/\と哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきゝ)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく、手足凍(こゞへ)て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しに)けり。此雪吹其日の暮に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹に埋(うづめ)られて見えざれども、赤子の啼声を雪の中にきゝければ人々大に怪(あやし)み、おそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、剛気(がうき)の者雪を堀てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらはれ)たり。扨(さて)は昨日の雪吹倒れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を堀、死骸を見るに夫婦手を引(ひき)あひて死(しゝ)居たり。児は母の懐にあり。母の袖児の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや、凍死(こゝえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又声をあげてなきけり。雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(しり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪(なみだ)をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑(みの)につゝみ夫の家に荷(にな)ひゆきけり。かの両親(ふたおや)は夫婦娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひおりしに、死骸を見て一言の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声あげて哭(なき)けるは見るも憐(あはれ)のありさま也。一人の男懐より児をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行の涙をおとしけるとぞ。△里言には雪吹を〔ふき〕といふ、こゝには里言によらず。
・ ・ ・
○雪吹(ふゞき) 4/5
|| さるほどに夫(おつと)は先に立妻は後(あと)にしたがひゆく。
■ 夫が先に立ち、妻がその後をついて行きます。
||をつとつまにいふ、今日は頃日(このごろ)の日和(ひより)也、よくこそおもひたちたれ、今日夫婦孫をつれて来るべしとは親たちはしられ玉ふまじ、孫の顔を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。さればに候、父翁(とつさま)はいつぞや来(きた)られしが母人(かさま)はいまだ赤子(ねんね)を見給はざるゆゑことさらの喜悦(よろこび)ならん、遅(おそく)ならば一宿(とまり)てもよからんか、郎(おまへ)も宿(とまり)給へ。
■〈夫〉「今日はよく晴れた絶好の日和だ、良くぞ思い立ってくれましたね。
まさか夫婦揃って孫を抱いてくるとは親たちも思わぬことに吃驚するでしょう。
孫の顔を見たらさぞやお喜びになるだろうね」。
〈妻〉「とっさま(父)は先だって来ましたが、
かさま(義母)はまだ赤ちゃんの顔も見ていないので殊更喜びましょう。
遅くなりそうならば一泊しましょうか、貴方(夫)もお泊りになればよい」。
||不可也(いや/\)二人とまりなば両親(おやたち)案(あんじ)給はん、われは帰(かへる)べし、などはなしの間(うち)児(こ)の啼(なく)に乳房くゝませつゝうちつれて道をいそぎ美佐嶋(みさしま)といふ原中に到りし時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲空に覆ひければ 是雪中の常也
■〈夫〉「いやいや、二人泊って帰らなかったら親たち(夫の両親)が心配するだろう。
わたしは帰ることにしておこう」。
などと話をしながら、赤ん坊がむずがると歩きながら乳房を含ませたりして歩を進めていくました。
そして、美佐嶋(みさしま、現六日町美佐島)という原っぱまで行った時でした。
天候が急変、にわかに黒雲が空を覆ったのでした。
※これは、雪国の冬にはよくあることです。
||夫(おつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹ならん、いかゞはせんと踉?(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、●(つちかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峰に登がごとし、
■夫は空を見て「これは大変、フキ(吹雪)になるぞ。どうしようか」
と躊躇っているうちに、暴風が雪を吹き散らして、旋風が雪を巻き上げるさまです。
まるで大波が岩を越える波涛のごとく、白竜が山峰を登っていく景色です。
||朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒地狂(てんいかりちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の槍、凍雪は身を射(いる)箭(や)也。
■のどかな晴天がいきなり天は怒り地が狂ったような変わり様。
寒風は肌に突き刺す槍となって、凍雪は体を射る矢のようです。
||夫(おつと)は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼口襟袖(めくちゑりそで)はさら也。
裾(すそ)へも雪を吹いれ、全身凍(こゞえ)呼吸(こきう)迫(せま)り半身は雪に埋められしが、
■夫は蓑笠も吹飛ばされて、妻は綿入帽子を吹き千切られて髪の毛も吹き乱されて、あっという間に目や口や襟首、袖口どころか裾も捲くれて雪が付着し、全身が凍える寒さで呼吸困難、半身は雪に埋まってしまいました。
||命のかぎりなれば夫婦声をあげほうい/\と哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきゝ)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく、
■これでは死んでしまうと、夫婦は、ほういほういと声の限りに叫びました。
しかし、ほかに行き来する人もいません。近くには人家も無く、聞きつける人もいませんでした。
||手足凍(こゞへ)て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しに)けり。
■手足は凍えて枯木のように暴風で吹き倒されて、夫婦は頭を並べるようにして雪中に倒れて死んでしまいました。
||此雪吹其日の暮に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹に埋(うづめ)られて見えざれども、赤子の啼声を雪の中にきゝければ人々大に怪(あやし)み、おそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、
■この吹雪はその日の夕方には止んでしまいました。
そして翌日はまた晴天でした。
そこを近隣の村の四、五人の若者が通りかかりましたが、夫婦のなきがら(亡骸)は雪の下なので見えません。
ところが、雪の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのです。
人びとはとても怪しんで、怖くなってその場所から逃げようとする人もいました。
※若者とは、後の文章に書いてあります。
||剛気(がうき)の者雪を堀てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらはれ)たり。
■度胸のある気の強い人が雪を掘ってみました。
すると、先ず女の髪の毛が出てきたのです。
||扨(さて)は昨日の雪吹倒れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を堀、死骸を見るに夫婦手を引(ひき)あひて死(しゝ)居たり。
■「さては昨日のふきだおれ(雪吹倒れ)だろう」
と全員で雪を掘り始めました。すると、夫婦者が手を引き合ったまま死んでいたのです。
||児は母の懐にあり。
■赤ん坊は、母の懐に入っていたのです。
||母の袖児の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや、凍死(こゝえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又声をあげてなきけり。
■母の振袖が赤ん坊の頭を覆っていたので、赤ん坊の体には雪が着かなかったので凍死する事を免れたのです。
両親の死骸の間で、再び泣き声をあげました。
||雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(しり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪(なみだ)をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑(みの)につゝみ夫の家に荷(にな)ひゆきけり。
■雪中の死体は生きているようにそのままなので、顔見知りの人がいて、これはどこどこの夫婦者だと判りました。
我が子をかばって袖で覆い、夫婦は手を離さずに死んだその気持を想いやると、さすがの若者たちも涙を流しました。
赤ん坊は懐に入れて、死骸は蓑で包んで、夫の家まで担いで行きました。
||かの両親(ふたおや)は夫婦娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひおりしに、死骸を見て一言の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声あげて哭(なき)けるは見るも憐(あはれ)のありさま也。
■夫の両親の家では、「さては二人して嫁の家に泊った」とばかり思い込んでいたので、亡骸を見て言葉も失いました。
二人の死骸に取り付いて頬ずりして大声で慟哭する、見るも憐れです。
||一人の男懐より児をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行の涙をおとしけるとぞ。
■一人の若者が、懐に入れていた赤ん坊をしゅうと(夫の母)に渡しました。
大きな悲しみの中とさてもの一つの喜びとで、両方の涙を流したそうです。
||△里言には雪吹を〔ふき〕といふ、こゝには里言によらず。
■里言では、雪吹(ふぶき)を【ふき(吹き)】と言いますが、ここでは雪吹としました。
※ふき(吹き)は、越後の国だけではなく、奥会津地方でも〔ふき〕と言います。
また、それで無くなった人を〔ふきだおれ〕とも言う。
「どこどこで、ふきだおれがあった」
雪吹(ふゞき)(北越雪譜)5/5 ― 2018/01/31 22:52
北越雪譜初編 巻之中
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人百樹 刪定
○雪吹(ふゞき) 5/5
雪吹(ふゞき)の人を殺す事大方右に類す、暖地の人花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞(びしやう)する雪吹と其異(ことなる)こと、潮干(しほひ)に遊びて楽(たのしむ)と洪涛(つなみ)に溺(おぼれ)て苦(くるしむ)との如し。雪国の難儀暖地の人おもひはかるべし。連日の晴天も一時に変じて雪吹となるは雪中の常也。其力(ちから)樹(き)を抜(ぬき)家を折(くじく)。人家これが為に苦(くるし)む事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪吹に逢(あひ)たる時は雪を堀(ほり)身を其内に埋(うづむ)れば雪暫時につもり、雪中はかへつて温(あたゝか)なる気味ありて且(かつ)気息(いき)を漏(もら)し死をまぬがるゝ事あり。雪中を歩(ほ)する人陰嚢(いんのう)を綿にてつゝむ事をす、しかざれば陰嚢まづ凍(こほり)て精気尽る也。又凍死(こゞえしゝ)したるを湯火(たうくわ)をもつて温(あたゝむ)れば助(たすか)る事あれども武火(つよきひ)熱湯(あつきゆ)を用ふべからず。命たすかりたるのち春暖にいたれば腫病(はれやまひ)となり、良医も治(ぢ)しがたし。凍死(こゞえしゝ)たるはまづ塩を●(煎、いり)て布に包(つゝみ)、しば/\臍(へそ)をあたゝめ、藁火(わらび)の弱(よわき)をもつて次第に温(あたゝむ)べし。助(たすか)りたるのち病(やまひ)を発せず。 人肌(ひとはだ)にて温(あたゝ)むはもつともよし。 手足の凍へたるも強き湯火(たうか)にてあたゝむれば、陽気いたれば灼傷(やけど)のごとく腫(はれ)、つひに腐(くさり)て指をおとす、百薬功なし。これ我が見たる所を記して人に示す。人の凍死(こゞえし)するも手足の亀手(かゞまる)も陰毒(いんどく)の血脈(けちみやく)を塞ぐの也。俄(にはか)に湯火(たうくわ)の熱を以て温(あたゝむ)れば人精(じんせい)の気血をたすけ、陰毒一旦解(とく)るといへども全く去(さら)ず、陰は陽に勝(かた)ざるを以て陽気至(いた)ば陰毒肉に暈(しみ)て腐(くさる)也。寒中雨雪(うせつ)に歩行(ありき)て冷(ひえ)たる人急に湯水を用ふべからず。己が人熱の温(あたゝか)ならしむるをまつて用ふべし、長生(ちやうせい)の一術なり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.39~44)
・ ・ ・
○雪吹(ふゞき) 5/5
|| 雪吹(ふゞき)の人を殺す事大方右に類す、暖地の人花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞(びしやう)する雪吹と其異(ことなる)こと、潮干(しほひ)に遊びて楽(たのしむ)と洪涛(つなみ)に溺(おぼれ)て苦(くるしむ)との如し。
■吹雪で死人が出るのは、あらかたは以上に書いたような事に依るのです。
トカイの人が散る花の風流を愛でる吹雪とは全く様相が違うのです。
それは、行楽の潮干狩りを楽しむのと、津波に溺れて災難にあうのとくらいの違いなのです。
||雪国の難儀暖地の人おもひはかるべし。連日の晴天も一時に変じて雪吹となるは雪中の常也。其力(ちから)樹(き)を抜(ぬき)家を折(くじく)。人家これが為に苦(くるし)む事枚挙(あげてかぞへ)がたし。
■雪国の難儀について、想像してみて下さい。
毎日晴天が続いていてもある時に急変して吹雪となるのは雪中ではよくあることなのです。
その強さは木を引き抜くし家は倒壊するほどなのです。
人も家もこの吹きに苦しむ事例は枚挙のいとまが無いほどなのです。
||雪吹に逢(あひ)たる時は雪を堀(ほり)身を其内に埋(うづむ)れば雪暫時につもり、雪中はかへつて温(あたゝか)なる気味ありて且(かつ)気息(いき)を漏(もら)し死をまぬがるゝ事あり。
■吹雪に遭った時には、雪を掘ってその中に入れば雪が次第に積っていくので、その中は却って暖かく呼吸をする隙間もできるので、助かることもあります。
※吹雪にあったときには雪を掘ってビバークするのがよいです、雪で埋もれれば体温低下を免れます。
呼吸出来る空間(口鼻が雪に直接触らないように)だけは確保しましょう。
||雪中を歩(ほ)する人陰嚢(いんのう)を綿にてつゝむ事をす、しかざれば陰嚢まづ凍(こほり)て精気尽る也。
■寒冷状態で歩行移動する場合は、最悪でもきんたまだけは凍らないようにします。
そうしないと一番先に凍ってしまい、生気を失ってしまいます。
陰嚢は自律生体反応でそれなりの温度調整機能がありますが、それが間に合わない急冷現象があると凍ってしまいやすい形状ともいえます。←こら、そうは書いていない!
||又凍死(こゞえしゝ)したるを湯火(たうくわ)をもつて温(あたゝむ)れば助(たすか)る事あれども武火(つよきひ)熱湯(あつきゆ)を用ふべからず。命たすかりたるのち春暖にいたれば腫病(はれやまひ)となり、良医も治(ぢ)しがたし。
■凍えた場合には暖めるのが処置方法の一つですが、熱すぎる火や熱湯は使わないでください。命は助かりますが、後になって腫瘍などは専門医にかかっても完治しません。
||凍死(こゞえしゝ)たるはまづ塩を●(煎、いり)て布に包(つゝみ)、しば/\臍(へそ)をあたゝめ、藁火(わらび)の弱(よわき)をもつて次第に温(あたゝむ)べし。
■凍えたときには、先ず塩を煎って布に包んで臍の辺り(臍下丹田か)にあててゆっくり温めます、藁を燃やした弱いほの火などでゆっくりと温めます。
||助(たすか)りたるのち病(やまひ)を発せず。
人肌(ひとはだ)にて温(あたゝ)むはもつともよし。
■この様にすると、後遺症が出にくくなります。一番良いのは、人肌で温めることです。
||手足の凍へたるも強き湯火(たうか)にてあたゝむれば、陽気いたれば灼傷(やけど)のごとく腫(はれ)、つひに腐(くさり)て指をおとす、百薬功なし。
■手足が凍えた場合も(あ、この↑上までは手足のことぢゃないのです)、強火や熱湯などで温めると、後になって火傷のようになって腫れたり、凍傷となって指が壊死しますので、結果として効果がありません。
||これ我が見たる所を記して人に示す。
■ホントですよ、自分はそれを見ているんですから。命あってのものだね、
||人の凍死(こゞえし)するも手足の亀手(かゞまる)も陰毒(いんどく)の血脈(けちみやく)を塞ぐの也。
■人が凍死してしまうのも、寒さで手足がひび割れる(亀手、きんしゅ)のも陰毒が血管を塞いでしまうからなのです。
||俄(にはか)に湯火(たうくわ)の熱を以て温(あたゝむ)れば人精(じんせい)の気血をたすけ、毒一旦解(とく)るといへども全く去(さら)ず、陰は陽に勝(かた)ざるを以て陽気至(いた)ば陰毒肉に暈(しみ)て腐(くさる)也。
■急に湯や火の熱で暖めるとその時には血管の機能的には、一旦血のめぐりが戻ったように思いますが、決して回復していないのです。
陰が陽に勝つことはないので、急激な陽に出会うと、陰毒は内側に染み入って腐るのです。
||寒中雨雪(うせつ)に歩行(ありき)て冷(ひえ)たる人急に湯水を用ふべからず。己が人熱の温(あたゝか)ならしむるをまつて用ふべし、長生(ちやうせい)の一術なり。
■寒冷地の雨や雪の中を歩いて冷え切った人をもてなすにも、急に湯に入れたりしては逆効果なのです。
先ずはその人の体内の熱が暖かく落着いてから使うのです。
これは長生きの為のひけつでもあります。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.39~44)
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