別冊

雪頽人に災す(北越雪譜)1/32018/02/06 00:49

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 1/3

 我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)の内にて雪頽の為に非命の死をなしたる事、其村の人のはなしをこゝに記(しる)す。しかれども人の不祥なれば人名を詳(つまびらか)にせず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)

■ わたし(牧之)の住んでいる魚沼郡で、雪崩で悲惨な死亡事故が起きたとき、その村の人に聞いた話をここに載せます。
しかし人の不幸な出来事なので、名前などは明記しないでおくことにします。



雪頽(北越雪譜)2/22018/02/04 19:52

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)2/2

 或人問曰(とふてしはく)、雪の形六出(むつかど)なるは前に弁ありて詳(つまびらか)也。雪頽は雪の塊(かたまり)ならん、砕(くだけ)たる形雪の六出なる本形をうしなひて方形(かどだつ)はいかん、答(こたへ)て曰、地気天に変格して雪となるゆゑ、天の円(まるき)と地の方(かく)なるを併合(あはせ)て六出をなす。六出(りくしゆつ)は円形(まろきかたち)の裏也。雪天陽を離(はなれ)て降下(ふりくだ)り、地に帰(かへれ)ば天陽(やう)の円(まろ)き象(かたどり)うせて地陰(いん)の方(かく)なる本形に象(かたど)る、ゆゑに雪頽は千も万も圭角(かどだつ)也。このなだれ解(とけ)るはじめは角々(かど/\)円(まろ)くなる、これ陽火(やうくわ)の日にてらさるゝゆゑ天の円(まろき)による也。陰中に陽を包み陽中に陰を抱(いだく)は天地定理中(ぢやうりちゆう)の定格(ぢやうかく)也。老子経第四十二章に曰(いはく)、万物負レ陰而抱レ陽(ばんぶついんをおびてやうをいだく)冲気以為レ和(ちゆうきををもつてくわをなす)といへり。此理を以てする時は、お内儀さまいつもお内儀さまでは陰中に陽を抱(いだか)ずして天理に叶(かなは)ず、をり/\は夫に代りて理屈をいはざれば家内治(おさまら)ず、さればとて理屈に過(すぎ)牝鳥(めんどり)旦(とき)をつくればこれも又家内の陰陽前後して天理に違(たが)ふゆゑ家の亡(ほろぶ)るもと也。万物の天理誣(しふ)べからざる事かくのごとしといひければ、問客(とひしひと)唯々(いゝ)として去りぬ。雪頽悉(こと/”\)く方形(かどだつ)のみにもあらざれども十にして七八は方形をうしなはず。故(ゆゑ)に此説を下(くだ)せり。雪頽の図(づ)多く方形に従ふものは、其七八をとりて模様(もやう)を為すのみ。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.49~50)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)2/2

|| 或人問曰(とふてしはく)、雪の形六出(むつかど)なるは前に弁ありて詳(つまびらか)也。雪頽は雪の塊(かたまり)ならん、砕(くだけ)たる形雪の六出なる本形をうしなひて方形(かどだつ)はいかん、答(こたへ)て曰、地気天に変格して雪となるゆゑ、天の円(まるき)と地の方(かく)なるを併合(あはせ)て六出をなす。

■ ある人との問答。

〈或人〉「雪の形が六つ角だということは、前の話で判りましたが、雪崩は雪の塊ですよね。
砕けた形が六角にならずに四角になってしまうのはどういうことでしょうか」。

〈京山〉「それはじゃ、地気が天に昇って変格して雪になるので、天の円(まる)と地の方形が和合したから六角なのじゃ。『○雪の形』の条(くだり)に書いたのがそのことじゃ。〔愚按るに円は天の正象、方は地の実位也〕ということとな」。

||六出(りくしゆつ)は円形(まろきかたち)の裏也。

■六角に突出するのは、円の形の裏なのです。

※京山先生のはなしは続く・・・※

||雪天陽を離(はなれ)て降下(ふりくだ)り、地に帰(かへれ)ば天陽(やう)の円(まろ)き象(かたどり)うせて地陰(いん)の方(かく)なる本形に象(かたど)る、ゆゑに雪頽は千も万も圭角(かどだつ)也。

■雪が天の領域から離れて降下して、地に戻れば天(陽)の正象の形(円)が失せて、地(陰)の実位の形(方)に変わるのです。
だから、雪崩は至るところが角立つのです。

※京山先生、よく判りませーん(笑)。

||このなだれ解(とけ)るはじめは角々(かど/\)円(まろ)くなる、これ陽火(やうくわ)の日にてらさるゝゆゑ天の円(まろき)による也。

■この雪崩が溶け始めると、角かどは再び丸くなるのです。
これは、陽の火である日光に照らされるから、丸くなるという理屈なのです。

||陰中に陽を包み陽中に陰を抱(いだく)は天地定理中(ぢやうりちゆう)の定格(ぢやうかく)也。

■陰中に陽在り、陽中に陰在り、これは天と地の定理ともいうべき本来の仕組みなのです。
※この事々も、『○雪の形』の条に書いた気がする、、、(京山の独言、、、こら!)

||老子経第四十二章に曰(いはく)、万物負レ陰而抱レ陽(ばんぶついんをおびてやうをいだく)冲気以為レ和(ちゆうきををもつてくわをなす)といへり。

■〈京山〉「えーと、老子の「道徳経」は第四十二章にこう書かれている」。
万物負陰而抱陽〕バンブツ フーイン ジ ホーヨー
冲気以為和〕 チューキ イーイー ワー(※嘘ですから、どう読むのかわかりません(笑))

 万物は陰を負い、しかして、陽を抱くのです
 それがチュウする事によって、和というものが顕れる、とな。
 嗚呼、それが虚無ぢゃ。

 ※そんな事は書いてませんが、こういう↓ことですかね(^^;

||此理を以てする時は、お内儀さまいつもお内儀さまでは陰中に陽を抱(いだか)ずして天理に叶(かなは)ず、をり/\は夫に代りて理屈をいはざれば家内治(おさまら)ず、さればとて理屈に過(すぎ)牝鳥(めんどり)旦(とき)をつくればこれも又家内の陰陽前後して天理に違(たが)ふゆゑ家の亡(ほろぶ)るもと也。

■〈京山〉「この理(ことわり)を敷衍するとじゃな、

おかみさんはいつもお内儀様のままでは、陰中に陽を抱く事が無いので天理に叶うておらぬのじゃ。時々は、、、えーと、折にふれてはだな、夫に代わって小言のひとつも言わないと、家内の安寧は保てないのだな。

だからといって、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃと喋りすぎると、これはだな、〔めんどり(雌鳥)うたえば家亡ぶ〕ということばがあるのじゃ。これも過ぎると家内の陰陽が逆になるので、天の理に叶わないのだな」。

※〔人の体男は陽なるゆゑ九出し女は十出す〕と、女が陰、男が陽と、やはり『○雪の形』でしっかりと前振りして書いているのです(笑)。

||万物の天理誣(しふ)べからざる事かくのごとしといひければ、問客(とひしひと)唯々(いゝ)として去りぬ。

■〈京山〉「万物は天の理を違えてはならぬ、というのはこういうことなのじゃ」

と、講釈をしたら、その御仁は「へいへい、ありがたいお説でございますだ」と逃げて行ったわい。
アハハ。かんらかんら。

※悪乗り、いやいや、京山がそのように書いていると思えて仕方が無い(笑)。

||雪頽悉(こと/”\)く方形(かどだつ)のみにもあらざれども十にして七八は方形をうしなはず。故(ゆゑ)に此説を下(くだ)せり。

■雪崩は全ての形が角立つわけでは無いのですが、七八割が方形を保っている。
それなので、このように説明してみました。

||雪頽の図(づ)多く方形に従ふものは、其七八をとりて模様(もやう)を為すのみ。

■雪崩の絵を矩形の雪を多用して描いたのは、その為なのです。
(※これは、京水(絵師:京山の息子)の絵図の説明(言い訳)なのかも。
実際にはこんな物ではないという・・・)。



雪頽(北越雪譜)1/22018/02/04 19:46

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)1/2

 山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言に〔なだれ〕といふ、又〔なで〕ともいふ。按(あんず)になだれは撫下(なぜおり)る也。〔る〕を〔れ〕といふは活用(はたらかする)ことばなり、山にもいふ也。こゝには雪頽(ゆきくづる)の字を借(かり)て用ふ。字書に頽(たい)は暴風ともあればよく叶へるにや。さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふゞき)に双(ならべ)て雪国の難儀とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く凍るも又里よりは甚(はなはだ)し。我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅(あさき)しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば陽気地中より蒸(むし)て解(とけ)んとする時地
気と天気との為に破(われ)て響(ひゞき)をなす。一片破て片々(へん/\)破る、其ひゞき大木を折(をる)がごとし。これ雪頽(なだれ)んとするの萌(きざし)也。山の地勢と日の照(てら)すとによりて、なだるゝ処(ところ)となだれざる処あり。なだるゝはかならず二月にあり。里人(さとひと)はその時をしり、処をしり、萌(きざし)を知るゆゑに、なだれのために撃死(うたれし)するもの稀(まれ)也。しかれども天の気候不意にして一定(ぢやう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉(こ)に砕(くだ
く)もあり。雪頽の形勢(ありさま)いかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こほり)その大なるは十間以上小なるも九尺五尺にあまる、大小数百千悉(こと/”\)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく かならず方(かく)をなす事下に弁(べん)ず なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くづれおつ)る、その響百千の雷(いかづち)をなし、大木を折、大石を倒す。此時はかならず暴風(はやて)力をそへて粉に砕(くだき)たる沙礫(こじやり)のごとき雪を飛(とば)せ、白日も暗夜の如くその慄(おそろ)しき事筆紙(ひつし)に尽しがたし。此雪頽に命を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝしたるを次の巻(まき))に記(しる)して暖国の人の話柄(はなしのたね)とす。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.47~50)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)1/2

|| 山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言に〔なだれ〕といふ、又〔なで〕ともいふ。按(あんず)になだれは撫下(なぜおり)る也。〔る〕を〔れ〕といふは活用(はたらかする)ことばなり、山にもいふ也。こゝには雪頽(ゆきくづる)の字を借(かり)て用ふ。字書に頽(たい)は暴風ともあればよく叶へるにや。

■ 山から雪が崩れ落ちる事を里言葉で【なだれ】といいます。【なで】ともいいます。
何でかと考えてみろと、なだれは〔撫下(なぜおり)る〕ではないかと思う。
「る」が「れ」となるのは語の活用によるのです。
ここでは、〔雪頽(ゆきくづる)〕という文字で記すことにします。
辞書を引けば、〔頽〕の字には爆風の意味もあるので意味も通じるでしょう。

※原文の雪頽は、この訳文ではなるべく雪崩と表記することにします(掲載子)。

||さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふゞき)に双(ならべ)て雪国の難儀とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く凍るも又里よりは甚(はなはだ)し。

■雪崩は吹雪きと同じく雪国では難儀な事になります。
高山の雪は平地よりも深い雪となり、氷雪も平地とは較べものにならないほどです。

||我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅(あさき)しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば陽気地中より蒸(むし)て解(とけ)んとする時地気と天気との為に破(われ)て響(ひゞき)をなす。一片破て片々(へん/\)破る、其ひゞき大木を折(をる)がごとし。これ雪頽(なだれ)んとするの萌(きざし)也。

■越後山脈の裾野、平地に近い場所でも五メートル程度は浅いといってもよいほどです。
その雪が氷結して岩のようになるのです。
二月頃には、地中の陽気が出始めるので雪下は蒸されて解けだしてきます、
そのときに地の気と天の気がぶつかるので雪が音をたてて裂けるのです。
一箇所で裂けると次々に裂けてきます。
そのときの音は大木が折れるような音がします、この響きが雪崩の予兆です。

||山の地勢と日の照(てら)すとによりて、なだるゝ処(ところ)となだれざる処あり。なだるゝはかならず二月にあり。

■斜面の地形と日照の具合によって、雪崩が発生する所と発生しない場所があります。
雪崩る場所では必ず二月に発生します。

||里人(さとひと)はその時をしり、処をしり、萌(きざし)を知るゆゑに、なだれのために撃死(うたれし)するもの稀(まれ)也。しかれども天の気候不意にして一定(ぢやう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉(こ)に砕(くだく)もあり。

■その地に住む里人はその時節と場所を知っていて、予兆の響きも知っているので、雪崩に遭って死ぬ事はめったにはありません。
しかし、雪国の天候は急変する事があるので、雪崩にぶつかる事もあるのです。

||雪頽の形勢(ありさま)いかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こほり)その大なるは十間以上小なるも九尺五尺にあまる、

■雪崩の規模といったら、崩れる凍った雪は、大きいものは十間(18メートル)以上、中小規模でも3メートル、1.5メートル程の塊となります。

||大小数百千悉(こと/”\)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく-かならず方(かく)をなす事下に弁(べん)ず-なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くづれおつ)る、その響百千の雷(いかづち)をなし、大木を折、大石を倒す。

■数百千にもなる大小の塊が全て四角になって、高山の山頂から一度に削れ滑り落ちるのです。
そのさまは、無数の雷鳴とともに、大木をなぎ倒して、大きな山石をも転がすのです。
どうして、方(かく)になるのかは、この後で書きます。

||此時はかならず暴風(はやて)力をそへて粉に砕(くだき)たる沙礫(こじやり)のごとき雪を飛(とば)せ、白日も暗夜の如くその慄(おそろ)しき事筆紙(ひつし)に尽しがたし。

■このときには、暴風も発生して砕かれた氷雪は石礫のように雪を飛ばして昼間でも暗闇になってしまうのです。
その恐ろしさは表現のしようも無いほどです。

||此雪頽に命を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝしたるを次の巻(まき))に記(しる)して暖国の人の話柄(はなしのたね)とす。

■こういう雪崩に落命した人や危うく助かった人など、わたし(牧之)が見聞した事々については、
次巻に書く事にします。この雪国の恐ろしさをトカイの人への話の種としましょう。

※次巻(北越雪譜初編巻之中)予告で引っぱる(笑)。

まだまだ雪について書く事があったのだ。しかし、巻之上は、ぜひとも鈴木牧之を塩沢に訪ねるまでには、初稿を仕上げねばならない。
さて、どうするか。そして、巻之上の丁をあわせる(頁数を合わせる)ためにも、京山は書き出したのだ、それがまた、筆のいきおいは、止まらなくなってしまう。
(あくまで、本掲載子の想像(与太ですから(笑)))。



破目山(われめきやま)(北越雪譜)2018/02/02 01:16

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○破目山(われめきやま)

 魚沼郡清水村の奥に山あり、高さ一里あまり、周囲(めぐり)も一里あまり也。山中すべて大小の破隙(われめ)あるを以て山の名とす。山半(やまのなかば)は老樹条(えだ)をつらね半(なかば)より上は岩石畳々(でふ/\)として其形竜踊虎怒(そのかたちりようをどりとらいかる)がごとく奇々怪々言(いふ)べからず。麓の左右に渓川(たにがは)あり合して滝をなす、絶景又言べからず。旱(ひでり)の時此滝壷に●(あまこひ)すればかならず験(しるし)あり。一年(ひとゝせ)四月の半雪の消(きえ)たる頃清水村の農夫ら二十人あまり集り熊を狩(から)んとて此山にのぼり、かの破隙の窟(うろ)をなしたる所かならず熊の住処(すみか)ならんと例の番椒(たうからし)烟草(たばこ)の茎を薪(たきゞ)に交(まぜ)、窟にのぞんで焚(たき)たてしに熊はさらに出(いで)ず、窟の深(ふかき)ゆゑに烟(けふり)の奥に至らざるならんと次日(つぎのひ)は薪を増し山も焼(やけ)よと焚けるに、熊はいでずして一山の破隙こゝかしこより烟をいだして雲の起(おこる)が如くなりければ、奇異のおもひをなし熊を狩(から)ずして空しく立かへりしと清水村の農夫が語りぬ。おもふに此山半(なかば)より上は岩を骨として肉の土薄く地脈気を通じて破隙をなすにや、天地妙々の奇工(きかう)思量(はかりしる)べからず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.46~47)

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 ○破目山(われめきやま)

|| 魚沼郡清水村の奥に山あり、高さ一里あまり、周囲(めぐり)も一里あまり也。山中すべて大小の破隙(われめ)あるを以て山の名とす。山半(やまのなかば)は老樹条(えだ)をつらね半(なかば)より上は岩石畳々(でふ/\)として其形竜踊虎怒(そのかたちりようをどりとらいかる)がごとく奇々怪々言(いふ)べからず。麓の左右に渓川(たにがは)あり合して滝をなす、絶景又言べからず。旱(ひでり)の時此滝壷に●(あまこひ)すればかならず験(しるし)あり。

■ 魚沼郡清水村の奥に、高さ六百メートル、周囲も六百メートルほどの山があります。
その山は全体が割れ目だらけなので、【破目山(われめきやま)】と呼ばれます。
山の中腹までは樹林ですが、それより上は岩石が何重にも畳み重なっています。
まさに、竜は舞い虎は吼えるの図の如し、その奇々怪々のさまは言葉になりません。
山麓の左右に渓流が流れ、それが合わさって滝になります、絶景かな絶景かな。
旱魃のときには、この滝壷で雨乞いをすると霊験あらたか必ず兆しが顕れるのです。

||一年(ひとゝせ)四月の半雪の消(きえ)たる頃清水村の農夫ら二十人あまり集り熊を狩(から)んとて此山にのぼり、かの破隙の窟(うろ)をなしたる所かならず熊の住処(すみか)ならんと例の番椒(たうからし)烟草(たばこ)の茎を薪(たきゞ)に交(まぜ)、窟にのぞんで焚(たき)たてしに熊はさらに出(いで)ず、窟の深(ふかき)ゆゑに烟(けふり)の奥に至らざるならんと次日(つぎのひ)は薪を増し山も焼(やけ)よと焚けるに、熊はいでずして一山の破隙こゝかしこより烟をいだして雲の起(おこる)が如くなりければ、奇異のおもひをなし熊を狩(から)ずして空しく立かへりしと清水村の農夫が語りぬ。

■ある年の四月半ばの雪の消えた時節に、清水村の農民が二十人ほど集まって熊狩りをしようとこの山に登りました。
岩の割れ目の隙間の洞は熊の住処になっている筈だと、唐辛子や煙草の茎を薪に混ぜて、洞の前で焚き火をしました。
が、熊は出てきません。
洞穴が深いので煙が奥まで届かないのだろうとと思い、翌日は更に薪を増やして山火事にでもなるほどに火を焚きました。
しかし熊は出てこずに、山のあちこちから煙が出て来てまるでそこから雲が湧き出るかのような景色になった。
全く不思議な事だと思って、結局熊狩りは諦めて戻ってきた。
この事は清水村の農夫が語った話でした。

||おもふに此山半(なかば)より上は岩を骨として肉の土薄く地脈気を通じて破隙をなすにや、天地妙々の奇工(きかう)思量(はかりしる)べからず。

■このことを考えてみると、この山の上半分は骨格が岩で出来ているので肉となる土が薄いのです。
その為、地脈の気が通り易いので、結果として割れ目の岩だらけになったのではないか。
天地の仕組みと働きは、絶妙奇妙、人の想像力を凌駕するのです。

「校註 北越雪譜」野島出版より(P.46~47)

新編会津風土記魚沼郡之四に「ワリメキ山」とある。らしい。



雪中の火(北越雪譜)3/32018/02/02 01:06

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪中の火 3/3

 按(あんずる)に地中に水脈と火脈(くわみやく)とあり。地は大陰なるゆゑ水脈は九分火脈は一分なり。かるがゆゑに火脈は甚(はなはだ)稀(まれ)也。地中の火脈凝結(こりむすぶ)ところかならず気息(いき)を出(いだ)す事人の気息のごとく、肉眼には見えず。火脈の気息に人間日用の陽火(ほんのひ)を加(くはふ)ればもえて焔をなす、これを陰火(いんくわ)といひ寒火(かんくわ)といふ。寒火を引(ひく)に筧の筒の焦(こげ)ざるは、火脈の気いまだ陽火をうけて火とならざる気息ばかりなるゆゑ也。陽火をうくれば筒の口より一二寸の上に火をなす、こゝを以て火脈の気息の燃(もゆ)るを知るべし。妙法寺村の火も是也。是余が発明にあらず、古書に拠(より)て考得(かんがへえ)たる所也。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.45~47)

 ・ ・ ・

 ○雪中の火 3/3

|| 按(あんずる)に地中に水脈と火脈(くわみやく)とあり。地は大陰なるゆゑ水脈は九分火脈は一分なり。かるがゆゑに火脈は甚(はなはだ)稀(まれ)也。

■このことを考察すると、地中には水脈と火脈とがあるということです。
地は大陰なので水(陰)が九割火(陽)が一割といったところ。
それなので、火脈が顕れる事は滅多にありません。

||地中の火脈凝結(こりむすぶ)ところかならず気息(いき)を出(いだ)す事人の気息のごとく、肉眼には見えず。

■地下の火脈が燻り固まっている場所は必ずその気が吐き出されているのです、ひれは人の呼気と同じように、肉眼では見えない物です。

||火脈の気息に人間日用の陽火(ほんのひ)を加(くはふ)ればもえて焔をなす、これを陰火(いんくわ)といひ寒火(かんくわ)といふ。

■火脈の呼気に、人が普通に使う火(陽火)を加えると燃え出して焔となるのです。
これを陰火(いんか)とも寒火(かんか)ともいいます。
※つまるところ、火の陰陽和合ということデスナ。

||寒火を引(ひく)に筧の筒の焦(こげ)ざるは、火脈の気いまだ陽火をうけて火とならざる気息ばかりなるゆゑ也。

■寒火を筧(かけい)で引いても筒が焦げないのは、火脈の呼気はまだ陽火と混ざらないので“火”にならないからなのです。

||陽火をうくれば筒の口より一二寸の上に火をなす、こゝを以て火脈の気息の燃(もゆ)るを知るべし。妙法寺村の火も是也。

■火脈の呼気が普通の火(陽火)に交われば、筒の口の少し上で“火”になるのです。
これをもって、火脈の呼気が燃えるものである事が知れるのです。どや!

||是余が発明にあらず、古書に拠(より)て考得(かんがへえ)たる所也。

■この説はわたし(京山)の全くの独創による説ではありません。
文献を調べてそういう結論に達したということですわ。あはは。



雪中の火(北越雪譜)2/32018/02/02 01:02

雪中の火(北越雪譜)2/3

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪中の火 2/3

 越後の魚沼郡五日町といふ駅に近き西の方に低き山あり、山の裾に小溝在(あり)、天明年中二月の頃、そのほとりに童(わらべ)どもあつまりてさま/”\の戯(たはむれ)をなして遊倦(あそびうみ)、木の枝をあつめて火を焚(たき)てあたりをりしに、其所よりすこしはなれて別に火?々(えん/\)と燃(もえ)あがりければ、児曹(こどもら)大におそれ、皆々四方に逃散(にげちり)けり。その中に一人の童(わらべ)家にかへり事の仔細を親に語(かたり)けるに、此親心ある者にてその所にいたり火の形状(かたち)を見るに、いまだ消(きえ)ざる雪中に手を入るべきほどの孔(あな)をなし孔より三四寸の上に火燃(もゆ)る。熟覧(よく/\みて)おもへらく、これ正(まさ)しく妙法寺村の火のるゐなるべしと火口(ひぐち)に石を入れてこれを消し家にかへりて人に語(かたら)ず、雪きえてのち再(ふたゝび)その所にいたりて見るに火のもえたるはかの小溝の岸也。火燧(ひうち)をもて発燭(つけぎ)に火を点じ、試(こゝろみ)に池中に投(なげ)いれしに池中(ちちゆう)火を出せし事庭燎(にはび)のごとし。水上に火燃(もゆ)るは妙法寺村の火よりも奇也として駅中(えきちゆう)の人々来りてこれを視る。そのゝち銭に才(かしこき)人かの池のほとりに混屋(ふろや)をつくり、筧(かけひ)を以て水をとるがごとくして地中の水を引き湯槽(ゆぶね)の竈に燃(もや)し又燈火(ともしび)にも代る。池中の水を湯に??覃(わかし)価(あたひ)を以て浴(よく)せしむ。此湯硫黄の気ありて能(よく)疥(し)癬(の)の類を治(ぢ)し一時流行して人群をなせり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.45~47)

 ・ ・ ・

 ○雪中の火 2/3

|| 越後の魚沼郡五日町といふ駅に近き西の方に低き山あり、山の裾に小溝在(あり)、天明年中二月の頃、そのほとりに童(わらべ)どもあつまりてさま/”\の戯(たはむれ)をなして遊倦(あそびうみ)、木の枝をあつめて火を焚(たき)てあたりをりしに、其所よりすこしはなれて別に火?々(えん/\)と燃(もえ)あがりければ、児曹(こどもら)大におそれ、皆々四方に逃散(にげちり)けり。

■ 魚沼郡五日町という宿場に近い西方に低い山があります。その山すそに小さな窪地がある。
天明年中の二月の頃(つまり堅雪の季節)、子供たちが集まって遊んでいました。
遊び飽きて、木の枝を集めて焚き火をしてあたっていました。
すると、少し離れた場所で火炎が立ってぼうぼうと燃え上がったのです。
子供たちは吃驚して、散り散りに逃げていってしまいました。

||その中に一人の童(わらべ)家にかへり事の仔細を親に語(かたり)けるに、此親心ある者にてその所にいたり火の形状(かたち)を見るに、いまだ消(きえ)ざる雪中に手を入るべきほどの孔(あな)をなし孔より三四寸の上に火燃(もゆ)る。

■その中の一人の子どもが家に帰ってからその事を親に話しました。
その親は好奇心のある人で、その場所に出掛けてその火を見ると、まだ雪の消えない雪の原に手が入るほどの穴があいていて、その雪の三四寸上に浮かんで火が燃えているのでした。

||熟覧(よく/\みて)おもへらく、これ正(まさ)しく妙法寺村の火のるゐなるべしと火口(ひぐち)に石を入れてこれを消し家にかへりて人に語(かたら)ず、

■仔細に観察して、これは妙法寺村の火と同じ類だと思いました。
火の出る穴に石を詰めて火を消して家に帰りました。
そのことは人には話しませんでした。

||雪きえてのち再(ふたゝび)その所にいたりて見るに火のもえたるはかの小溝の岸也。火燧(ひうち)をもて発燭(つけぎ)に火を点じ、試(こゝろみ)に池中に投(なげ)いれしに池中(ちちゆう)火を出せし事庭燎(にはび)のごとし。

■雪が消えてから再度その場所に行って見ると、火が燃えていたのはその小さな窪地の溝岸の個所でした。
火打ちで付木(ツケギ)に火をつけて試しにその溝池に投げ入れてみると、池の中に燃え移り、かがり火の様になりました。

||水上に火燃(もゆ)るは妙法寺村の火よりも奇也として駅中(えきちゆう)の人々来りてこれを視る。

■水の上で燃えるとは妙法寺村の火よりも奇妙なことだと、宿場中の人びとが来てその火を見ました。

||そのゝち銭に才(かしこき)人かの池のほとりに混屋(ふろや)をつくり、筧(かけひ)を以て水をとるがごとくして地中の水を引き湯槽(ゆぶね)の竈に燃(もや)し又燈火(ともしび)にも代る。

■そのうちに、商才に長けた人がその窪地の池の近くで風呂屋を始めました。
筧(かけい)を作ってその池の地中の水を浴槽の竈で燃やしたのです。
そして、行灯(あんどん)代わりにもなりました。

||池中の水を湯に??覃(わかし)価(あたひ)を以て浴(よく)せしむ。此湯硫黄の気ありて能(よく)疥(し)癬(の)の類を治(ぢ)し一時流行して人群をなせり。

■池の水を沸かして湯にして料金をとって客に入らせたのです。
この湯は硫黄分があるらしく、疥癬(かいせん)などによく効くので、
一時は大流行(おおはやり)で大勢の人が詰め掛けました。



石油のこと2018/02/02 00:54

吉村昭氏の「虹の翼」に書かれている石油の話。

 石油のことが初めて記録されたのは、「日本書紀」である。
(《虹の翼》P.307)

 天智天皇七年(六六八)のくだりに、「越國獻燃土與燃水」とある。越国とは越後(新潟県)で、撚土は石炭、撚水とは石油のことである。さらに、「和訓栞」によると、石油は臭水(くさみず)といわれ、黒川村の十間四方の池に臭水がうかんでいることが記されている。が、それは灯火などに使うことなく、神秘的なものとして扱われているにすぎなかった。
(《虹の翼》P.307)

 江戸時代に入ると、正保元年(一六四四)に真柄仁兵衛という男が、越後の蒲原(かんばら)郡柄目木村で石油が出ることを確認した。かれは、二年後に南蒲原郡妙法寺村の庄右衛門という旧家の敷地内で、地中から異様なガスが出ているのを見出した。かれは、試みにそれに火を近づけたところさかんに燃えはじめたので、大いに喜んだ。そして、その湧出孔のところに臼をかぶせ、臼に穴をうがって竹筒を突き入れ、筒から出るガスに点火した。その火の明るさは、三百目ローソクと同じ程度であったという。
(《虹の翼》P.307)

 幕末になると、石油の存在が外国人の口からひろくつたわった。岸田吟香は、医師ヘボンに師事して辞書の編纂にしたがっていたが、ヘボンに越後の臭水のことを話した。ヘボンは、それは石油かも知れぬと言い、岸田はすぐに越後から取り寄せ、鑑定を求めるためアメリカへ送った。その結果、それはペンシルバニア産のものよりも上質の石油であることがあきらかにされた。ついで、越後の人である石坂周造が、新潟県の石油について鋭意研究し、明治六年、油井を開く機械をアメリカから買い入れ、石油採取に着手した。
(《虹の翼》P.307~308)

 その頃にはアメリカのスタンダード社から石油が輸入されるようになり、明治七年にはランプも輸入されて灯火油として普及していった。しかし、木造家屋ばかりの日本では使用をあやまって火災事故が続発し、安達徳基が発火性の少ない安全火止石油と称するものを売り出したりした。石油は灯火用とされていたが、石油発動機はすでに明治十七年に初輸入されていた。忠八は、そのことに気づいてはいなかった。
(《虹の翼》P.308)

『虹の翼』吉村昭・文春文庫より

www.kkjin.co.jp/boso010_131118.htm


雪中の火(北越雪譜)1/32018/02/02 00:50

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪中の火 1/3

 世に越後の七不思議と称する其一ツ蒲原郡(かんばらこほり)妙法寺村の農家炉中の隅石臼(すみいしうす)の孔(あな)より出(いづ)る火、人皆(みな)奇也として口碑につたへ諸書に散見す。此火寛文年中始(はじめ)て出(いで)しと旧記に見えたれば、三百余年の今において絶(たゆ)る事なきは奇中の奇也。天奇を出す事一ならず。おなじ国の魚沼郡(こほり)に又一ツの奇火(きか)を出せり。天公(てんたうさま)の機状(からくりのしかけ)かの妙法寺村の火とおなじ事也。彼は人の知る所、是は他国の人のしらざる所なればこゝに記(しるし)て話柄(はなしのたね)とす。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.45~47)

 ・ ・ ・

 ○雪中の火 1/3

|| 世に越後の七不思議と称する其一ツ蒲原郡(かんばらこほり)妙法寺村の農家炉中の隅石臼(すみいしうす)の孔(あな)より出(いづ)る火、人皆(みな)奇也として口碑につたへ諸書に散見す。

■ 〔越後の七不思議〕といわれるその一つに、「蒲原郡妙法寺村の隅石臼」がある。
それは妙法寺村の農家の竈の傍の隅石臼の穴から火が燃えているのです。
この話は不思議なこととして、言い伝わり諸書にも見かけます。

||此火寛文年中始(はじめ)て出(いで)しと旧記に見えたれば、三百余年の今において絶(たゆ)る事なきは奇中の奇也。天奇を出す事一ならず。

■この火は寛文時代の頃に初めて火が出てきたと、古文書にもあるので既に三百年経過しても萌えつづけているという奇妙な事例です。
天がこのような奇瑞を顕すのは一つではない。

||おなじ国の魚沼郡(こほり)に又一ツの奇火(きか)を出せり。天公(てんたうさま)の機状(からくりのしかけ)かの妙法寺村の火とおなじ事也。彼は人の知る所、是は他国の人のしらざる所なればこゝに記(しるし)て話柄(はなしのたね)とす。

■同じく越後の国は魚沼郡にも不思議な火を出している場所があるのです。
お天道様の仕掛けは、妙法寺村の火と同じ仕組みです。
妙法寺村の火は有名ですが、魚沼郡の火のことは他所には知られていないのでここに話のタネとしてご紹介しましょう。



雪吹(ふゞき)(北越雪譜)5/52018/01/31 22:52

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪吹(ふゞき) 5/5

 雪吹(ふゞき)の人を殺す事大方右に類す、暖地の人花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞(びしやう)する雪吹と其異(ことなる)こと、潮干(しほひ)に遊びて楽(たのしむ)と洪涛(つなみ)に溺(おぼれ)て苦(くるしむ)との如し。雪国の難儀暖地の人おもひはかるべし。連日の晴天も一時に変じて雪吹となるは雪中の常也。其力(ちから)樹(き)を抜(ぬき)家を折(くじく)。人家これが為に苦(くるし)む事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪吹に逢(あひ)たる時は雪を堀(ほり)身を其内に埋(うづむ)れば雪暫時につもり、雪中はかへつて温(あたゝか)なる気味ありて且(かつ)気息(いき)を漏(もら)し死をまぬがるゝ事あり。雪中を歩(ほ)する人陰嚢(いんのう)を綿にてつゝむ事をす、しかざれば陰嚢まづ凍(こほり)て精気尽る也。又凍死(こゞえしゝ)したるを湯火(たうくわ)をもつて温(あたゝむ)れば助(たすか)る事あれども武火(つよきひ)熱湯(あつきゆ)を用ふべからず。命たすかりたるのち春暖にいたれば腫病(はれやまひ)となり、良医も治(ぢ)しがたし。凍死(こゞえしゝ)たるはまづ塩を●(煎、いり)て布に包(つゝみ)、しば/\臍(へそ)をあたゝめ、藁火(わらび)の弱(よわき)をもつて次第に温(あたゝむ)べし。助(たすか)りたるのち病(やまひ)を発せず。 人肌(ひとはだ)にて温(あたゝ)むはもつともよし。 手足の凍へたるも強き湯火(たうか)にてあたゝむれば、陽気いたれば灼傷(やけど)のごとく腫(はれ)、つひに腐(くさり)て指をおとす、百薬功なし。これ我が見たる所を記して人に示す。人の凍死(こゞえし)するも手足の亀手(かゞまる)も陰毒(いんどく)の血脈(けちみやく)を塞ぐの也。俄(にはか)に湯火(たうくわ)の熱を以て温(あたゝむ)れば人精(じんせい)の気血をたすけ、陰毒一旦解(とく)るといへども全く去(さら)ず、陰は陽に勝(かた)ざるを以て陽気至(いた)ば陰毒肉に暈(しみ)て腐(くさる)也。寒中雨雪(うせつ)に歩行(ありき)て冷(ひえ)たる人急に湯水を用ふべからず。己が人熱の温(あたゝか)ならしむるをまつて用ふべし、長生(ちやうせい)の一術なり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.39~44)

 ・ ・ ・

 ○雪吹(ふゞき) 5/5

|| 雪吹(ふゞき)の人を殺す事大方右に類す、暖地の人花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞(びしやう)する雪吹と其異(ことなる)こと、潮干(しほひ)に遊びて楽(たのしむ)と洪涛(つなみ)に溺(おぼれ)て苦(くるしむ)との如し。

■吹雪で死人が出るのは、あらかたは以上に書いたような事に依るのです。
トカイの人が散る花の風流を愛でる吹雪とは全く様相が違うのです。
それは、行楽の潮干狩りを楽しむのと、津波に溺れて災難にあうのとくらいの違いなのです。

||雪国の難儀暖地の人おもひはかるべし。連日の晴天も一時に変じて雪吹となるは雪中の常也。其力(ちから)樹(き)を抜(ぬき)家を折(くじく)。人家これが為に苦(くるし)む事枚挙(あげてかぞへ)がたし。

■雪国の難儀について、想像してみて下さい。
毎日晴天が続いていてもある時に急変して吹雪となるのは雪中ではよくあることなのです。
その強さは木を引き抜くし家は倒壊するほどなのです。
人も家もこの吹きに苦しむ事例は枚挙のいとまが無いほどなのです。

||雪吹に逢(あひ)たる時は雪を堀(ほり)身を其内に埋(うづむ)れば雪暫時につもり、雪中はかへつて温(あたゝか)なる気味ありて且(かつ)気息(いき)を漏(もら)し死をまぬがるゝ事あり。

■吹雪に遭った時には、雪を掘ってその中に入れば雪が次第に積っていくので、その中は却って暖かく呼吸をする隙間もできるので、助かることもあります。

※吹雪にあったときには雪を掘ってビバークするのがよいです、雪で埋もれれば体温低下を免れます。
呼吸出来る空間(口鼻が雪に直接触らないように)だけは確保しましょう。

||雪中を歩(ほ)する人陰嚢(いんのう)を綿にてつゝむ事をす、しかざれば陰嚢まづ凍(こほり)て精気尽る也。

■寒冷状態で歩行移動する場合は、最悪でもきんたまだけは凍らないようにします。
そうしないと一番先に凍ってしまい、生気を失ってしまいます。
陰嚢は自律生体反応でそれなりの温度調整機能がありますが、それが間に合わない急冷現象があると凍ってしまいやすい形状ともいえます。←こら、そうは書いていない!


||又凍死(こゞえしゝ)したるを湯火(たうくわ)をもつて温(あたゝむ)れば助(たすか)る事あれども武火(つよきひ)熱湯(あつきゆ)を用ふべからず。命たすかりたるのち春暖にいたれば腫病(はれやまひ)となり、良医も治(ぢ)しがたし。

■凍えた場合には暖めるのが処置方法の一つですが、熱すぎる火や熱湯は使わないでください。命は助かりますが、後になって腫瘍などは専門医にかかっても完治しません。

||凍死(こゞえしゝ)たるはまづ塩を●(煎、いり)て布に包(つゝみ)、しば/\臍(へそ)をあたゝめ、藁火(わらび)の弱(よわき)をもつて次第に温(あたゝむ)べし。

■凍えたときには、先ず塩を煎って布に包んで臍の辺り(臍下丹田か)にあててゆっくり温めます、藁を燃やした弱いほの火などでゆっくりと温めます。

||助(たすか)りたるのち病(やまひ)を発せず。
 人肌(ひとはだ)にて温(あたゝ)むはもつともよし。 

■この様にすると、後遺症が出にくくなります。一番良いのは、人肌で温めることです。

||手足の凍へたるも強き湯火(たうか)にてあたゝむれば、陽気いたれば灼傷(やけど)のごとく腫(はれ)、つひに腐(くさり)て指をおとす、百薬功なし。

■手足が凍えた場合も(あ、この↑上までは手足のことぢゃないのです)、強火や熱湯などで温めると、後になって火傷のようになって腫れたり、凍傷となって指が壊死しますので、結果として効果がありません。

||これ我が見たる所を記して人に示す。

■ホントですよ、自分はそれを見ているんですから。命あってのものだね、

||人の凍死(こゞえし)するも手足の亀手(かゞまる)も陰毒(いんどく)の血脈(けちみやく)を塞ぐの也。

■人が凍死してしまうのも、寒さで手足がひび割れる(亀手、きんしゅ)のも陰毒が血管を塞いでしまうからなのです。

||俄(にはか)に湯火(たうくわ)の熱を以て温(あたゝむ)れば人精(じんせい)の気血をたすけ、毒一旦解(とく)るといへども全く去(さら)ず、陰は陽に勝(かた)ざるを以て陽気至(いた)ば陰毒肉に暈(しみ)て腐(くさる)也。

■急に湯や火の熱で暖めるとその時には血管の機能的には、一旦血のめぐりが戻ったように思いますが、決して回復していないのです。
陰が陽に勝つことはないので、急激な陽に出会うと、陰毒は内側に染み入って腐るのです。

||寒中雨雪(うせつ)に歩行(ありき)て冷(ひえ)たる人急に湯水を用ふべからず。己が人熱の温(あたゝか)ならしむるをまつて用ふべし、長生(ちやうせい)の一術なり。

■寒冷地の雨や雪の中を歩いて冷え切った人をもてなすにも、急に湯に入れたりしては逆効果なのです。
先ずはその人の体内の熱が暖かく落着いてから使うのです。
これは長生きの為のひけつでもあります。

「校註 北越雪譜」野島出版より(P.39~44)



雪吹(ふゞき)(北越雪譜)4/52018/01/31 22:48

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪吹(ふゞき) 4/5

 さるほどに夫(おつと)は先に立妻は後(あと)にしたがひゆく。をつとつまにいふ、今日は頃日(このごろ)の日和(ひより)也、よくこそおもひたちたれ、今日夫婦孫をつれて来るべしとは親たちはしられ玉ふまじ、孫の顔を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。さればに候、父翁(とつさま)はいつぞや来(きた)られしが母人(かさま)はいまだ赤子(ねんね)を見給はざるゆゑことさらの喜悦(よろこび)ならん、遅(おそく)ならば一宿(とまり)てもよからんか、郎(おまへ)も宿(とまり)給へ。不可也(いや/\)二人とまりなば両親(おやたち)案(あんじ)給はん、われは帰(かへる)べし、などはなしの間(うち)児(こ)の啼(なく)に乳房くゝませつゝうちつれて道をいそぎ美佐嶋(みさしま)といふ原中に到りし時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲空に覆ひければ 是雪中の常也 夫(おつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹ならん、いかゞはせんと踉?(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、●(つちかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峰に登がごとし、朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒地狂(てんいかりちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の槍、凍雪は身を射(いる)箭(や)也。夫(おつと)は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼口襟袖(めくちゑりそで)はさら也。裾(すそ)へも雪を吹いれ、全身凍(こゞえ)呼吸(こきう)迫(せま)り半身は雪に埋められしが、命のかぎりなれば夫婦声をあげほうい/\と哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきゝ)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく、手足凍(こゞへ)て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しに)けり。此雪吹其日の暮に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹に埋(うづめ)られて見えざれども、赤子の啼声を雪の中にきゝければ人々大に怪(あやし)み、おそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、剛気(がうき)の者雪を堀てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらはれ)たり。扨(さて)は昨日の雪吹倒れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を堀、死骸を見るに夫婦手を引(ひき)あひて死(しゝ)居たり。児は母の懐にあり。母の袖児の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや、凍死(こゝえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又声をあげてなきけり。雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(しり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪(なみだ)をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑(みの)につゝみ夫の家に荷(にな)ひゆきけり。かの両親(ふたおや)は夫婦娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひおりしに、死骸を見て一言の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声あげて哭(なき)けるは見るも憐(あはれ)のありさま也。一人の男懐より児をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行の涙をおとしけるとぞ。△里言には雪吹を〔ふき〕といふ、こゝには里言によらず。

 ・ ・ ・

 ○雪吹(ふゞき) 4/5

|| さるほどに夫(おつと)は先に立妻は後(あと)にしたがひゆく。

■ 夫が先に立ち、妻がその後をついて行きます。

||をつとつまにいふ、今日は頃日(このごろ)の日和(ひより)也、よくこそおもひたちたれ、今日夫婦孫をつれて来るべしとは親たちはしられ玉ふまじ、孫の顔を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。さればに候、父翁(とつさま)はいつぞや来(きた)られしが母人(かさま)はいまだ赤子(ねんね)を見給はざるゆゑことさらの喜悦(よろこび)ならん、遅(おそく)ならば一宿(とまり)てもよからんか、郎(おまへ)も宿(とまり)給へ。

■〈夫〉「今日はよく晴れた絶好の日和だ、良くぞ思い立ってくれましたね。
まさか夫婦揃って孫を抱いてくるとは親たちも思わぬことに吃驚するでしょう。
孫の顔を見たらさぞやお喜びになるだろうね」。
〈妻〉「とっさま(父)は先だって来ましたが、
かさま(義母)はまだ赤ちゃんの顔も見ていないので殊更喜びましょう。
遅くなりそうならば一泊しましょうか、貴方(夫)もお泊りになればよい」。

||不可也(いや/\)二人とまりなば両親(おやたち)案(あんじ)給はん、われは帰(かへる)べし、などはなしの間(うち)児(こ)の啼(なく)に乳房くゝませつゝうちつれて道をいそぎ美佐嶋(みさしま)といふ原中に到りし時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲空に覆ひければ 是雪中の常也 

■〈夫〉「いやいや、二人泊って帰らなかったら親たち(夫の両親)が心配するだろう。
わたしは帰ることにしておこう」。
などと話をしながら、赤ん坊がむずがると歩きながら乳房を含ませたりして歩を進めていくました。
そして、美佐嶋(みさしま、現六日町美佐島)という原っぱまで行った時でした。
天候が急変、にわかに黒雲が空を覆ったのでした。

※これは、雪国の冬にはよくあることです。

||夫(おつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹ならん、いかゞはせんと踉?(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、●(つちかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峰に登がごとし、

■夫は空を見て「これは大変、フキ(吹雪)になるぞ。どうしようか」
と躊躇っているうちに、暴風が雪を吹き散らして、旋風が雪を巻き上げるさまです。
まるで大波が岩を越える波涛のごとく、白竜が山峰を登っていく景色です。

||朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒地狂(てんいかりちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の槍、凍雪は身を射(いる)箭(や)也。

■のどかな晴天がいきなり天は怒り地が狂ったような変わり様。
寒風は肌に突き刺す槍となって、凍雪は体を射る矢のようです。

||夫(おつと)は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼口襟袖(めくちゑりそで)はさら也。
裾(すそ)へも雪を吹いれ、全身凍(こゞえ)呼吸(こきう)迫(せま)り半身は雪に埋められしが、

■夫は蓑笠も吹飛ばされて、妻は綿入帽子を吹き千切られて髪の毛も吹き乱されて、あっという間に目や口や襟首、袖口どころか裾も捲くれて雪が付着し、全身が凍える寒さで呼吸困難、半身は雪に埋まってしまいました。

||命のかぎりなれば夫婦声をあげほうい/\と哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきゝ)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく、

■これでは死んでしまうと、夫婦は、ほういほういと声の限りに叫びました。
しかし、ほかに行き来する人もいません。近くには人家も無く、聞きつける人もいませんでした。

||手足凍(こゞへ)て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しに)けり。

■手足は凍えて枯木のように暴風で吹き倒されて、夫婦は頭を並べるようにして雪中に倒れて死んでしまいました。

||此雪吹其日の暮に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹に埋(うづめ)られて見えざれども、赤子の啼声を雪の中にきゝければ人々大に怪(あやし)み、おそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、

■この吹雪はその日の夕方には止んでしまいました。
そして翌日はまた晴天でした。
そこを近隣の村の四、五人の若者が通りかかりましたが、夫婦のなきがら(亡骸)は雪の下なので見えません。
ところが、雪の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのです。
人びとはとても怪しんで、怖くなってその場所から逃げようとする人もいました。

※若者とは、後の文章に書いてあります。

||剛気(がうき)の者雪を堀てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらはれ)たり。

■度胸のある気の強い人が雪を掘ってみました。
すると、先ず女の髪の毛が出てきたのです。

||扨(さて)は昨日の雪吹倒れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を堀、死骸を見るに夫婦手を引(ひき)あひて死(しゝ)居たり。

■「さては昨日のふきだおれ(雪吹倒れ)だろう」
と全員で雪を掘り始めました。すると、夫婦者が手を引き合ったまま死んでいたのです。

||児は母の懐にあり。

■赤ん坊は、母の懐に入っていたのです。

||母の袖児の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや、凍死(こゝえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又声をあげてなきけり。

■母の振袖が赤ん坊の頭を覆っていたので、赤ん坊の体には雪が着かなかったので凍死する事を免れたのです。
両親の死骸の間で、再び泣き声をあげました。

||雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(しり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪(なみだ)をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑(みの)につゝみ夫の家に荷(にな)ひゆきけり。

■雪中の死体は生きているようにそのままなので、顔見知りの人がいて、これはどこどこの夫婦者だと判りました。
我が子をかばって袖で覆い、夫婦は手を離さずに死んだその気持を想いやると、さすがの若者たちも涙を流しました。
赤ん坊は懐に入れて、死骸は蓑で包んで、夫の家まで担いで行きました。

||かの両親(ふたおや)は夫婦娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひおりしに、死骸を見て一言の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声あげて哭(なき)けるは見るも憐(あはれ)のありさま也。

■夫の両親の家では、「さては二人して嫁の家に泊った」とばかり思い込んでいたので、亡骸を見て言葉も失いました。
二人の死骸に取り付いて頬ずりして大声で慟哭する、見るも憐れです。

||一人の男懐より児をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行の涙をおとしけるとぞ。

■一人の若者が、懐に入れていた赤ん坊をしゅうと(夫の母)に渡しました。
大きな悲しみの中とさてもの一つの喜びとで、両方の涙を流したそうです。

||△里言には雪吹を〔ふき〕といふ、こゝには里言によらず。

■里言では、雪吹(ふぶき)を【ふき(吹き)】と言いますが、ここでは雪吹としました。
※ふき(吹き)は、越後の国だけではなく、奥会津地方でも〔ふき〕と言います。
また、それで無くなった人を〔ふきだおれ〕とも言う。
「どこどこで、ふきだおれがあった」



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