別冊

雪を掃(はら)ふ(北越雪譜)2018/01/09 22:27

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪を掃(はら)ふ

 雪を掃うは落花をはらふに対(つゐ)して風雅の一ツとし、和漢の吟詠あままた見えたれども、かゝる大雪をはらふは風雅の状(すがた)にあらず。初雪の積りたるをそのまゝにおけば、再び下(ふ)る雪を添へて一丈にあまる事もあれば、一度降(ふれ)ば一度掃ふ。雪浅ければ、のちふるをまつ。是を里言(さとことば)に雪堀(ゆきほり)といふ。土を掘るがごとくするゆゑに斯(かく)いふ也。掘ざれば家の用路(ろ)を塞(ふさ)ぎ、人家を埋(うづめ)て人の出(いづ)べき処もなく、力強(ちからつよき)家も幾万斤(いくまんきん)の雪の重量(おもさ)に推砕(おしくだかれ)んをおそるゝゆゑ、家として雪を掘ざるはなし。掘るにては木にて作りたる鋤(すき)を用ふ。里言(りげん)に〔こすき〕といふ。則(すなはち)木鋤(こすき)也。椈(ぶな)といふ木をもつて作る。木質(きのしやう)軽強(ねばく)して折(をる)る事なく且(かつ)軽し。形は鋤に似て刃広し。雪中第一の用具なれば山中の人これを作りて里に売(うる)。家毎(いへごと)に貯(たくはへ)ざるはなし。雪を掘る状態(ありさま)は図(づ)にあらはしたるが如し。堀たる雪は空地の人に妨(さまたげ)なき処へ山のごとく積(つみ)上る。これを里言(りげん)に〔堀揚(ほりあげ)〕といふ。大家は家夫(わかいもの)を尽して力たらざれば、堀夫(ほりて)を傭(やと)ひ幾十人の力を併(あはせ)てて一時に掘尽す。事を急(きふ)に為すは、掘る内にも大雪下れば立地(たちどころ)に堆(うづたか)く人力におよばざるゆゑ也。掘(ほ)る処図(づ)には人数(にんず)を略してゑがけり。右は大家をいふ。小家の貧(まづ)しきは堀夫(ほりて)をやとふべきも費(つひえ)あれば男女をいはず一家雪をほる。吾里にかぎらず雪ふかき処は皆然(しか)なり。此雪いくばくの力をつひやし、いくばくの銭を費し、終日ほりたる跡へその夜大雪降り、夜明て見れば元のごとし。かゝる時は主人(あるじ)はさら也、下人(しもべ)も頭(かしら)を低(たれ)て嘆息(ためいき)をつくのみ也。大抵雪あるごとに掘(ほる)ゆゑに、里言(りげん)に一番掘二番堀といふ。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.16~17)

 ・ ・ ・

 ○雪を掃(はら)ふ

|| 雪を掃うは落花をはらふに対(つゐ)して風雅の一ツとし、和漢の吟詠あままた見えたれども、かゝる大雪をはらふは風雅の状(すがた)にあらず。

■雪を払う所作は、落花を払うと対になるような優雅な趣きとして詩歌にも詠われるますが、これだけの大雪を何とかする場合には、とても風雅風流を語ってはいられないのです。

||初雪の積りたるをそのまゝにおけば、再び下(ふ)る雪を添へて一丈にあまる事もあれば、

■初雪から降った雪をそのままにしておくと、どんどんと新たな雪が積もって、はては3メートルにもなってしまうのです。
何度でもいいますが、これは降雪量ではなくて積雪高ですから。

||一度降(ふれ)ば一度掃ふ。雪浅ければ、のちふるをまつ。是を里言(さとことば)に【雪堀(ゆきほり)】といふ。土を掘るがごとくするゆゑに斯(かく)いふ也。

■一回降れば一回払うのです。ほんの少しだったら次に降るまで待ちますが。
この所作を、その地方では〔雪掘り〕と言います。まるで土を掘るようにするので、この様に言うのです。

||掘ざれば家の用路(ろ)を塞(ふさ)ぎ、人家を埋(うづめ)て人の出(いづ)べき処もなく、力強(ちからつよき)家も幾万斤(いくまんきん)の雪の重量(おもさ)に推砕(おしくだかれ)んをおそるゝゆゑ、家として雪を掘ざるはなし。

■掘らないでおくと家の前の道を塞いでしまい、家ごと埋まってしまい、出入する場所も無くなってしまい、頑丈な家であっても雪の重さで押し潰されてのです。
だから先ずは家の周りの雪を掘るしかないのです。

||掘るにては木にて作りたる鋤(すき)を用ふ。里言(りげん)に〔こすき〕といふ。則(すなはち)木鋤(こすき)也。椈(ぶな)といふ木をもつて作る。

■雪を掘る道具としては、木製の鋤を使います。この鋤のことを〔こすき〕と言います。
木の鋤なので、木鋤(こすき)なのです。ブナの木で作ります。
※奥会津では、コーシキとかコーシキ箆(べら)と言っています。

||木質(きのしやう)軽強(ねばく)して折(をる)る事なく且(かつ)軽し。形は鋤に似て刃広し。雪中第一の用具なれば山中の人これを作りて里に売(うる)。家毎(いへごと)に貯(たくはへ)ざるはなし。

■ブナの用材は、粘りがあり折れにくくそして軽いのです。
形は、鋤に似ていて、刃の部分が広い形です。
コシキを具えていない家はありません。

||雪を掘る状態(ありさま)は図(づ)にあらはしたるが如し。

■雪掘りの図です。


雪を掃(はら)ふ(北越雪譜)


||堀たる雪は空地の人に妨(さまたげ)なき処へ山のごとく積(つみ)上る。
これを里言(りげん)に〔堀揚(ほりあげ)〕といふ。

■掘った雪は空地の往来の邪魔にならない場所に山の様に積上げます。
これを、掘揚げといいます。

||大家は家夫(わかいもの)を尽して力たらざれば、堀夫(ほりて)を傭(やと)ひ幾十人
の力を併(あはせ)てて一時に掘尽す。

■大きな家(大家族だったりその地の名家(カネモチ)だったり)では、その家の〔若者〕だけでも足りない
場合には、
掘り手(人足)を雇って、数十人もよってたかって一回で掘り尽くしてしまうのです。

||事を急(きふ)に為すは、掘る内にも大雪下れば立地(たちどころ)に堆(うづたか)く
人力におよばざるゆゑ也。

■一気に雪堀をしないといけないのは、掘ってるうちにももっさもっさと雪が降り続くと、もう人の力で掘り
尽くせなくなってしまうのです。

||掘(ほ)る処図(づ)には人数(にんず)を略してゑがけり。

■掘っている図は、人数は略して描かれています。

||右は大家をいふ。
小家の貧(まづ)しきは堀夫(ほりて)をやとふべきも費(つひえ)あれば男女をいはず
一家雪をほる。

■このような作業が出来るのは、カネモチの家のことです。
小家族でビンボーな家では、人夫を雇う事など出来ないので、男も女も一家総出で雪を掘ります。

||吾里にかぎらず雪ふかき処は皆然(しか)なり。

■我が北越魚沼の地に限らず、雪の深い場所では、どこでもこのようなありさまになるのです。

||此雪いくばくの力をつひやし、いくばくの銭を費し、終日ほりたる跡へその夜大雪降り、
夜明て見れば元のごとし。

■大変な力を尽くして、金を使って(人を雇って)一日中掘っても、その後に大雪になると、翌朝には全く同
じ景色に戻ってしまうのです。

||かゝる時は主人(あるじ)はさら也、下人(しもべ)も頭(かしら)を低(たれ)て嘆息
(ためいき)をつくのみ也。

■このような大雪のときには、一家の主人は勿論、雇われた人たちも、がっくりと首をたれて、ため息をつく
ばかりです。
※はあ、よっぱになった~。

||大抵雪あるごとに掘(ほる)ゆゑに、里言(りげん)に〔一番掘二番堀〕といふ。

■この様に、大雪があるたびに掘出す作業をするので、この地方では何回目の掘出し作業かを、一番掘・二番掘、というふうに呼んでいます。



【北越雪譜】つもり「たる」ゆきを●●●●●づ2018/01/09 22:38


雪を掃(はら)ふ(北越雪譜)
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.4)

||「掘除積雪之図」
||つもり「たる」ゆきを●●●●●づ。

どなたか読んでください(^^;
 1.とりのぞく?
 2.とりのけ(ケ)る?



【北越雪譜】江戸 酔●山人●題2018/01/09 22:42


雪を掃(はら)ふ(北越雪譜)

「校註 北越雪譜」野島出版より(P.4)

漢文(漢字)部分は殆ど読めません。
それでも判りそうな文字をあててみます。

●間●ニ ※々?
雪花飛天
曙●来白
四周●●
●林人不晃風涛●●犬
空飢瀬乗冷●促高履●
●●●●●衣●程要知
春●●●頭三月早梅緋
右賦●越雪景
 江戸 酔●山人●題

(facebookでもお訊ね投稿中です(笑))


沫雪(北越雪譜)2018/01/10 23:30

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○沫雪(あわゆき)

 春の雪は消(きえ)やすきをもつて沫雪(あわゆき)といふ。和漢の春雪消やすきを詩歌の作意とす、是暖国の事也。寒国の雪は冬を沫雪ともいふべし。いかんとなれば、冬の雪はいかほどつもりても凝凍(こほりかたまる)ことなく、脆弱(やはらか)なる事淤泥(どろ)のごとし。故(かるがゆゑ)に冬の雪中は、〔橇(かんじき)〕・〔縋(すがり)〕を穿(はき)て途(みち)を行(ゆく)。里言(りげん)には雪を〔漕(こぐ)〕といふ。水を渉る状(すがた)に似たるゆゑにや。又深田を行(ゆく)すがたあり、初春にいたれば雪悉く凍(こほ)りて、雪道は石を布(しき)たるごとくなれば往来冬よりは易(やす)し。すべらざるために、下駄(げた)の歯にくぎをうちて用ふ。暖国の沫雪とは気運の前後かくのごとし。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.17)

 ・ ・ ・

 ○沫雪(あわゆき)

|| 春の雪は消(きえ)やすきをもつて沫雪(あわゆき)といふ。和漢の春雪消やすきを詩歌の作意とす、是暖国の事也。

■春先に降る消え易い雪を“あわゆき”といって、詩歌の趣向となっていますが、それは暖国の話です。

||寒国の雪は冬を沫雪ともいふべし。いかんとなれば、冬の雪はいかほどつもりても凝凍(こほりかたまる)ことなく、脆弱(やはらか)なる事淤泥(どろ)のごとし。

■雪国の雪は、真冬こそ“あわゆき”と言った方が正しいのです。
何故なら冬の雪はどれだけ積っても凍結する事がなく、軟らかいままでまるで泥のようになっているのです。

||故(かるがゆゑ)に冬の雪中は、〔橇(かんじき)〕・〔縋(すがり)〕を穿(はき)て途(みち)を行(ゆく)。里言(りげん)には雪を〔漕(こぐ)〕といふ。水を渉る状(すがた)に似たるゆゑにや。

■このような雪中の歩行には、〔橇(かんじき)〕や〔縋(すがり)〕を履いて歩きます。
こうした歩き方を、雪を〔漕ぐ〕といいます。まるで水を漕いで渡る様子に似ているからです。

||又深田を行(ゆく)すがたあり、初春にいたれば雪悉く凍(こほ)りて、雪道は石を布(しき)たるごとくなれば往来冬よりは易(やす)し。すべらざるために、下駄(げた)の歯にくぎをうちて用ふ。

■また田んぼなど野原の上も歩けます。
春が近くなると、雪の表面が凍ってまるで石を敷いた平面のようになるので、歩行移動は真冬の沫雪状態とは全く違って歩きやすくなります。
滑らないように、下駄の歯に釘を打って使います。

||暖国の沫雪とは気運の前後かくのごとし。

■この様に、暖国で言われる淡雪とは大違いなのです。



雪道(北越雪譜)2018/01/11 23:42

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪道(みち)

 冬の雪は脆(やはらか)なるゆゑ人の踏固(ふみかため)たる跡をゆくはやすけれど、往来(ゆきゝ)の旅人一宿(しゆく)の夜大雪降ば、ふみかためたる一条(すじ)の雪道雪に埋(うづま)り途をうしなふゆゑ、郊原(のはら)にいたりては方位(ほうかく)をわかちがたし。此時は里人(さとひと)幾十人を傭(やと)ひ、橇(かんじき)・縋(すがり)にて道を踏開せ、跡に随(したがつ)て行(ゆく)也。此費(ものいり)幾緡(いくさし)の銭を費すゆゑ、貧(とぼ)しき旅人は人の道をひらかすを待(まち)て空(むなし)く時を移(うつす)もあり。健足(けんそく)の飛脚といへども雪道を行(ゆく)は一日二三里に過(すぎ)ず。橇(かんじき)にて足自在ならず。雪膝を越すゆえ也。これ冬の雪中一ツの艱難也。春は雪凍(こほり)て鉄石(てつせき)のごとくなれば、雪車(そり) 又雪舟(そり)の字をも用ふ を以て重(おもき)を用ふ。里人(りじん)は雪車に物をのせ、おのれものりて雪上を行(ゆく)事舟のごとくす。雪中は牛馬の足立ざるゆゑすべて雪車を用ふ。春の雪中重(おもき)を負(おは)しむる事牛馬(うしうま)に勝る。雪車の制作(せいさく)別に記す。形大小種々あり。大なるを修羅(しゆら)といふ。雪国の便利第一の用具也。しかれども雪凍りたる時にあらざれば用ひがたし。ゆゑに里人雪舟途(そりみち)と唱ふ。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.17~20)

 ・ ・ ・

 ○雪道(みち)

|| 冬の雪は脆(やはらか)なるゆゑ人の踏固(ふみかため)たる跡をゆくはやすけれど、往来(ゆきゝ)の旅人一宿(しゆく)の夜大雪降ば、ふみかためたる一条(すじ)の雪道雪に埋(うづま)り途をうしなふゆゑ、郊原(のはら)にいたりては方位(ほうかく)をわかちがたし。

■ 冬の雪は軟らかいので、雪踏みをした跡を歩くのは、割りと安心して歩けます。
ただ一晩の内に大雪が降ると、昨日に踏み固められた一筋の雪道は降った雪で跡形もなくなります。
翌朝に出かけようとする旅人は、道が無くなっていることに気付きます。
野原にまで歩いていくと、目視物も見えなくなるので方向を失ってしまいます。

||此時は里人(さとひと)幾十人を傭(やと)ひ、橇(かんじき)・縋(すがり)にて道を踏開せ、跡に随(したがつ)て行(ゆく)也。

■そういう時には、村人を十数人も雇って、カンジキやスガリで雪踏みをして道を作ってもらって、その跡について歩いていく事になります。

||此費(ものいり)幾緡(いくさし)の銭を費すゆゑ、貧(とぼ)しき旅人は人の道をひらかすを待(まち)て空(むなし)く時を移(うつす)もあり。

■お礼の出費もかさむ事になります。
懐の乏しい旅人は、誰か他の人が雪踏みで道を作ってくれるのを待っているしか手がなくなります。

||健足(けんそく)の飛脚といへども雪道を行(ゆく)は一日二三里に過(すぎ)ず。
橇(かんじき)にて足自在ならず。雪膝を越すゆえ也。これ冬の雪中一ツの艱難也。

■健脚の飛脚の人でも、雪道を歩いて行くには一日に、10キロメートルほどしか歩けません。
カンジキを履いていても雪で膝を越すほどに埋まるので、足が自由にならないのです、
これも、冬の雪中往来の苦労のひとつです。

||春は雪凍(こほり)て鉄石(てつせき)のごとくなれば、雪車(そり) 又雪舟(そり)の字をも用ふ を以て重(おもき)を用ふ。

■春先になると、雪は凍って表面は鉄や石の様に硬く平らになります。
この時期には、雪橇(ソリ)を使って重い荷物なども運びます。
雪車と書きますが、雪舟とも書きます。

||里人(りじん)は雪車に物をのせ、おのれものりて雪上を行(ゆく)事舟のごとくす。雪中は牛馬の足立ざるゆゑすべて雪車を用ふ。春の雪中重(おもき)を負(おは)しむる事牛馬(うしうま)に勝る。

■村の人は、ソリに荷物を載せて、自分も乗って雪上を舟の様に滑って移動します。
雪の中では牛馬では足が立たないので、ほとんどソリを使います。
春の雪中で重いものを運ぶには、牛馬よりも効率も積載量も大きいのです。

||雪車の制作(せいさく)別に記す。形大小種々あり。大なるを修羅(しゆら)といふ。

■そりの製作については、別に書きます。
形は大小さまざまあって、大きいソリは【修羅(しゅら)】と呼んでいます。

||雪国の便利第一の用具也。しかれども雪凍りたる時にあらざれば用ひがたし。ゆゑに里人雪舟途(そりみち)と唱ふ。

■これは雪国で一番便利な用具です。
しかし、硬雪(かたゆき、雪が凍結して表面が硬くなる)の季節にしか使えないのです。
それで、こういう状態の雪になった時のことを、ゆきそりみち(雪舟途)と言います。



【北越雪譜】雪中歩行用具
【北越雪譜】雪中歩行用具
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.5)

||雪中歩行用具
||せつちゆう ほこう の ようぐ

読めそうな名前分。
「わらくつ」「こすき」「すき」「ミの」「むねうけ?」「すケり(すがり)」「かん志(じ)き」
「京水図」

【北越雪譜】雪中歩行用具2018/01/13 23:16


雪中歩行用具


(既掲載)
||雪中歩行用具
||せつちゆう ほこう の ようぐ

読めそうな名前分。
「わらくつ」「こすき」「すき」「ミの」「むねうけ?」「すケり(すがり)」「かん志(じ)き」
「京水図」

と投稿しましたが、挿絵目次という頁があった。
活字で見つけた。

 “わらはばき”
 “わらくつ”
 “しぶからみ”
 “わらぼうし”
 “紙ぼうし”
 “わたいれぼうし”
 “みの”
 “むねかけ”
 “ぼろぼうし”
 “こすき”
 “すき”
 “すがり”
 “かんじき”
 “別のわらぐつ”
とあり。
中央下部の黄色枠は?記載がない。
まさか「目だし帽(ぼうし)」とかか!(^^;

雪蟄(北越雪譜)2018/01/13 23:40

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪蟄(こもり)

 凡(およそ)雪九月末より降はじめて雪中に春を迎(むかへ)、正二の月は雪尚深し。三四の月に至りて次第に解(とけ)、五月にいたりて雪全く消(きえ)て夏道となる。年の寒暖によりて遅速あり。四五月にいたれば春の花ども一時(じ)にひらく。されば雪中に在る事凡(およそ)八ヶ月、一年の間雪を看ざる事僅(わづか)に四ヶ月なれども、全く雪中に蟄(こも)るは半年也。こゝを以て家居(いへゐ)の造りはさら也、万事(よろづのこと)雪を禦(ふせ)ぐを専(もつぱら)とし、財を費(つひやし)力を尽す事紙筆(しひつ)に記(しる)しがたし。農家はことさら夏の初より秋の末までに五穀をも収(をさむ)るゆゑ、雪中に稲を刈(かる)事あり。其忙(いそがし)き事の千辛万苦、暖国の農業に比すれば百倍也。さればとて雪国に生(うまる)る者は、幼稚(をさなき)より雪中に成長するゆゑ、蓼(たで)の中の虫辛(からき)をしらざるがごとく雪を雪ともおもはざるは、暖地の安居(あんきよ)を味(あぢはへ)ざるゆゑ也。女はさら也。男も十人に七人は是也。しかれども住(すめ)ば都とて、繁花(はんくわ)の江戸に奉公する事年(とし)ありて後(のち)雪国の故郷(ふるさと)に帰る者、これも又十人にして七人也。胡馬(こば)北風(ほくふう)に嘶(いなゝ)き、越鳥(ゑつてう)南枝(なんし)に巣くふ、故郷(こきやう)の忘(わすれ)がたきは世界の人情也。さて雪中は廊下(らうか)に 江戸にいふ店(たな)下 雪垂(ゆきだれ)を かやにてあみたるすだれをいふ 下(くだ)し 雪吹(ふゞき)をふせぐため也 窓も又これを用ふ。雪ふらざる時は巻(まい)て明(あかり)をとる。雪下(ふる)事盛(さかん)なる時は、積る雪家を埋(うづめ)て雪と屋上(やね)と均(ひとし)く平(たひら)になり、明(あかり)のとるべき処なく、昼も暗夜のごとく燈火(ともしび)を照(てら)して家の内は夜昼(よるひる)をわかたず、漸(やうやく)雪の止(やみ)たる時、雪を掘(ほり)て僅(わづか)に小窓をひらき明(あかり)をひく時は、光明赤々赫奕(かくやく)たる仏の国に生たるこゝち也。此外雪籠(こも)りの艱難さま/”\あれど、くだ/\しければしるさず。鳥獣(とりけだもの)は雪中食無(しよくなき)をしりて雪浅き国へ去るもあれど一定(ぢやう)ならず、雪中に籠り居て朝夕をなすものは人と熊犬猫也。「校註 北越雪譜」野島出版より(P.20~21)

 ・ ・ ・

 ○雪蟄(こもり)

|| 凡(およそ)雪九月末より降はじめて雪中に春を迎(むかへ)、正二の月は雪尚深し。

■ 雪は九月末から降りはじめて、春は雪の中で迎えます。
正月、二月は雪がもっとも深くなります。
※旧暦(陰暦)表現です。

||三四の月に至りて次第に解(とけ)、五月にいたりて雪全く消(きえ)て夏道となる。年の寒暖によりて遅速あり。

■三月四月になってからそろそろ雪解けの季節となり、五月になれば雪は消えてしまいます。
道に雪は無くなります。年回りにより遅速はあります。

||四五月にいたれば春の花ども一時(じ)にひらく。

■四月5月には、春の草木の花は一斉に開きます。

||されば雪中に在る事凡(およそ)八ヶ月、一年の間雪を看ざる事僅(わづか)に四ヶ月なれども、全く雪中に蟄(こも)るは半年也。

■一年のうちで雪があるのは八ヶ月間、全く雪を見ない期間が4ヶ月。
雪中に埋もれるのが半年間です。

||こゝを以て家居(いへゐ)の造りはさら也、万事(よろづのこと)雪を禦(ふせ)ぐを専(もつぱら)とし、財を費(つひやし)力を尽す事紙筆(しひつ)に記(しる)しがたし。

■雪国での生活は、家の構造からしてそうですが、全ての事は雪を防ぐ事と克雪(こくせつ)が最重要事となり、そのための出費と作業については、書ききれないのです。

||農家はことさら夏の初より秋の末までに五穀をも収(をさむ)るゆゑ、雪中に稲を刈(かる)事あり。其忙(いそがし)き事の千辛万苦、暖国の農業に比すれば百倍也。

■農作業は特に、その雪の無い季節の初夏から晩秋の間に作物を育てて収穫しなければならないのです。
時には雪の中での稲刈りなどということもあります。
その段取りと多忙なことは、まさに千辛万苦です。雪の無い地方と較べれば百倍の辛さといってもよいでしょう。

||さればとて雪国に生(うまる)る者は、幼稚(をさなき)より雪中に成長するゆゑ、蓼(たで)の中の虫辛(からき)をしらざるがごとく雪を雪ともおもはざるは、暖地の安居(あんきよ)を味(あぢはへ)ざるゆゑ也。女はさら也。男も十人に七人は是也。

■かといって、雪国に生れついた人は、幼少の頃からその雪の中があたりまえと思って育つので、
「蓼喰う虫も好き好き」で、雪を大変なものとも思わないのです。
これは、雪の無い地方での生活を経験していないから、比較しようとも思い付かないのです。
女性は特に他国での生活経験が無いのです、男性でも十人いれば七人くらいはそうです。

||しかれども住(すめ)ば都とて、繁花(はんくわ)の江戸に奉公する事年(とし)ありて後(のち)雪国の故郷(ふるさと)に帰る者、これも又十人にして七人也。胡馬(こば)北風(ほくふう)に嘶(いなゝ)き、越鳥(ゑつてう)南枝(なんし)に巣くふ、故郷(こきやう)の忘(わすれ)がたきは世界の人情也。

■「住めば都」ともいいますが、賑やかしい江戸に奉公に行っている人でも、何年かするとふるさとの雪国に戻ってきてしまう人もいます。
これも、七割くらいの人はそうでしょう。
「胡馬依二北風一、越鳥巣二南枝一」
北方(胡国)生れの馬は北風が吹くと故郷を思って嘶(いなな)き、越鳥(南からの渡り鳥)は南の枝に巣を懸ける、という「文選」の古詩のごとく、
♪忘れ難き古里(ふるさと)、望郷の念に駆られるのは、世の中の人情なのでありましょう。

||さて雪中は廊下(らうか)に 江戸にいふ店(たな)下 雪垂(ゆきだれ)を かやにてあみたるすだれをいふ 下(くだ)し 雪吹(ふゞき)をふせぐため也 窓も又これを用ふ。雪ふらざる時は巻(まい)て明(あかり)をとる。

■雪中では、軒下に簾を垂れます。江戸で言ったら店下(たなした)にかけるようなもの。
これを〔雪垂(ゆきだれ)〕と言います、茅(かや)で編んだ簾(すだれ、むしろ莚(むしろ)か)を下げるのです。
風と雪避けの為です。窓にもこれを掛けます。
雪が降らないときには巻き上げて、明かりをとります。

「香炉峰雪撥レ簾看」源氏物語のおねゐさんのように、香炉峰(こうろほう)の雪は簾を上げて、などという風流はござんせんですぜ。
それに、この図は雪の無い地方で遥かな遠山の廬山(ろざん)を仰ぐ図だ。

||雪下(ふる)事盛(さかん)なる時は、積る雪家を埋(うづめ)て雪と屋上(やね)と均(ひとし)く平(たひら)になり、明(あかり)のとるべき処なく、昼も暗夜のごとく燈火(ともしび)を照(てら)して家の内は夜昼(よるひる)をわかたず、漸(やうやく)雪の止(やみ)たる時、雪を掘(ほり)て僅(わづか)に小窓をひらき明(あかり)をひく時は、光明赤々赫奕(かくやく)たる仏の国に生たるこゝち也。

■大雪が続くと、雪で家が埋まってしまい屋根のぐしと同じ高さに平らになってしまいます。
明かりの入ってくる隙間も無くなり、日中でも夜のようになってしまうので、灯火で明かりをとるしかなくなり、昼も夜も判らなくなってしまいます。

雪が止む晴間に雪を掘り出して、少しだけでも小窓が開くようにして明かりをいれます。
やっと光が差し込むその時にはまさに、仏様のいらっしゃる国にでも生れたかという心持になってしまうほどです。

||此外雪籠(こも)りの艱難さま/”\あれど、くだ/\しければしるさず。

■このほか、雪ごもりの生活風景は沢山ありますが、いちいちは書ききれないほどです。

||鳥獣(とりけだもの)は雪中食無(しよくなき)をしりて雪浅き国へ去るもあれど一定(ぢやう)ならず、雪中に籠り居て朝夕をなすものは人と熊犬猫也。

■鳥獣類は、雪の中では食べ物が無くなるのを知っているので、雪の無い地域に移動する種類もいます。
こんな雪中ににこもってでも暮らしているのは、人と熊と犬と猫くらいなのです。



修羅(しゅら)の事2018/01/14 20:29

『北越雪譜』(初編 巻之上)に、【修羅】の文字が出てくる。

||   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
||   江  戸 京山人 百樹 刪定
||・・・
|| ○雪道(みち)
||・・・
||春は雪凍(こほり)て鉄石(てつせき)のごとくなれば、雪車(そり) 又雪舟(そり)の字をも用ふ を以て重(おもき)を用ふ。里人(りじん)は雪車に物をのせ、おのれものりて雪上を行(ゆく)事舟のごとくす。雪中は牛馬の足立ざるゆゑすべて雪車を用ふ。春の雪中重(おもき)を負(おは)しむる事牛馬(うしうま)に勝る。雪車の制作(せいさく)別に記す。形大小種々あり。大なるを【修羅(しゆら)】といふ。雪国の便利第一の用具也。しかれども雪凍りたる時にあらざれば用ひがたし。ゆゑに里人雪舟途(そりみち)と唱ふ。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.17~20)

 この、修羅の事である。簡便辞書にも載っている。

>>運搬具である。大石などを乗せて、地面にコロを設置して、その上を滑らせて運搬する装置。雪上や斜面では、自重でもすべる。
(簡便辞書より抜粋)

というような説明以外に、面白い記載を見つけた。
何故に〔しゅら〕と呼ぶのかというと、(阿)修羅は帝釈天に戦いを挑む。つまりたいしゃくを動かすのです。そうです、大石(たいしゃく)を動かすところから命名されたのだそうですよ。

奥会津では、春の雪山などで、木を山から里に下すのも修羅で運ぶという記載も見つけた。

会津にこだわる中村彰彦氏の小説の中にも出てきます。

 土塁はいずれ石垣造りにされる計画で、その石は東山の慶山(けいざん)村から伐(き)り出されることになった。会津は岩代国(いわしろのくに)ともいわれるように、盆地周辺には岩盤のしっかりした高地が多い。
 慶山村、若松城下、越後街道をむすぶ線には人夫たちがびっしりと立ちならび、コロや修羅車によって巨石が運ばれてくると声をそろえて引き縄を引いた。普請奉行とその手代たちは万一の事故にそなえ、柿色の手拭い鉢巻姿で騎乗してその近くを駈けまわる。 
《東に名臣あり 花に背いて帰らん 直江山城守兼続(やましろのかみかねつぐ)》
『東に名臣あり 家老列伝』中村彰彦・文春文庫より(P.92)

実は、この修羅は、『北越雪譜』の別の章で「大持(だいもち)引き」として、出てくるのです。
この抜書きをしている同じ本「校註 北越雪譜」野島出版の178頁に、「○橇(そり)」という章立てがある。
そこに載っている文章の内容と図は、奥会津昭和村大芦でしばらく前から行事として復活させた「デエモチ(大持)引き」を髣髴させるのです。
そして、奥会津昭和村大芦の五十嵐唯一さんがご自分が描かれた絵画(油絵)をすみれ荘に寄贈されていた、それが「大持引」の絵なのです。ことを知ったのもつい数ヶ月前の事でした。

ご存知の方にはとっくに既知のことかも知れないことだが、この事に気づいたときの掲載子のユリイカとして投稿しておきます(^^;
(さて、この抜書きは、その頁までたどり付けるのだろうか、、、こら!)



胎内潜(北越雪譜)2018/01/14 21:17

胎内潜(北越雪譜)

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 宿場と唱(となふ)る所は家の前に庇(ひさし)を長くのばして架(かく)る、大小の人家すべてかくのごとし。雪中はさら也、平日も往来(ゆきゝ)とす。これによりて雪中の街(ちまた)は用なきが如くなれば、人家の雪をこゝに積(つむ)。次第に重(かさなり)て両側の家の間に雪の堤(つゝみ)を築(きづき)たるが如し。こゝに於て所々(ところ/\)に雪の洞(ほら)をひらき、庇より庇に通ふ、これを里言(さとことば)に胎内潜(たいないくゞり)といふ。又間夫(まぶ)ともいふ。間夫とは金堀(かねほり)の方言(ことば)なるを借(かり)て用ふる也。間夫の本義は妻妾(さいせう)の奸淫(かんいん)するをいふ。宿外の家の続(つゞか)ざる処は庇なければ、高低(たかびく)をなしたるかの雪の堤を往来(ゆきゝ)とす。人の足立(たて)がたき処あれば一条の道を開き、春にいたり雪堆(うづたか)き所は壇層(だん/”\)を作りて通路の便とす。形匣階(はこばしご)のごとし。所の者はこれを登下(のぼりくだり)するに脚(あし)に慣(なれ)て一歩(ひとあし)もあやまつる事なし。他国の旅人などは怖る/\移歩(あしをはこび)かへつて落(おつ)る者あり。おつれば雪中に身を埋む。視る人はこれを笑ひ、落(おち)たるものはこれを怒る。かゝる難所(なんじよ)を作りて他国の旅客(りよかく)を労(わづら)はしむる事求(もとめ)たる所為(しわざ)にあらず。此雪を取除(とりのけん)とするには人力と銭財(せんざい)とを費(つひや)すゆゑ、寸導(せめて)は壇を作りて途(みち)を開く也。そも/\初雪より歳を越て雪消(きゆ)るまでの事を繁細(はんさい)に記(しる)さば小冊には尽しがたし、ゆゑに省(はぶき)てしるさゞる事甚多し。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.21~22)

 ・ ・ ・

 ○胎内潜(たいないくぐり)

|| 宿場と唱(となふ)る所は家の前に庇(ひさし)を長くのばして架(かく)る、大小の人家すべてかくのごとし。

■宿場のある集落の家は、庇を長くして立ててあります。

||雪中はさら也、平日も往来(ゆきゝ)とす。

■雪降りの日に限らず、普段もその下を通行します。

||これによりて雪中の街(ちまた)は用なきが如くなれば、人家の雪をこゝに積(つむ)。

■これによって、他の場所は通行の場所として不要な空地になります。家の屋根と周りの雪は、その空地に積んでいくのです。

||次第に重(かさなり)て両側の家の間に雪の堤(つゝみ)を築(きづき)たるが如し。

■だんだんと積み重なると、家と家との間には大きな堤防のような壁が出来てきます。

||こゝに於て所々(ところ/\)に雪の洞(ほら)をひらき、庇より庇に通ふ、これを里言(さとことば)に胎内潜(たいないくゞり)といふ。

■この雪の台の所々には、孔を開けて、庇の下から隣の家の庇の下まで通れるようにします。
これを、地元では【胎内潜(たいないくゞり)】と言います。

||又間夫(まぶ)ともいふ。間夫とは金堀(かねほり)の方言(ことば)なるを借(かり)て用ふる也。間夫の本義は妻妾(さいせう)の奸淫(かんいん)するをいふ。

■また、【間夫(まぶ)】ともいいます。
まぶ(間府)とは、元々は鉱山の穴の事で坑道(横穴)から由来した命名ですが、密通男の通い路のような名前にもなっているのですね。

||宿外の家の続(つゞか)ざる処は庇なければ、高低(たかびく)をなしたるかの雪の堤を往来(ゆきゝ)とす。

■宿屋の家が続いていない場所は軒下が無いので、積上げて高低差のある台状になった雪の上を歩くしかありません。

||人の足立(たて)がたき処あれば一条の道を開き、春にいたり雪堆(うづたか)き所は壇層(だん/”\)を作りて通路の便とす。形匣階(はこばしご)のごとし。

■人が登れないほどの高さの場所では一筋の通路を掘ります。
春先になってその山が益々高くなった所には、階段を作って昇り降りが出来るようにします。
その形は、箱梯子(はこばしご)のようになります。

||所の者はこれを登下(のぼりくだり)するに脚(あし)に慣(なれ)て一歩(ひとあし)もあやまつる事なし。

■地元の人は慣れているので、その段を上手く昇り降りします。

||他国の旅人などは怖る/\移歩(あしをはこび)かへつて落(おつ)る者あり。おつれば雪中に身を埋む。

■よそから来た人は、恐る恐る一歩一歩足を運ぶのですが、滑って落ちる人もいます。
そこから落ちると、深雪の中に埋もれてしまうのです。

||視る人はこれを笑ひ、落(おち)たるものはこれを怒る。かゝる難所(なんじよ)を作りて他国の旅客(りよかく)を労(わづら)はしむる事求(もとめ)たる所為(しわざ)にあらず。

■それを見た人は大笑いしますが、落ちた当人はそれどころではないので怒り出します。
かといって、その様な場所を設置してよそ者を苦労させて笑う為にわざわざ作ったテーマパークとかではないのです。

||此雪を取除(とりのけん)とするには人力と銭財(せんざい)とを費(つひや)すゆゑ、寸導(せめて)は壇を作りて途(みち)を開く也。

■この場所を除雪する為には多大な人力と経費が掛かってしまうのです。
それでも、せめて壇にして通行出来るようにしているのです。

||そも/\初雪より歳を越て雪消(きゆ)るまでの事を繁細(はんさい)に記(しる)さば小冊には尽しがたし、ゆゑに省(はぶき)てしるさゞる事甚多し。

■初雪の季節から翌春までのこのような事々をこまごまと書いていくと、この本が出来上がらなくなってしまう(泣)。
それなので省略して書いていないことが沢山あるのです。
※(牧之の文章をなるべくそのまま載せたい京山と版元との確執かも(笑))



雪中の洪水(北越雪譜)1/32018/01/16 21:56

(投稿都合で、章節を分けています(掲載子))

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪中の洪水(こうずゐ) 1/3

 大小の川に近き村里(むらさと)、初雪の後洪水の災(わざわひ)に苦(くるし)む事あり。洪水を此国の俚言(りげん)に水揚(みづあがり)といふ。余一年(ひとゝせ)関(せき)といふ隣駅(りんえき)の親族油屋が家に止宿せし時、頃は十月のはじめにて雪八、九尺つもりたるをりな
りしが、夜半にいたりて近隣の諸人叫び呼(よば)はりつゝ立騒ぐ声に睡(ねふり)を驚(おどろか)し、こは何事やらんと胸もをどりて臥(ふし)たる一間(ひとま)をはせいでければ、家の主(あるじ)両手(りやうて)に物を提(さげ)、水あがり也、とく/\裏の堀揚(ほりあげ)へ立退(たちのき)給へといひすてゝ持たる物を二階へ運びゆく。勝手の方へ立いで見れば、家内の男女狂気のごとく駈(かけ)まはりて、家財を水に流さじと手当(てあた
り)しだいに取退(とりのく)る。水は低(ひくき)に随て潮(うしほ)のごとくおしきたり、已(すで)に席(たゝみ)を浸し庭に漲(みなぎ)る。次第に積(つもり)たる雪、所として雪ならざるはなく、雪光(せつこう)暗夜を照して水の流(ながる)るありさまおそろしさいはんかたなし。余(よ)は人に助けられて高所(たかきところ)に逃登(にげのぼ)り遥(はるか)に駅中(えきちゆう)を眺(のぞめ)ば、提灯炬(たいまつ)を燈しつれ大勢の男ども手(てに)々に木鋤(こすき)をかたげ、雪を越(こえ)水を渉(わたり)て声をあげてこゝに来(きた)る。これは水揚(みずあがり)せざる所の者ども、こゝに馳(はせ)あつまりて川筋を開き、水を落さんとする也。闇夜にてすがたは見えねど、女童(をんなわらべ)の泣叫ぶ声或は遠く或は近く、聞(きく)もあはれのありさま也。燃残りたる炬(たいまつ)一ツをたよりに人も馬も首たけ水に浸り、漲るながれをわたりゆくは馬を助(たすけ)んとする也。帯もせざる女、片手に小児を背負、提灯を提(さげ)て高処(たかきところ)へ逃のぼるは、近ければそこらあらはに見ゆ。命とつりがへなればなにをも恥しとはおもふべからず。可笑(をかしき)事可憐(あはれ)なる事可怖(おそろし)き事種々さま/”\筆に尽しがたし。やう/\東雲(しのゝめ)に至りて水も落(おち)たりとて諸人(しよにん)安堵(あんど)のおもひをなしぬ。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.22~27)

 ・ ・ ・

 ○雪中の洪水(こうずゐ) 1/3
 〈水揚(みずあがり)〉

|| 大小の川に近き村里(むらさと)、初雪の後洪水の災(わざわひ)に苦(くるし)む事あり。洪水を此国の俚言(りげん)に水揚(みづあがり)といふ。

■川に近い集落では、初雪の後で洪水が発生することがあります。
このことを、水揚(みずあがり)と言います。

||余一年(ひとゝせ)関(せき)といふ隣駅(りんえき)の親族油屋が家に止宿せし時、頃は十月のはじめにて雪八、九尺つもりたるをりなりしが、

■一年ほど隣の宿場、関(地名)の親類の油屋(屋号)に滞在していたことがありました。
季節は十月初旬で、雪が2メートル以上も積っていました。以下はそのときのことです。

||夜半にいたりて近隣の諸人叫び呼(よば)はりつゝ立騒ぐ声に睡(ねふり)を驚(おどろか)し、こは何事やらんと胸もをどりて臥(ふし)たる一間(ひとま)をはせいでければ、家の主(あるじ)両手(りやうて)に物を提(さげ)、水あがり也、とく/\裏の堀揚(ほりあげ)へ立退(たちのき)給へといひすてゝ持たる物を二階へ運びゆく。

■夜中になって近所の人々とが叫んで騒ぐ声がしたのです。
それでびっくりして目が覚めた。
何ごとか、と布団から飛び起きて部屋から出ると、宿の主人は「水あがりです。すぐに裏の高台に逃げてください」と。
両手に荷物を抱えて、二階に運んでいるのです。

||勝手の方へ立いで見れば、家内の男女狂気のごとく駈(かけ)まはりて、家財を水に流さじと手当(てあたり)しだいに取退(とりのく)る。

■台所の方に行ってみると、家財道具を水に濡らさないようにと、家内の人たちが手当たり次第に移動しているのです。

||水は低(ひくき)に随て潮(うしほ)のごとくおしきたり、已(すで)に席(たゝみ)を浸し庭に漲(みなぎ)る。

■水は低い場所に渦を巻いて流れてきて、既に床上浸水、畳はびしょびしょ、庭は水で溢れているのです。

||次第に積(つもり)たる雪、所として雪ならざるはなく、雪光(せつこう)暗夜を照して水の流(ながる)るありさまおそろしさいはんかたなし。

■雪はどんどん降ってきて、雪の無い場所などありません。
雪明かりに見えるその流水といったら恐ろしくてたまりませんでした。

||余(よ)は人に助けられて高所(たかきところ)に逃登(にげのぼ)り遥(はるか)に駅中(えきちゆう)を眺(のぞめ)ば、提灯炬(たいまつ)を燈しつれ大勢の男ども手(てに)々に木鋤(こすき)をかたげ、雪を越(こえ)水を渉(わたり)て声をあげてこゝに来(きた)る。

■自分は手助けを受けて高い場所まで逃げおおせました。
そして、宿場の方を見ると、松明(たいまつ)を持った大勢の男たちは、こすき(木鋤)を担いで、
雪を漕いで水の中を渉って、声をあげながらこちらにやってきました。

||これは水揚(みずあがり)せざる所の者ども、こゝに馳(はせ)あつまりて川筋を開き、水を落さんとする也。

■水あがりにならない場所の人が駆けつけてきて、川筋を開けて流れを変更する為です。

||闇夜にてすがたは見えねど、女童(をんなわらべ)の泣叫ぶ声或は遠く或は近く、聞(きく)もあはれのありさま也。

■暗闇なので姿は見えませんが、女子供の泣き叫ぶ声が、おちこちから聞こえてくるのは何とも可哀想です。

||燃残りたる炬(たいまつ)一ツをたよりに人も馬も首たけ水に浸り、漲るながれをわたりゆくは馬を助(たすけ)んとする也。

■燃えさしの松明の明かり一つを頼りに、人も馬も首まで水に浸かって奔流の中を渡っているのは、馬を救助する為です。

||帯もせざる女、片手に小児を背負、提灯を提(さげ)て高処(たかきところ)へ逃のぼるは、近ければそこらあらはに見ゆ。命とつりがへなればなにをも恥しとはおもふべからず。

■帯も結ばないで、片手には子どもを抱えて片手には提灯を下げて高いところへ逃げる様子は、間近に見えるので何ともあらわな姿立ちです。
しかし命あってのことですので、恥ずかしいなどと言ってはいられないのです。

||可笑(をかしき)事可憐(あはれ)なる事可怖(おそろし)き事種々さま/”\筆に尽しがたし。

■可笑しいこと、哀れな事、また恐ろしい事々色々様々、これも書ききれないのです。

||やう/\東雲(しのゝめ)に至りて水も落(おち)たりとて諸人(しよにん)安堵(あんど)のおもひをなしぬ。

■明け方になってようやく水も引いてきたとのことで、みんなの気持が落ち着きほっとしたようです。

 ・ ・ ・

【手々に木鋤をかたげ】
 ※【担ぐ】かたぐ、
 ※「かたぐ」とか「たんがく」という言葉は現代、奥会津には残っていますね。



別冊