別冊

「に」の字2018/01/06 00:25

「に」の字


2018年1月3日のことでした(on Facebook)

■こんな投稿をしてみた■

素養無しで無謀なことをはじめた(二年越しで考え中(笑)こら)。
おそらく(殆ど)基本的なひらがな文字が読めないのです。
画像中の文言、ご存知の方、教えてください!
||○験微鏡(むしめがね)を以て雪状(ゆきのかたち)を審(つまびらか)●視(み)たる図(づ)
||此図ハ雪花図説(せつくわづせつ)の高撰(かうせん)中に在る所、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の
||内を謄写(すきうつ)し、是則(すなハち)江戸の雪之万里をへだてたる
||紅毛(をらんだ)の雪も●●ふ同じ記物ある事高撰(かうせん)中
||●詳(つまびらか)にし以て天の无量(むりょう)●●を知るべし。
(ヒント)
北越雪譜初編 巻之上(鈴木牧之 編撰 京山人百樹 刪定)図(P.10~11)
|| 凡(およそ)物を見るに眼力の限りありて其外(そのほか)を見るべからず。されば人の肉眼を以、雪をみれば一片(ひとひら)の【鵞毛(がまう)】のごとくなれども、数(す)百片(へん)の雪花(ゆき)を併合(よせあはせ)て一片(へん)の鵞毛を為(なす)也。是を【験微鏡(むしめがね)】に照し見れば天造(てんざう)の細工したる雪の形状(かたち)奇々(きゝ)妙々なる事下に図(づ)するが如し。其形の斉(ひとし)からざるは、かの冷際に於て雪となる時冷際の気運ひとしからざるゆゑ、雪の形気に応じて同じからざる也。しかれども肉眼のおよばざる至微物(こまかきもの)ゆゑ、昨日(きのふ)の雪も今日(けふ)の雪も一望の【白糢糊(はくもこ)】を為(なす)のみ。下の図は天保三年【許鹿君きょろくくん)】の高撰雪花図説(かうせんせつくわづせつ)に在る所、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の内を謄写(すきうつし)にす。

■M子さんから、コメントがあった■

最初の●は「に」です。
なので、そのあとは「●●ふ」ではなく、「●●に」です。ここの●●はわかりません。
そしてそのつぎも「に」です。
さいごは「たる」では?
私もうろ覚えですいません。

■・・応答■

ありがとうございます、すごい!

確かに“最初の●は「に」”が読めると、いきなり文章が繋がりました!
||紅毛(をらんだ)の雪も「●●に」同じ記物ある事高撰(かうせん)中
だと、
//紅毛(をらんだ)の雪も「ときに」同じ記物ある事高撰(かうせん)中
と読むと、
]]オランダの雪に言及した書き物にも、ときたま、同じような記述のある・・云々・・・
と、文意まで敷衍できそうです(^^;

先ずは、この本の中の図中にある文章は、「に」(「似」から来ている?)に注意してみることにします。

■・・M子さん■

以前ちょっとだけ勉強していたので。●●も見覚えあるんだけど、忘れちゃいました😖「に」は「尓」という字が元だったような…




■コメント■

ここまでの理解です(^^;
||○験微鏡(むしめがね)を以て雪状(ゆきのかたち)を審(つまびらか)「に」視(み)たる図(づ)
||此図ハ雪花図説(せつくわづせつ)の高撰(かうせん)中に在る所、雪花(せつくわ)五十五品(ひん)の
||内を謄写(すきうつ)し、是則(すなハち)江戸の雪之万里をへだてたる
||紅毛(をらんだ)の雪も「●●に」同じ記物ある事高撰(かうせん)中
||「に」詳(つまびらか)にし以て天の无量(むりょう)「たる」を知るべし。

雪の深浅(北越雪譜)2018/01/06 00:54

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪の深浅(しんせん)

 左伝に 隠公八年 平地尺に●(みつる)を大雪と為(す)と見えたるは其国暖地(そのくにだんち)なれば也。唐の韓愈(かんゆ)が雪を豊年の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国の論也。されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑祖(ござつそ)に見えたり。暖国の雪一尺以下ならば山川村里立地(さんせんそんりたちどころ)に銀世界をなし、雪の飄々翩々(へう/\へん/\)たるを観(み)て花に論(たと)へ玉に比(くら)べ、勝望美景(しようぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゆしよくおんりつ)の楽(たのしみ)を添(そ)へ、画(ゑ)に写し詞(ことば)につらねて称翫(しようくわん)するは和漢古今の通例なれども、是雪の浅き国の楽(たのし)み也。我(わが)越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくぢやう)の雪を視(み)ば、何の楽き事かあらん。雪の為に力を尽し財を費(つひや)し千辛(しん)万苦(く)する事、下に説く所を視ておもひはかるべし。

「校註 北越雪譜」野島出版より(P.8~12)

○雪の深浅(しんせん)

|| 【左伝】に 隠公八年 平地尺に●(みつる)を大雪と為(す)と見えたるは其国暖地(そのくにだんち)なれば也。

■『春秋左氏伝』には、隠公八年のくだりに、こんな記述があります。
「平地で一尺も積もれば大雪です」
しかし、これは暖地の国でのことです。

||唐の韓愈(かんゆ)が雪を豊年の嘉瑞(かずゐ)といひしも暖国の論也。

■唐代の文人、韓愈は「雪の降ることは、豊年のめでたいしるし」と書いていますが、
これも暖地だからの話であります。

 【韓愈】(簡便辞書より)
 >>中国、唐代の文人、白居易とともに「韓白」と並び称される。
 >>四六駢儷文を批判し、散文文体(古文)を主張。儒教を尊び、仏教、道教を排撃した。

||されど唐土(もろこし)にも寒国は八月雪降(ふる)事五雑祖(ござつそ)に見えたり。

■しかし「(中国の)寒国では8月に雪が降る」ことが『五雑組』には書いてある。

||暖国の雪一尺以下ならば山川村里立地(さんせんそんりたちどころ)に銀世界をなし、
雪の飄々翩々(へう/\へん/\)たるを観(み)て花に論(たと)へ玉に比(くら)べ、
勝望美景(しようぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゆしよくおんりつ)の楽(たのしみ)を添(そ)へ、
画(ゑ)に写し詞(ことば)につらねて称翫(しようくわん)するは和漢古今の通例なれども、
是雪の浅き国の楽(たのし)み也。

■暖かい地方で雪が一尺以下のつもりであれば、あたり一面の銀世界となり、
飄々翩々と雪の舞い踊るのを見れば、それはもう花に譬え宝石に譬えたりして欣喜雀躍。
その景色を愛でることは、酒に女に歌舞音曲の出し物付で、画に描いて詩につくりと、
賞玩することは日本でも中国でも昔ながらの風物でもあります。
しかしこれらの風習は、雪のさほど積もらない地方だからこその楽しみなのです。

||我(わが)越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくぢやう)の雪を視(み)ば、何の楽き事かあらん。

■我が越後の国のように、毎年毎年数メートルにも積もる雪に接すると、何が楽しいものか!と言いたくなってしまうのです。

||雪の為に力を尽し財を費(つひや)し千辛(しん)万苦(く)する事、下に説く所を視ておもひはかるべし。

■雪の為の重労働とその艱難辛苦については、この後から書いてある事々を読んで、想像してみていただきたい。

雪意(ゆきもよひ)(北越雪譜)2018/01/06 22:50

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪意(ゆきもよひ)

 我国の雪意(ゆきもよひ)は暖国に均しからず。およそ九月の半ばより霜を置て寒気次第に烈しく、九月の末に至ば殺風(さつふう)肌(はだへ)を侵(をかし)て冬枯(ふゆがれ)の諸木葉を落し、天色(てんしょく)霎(せふ/\)として日の光を看ざる事連日、是雪の意(もよほし)なり。天気朦朧(もうろう)たる事数日(すじつ)にして遠近の高山(かうざん)に白(はく)を点(てん)じて雪を観(み)せしむ、これを里言(さとことば)に嶽廻(たけまはり)といふ。又海ある所は海鳴(うみな)り、山ふかき処は山なる。遠雷の如し。これを里言に胴鳴(どうな)りといふ。これを見、これを聞(きゝ)て、雪の遠からざるをしる。年の寒暖につれて時日(じじつ)はさだかならねど、たけまはり、どうなりは秋の彼岸前後にあり。毎年かくのごとし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.12~13)

 ・ ・ ・

 ○雪意(ゆきもよひ)

■○雪のきざし

|| 我国の【雪意(ゆきもよひ)】は暖国に均しからず。

■越後の国の雪のきざしは、暖国とは異なります。

||およそ九月の半ばより霜を置て寒気次第に烈しく、九月の末に至ば殺風(さつふう)肌(はだへ)を侵(をかし)て冬枯(ふゆがれ)の諸木葉を落し、天色(てんしょく)霎(せふ/\)として日の光を看ざる事連日、是雪の意(もよほし)なり。

■だいたい九月(旧暦)中旬から霜が降りて、寒さは次第に厳しくなってきます。
九月も末頃になると、吹く風は肌に冷たく、木々や草は葉を落として冬枯れとなります。
空はどんよりと曇空、ものさみしい景色となり、日光を見ない日が連日続くのです。
これが、雪の季節の到来の兆しです。

||天気朦朧(もうろう)たる事数日(すじつ)にして遠近の高山(かうざん)に白(はく)を点(てん)じて雪を観(み)せしむ、これを里言(さとことば)に【嶽廻(たけまはり)】といふ。又海ある所は【海鳴(うみな)り】、山ふかき処は山なる。遠雷の如し。これを里言に【胴鳴(どうな)り】といふ。これを見、これを聞(きゝ)て、雪の遠からざるをしる。

■空色は朦朧とした灰色の日が数日続くと、遠近の高い山の上が白くなりそこに雪が降ったことがわかります。
これを越後の里の言葉で、嶽廻(たけまわり)と言います。
海の近くでは海鳴(うみなり)がして、深山では山が鳴ります。
遠雷のような音がするのです。このことを、越後では胴鳴(どうなり)と言います。
この景色をみてその音を聴くと、そろそろ里にも雪が降ることを知るのです。

||年の寒暖につれて時日(じじつ)はさだかならねど、【たけまはり】、【どうなり】は秋の彼岸前後にあり。毎年かくのごとし。

■その年毎の気候の違いがあるので、何月何日とまでは判りませんが、
高山山頂の雪(嶽廻)や山鳴り(胴鳴)は大抵は、秋の彼岸の前後にあたります。
毎年このようになるのです。



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