別冊

寺の雪頽(北越雪譜)2018/02/06 21:47

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○寺の雪頽(なだれ)

 なだれは敢(あへ)て山にもかぎらず、形状(かたち)嶺(みね)をなしたる処は時としてなだるゝ事あり。文化のはじめ、思川村(おもひがはむら)天晶寺(てんしやうじ)の住職(じゆうしよく)執中和尚(しつちゆうおせう)は牧之が伯父(をじ)也。仲冬のすゑ此人居間の二階にて書案(つくゑ)によりて物を書(かき)てをられしが、窓の庇に下りたる垂氷(つらゝ)の五六尺なるが明りに障りて机のほとり暗きゆゑ、家の檐(のき)にいで、家僕(しもべ)が雪をほらんとてうちおきたる木鋤(こすき)をとり、かのつらゝを打(うち)をらんとて一打うちけるに、此ひゞきにやありけん-里言につらゞを〔かなこほり〕といふ、たるひとは古言にもいふ-本堂に積(つもり)たる雪の片屋根磊々(ぐら/”\)となだれおち、土蔵のほとりに清水がゝりの池ありしに和尚なだれに押落(おしおと)され池に入るべきを、なだれの勢(いきほ)ひに身は手鞠(てまり)のごとく池をもはねこえて堀揚(ほりあげ)たる雪に半身を埋められ、あとさけびたるこゑに庫裏(くり)の雪をほりゐたるしもべら馳(はせ)きたり持(もち)たる木鋤にて和尚を堀いだしければ、和尚大に笑ひ身うちを見るに聊(いさゝか)も疵(きず)うけず、耳に掛(かけ)たる目鏡(めかね)さへつゝがなく不思議の命をたすかり給ひぬ。此時七十余の老僧なりしが、前にいへる何村(なにむら)の人の不幸に比(くらぶ)れば万死に一生をえられたる天幸(てんかう)といひつべし。齢(よはひ)も八十余まで無病にして文政のすゑに遷化(せんげ)せられき。平日余(よ)に示していはれしは、我雪頽に撞(うた)れしとき筆を採りて居(ゐ)たりしは尊き仏経なりしゆゑ、たゞにやはとて一字毎に念仏中て書居(かきを)れり、しかるに雪頽に死すべかりしを不思議に命助かりしは一字念仏の功徳(くどく)にてやありけん、されば人は常に神仏(かみほとけ)を信心して悪事災難を免れん事をいのるべし、神仏(かみほとけ)を信ずる心の中(うち)より悪心はいでぬもの也、悪心の無(なき)が災難をのがるゝ第一也とをしへられき。今も猶耳に残れり。人智(じんち)を尽してのちはからざる大難にあふは因果のしからしむる処ならんか、人にははかりしりがたし。人家の雪頽にも家を潰せし事人の死たるなどあまた見聞(みきゝ)したれどもさのみはとてしるさず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.58~59)

 ・ ・ ・

 ○寺の雪頽(なだれ)

|| なだれは敢(あへ)て山にもかぎらず、形状(かたち)嶺(みね)をなしたる処は時としてなだるゝ事あり。

■雪崩は山に限らず、斜面の形をした場所では時には雪崩が発生します。

||文化のはじめ、思川村(おもひがはむら)天晶寺(てんしやうじ)の住職(じゆうしよく)執中和尚(しつちゆうおせう)は牧之が伯父(をじ)也。

■文化年代(1804~)の初め頃のことですが、思川村天晶寺の執中和尚の話を書いてみます。
この和尚様はわたしの伯父のことです。

||仲冬のすゑ此人居間の二階にて書案(つくゑ)によりて物を書(かき)てをられしが、窓の庇に下りたる垂氷(つらゝ)の五六尺なるが明りに障りて机のほとり暗きゆゑ、家の檐(のき)にいで、家僕(しもべ)が雪をほらんとてうちおきたる木鋤(こすき)をとり、かのつらゝを打(うち)をらんとて一打うちけるに、此ひゞきにやありけん-里言につらゞを〔かなこほり〕といふ、たるひとは古言にもいふ-本堂に積(つもり)たる雪の片屋根磊々(ぐら/”\)となだれおち、土蔵のほとりに清水がゝりの池ありしに和尚なだれに押落(おしおと)され池に入るべきを、なだれの勢(いきほ)ひに身は手鞠(てまり)のごとく池をもはねこえて堀揚(ほりあげ)たる雪に半身を埋められ、あとさけびたるこゑに庫裏(くり)の雪をほりゐたるしもべら馳(はせ)きたり持(もち)たる木鋤にて和尚を堀いだしければ、和尚大に笑ひ身うちを見るに聊(いさゝか)も疵(きず)うけず、耳に掛(かけ)たる目鏡(めかね)さへつゝがなく不思議の命をたすかり給ひぬ。

■冬の二月(陰暦)末頃、寺の居間の二階で机に向かって書き物をしておりました。
窓の庇(ひさし)にツララが五六尺も下がってきて机の周りが日陰になって暗い。
軒下に出て、ツララを折ろうとしてコスキで一叩きしたのです。
(〔ツララ〕のことは〔金凍り〕というくらいだから堅いのです)。
その音の所為でしょうか、本堂に積っていた片側の屋根の雪がずしんずしんと崩れ落ちたのです。
そのまま雪崩に押し落とされると土蔵の傍の水を引いた池に落ちる。
ところが、雪崩の勢いで和尚の体は手鞠のように、池を飛び越えて庭の雪置場の雪の所まで飛ばされて体半分まで埋まってしまった。
「あっ」という和尚の声で、庫裏の周りで雪片しをしていた寺男たちが駆けつけてきて、コスキで雪を掻き出して救助した。
ところが和尚は、大笑い。体をみるとどこにも打撲の傷一つも無しで、
掛けていた眼鏡さえずれたり外れもしなかったのでした。

||此時七十余の老僧なりしが、前にいへる何村(なにむら)の人の不幸に比(くらぶ)れば万死に一生をえられたる天幸(てんかう)といひつべし。

■和尚様は七十過ぎでしたが、前述した某村の悲劇に較べれば、まさに九死に一生を得たとも言うべき天の恵みです。

||齢(よはひ)も八十余まで無病にして文政のすゑに遷化(せんげ)せられき。

■この和尚様は八十過ぎまで無病息災で過ごされ、文政の末(1830)にお亡くなりになりました。

||平日余(よ)に示していはれしは、我雪頽に撞(うた)れしとき筆を採りて居(ゐ)たりしは尊き仏経なりしゆゑ、たゞにやはとて一字毎に念仏中て書居(かきを)れり、しかるに雪頽に死すべかりしを不思議に命助かりしは一字念仏の功徳(くどく)にてやありけん、されば人は常に神仏(かみほとけ)を信心して悪事災難を免れん事をいのるべし、神仏(かみほとけ)を信ずる心の中(うち)より悪心はいでぬもの也、悪心の無(なき)が災難をのがるゝ第一也とをしへられき。

■よくわたしに言っておられたのはこのようなことでした。
雪崩に遭ったのは、ちょうど筆を持っていたのは、写経をしていたときでした。
尊い仏様の教えなので、ただ書くだけでは(もったいない)と一文字毎に念仏を唱えながら書いていたのです。
雪崩で死ぬかも知れなかったのに、不思議に助かったのはこの一字念仏のお蔭だと思っています。
やはり人はいつでも神仏を信仰して悪事や災難に遭わないように祈るべきなのです。
神仏に帰依する心の中から悪心は出てこないのです。
その邪悪な気持の無かった事が、災難を逃れる一番の事と教えられる思い出ありました。

||今も猶耳に残れり。

■いまも、そうおっしゃった言葉が耳に残っています。

||人智(じんち)を尽してのちはからざる大難にあふは因果のしからしむる処ならんか、人にははかりしりがたし。

■その人が知識と知恵を尽くしても、思いがけない困難にあってしまうのは〔因果〕のなせる事なのかもしれません。
人には推し量りする事の出来ない事なのでしょう。

||人家の雪頽にも家を潰せし事人の死たるなどあまた見聞(みきゝ)したれどもさのみはとてしるさず。

■雪崩で家が潰れて死者が出た事件なども沢山見聞きしましたが、そればかり(不幸事)ばかり書いても詮方なし。
「こんなこともある」ということで(笑)。



コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※なお、送られたコメントはブログの管理者が確認するまで公開されません。

名前:
メールアドレス:
URL:
コメント:

トラックバック

このエントリのトラックバックURL: http://yebijin.asablo.jp/blog/2018/02/06/8783570/tb

※なお、送られたトラックバックはブログの管理者が確認するまで公開されません。

別冊