別冊

160501_奥会津昭和村下中津川にて2016/05/15 22:30

2016年5月1日、野尻からの帰り。
下中津川にて、熊野神社の参道近く。
ここに、「ミナトヤ」にあった素晴らしい色の桜の苗をシンイチさんが移植したらしい、というので立ち寄ってみた。

160501_奥会津昭和村下中津川にて


ちょうどシンイチさんも、外にいらっしゃって立ち話。
何本かが根付いたらしい。

この右の大木は、二十数年前に移植したものだという。
この桜の花の色が素晴らしいのだそうです。
わたしは毎年、GW(春のゴールデンウィーク)には一度は歩いて散歩しているので、その桜の満開を見ているはずなのである。
ことしは、既に緑の葉に変わっている。


本名一作氏作詞の碑。
字体はご本人ではないらしい。
そして、この詞の書物自体は見つかっていない、というのでした。

「人々がみんな 心の内が素直であれば この世の中に 鬼などはいないのですよ」というようなことが書かれています。
世の中に鬼がいるのは何故でしょうと、優しいようでいて、実は怖いことが書かれているのではないでしょうか。




近所で畑仕事をしていたムツ子さんが、家内と義姉に「寄ってお茶でも飲めー」というので、初めて家にお邪魔する。
ムツ子姉も、昭和館の先代束原宗司氏の妻ヤマト姉(2015年春に亡くなられました)のごく近しい親戚筋の方。






これが、第二次世界大戦後に、GHQの指導で(それとも地元の人とか県が慮ってか)熊野神社の石碑の「村社」という文字をセメント(コンクリート)で塗りつぶした跡だというのです。
脇を見ると、この石碑が建ったのは、昭和5年。とありました。

160501_奥会津昭和村野尻にて2016/05/14 12:42

2016年05月01日、平年であれば桜満開の節。

雪もないが、昭和村は寒い雨もよいでした。
雨の日に畑や田んぼの野良仕事をする人はいない。
野尻の佐藤庄一さんの家に遊びに行く。
ご自宅の玄関(入口)をギャラリーにして、日本画(美人絵)を飾っているというので、それを見に行く口実でした。

160501_奥会津昭和村野尻にて





庄一さんの奥様、信子姉は昭和館の先代の束原宗司氏の妹、昭和2年生まれ。
庄一さんは、大正時代のお生まれ。ご兄弟は9人の長男。
なんとそのご兄弟とそれぞれの配偶者の方々は一人として欠けることなく皆さんがご健在。
「オレらが先に逝かねーと、兄弟てー(たち)も悪がって遠慮してんのやー」と笑い飛ばす。
村内では、最高年齢の運転免許保持者だそうです。




お二人とも、「耳がとおくなって」とかおっしゃるが、全く明晰な素晴らしい記憶力なのです。
絵は30年ほど描き続けていらっしゃるという。雅号は「庄石」。
さきの戦争では東南アジアに出征、戦後に帰還してからは、農業の傍ら生業として色々な仕事をされたという。
壁屋(土蔵の壁や漆喰壁作り)の時代が長かったという。

「若い頃は東京に行ってて、あれはなぁ、大正12年9月1日だべ」
「えっ関東大震災ですか」
「それや、9月1日正午過ぎだ」
その復興景気の仕事で、壁作り、左官業の見習いをされていたそうです。
とスラスラと出てくるのです。

昭和村に初めて出来た写真館は、大芦集落にただ一軒あったあったことやその系譜。
野尻の某氏は、本名一作村長の娘に横恋慕していたこととか、信子姉にかかると、戦前の村中のゴシップ話も出てくるのです。
もう80年も昔の事ですので、時効として書かせていただきます(笑)



あれ、これは?

家人が「わー素敵、この絵!」と言う。
「斉藤清だぞ、これは」とわたしが言う。
そうです、斉藤清さんの版画です。
わたしは何故か最近、実物の絵ではないが、斉藤清さんの絵に書かれているサイン(英字・ローマ字)を記憶するほどに見る機会が合ったのです。
だから、断言出来た。

庄一さんがご自分で描かれた絵をずらっと並べた壁面のすぐそばに飾ってあるのです。
柿の木の冬の風景は昭和村の景色ではないかもしれない。
レプリカではなさそうだが、版画はオリジナルが一品しかないということはないので、そのお宝鑑定団的な価値は分らない。
が、庄一さん(と信子さん)の若かりし頃の気持ちが入っているのではないかと思ったのでした。
わたしが思い入れで「この蔵の壁は、庄一さんが作られたものだぞ!」と言ったら、疑う人はいらっしゃるでしょうか!(笑)

断言しよう。信子さんにとっては、この蔵は見るたびに「昭和館の蔵」を想起するに違いないのだ。



160321_かんなちゃん2016/04/02 01:51


160321_かんなちゃん




ヴィーガニックな御彼岸弁当をいただきました。



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