別冊

雪中の火(北越雪譜)1/32018/02/02 00:50

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪中の火 1/3

 世に越後の七不思議と称する其一ツ蒲原郡(かんばらこほり)妙法寺村の農家炉中の隅石臼(すみいしうす)の孔(あな)より出(いづ)る火、人皆(みな)奇也として口碑につたへ諸書に散見す。此火寛文年中始(はじめ)て出(いで)しと旧記に見えたれば、三百余年の今において絶(たゆ)る事なきは奇中の奇也。天奇を出す事一ならず。おなじ国の魚沼郡(こほり)に又一ツの奇火(きか)を出せり。天公(てんたうさま)の機状(からくりのしかけ)かの妙法寺村の火とおなじ事也。彼は人の知る所、是は他国の人のしらざる所なればこゝに記(しるし)て話柄(はなしのたね)とす。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.45~47)

 ・ ・ ・

 ○雪中の火 1/3

|| 世に越後の七不思議と称する其一ツ蒲原郡(かんばらこほり)妙法寺村の農家炉中の隅石臼(すみいしうす)の孔(あな)より出(いづ)る火、人皆(みな)奇也として口碑につたへ諸書に散見す。

■ 〔越後の七不思議〕といわれるその一つに、「蒲原郡妙法寺村の隅石臼」がある。
それは妙法寺村の農家の竈の傍の隅石臼の穴から火が燃えているのです。
この話は不思議なこととして、言い伝わり諸書にも見かけます。

||此火寛文年中始(はじめ)て出(いで)しと旧記に見えたれば、三百余年の今において絶(たゆ)る事なきは奇中の奇也。天奇を出す事一ならず。

■この火は寛文時代の頃に初めて火が出てきたと、古文書にもあるので既に三百年経過しても萌えつづけているという奇妙な事例です。
天がこのような奇瑞を顕すのは一つではない。

||おなじ国の魚沼郡(こほり)に又一ツの奇火(きか)を出せり。天公(てんたうさま)の機状(からくりのしかけ)かの妙法寺村の火とおなじ事也。彼は人の知る所、是は他国の人のしらざる所なればこゝに記(しるし)て話柄(はなしのたね)とす。

■同じく越後の国は魚沼郡にも不思議な火を出している場所があるのです。
お天道様の仕掛けは、妙法寺村の火と同じ仕組みです。
妙法寺村の火は有名ですが、魚沼郡の火のことは他所には知られていないのでここに話のタネとしてご紹介しましょう。



石油のこと2018/02/02 00:54

吉村昭氏の「虹の翼」に書かれている石油の話。

 石油のことが初めて記録されたのは、「日本書紀」である。
(《虹の翼》P.307)

 天智天皇七年(六六八)のくだりに、「越國獻燃土與燃水」とある。越国とは越後(新潟県)で、撚土は石炭、撚水とは石油のことである。さらに、「和訓栞」によると、石油は臭水(くさみず)といわれ、黒川村の十間四方の池に臭水がうかんでいることが記されている。が、それは灯火などに使うことなく、神秘的なものとして扱われているにすぎなかった。
(《虹の翼》P.307)

 江戸時代に入ると、正保元年(一六四四)に真柄仁兵衛という男が、越後の蒲原(かんばら)郡柄目木村で石油が出ることを確認した。かれは、二年後に南蒲原郡妙法寺村の庄右衛門という旧家の敷地内で、地中から異様なガスが出ているのを見出した。かれは、試みにそれに火を近づけたところさかんに燃えはじめたので、大いに喜んだ。そして、その湧出孔のところに臼をかぶせ、臼に穴をうがって竹筒を突き入れ、筒から出るガスに点火した。その火の明るさは、三百目ローソクと同じ程度であったという。
(《虹の翼》P.307)

 幕末になると、石油の存在が外国人の口からひろくつたわった。岸田吟香は、医師ヘボンに師事して辞書の編纂にしたがっていたが、ヘボンに越後の臭水のことを話した。ヘボンは、それは石油かも知れぬと言い、岸田はすぐに越後から取り寄せ、鑑定を求めるためアメリカへ送った。その結果、それはペンシルバニア産のものよりも上質の石油であることがあきらかにされた。ついで、越後の人である石坂周造が、新潟県の石油について鋭意研究し、明治六年、油井を開く機械をアメリカから買い入れ、石油採取に着手した。
(《虹の翼》P.307~308)

 その頃にはアメリカのスタンダード社から石油が輸入されるようになり、明治七年にはランプも輸入されて灯火油として普及していった。しかし、木造家屋ばかりの日本では使用をあやまって火災事故が続発し、安達徳基が発火性の少ない安全火止石油と称するものを売り出したりした。石油は灯火用とされていたが、石油発動機はすでに明治十七年に初輸入されていた。忠八は、そのことに気づいてはいなかった。
(《虹の翼》P.308)

『虹の翼』吉村昭・文春文庫より

www.kkjin.co.jp/boso010_131118.htm


雪中の火(北越雪譜)2/32018/02/02 01:02

雪中の火(北越雪譜)2/3

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪中の火 2/3

 越後の魚沼郡五日町といふ駅に近き西の方に低き山あり、山の裾に小溝在(あり)、天明年中二月の頃、そのほとりに童(わらべ)どもあつまりてさま/”\の戯(たはむれ)をなして遊倦(あそびうみ)、木の枝をあつめて火を焚(たき)てあたりをりしに、其所よりすこしはなれて別に火?々(えん/\)と燃(もえ)あがりければ、児曹(こどもら)大におそれ、皆々四方に逃散(にげちり)けり。その中に一人の童(わらべ)家にかへり事の仔細を親に語(かたり)けるに、此親心ある者にてその所にいたり火の形状(かたち)を見るに、いまだ消(きえ)ざる雪中に手を入るべきほどの孔(あな)をなし孔より三四寸の上に火燃(もゆ)る。熟覧(よく/\みて)おもへらく、これ正(まさ)しく妙法寺村の火のるゐなるべしと火口(ひぐち)に石を入れてこれを消し家にかへりて人に語(かたら)ず、雪きえてのち再(ふたゝび)その所にいたりて見るに火のもえたるはかの小溝の岸也。火燧(ひうち)をもて発燭(つけぎ)に火を点じ、試(こゝろみ)に池中に投(なげ)いれしに池中(ちちゆう)火を出せし事庭燎(にはび)のごとし。水上に火燃(もゆ)るは妙法寺村の火よりも奇也として駅中(えきちゆう)の人々来りてこれを視る。そのゝち銭に才(かしこき)人かの池のほとりに混屋(ふろや)をつくり、筧(かけひ)を以て水をとるがごとくして地中の水を引き湯槽(ゆぶね)の竈に燃(もや)し又燈火(ともしび)にも代る。池中の水を湯に??覃(わかし)価(あたひ)を以て浴(よく)せしむ。此湯硫黄の気ありて能(よく)疥(し)癬(の)の類を治(ぢ)し一時流行して人群をなせり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.45~47)

 ・ ・ ・

 ○雪中の火 2/3

|| 越後の魚沼郡五日町といふ駅に近き西の方に低き山あり、山の裾に小溝在(あり)、天明年中二月の頃、そのほとりに童(わらべ)どもあつまりてさま/”\の戯(たはむれ)をなして遊倦(あそびうみ)、木の枝をあつめて火を焚(たき)てあたりをりしに、其所よりすこしはなれて別に火?々(えん/\)と燃(もえ)あがりければ、児曹(こどもら)大におそれ、皆々四方に逃散(にげちり)けり。

■ 魚沼郡五日町という宿場に近い西方に低い山があります。その山すそに小さな窪地がある。
天明年中の二月の頃(つまり堅雪の季節)、子供たちが集まって遊んでいました。
遊び飽きて、木の枝を集めて焚き火をしてあたっていました。
すると、少し離れた場所で火炎が立ってぼうぼうと燃え上がったのです。
子供たちは吃驚して、散り散りに逃げていってしまいました。

||その中に一人の童(わらべ)家にかへり事の仔細を親に語(かたり)けるに、此親心ある者にてその所にいたり火の形状(かたち)を見るに、いまだ消(きえ)ざる雪中に手を入るべきほどの孔(あな)をなし孔より三四寸の上に火燃(もゆ)る。

■その中の一人の子どもが家に帰ってからその事を親に話しました。
その親は好奇心のある人で、その場所に出掛けてその火を見ると、まだ雪の消えない雪の原に手が入るほどの穴があいていて、その雪の三四寸上に浮かんで火が燃えているのでした。

||熟覧(よく/\みて)おもへらく、これ正(まさ)しく妙法寺村の火のるゐなるべしと火口(ひぐち)に石を入れてこれを消し家にかへりて人に語(かたら)ず、

■仔細に観察して、これは妙法寺村の火と同じ類だと思いました。
火の出る穴に石を詰めて火を消して家に帰りました。
そのことは人には話しませんでした。

||雪きえてのち再(ふたゝび)その所にいたりて見るに火のもえたるはかの小溝の岸也。火燧(ひうち)をもて発燭(つけぎ)に火を点じ、試(こゝろみ)に池中に投(なげ)いれしに池中(ちちゆう)火を出せし事庭燎(にはび)のごとし。

■雪が消えてから再度その場所に行って見ると、火が燃えていたのはその小さな窪地の溝岸の個所でした。
火打ちで付木(ツケギ)に火をつけて試しにその溝池に投げ入れてみると、池の中に燃え移り、かがり火の様になりました。

||水上に火燃(もゆ)るは妙法寺村の火よりも奇也として駅中(えきちゆう)の人々来りてこれを視る。

■水の上で燃えるとは妙法寺村の火よりも奇妙なことだと、宿場中の人びとが来てその火を見ました。

||そのゝち銭に才(かしこき)人かの池のほとりに混屋(ふろや)をつくり、筧(かけひ)を以て水をとるがごとくして地中の水を引き湯槽(ゆぶね)の竈に燃(もや)し又燈火(ともしび)にも代る。

■そのうちに、商才に長けた人がその窪地の池の近くで風呂屋を始めました。
筧(かけい)を作ってその池の地中の水を浴槽の竈で燃やしたのです。
そして、行灯(あんどん)代わりにもなりました。

||池中の水を湯に??覃(わかし)価(あたひ)を以て浴(よく)せしむ。此湯硫黄の気ありて能(よく)疥(し)癬(の)の類を治(ぢ)し一時流行して人群をなせり。

■池の水を沸かして湯にして料金をとって客に入らせたのです。
この湯は硫黄分があるらしく、疥癬(かいせん)などによく効くので、
一時は大流行(おおはやり)で大勢の人が詰め掛けました。



雪中の火(北越雪譜)3/32018/02/02 01:06

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪中の火 3/3

 按(あんずる)に地中に水脈と火脈(くわみやく)とあり。地は大陰なるゆゑ水脈は九分火脈は一分なり。かるがゆゑに火脈は甚(はなはだ)稀(まれ)也。地中の火脈凝結(こりむすぶ)ところかならず気息(いき)を出(いだ)す事人の気息のごとく、肉眼には見えず。火脈の気息に人間日用の陽火(ほんのひ)を加(くはふ)ればもえて焔をなす、これを陰火(いんくわ)といひ寒火(かんくわ)といふ。寒火を引(ひく)に筧の筒の焦(こげ)ざるは、火脈の気いまだ陽火をうけて火とならざる気息ばかりなるゆゑ也。陽火をうくれば筒の口より一二寸の上に火をなす、こゝを以て火脈の気息の燃(もゆ)るを知るべし。妙法寺村の火も是也。是余が発明にあらず、古書に拠(より)て考得(かんがへえ)たる所也。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.45~47)

 ・ ・ ・

 ○雪中の火 3/3

|| 按(あんずる)に地中に水脈と火脈(くわみやく)とあり。地は大陰なるゆゑ水脈は九分火脈は一分なり。かるがゆゑに火脈は甚(はなはだ)稀(まれ)也。

■このことを考察すると、地中には水脈と火脈とがあるということです。
地は大陰なので水(陰)が九割火(陽)が一割といったところ。
それなので、火脈が顕れる事は滅多にありません。

||地中の火脈凝結(こりむすぶ)ところかならず気息(いき)を出(いだ)す事人の気息のごとく、肉眼には見えず。

■地下の火脈が燻り固まっている場所は必ずその気が吐き出されているのです、ひれは人の呼気と同じように、肉眼では見えない物です。

||火脈の気息に人間日用の陽火(ほんのひ)を加(くはふ)ればもえて焔をなす、これを陰火(いんくわ)といひ寒火(かんくわ)といふ。

■火脈の呼気に、人が普通に使う火(陽火)を加えると燃え出して焔となるのです。
これを陰火(いんか)とも寒火(かんか)ともいいます。
※つまるところ、火の陰陽和合ということデスナ。

||寒火を引(ひく)に筧の筒の焦(こげ)ざるは、火脈の気いまだ陽火をうけて火とならざる気息ばかりなるゆゑ也。

■寒火を筧(かけい)で引いても筒が焦げないのは、火脈の呼気はまだ陽火と混ざらないので“火”にならないからなのです。

||陽火をうくれば筒の口より一二寸の上に火をなす、こゝを以て火脈の気息の燃(もゆ)るを知るべし。妙法寺村の火も是也。

■火脈の呼気が普通の火(陽火)に交われば、筒の口の少し上で“火”になるのです。
これをもって、火脈の呼気が燃えるものである事が知れるのです。どや!

||是余が発明にあらず、古書に拠(より)て考得(かんがへえ)たる所也。

■この説はわたし(京山)の全くの独創による説ではありません。
文献を調べてそういう結論に達したということですわ。あはは。



破目山(われめきやま)(北越雪譜)2018/02/02 01:16

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○破目山(われめきやま)

 魚沼郡清水村の奥に山あり、高さ一里あまり、周囲(めぐり)も一里あまり也。山中すべて大小の破隙(われめ)あるを以て山の名とす。山半(やまのなかば)は老樹条(えだ)をつらね半(なかば)より上は岩石畳々(でふ/\)として其形竜踊虎怒(そのかたちりようをどりとらいかる)がごとく奇々怪々言(いふ)べからず。麓の左右に渓川(たにがは)あり合して滝をなす、絶景又言べからず。旱(ひでり)の時此滝壷に●(あまこひ)すればかならず験(しるし)あり。一年(ひとゝせ)四月の半雪の消(きえ)たる頃清水村の農夫ら二十人あまり集り熊を狩(から)んとて此山にのぼり、かの破隙の窟(うろ)をなしたる所かならず熊の住処(すみか)ならんと例の番椒(たうからし)烟草(たばこ)の茎を薪(たきゞ)に交(まぜ)、窟にのぞんで焚(たき)たてしに熊はさらに出(いで)ず、窟の深(ふかき)ゆゑに烟(けふり)の奥に至らざるならんと次日(つぎのひ)は薪を増し山も焼(やけ)よと焚けるに、熊はいでずして一山の破隙こゝかしこより烟をいだして雲の起(おこる)が如くなりければ、奇異のおもひをなし熊を狩(から)ずして空しく立かへりしと清水村の農夫が語りぬ。おもふに此山半(なかば)より上は岩を骨として肉の土薄く地脈気を通じて破隙をなすにや、天地妙々の奇工(きかう)思量(はかりしる)べからず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.46~47)

 ・ ・ ・

 ○破目山(われめきやま)

|| 魚沼郡清水村の奥に山あり、高さ一里あまり、周囲(めぐり)も一里あまり也。山中すべて大小の破隙(われめ)あるを以て山の名とす。山半(やまのなかば)は老樹条(えだ)をつらね半(なかば)より上は岩石畳々(でふ/\)として其形竜踊虎怒(そのかたちりようをどりとらいかる)がごとく奇々怪々言(いふ)べからず。麓の左右に渓川(たにがは)あり合して滝をなす、絶景又言べからず。旱(ひでり)の時此滝壷に●(あまこひ)すればかならず験(しるし)あり。

■ 魚沼郡清水村の奥に、高さ六百メートル、周囲も六百メートルほどの山があります。
その山は全体が割れ目だらけなので、【破目山(われめきやま)】と呼ばれます。
山の中腹までは樹林ですが、それより上は岩石が何重にも畳み重なっています。
まさに、竜は舞い虎は吼えるの図の如し、その奇々怪々のさまは言葉になりません。
山麓の左右に渓流が流れ、それが合わさって滝になります、絶景かな絶景かな。
旱魃のときには、この滝壷で雨乞いをすると霊験あらたか必ず兆しが顕れるのです。

||一年(ひとゝせ)四月の半雪の消(きえ)たる頃清水村の農夫ら二十人あまり集り熊を狩(から)んとて此山にのぼり、かの破隙の窟(うろ)をなしたる所かならず熊の住処(すみか)ならんと例の番椒(たうからし)烟草(たばこ)の茎を薪(たきゞ)に交(まぜ)、窟にのぞんで焚(たき)たてしに熊はさらに出(いで)ず、窟の深(ふかき)ゆゑに烟(けふり)の奥に至らざるならんと次日(つぎのひ)は薪を増し山も焼(やけ)よと焚けるに、熊はいでずして一山の破隙こゝかしこより烟をいだして雲の起(おこる)が如くなりければ、奇異のおもひをなし熊を狩(から)ずして空しく立かへりしと清水村の農夫が語りぬ。

■ある年の四月半ばの雪の消えた時節に、清水村の農民が二十人ほど集まって熊狩りをしようとこの山に登りました。
岩の割れ目の隙間の洞は熊の住処になっている筈だと、唐辛子や煙草の茎を薪に混ぜて、洞の前で焚き火をしました。
が、熊は出てきません。
洞穴が深いので煙が奥まで届かないのだろうとと思い、翌日は更に薪を増やして山火事にでもなるほどに火を焚きました。
しかし熊は出てこずに、山のあちこちから煙が出て来てまるでそこから雲が湧き出るかのような景色になった。
全く不思議な事だと思って、結局熊狩りは諦めて戻ってきた。
この事は清水村の農夫が語った話でした。

||おもふに此山半(なかば)より上は岩を骨として肉の土薄く地脈気を通じて破隙をなすにや、天地妙々の奇工(きかう)思量(はかりしる)べからず。

■このことを考えてみると、この山の上半分は骨格が岩で出来ているので肉となる土が薄いのです。
その為、地脈の気が通り易いので、結果として割れ目の岩だらけになったのではないか。
天地の仕組みと働きは、絶妙奇妙、人の想像力を凌駕するのです。

「校註 北越雪譜」野島出版より(P.46~47)

新編会津風土記魚沼郡之四に「ワリメキ山」とある。らしい。



雪頽(北越雪譜)1/22018/02/04 19:46

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)1/2

 山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言に〔なだれ〕といふ、又〔なで〕ともいふ。按(あんず)になだれは撫下(なぜおり)る也。〔る〕を〔れ〕といふは活用(はたらかする)ことばなり、山にもいふ也。こゝには雪頽(ゆきくづる)の字を借(かり)て用ふ。字書に頽(たい)は暴風ともあればよく叶へるにや。さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふゞき)に双(ならべ)て雪国の難儀とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く凍るも又里よりは甚(はなはだ)し。我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅(あさき)しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば陽気地中より蒸(むし)て解(とけ)んとする時地
気と天気との為に破(われ)て響(ひゞき)をなす。一片破て片々(へん/\)破る、其ひゞき大木を折(をる)がごとし。これ雪頽(なだれ)んとするの萌(きざし)也。山の地勢と日の照(てら)すとによりて、なだるゝ処(ところ)となだれざる処あり。なだるゝはかならず二月にあり。里人(さとひと)はその時をしり、処をしり、萌(きざし)を知るゆゑに、なだれのために撃死(うたれし)するもの稀(まれ)也。しかれども天の気候不意にして一定(ぢやう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉(こ)に砕(くだ
く)もあり。雪頽の形勢(ありさま)いかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こほり)その大なるは十間以上小なるも九尺五尺にあまる、大小数百千悉(こと/”\)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく かならず方(かく)をなす事下に弁(べん)ず なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くづれおつ)る、その響百千の雷(いかづち)をなし、大木を折、大石を倒す。此時はかならず暴風(はやて)力をそへて粉に砕(くだき)たる沙礫(こじやり)のごとき雪を飛(とば)せ、白日も暗夜の如くその慄(おそろ)しき事筆紙(ひつし)に尽しがたし。此雪頽に命を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝしたるを次の巻(まき))に記(しる)して暖国の人の話柄(はなしのたね)とす。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.47~50)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)1/2

|| 山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言に〔なだれ〕といふ、又〔なで〕ともいふ。按(あんず)になだれは撫下(なぜおり)る也。〔る〕を〔れ〕といふは活用(はたらかする)ことばなり、山にもいふ也。こゝには雪頽(ゆきくづる)の字を借(かり)て用ふ。字書に頽(たい)は暴風ともあればよく叶へるにや。

■ 山から雪が崩れ落ちる事を里言葉で【なだれ】といいます。【なで】ともいいます。
何でかと考えてみろと、なだれは〔撫下(なぜおり)る〕ではないかと思う。
「る」が「れ」となるのは語の活用によるのです。
ここでは、〔雪頽(ゆきくづる)〕という文字で記すことにします。
辞書を引けば、〔頽〕の字には爆風の意味もあるので意味も通じるでしょう。

※原文の雪頽は、この訳文ではなるべく雪崩と表記することにします(掲載子)。

||さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふゞき)に双(ならべ)て雪国の難儀とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く凍るも又里よりは甚(はなはだ)し。

■雪崩は吹雪きと同じく雪国では難儀な事になります。
高山の雪は平地よりも深い雪となり、氷雪も平地とは較べものにならないほどです。

||我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅(あさき)しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば陽気地中より蒸(むし)て解(とけ)んとする時地気と天気との為に破(われ)て響(ひゞき)をなす。一片破て片々(へん/\)破る、其ひゞき大木を折(をる)がごとし。これ雪頽(なだれ)んとするの萌(きざし)也。

■越後山脈の裾野、平地に近い場所でも五メートル程度は浅いといってもよいほどです。
その雪が氷結して岩のようになるのです。
二月頃には、地中の陽気が出始めるので雪下は蒸されて解けだしてきます、
そのときに地の気と天の気がぶつかるので雪が音をたてて裂けるのです。
一箇所で裂けると次々に裂けてきます。
そのときの音は大木が折れるような音がします、この響きが雪崩の予兆です。

||山の地勢と日の照(てら)すとによりて、なだるゝ処(ところ)となだれざる処あり。なだるゝはかならず二月にあり。

■斜面の地形と日照の具合によって、雪崩が発生する所と発生しない場所があります。
雪崩る場所では必ず二月に発生します。

||里人(さとひと)はその時をしり、処をしり、萌(きざし)を知るゆゑに、なだれのために撃死(うたれし)するもの稀(まれ)也。しかれども天の気候不意にして一定(ぢやう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉(こ)に砕(くだく)もあり。

■その地に住む里人はその時節と場所を知っていて、予兆の響きも知っているので、雪崩に遭って死ぬ事はめったにはありません。
しかし、雪国の天候は急変する事があるので、雪崩にぶつかる事もあるのです。

||雪頽の形勢(ありさま)いかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こほり)その大なるは十間以上小なるも九尺五尺にあまる、

■雪崩の規模といったら、崩れる凍った雪は、大きいものは十間(18メートル)以上、中小規模でも3メートル、1.5メートル程の塊となります。

||大小数百千悉(こと/”\)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく-かならず方(かく)をなす事下に弁(べん)ず-なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くづれおつ)る、その響百千の雷(いかづち)をなし、大木を折、大石を倒す。

■数百千にもなる大小の塊が全て四角になって、高山の山頂から一度に削れ滑り落ちるのです。
そのさまは、無数の雷鳴とともに、大木をなぎ倒して、大きな山石をも転がすのです。
どうして、方(かく)になるのかは、この後で書きます。

||此時はかならず暴風(はやて)力をそへて粉に砕(くだき)たる沙礫(こじやり)のごとき雪を飛(とば)せ、白日も暗夜の如くその慄(おそろ)しき事筆紙(ひつし)に尽しがたし。

■このときには、暴風も発生して砕かれた氷雪は石礫のように雪を飛ばして昼間でも暗闇になってしまうのです。
その恐ろしさは表現のしようも無いほどです。

||此雪頽に命を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝしたるを次の巻(まき))に記(しる)して暖国の人の話柄(はなしのたね)とす。

■こういう雪崩に落命した人や危うく助かった人など、わたし(牧之)が見聞した事々については、
次巻に書く事にします。この雪国の恐ろしさをトカイの人への話の種としましょう。

※次巻(北越雪譜初編巻之中)予告で引っぱる(笑)。

まだまだ雪について書く事があったのだ。しかし、巻之上は、ぜひとも鈴木牧之を塩沢に訪ねるまでには、初稿を仕上げねばならない。
さて、どうするか。そして、巻之上の丁をあわせる(頁数を合わせる)ためにも、京山は書き出したのだ、それがまた、筆のいきおいは、止まらなくなってしまう。
(あくまで、本掲載子の想像(与太ですから(笑)))。



雪頽(北越雪譜)2/22018/02/04 19:52

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)2/2

 或人問曰(とふてしはく)、雪の形六出(むつかど)なるは前に弁ありて詳(つまびらか)也。雪頽は雪の塊(かたまり)ならん、砕(くだけ)たる形雪の六出なる本形をうしなひて方形(かどだつ)はいかん、答(こたへ)て曰、地気天に変格して雪となるゆゑ、天の円(まるき)と地の方(かく)なるを併合(あはせ)て六出をなす。六出(りくしゆつ)は円形(まろきかたち)の裏也。雪天陽を離(はなれ)て降下(ふりくだ)り、地に帰(かへれ)ば天陽(やう)の円(まろ)き象(かたどり)うせて地陰(いん)の方(かく)なる本形に象(かたど)る、ゆゑに雪頽は千も万も圭角(かどだつ)也。このなだれ解(とけ)るはじめは角々(かど/\)円(まろ)くなる、これ陽火(やうくわ)の日にてらさるゝゆゑ天の円(まろき)による也。陰中に陽を包み陽中に陰を抱(いだく)は天地定理中(ぢやうりちゆう)の定格(ぢやうかく)也。老子経第四十二章に曰(いはく)、万物負レ陰而抱レ陽(ばんぶついんをおびてやうをいだく)冲気以為レ和(ちゆうきををもつてくわをなす)といへり。此理を以てする時は、お内儀さまいつもお内儀さまでは陰中に陽を抱(いだか)ずして天理に叶(かなは)ず、をり/\は夫に代りて理屈をいはざれば家内治(おさまら)ず、さればとて理屈に過(すぎ)牝鳥(めんどり)旦(とき)をつくればこれも又家内の陰陽前後して天理に違(たが)ふゆゑ家の亡(ほろぶ)るもと也。万物の天理誣(しふ)べからざる事かくのごとしといひければ、問客(とひしひと)唯々(いゝ)として去りぬ。雪頽悉(こと/”\)く方形(かどだつ)のみにもあらざれども十にして七八は方形をうしなはず。故(ゆゑ)に此説を下(くだ)せり。雪頽の図(づ)多く方形に従ふものは、其七八をとりて模様(もやう)を為すのみ。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.49~50)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)2/2

|| 或人問曰(とふてしはく)、雪の形六出(むつかど)なるは前に弁ありて詳(つまびらか)也。雪頽は雪の塊(かたまり)ならん、砕(くだけ)たる形雪の六出なる本形をうしなひて方形(かどだつ)はいかん、答(こたへ)て曰、地気天に変格して雪となるゆゑ、天の円(まるき)と地の方(かく)なるを併合(あはせ)て六出をなす。

■ ある人との問答。

〈或人〉「雪の形が六つ角だということは、前の話で判りましたが、雪崩は雪の塊ですよね。
砕けた形が六角にならずに四角になってしまうのはどういうことでしょうか」。

〈京山〉「それはじゃ、地気が天に昇って変格して雪になるので、天の円(まる)と地の方形が和合したから六角なのじゃ。『○雪の形』の条(くだり)に書いたのがそのことじゃ。〔愚按るに円は天の正象、方は地の実位也〕ということとな」。

||六出(りくしゆつ)は円形(まろきかたち)の裏也。

■六角に突出するのは、円の形の裏なのです。

※京山先生のはなしは続く・・・※

||雪天陽を離(はなれ)て降下(ふりくだ)り、地に帰(かへれ)ば天陽(やう)の円(まろ)き象(かたどり)うせて地陰(いん)の方(かく)なる本形に象(かたど)る、ゆゑに雪頽は千も万も圭角(かどだつ)也。

■雪が天の領域から離れて降下して、地に戻れば天(陽)の正象の形(円)が失せて、地(陰)の実位の形(方)に変わるのです。
だから、雪崩は至るところが角立つのです。

※京山先生、よく判りませーん(笑)。

||このなだれ解(とけ)るはじめは角々(かど/\)円(まろ)くなる、これ陽火(やうくわ)の日にてらさるゝゆゑ天の円(まろき)による也。

■この雪崩が溶け始めると、角かどは再び丸くなるのです。
これは、陽の火である日光に照らされるから、丸くなるという理屈なのです。

||陰中に陽を包み陽中に陰を抱(いだく)は天地定理中(ぢやうりちゆう)の定格(ぢやうかく)也。

■陰中に陽在り、陽中に陰在り、これは天と地の定理ともいうべき本来の仕組みなのです。
※この事々も、『○雪の形』の条に書いた気がする、、、(京山の独言、、、こら!)

||老子経第四十二章に曰(いはく)、万物負レ陰而抱レ陽(ばんぶついんをおびてやうをいだく)冲気以為レ和(ちゆうきををもつてくわをなす)といへり。

■〈京山〉「えーと、老子の「道徳経」は第四十二章にこう書かれている」。
万物負陰而抱陽〕バンブツ フーイン ジ ホーヨー
冲気以為和〕 チューキ イーイー ワー(※嘘ですから、どう読むのかわかりません(笑))

 万物は陰を負い、しかして、陽を抱くのです
 それがチュウする事によって、和というものが顕れる、とな。
 嗚呼、それが虚無ぢゃ。

 ※そんな事は書いてませんが、こういう↓ことですかね(^^;

||此理を以てする時は、お内儀さまいつもお内儀さまでは陰中に陽を抱(いだか)ずして天理に叶(かなは)ず、をり/\は夫に代りて理屈をいはざれば家内治(おさまら)ず、さればとて理屈に過(すぎ)牝鳥(めんどり)旦(とき)をつくればこれも又家内の陰陽前後して天理に違(たが)ふゆゑ家の亡(ほろぶ)るもと也。

■〈京山〉「この理(ことわり)を敷衍するとじゃな、

おかみさんはいつもお内儀様のままでは、陰中に陽を抱く事が無いので天理に叶うておらぬのじゃ。時々は、、、えーと、折にふれてはだな、夫に代わって小言のひとつも言わないと、家内の安寧は保てないのだな。

だからといって、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃと喋りすぎると、これはだな、〔めんどり(雌鳥)うたえば家亡ぶ〕ということばがあるのじゃ。これも過ぎると家内の陰陽が逆になるので、天の理に叶わないのだな」。

※〔人の体男は陽なるゆゑ九出し女は十出す〕と、女が陰、男が陽と、やはり『○雪の形』でしっかりと前振りして書いているのです(笑)。

||万物の天理誣(しふ)べからざる事かくのごとしといひければ、問客(とひしひと)唯々(いゝ)として去りぬ。

■〈京山〉「万物は天の理を違えてはならぬ、というのはこういうことなのじゃ」

と、講釈をしたら、その御仁は「へいへい、ありがたいお説でございますだ」と逃げて行ったわい。
アハハ。かんらかんら。

※悪乗り、いやいや、京山がそのように書いていると思えて仕方が無い(笑)。

||雪頽悉(こと/”\)く方形(かどだつ)のみにもあらざれども十にして七八は方形をうしなはず。故(ゆゑ)に此説を下(くだ)せり。

■雪崩は全ての形が角立つわけでは無いのですが、七八割が方形を保っている。
それなので、このように説明してみました。

||雪頽の図(づ)多く方形に従ふものは、其七八をとりて模様(もやう)を為すのみ。

■雪崩の絵を矩形の雪を多用して描いたのは、その為なのです。
(※これは、京水(絵師:京山の息子)の絵図の説明(言い訳)なのかも。
実際にはこんな物ではないという・・・)。



雪頽人に災す(北越雪譜)1/32018/02/06 00:49

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 1/3

 我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)の内にて雪頽の為に非命の死をなしたる事、其村の人のはなしをこゝに記(しる)す。しかれども人の不祥なれば人名を詳(つまびらか)にせず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)

■ わたし(牧之)の住んでいる魚沼郡で、雪崩で悲惨な死亡事故が起きたとき、その村の人に聞いた話をここに載せます。
しかし人の不幸な出来事なので、名前などは明記しないでおくことにします。



雪頽人に災す(北越雪譜)2/32018/02/06 01:00

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 2/3

○こゝに何村(なにむら)といふ所に家内の上下十人あまりの農人(のうにん)あり。主人(あるじ)は五十歳ばかり妻は四十にたらず、世息(せがれ)は二十(はたち)あまり娘は十八と十五也。いづれも孝子(かうし)の聞(きこえ)ありけり。一年(ひとゝせ)二月のはじめ、主人は朝より用ある所へ出行(いでゆき)しが其日も已(すで)に申(さる)の頃なれど帰りきたらず、さのみ間(ひま)をとるべき用にもあらざりければ、家内不審におもひ悴(せがれ)家僕をつれて其家にいたり父が事をたづねしにこゝへはきたらずといふ。しからばこゝならんかしこならんなど家僕とはかりて尋求(たづねもとめ)しかど更に音間(おとづれ)をきかず、日もはや暮なんとすれば空しく家に帰り、しか/\のよし母に語りければ、こは心得ぬ事也とて心あたりの処こゝかしこへ人を走らせて尋(たづね)させけるにその在家(ありか)さらにしれず。其夜四更(しかう)頃にいたれども主人は帰らず。此事近隣に聞えて人々集り種々(さま/”\)に評議して居(ゐ)たるをりしも一老夫来りていふやう、あるじの見え給はぬとや、我心あたりのあるゆゑしらせ申さんとて来れりといふ。すはこゝろあたりときゝて主人の妻大によろこび、子どもらもとも/”\に言語(ことば)をそろへてまづ礼をのべ、その仔細をたづねければ、老夫いふやう、それがし今朝(けさ)西山の嶺半(たふげなかば)にさしかゝらんとせし時、こゝのあるじ行逢(ゆきあひ)、何方(いづかた)へとたづねければ稲倉(いなくら)村へ行(ゆく)とて行過(ゆきすぎ)給ひぬ。我は宿へ帰り足にて遥(はるか)に行過たる頃、例の雪頽の音をきゝてこれかならずかの山ならんと嶺(たふげ)を無事に通りしをよろこびしにつけ、こゝのあるじはふもとを無難に行過給ひしや、万一なだれに逢(あひ)はし給はざりしかと案じつゝ宿へかへりぬ。今に帰り給はぬはもしやなだれにといひて眉を皺(しは)めければ、親子は心あたりときゝてたのみし事も案にたがひて、顔見あはせ泪(なみだ)さしぐむばかり也。老夫はこれを見てそこ/\に立かへりぬ。集居(あつまりゐ)たる若人(わかて)どもこれをきゝて、さらばなだれの処にいたりてたづねみん、炬(たいまつ)こしらへよなど立騒(たちさは)ぎければ、ひとりの老人がいふ、いな/\まづまち候へ、遠くたづねに行(ゆき)し者もいまだかへらず、今にもその人おなじくあるじの帰りたまはんもはかりがたし、雪頽にうたれ給ふやうなる不覚人(ふかくにん)にはあらざるをかの老奴(おやじ)めがいらざることをいひて親子たちの心を苦(くるしめ)たりといふに、親子はこれに励(はげま)されて心慰(こゝろひらけ)、酒肴(しゆかう)をいだして人々にすゝむ。これを見て皆打ゑみつゝ炉辺(ろへん)に座列(ゐならび)て酒酌(くみ)かはし、やゝ時うつりて遠く走(はせ)たる者ども立かへりしに行方(ゆくへ)は猶しれざりけり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 2/3

||○こゝに何村(なにむら)といふ所に家内の上下十人あまりの農人(のうにん)あり。主人(あるじ)は五十歳ばかり妻は四十にたらず、世息(せがれ)は二十(はたち)あまり娘は十八と十五也。いづれも孝子(かうし)の聞(きこえ)ありけり。

■某村に十人ほどが住んでいる農家がありました。
主人は五十歳くらいで妻は四十歳にはどかない年です。
息子は二十歳過ぎで娘は十八歳と十五歳の二人。
とても親孝行と評判でした。

||一年(ひとゝせ)二月のはじめ、主人は朝より用ある所へ出行(いでゆき)しが其日も已(すで)に申(さる)の頃なれど帰りきたらず、さのみ間(ひま)をとるべき用にもあらざりければ、家内不審におもひ悴(せがれ)家僕をつれて其家にいたり父が事をたづねしにこゝへはきたらずといふ。

■ある年の二月初め、主人が朝から所用があって出掛けたのですが、既に午後も大分過ぎて(午後四時頃)も帰ってこない。
さほど時間の掛かる用事でもないので、家族は心配する。
息子が使用人を連れて、父が出掛けた筈の家まで行って尋ねてみると、「いや、ここには来られなかった」と言う。

||しからばこゝならんかしこならんなど家僕とはかりて尋求(たづねもとめ)しかど更に音間(おとづれ)をきかず、日もはや暮なんとすれば空しく家に帰り、しか/\のよし母に語りければ、こは心得ぬ事也とて心あたりの処こゝかしこへ人を走らせて尋(たづね)させけるにその在家(ありか)さらにしれず。

■「それならばあそこかも」とあたりをつけた家を使用人と手分けして何軒も尋ねてみたのですが、どの家でも「いや、こっちには来ていない」と。
日も暮れてしまいそうなので、手掛かりもつかめないまま家に帰りました。
その事を母に話すと、母も心当たりのあちらこちらの家に使いを走らせて訪ねさせたのですが、どこにも行った痕跡が無い。

||其夜四更(しかう)頃にいたれども主人は帰らず。

■夜も更けて(午前二時前後)しまっても主人は戻ってこないのです。

||此事近隣に聞えて人々集り種々(さま/”\)に評議して居(ゐ)たるをりしも一老夫来りていふやう、あるじの見え給はぬとや、我心あたりのあるゆゑしらせ申さんとて来れりといふ。

■近所の人も聞きつけてその家に集まって、さてどこに出かけられたかと色々と推理して話をしていました。
そこへ、一人の老人が来ました。
「ご主人が行方不明とか、わたしに心当たりがあるのでその事をお知らせしようと思い、来ました」と言う。

||すはこゝろあたりときゝて主人の妻大によろこび、子どもらもとも/”\に言語(ことば)をそろへてまづ礼をのべ、その仔細をたづねければ、老夫いふやう、それがし今朝(けさ)西山の嶺半(たふげなかば)にさしかゝらんとせし時、こゝのあるじ行逢(ゆきあひ)、何方(いづかた)へとたづねければ稲倉(いなくら)村へ行(ゆく)とて行過(ゆきすぎ)給ひぬ。

■「心当たりがある」と聞いて、さてはと妻は大変喜んで、息子娘達も揃ってお礼の言葉を発しました。
それからその老人の話を聞きました。老人が話す。
老人は今朝、西山の峠の半ばまで行き着くあたりで、ここの主人と行き遭った。
「どこに行かっさる」「稲倉村までだ」と挨拶をしてすれ違ったと話しました。

||我は宿へ帰り足にて遥(はるか)に行過たる頃、例の雪頽の音をきゝてこれかならずかの山ならんと嶺(たふげ)を無事に通りしをよろこびしにつけ、こゝのあるじはふもとを無難に行過給ひしや、万一なだれに逢(あひ)はし給はざりしかと案じつゝ宿へかへりぬ。

■〈老人〉「わたしは宿屋への帰り道でした。
大分行き過ぎた頃に遠くに雪崩の音を聞いたのです。
『これは、あそこの山に違いない、通り過ぎてからでよかった』と喜んだのですが、『さっき会ったあの人は麓を大事無く通れただろうか、もしや雪崩に遭ったら』と心配しながら宿屋に帰りました」。

||今に帰り給はぬはもしやなだれにといひて眉を皺(しは)めければ、親子は心あたりときゝてたのみし事も案にたがひて、顔見あはせ泪(なみだ)さしぐむばかり也。

■〈老人〉「今の時間になってもお帰りにならないのはもしやその雪崩に、、」
と眉間にしわ。親子は、心当たりと聞いて喜んだのですが、予想外の話に、顔を見合わせて涙ぐんでしまいました。

||老夫はこれを見てそこ/\に立かへりぬ。

■老人は、その場に居た堪られなくなり、そこそこに帰ってしまいました。

||集居(あつまりゐ)たる若人(わかて)どもこれをきゝて、さらばなだれの処にいたりてたづねみん、炬(たいまつ)こしらへよなど立騒(たちさは)ぎければ、ひとりの老人がいふ、

■集まっていた中の若者たちはこれを聞いて、
〈若者〉「それなら雪崩の場所に行って捜索してみよう。まずは、松明の準備だ!」
と騒ぎ出しはじめました。これを聞いていた一人の老翁が諌める。

||いな/\まづまち候へ、遠くたづねに行(ゆき)し者もいまだかへらず、今にもその人おなじくあるじの帰りたまはんもはかりがたし、雪頽にうたれ給ふやうなる不覚人(ふかくにん)にはあらざるをかの老奴(おやじ)めがいらざることをいひて親子たちの心を苦(くるしめ)たりといふに、

■〈老翁〉「いやいや、先ず落着け。遠くに尋ねに行った者もまだ戻ってきていないのだ。
それらの人たちは今でも、主人が帰られたかどうかの判断もついていないのだぞ。
ここの主人は決して雪崩になど遭うような判断力の無い御仁ではない。
それをあの老いぼれ旅人の野郎が要らぬことを言って一家の気持を逆立てしやがって」。

||親子はこれに励(はげま)されて心慰(こゝろひらけ)、酒肴(しゆかう)をいだして人々にすゝむ。

■親子はこの老翁の言葉を聞いて、気持が落着き、酒肴の準備をして集まった人たちにお礼をしました。

||これを見て皆打ゑみつゝ炉辺(ろへん)に座列(ゐならび)て酒酌(くみ)かはし、やゝ時うつりて遠く走(はせ)たる者ども立かへりしに行方(ゆくへ)は猶しれざりけり。

■みんなも、穏やかな気持になって囲炉裏端に座り込んで、酒の席となりました。
しばらくして、遠くまで使いに行った人たちも帰って来ましたが、主人の行方は判らないままでした。



雪頽人に災す(北越雪譜)3/32018/02/06 01:06

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 3/3

○かくて夜も明(あけ)ければ、村の者どもはさら也、聞(きゝ)しほどの人々此家(このいへ)に群(あつま)り来り、此上はとて手に/\木鋤(こすき)を持家内の人々も後(あと)にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの処に至りけり。さて雪頽を見るにさのみにはあらぬすこしのなだれなれば、道を塞(ふさぎ)たる事二十間(けん)余り雪の土手をなせり。よしやこゝに死たりともなだれの下をこゝぞとたづねんよすがもなければ、いかにやせんと人々佇立(たゝずみ)たるなかに、かの老人よし/\所為(しかた)こそあれとて若き者どもをつれ近き村にいたりて●(にはとり)をかりあつめ、雪頽の上にはなち餌(ゑ)をあたえつゝおもふ処へあゆませけるに、一羽の●羽たゝきして時ならぬに為晨(ときをつくりければ余(ほか)のにはとりもこゝにあつまりて声をあはせけり。こは水中の死骸をもとむる術(じゅつ)なるを雪に用ひしは応変(おうへん)の才也しと、のち/\までも人々いひあへり。老人衆(しゆう)にむかひあるじはかならず此下に在(あ)るべし、いざ掘れほらんとて大勢一度に立かゝりて雪頽を砕きなどして堀けるほどに、大なる穴をなして六七尺もほり入れしが目に見ゆるものさらになし。猶ちからを尽してほりけるに真白(ましろ)なる雪のなかに血を染たる雪にほりあて、すはやとて猶ほり入れしに片腕ちぎれて首なき死骸をほりいだし、やがて腕(かひな)はいでたれども首はいでず、こはいかにとて広く穴にしたるなかをあちこちほりもとめてやう/\首もいでたり。雪中にありしゆゑ面生(おもていけ)るがごとく也。さいぜんよりこゝにありつる妻(つま)子らこれを見るより妻は夫が首を抱へ、子どもは死骸にとりすがり声をあげて哭(なき)けり、人々もこのあはれさを見て袖(そで)をぬらさぬはなかりけり。かくてもあられねば妻は着たる羽織に夫の首をつゝみてかゝへ、世息(せがれ)は布子(ぬのこ)を脱(ぬぎ)て父の死骸に腕(うで)をそへて泪ながらにつゝみ背負(せおは)んとする時、さいぜん走りたる者ども戸板むしろなど担(かた)げる用意をなしきたり、妻がもちたる首をもなきからにそへてかたげれば、人々前後につきそひ、つま子らは哭(なく)々あとにつきて帰りけるとぞ。此ものがたりは牧之が若かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。これのみならずなだれに命をうしなひし人猶多かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。其怖(おそろし)さいはんかたなし。かの死骸の頭(かしら)と腕(かひな)の断離(ちぎれ)たるは、なだれにうたれて磨断(すりきら)れたる也。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 3/3

||○かくて夜も明(あけ)ければ、村の者どもはさら也、聞(きゝ)しほどの人々此家(このいへ)に群(あつま)り来り、

■さて、夜が明けてから、集落の人たちは勿論の事、その話を聞いた人たちがこの家に大勢集まりました。

||此上はとて手に/\木鋤(こすき)を持家内の人々も後(あと)にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの処に至りけり。

■それならば(捜索となるのであれば)と、手に手にコスキ(木鋤)を持って、家内の人たちもその後について、昨晩の旅の老人が言っていた雪崩の場所まで行ったのです。

||さて雪頽を見るにさのみにはあらぬすこしのなだれなれば、道を塞(ふさぎ)たる事二十間(けん)余り雪の土手をなせり。

■その雪崩の場所は、それほど大きい雪崩ではなかったようで、道は雪で二十間(六十メートル)ほどが塞がれて土手のようになっていました。

||よしやこゝに死たりともなだれの下をこゝぞとたづねんよすがもなければ、いかにやせんと人々佇立(たゝずみ)たるなかに、

■仮にこの場所で亡くなったとしても、雪崩の下のどの場所を探せばいいのか、どこから探せばいいのかもわからない。
さてどうしようかと、人びとは手をあぐねています。

||かの老人よし/\所為(しかた)こそあれとて若き者どもをつれ近き村にいたりて●(にはとり)をかりあつめ、雪頽の上にはなち餌(ゑ)をあたえつゝおもふ処へあゆませけるに、一羽の●羽たゝきして時ならぬに為晨(ときをつくり)ければ余(ほか)のにはとりもこゝにあつまりて声をあはせけり。
(●は、“鶏”の鳥の字が“隹”の字)

■昨晩の老翁は「そういうときの方法もあるのだ」と言って、若者を連れ立って近くの村に行きました。
そして家々からニワトリを借り集めました。
そして、ニワトリを雪崩の雪上に放して、餌をばら撒いてニワトリを自由に歩かせると一羽が羽ばたきをして朝でもないのにコケコッコーと鳴いたのです。
すると、他のニワトリもその場所に集まってきて、呼応して鳴くのです。

||こは水中の死骸をもとむる術(じゅつ)なるを雪に用ひしは応変(おうへん)の才也しと、のち/\までも人々いひあへり。

■これは、水中の死体を捜す方法を雪上に応用した機転の知恵だと、人びとは感心して後々まで語られたことでした。

||老人衆(しゆう)にむかひあるじはかならず此下に在(あ)るべし、いざ掘れほらんとて大勢一度に立かゝりて雪頽を砕きなどして堀けるほどに、大なる穴をなして六七尺もほり入れしが目に見ゆるものさらになし。

■老翁は若者たちに向かって「なきがらは絶対にこの下にある」と宣言しました。
さあ掘れ、掘り出せと、大勢で一緒にその場所の雪を砕いたりして掘っていくと、大きな穴になって背丈以上も掘ったのですが、何も見えません。

||猶ちからを尽してほりけるに真白(ましろ)なる雪のなかに血を染たる雪にほりあて、すはやとて猶ほり入れしに片腕ちぎれて首なき死骸をほりいだし、やがて腕(かひな)はいでたれども首はいでず、こはいかにとて広く穴にしたるなかをあちこちほりもとめてやう/\首もいでたり。

■それでも、力の限りと掘っていくと、真っ白な雪の中に血に染んだ雪が出てきました。
ここだ!ともっと深く迄掘ると、片腕が千切れて首の無い死骸があったのです。
少ししてその腕も出てきましたが、首が見つからない。
いったいどういうことかと、穴を広げてその中をあちらこちらを掘っていくと、やっと首も見つかったのです。

||雪中にありしゆゑ面生(おもていけ)るがごとく也。

■冷たい雪の中だったので、その顔はまるで生きているままのようでした。

||さいぜんよりこゝにありつる妻(つま)子らこれを見るより妻は夫が首を抱へ、子どもは死骸にとりすがり声をあげて哭(なき)けり、人々もこのあはれさを見て袖(そで)をぬらさぬはなかりけり。

■しばらく前からその場所にいた妻と子供たち、それを見たとたんに、妻は夫の首を抱えて、子供は死骸に取りすがって、慟哭しました。
周りの人々も、あまりの気の毒さを見て泣かない人はいなかったのです。

||かくてもあられねば妻は着たる羽織に夫の首をつゝみてかゝへ、世息(せがれ)は布子(ぬのこ)を脱(ぬぎ)て父の死骸に腕(うで)をそへて泪ながらにつゝみ背負(せおは)んとする時、さいぜん走りたる者ども戸板むしろなど担(かた)げる用意をなしきたり、妻がもちたる首をもなきからにそへてかたげれば、人々前後につきそひ、つま子らは哭(なく)々あとにつきて帰りけるとぞ。

■そうしている訳にもいかないので、妻は自分の着ていた羽織で夫の頭部を包んで抱えて、
息子は綿入れの上着を脱いで、父の死骸に腕をそろえて、泣きながら包んで背負おうとしました。
そのときに、しばらく前(発見した時)に走って行った人たちが、戸板や莚を持ってきて担いで運ぶ準備をしていたのです。
そして、妻が持っていた首も一緒にして、担いでいきます。
人たちは前後ろに付き添って、妻と子供たちも泣きながらその後について家まで帰ったそうです。

||此ものがたりは牧之が若かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。

■この話は、わたし(牧之)が若い頃に、この現場に立ち会った人が語ったことをそのままに記しました。

||これのみならずなだれに命をうしなひし人猶多かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。其怖(おそろし)さいはんかたなし。

■この例だけで無く、雪崩で命を失った人は多いのです。
また雪崩で家を押し潰されることもあります。
なんとも言いようの無い怖ろしいことです。

||かの死骸の頭(かしら)と腕(かひな)の断離(ちぎれ)たるは、なだれにうたれて磨断(すりきら)れたる也。

■この死骸が、胴体から頭と腕が切断されてしまったのは、雪崩に打たれて擦られて引き千切れてしまったのです。



別冊