別冊

雪頽人に災す(北越雪譜)1/32018/02/06 00:49

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 1/3

 我住(わがすむ)魚沼郡(うをぬまこほり)の内にて雪頽の為に非命の死をなしたる事、其村の人のはなしをこゝに記(しる)す。しかれども人の不祥なれば人名を詳(つまびらか)にせず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)

■ わたし(牧之)の住んでいる魚沼郡で、雪崩で悲惨な死亡事故が起きたとき、その村の人に聞いた話をここに載せます。
しかし人の不幸な出来事なので、名前などは明記しないでおくことにします。



雪頽(北越雪譜)2/22018/02/04 19:52

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)2/2

 或人問曰(とふてしはく)、雪の形六出(むつかど)なるは前に弁ありて詳(つまびらか)也。雪頽は雪の塊(かたまり)ならん、砕(くだけ)たる形雪の六出なる本形をうしなひて方形(かどだつ)はいかん、答(こたへ)て曰、地気天に変格して雪となるゆゑ、天の円(まるき)と地の方(かく)なるを併合(あはせ)て六出をなす。六出(りくしゆつ)は円形(まろきかたち)の裏也。雪天陽を離(はなれ)て降下(ふりくだ)り、地に帰(かへれ)ば天陽(やう)の円(まろ)き象(かたどり)うせて地陰(いん)の方(かく)なる本形に象(かたど)る、ゆゑに雪頽は千も万も圭角(かどだつ)也。このなだれ解(とけ)るはじめは角々(かど/\)円(まろ)くなる、これ陽火(やうくわ)の日にてらさるゝゆゑ天の円(まろき)による也。陰中に陽を包み陽中に陰を抱(いだく)は天地定理中(ぢやうりちゆう)の定格(ぢやうかく)也。老子経第四十二章に曰(いはく)、万物負レ陰而抱レ陽(ばんぶついんをおびてやうをいだく)冲気以為レ和(ちゆうきををもつてくわをなす)といへり。此理を以てする時は、お内儀さまいつもお内儀さまでは陰中に陽を抱(いだか)ずして天理に叶(かなは)ず、をり/\は夫に代りて理屈をいはざれば家内治(おさまら)ず、さればとて理屈に過(すぎ)牝鳥(めんどり)旦(とき)をつくればこれも又家内の陰陽前後して天理に違(たが)ふゆゑ家の亡(ほろぶ)るもと也。万物の天理誣(しふ)べからざる事かくのごとしといひければ、問客(とひしひと)唯々(いゝ)として去りぬ。雪頽悉(こと/”\)く方形(かどだつ)のみにもあらざれども十にして七八は方形をうしなはず。故(ゆゑ)に此説を下(くだ)せり。雪頽の図(づ)多く方形に従ふものは、其七八をとりて模様(もやう)を為すのみ。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.49~50)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)2/2

|| 或人問曰(とふてしはく)、雪の形六出(むつかど)なるは前に弁ありて詳(つまびらか)也。雪頽は雪の塊(かたまり)ならん、砕(くだけ)たる形雪の六出なる本形をうしなひて方形(かどだつ)はいかん、答(こたへ)て曰、地気天に変格して雪となるゆゑ、天の円(まるき)と地の方(かく)なるを併合(あはせ)て六出をなす。

■ ある人との問答。

〈或人〉「雪の形が六つ角だということは、前の話で判りましたが、雪崩は雪の塊ですよね。
砕けた形が六角にならずに四角になってしまうのはどういうことでしょうか」。

〈京山〉「それはじゃ、地気が天に昇って変格して雪になるので、天の円(まる)と地の方形が和合したから六角なのじゃ。『○雪の形』の条(くだり)に書いたのがそのことじゃ。〔愚按るに円は天の正象、方は地の実位也〕ということとな」。

||六出(りくしゆつ)は円形(まろきかたち)の裏也。

■六角に突出するのは、円の形の裏なのです。

※京山先生のはなしは続く・・・※

||雪天陽を離(はなれ)て降下(ふりくだ)り、地に帰(かへれ)ば天陽(やう)の円(まろ)き象(かたどり)うせて地陰(いん)の方(かく)なる本形に象(かたど)る、ゆゑに雪頽は千も万も圭角(かどだつ)也。

■雪が天の領域から離れて降下して、地に戻れば天(陽)の正象の形(円)が失せて、地(陰)の実位の形(方)に変わるのです。
だから、雪崩は至るところが角立つのです。

※京山先生、よく判りませーん(笑)。

||このなだれ解(とけ)るはじめは角々(かど/\)円(まろ)くなる、これ陽火(やうくわ)の日にてらさるゝゆゑ天の円(まろき)による也。

■この雪崩が溶け始めると、角かどは再び丸くなるのです。
これは、陽の火である日光に照らされるから、丸くなるという理屈なのです。

||陰中に陽を包み陽中に陰を抱(いだく)は天地定理中(ぢやうりちゆう)の定格(ぢやうかく)也。

■陰中に陽在り、陽中に陰在り、これは天と地の定理ともいうべき本来の仕組みなのです。
※この事々も、『○雪の形』の条に書いた気がする、、、(京山の独言、、、こら!)

||老子経第四十二章に曰(いはく)、万物負レ陰而抱レ陽(ばんぶついんをおびてやうをいだく)冲気以為レ和(ちゆうきををもつてくわをなす)といへり。

■〈京山〉「えーと、老子の「道徳経」は第四十二章にこう書かれている」。
万物負陰而抱陽〕バンブツ フーイン ジ ホーヨー
冲気以為和〕 チューキ イーイー ワー(※嘘ですから、どう読むのかわかりません(笑))

 万物は陰を負い、しかして、陽を抱くのです
 それがチュウする事によって、和というものが顕れる、とな。
 嗚呼、それが虚無ぢゃ。

 ※そんな事は書いてませんが、こういう↓ことですかね(^^;

||此理を以てする時は、お内儀さまいつもお内儀さまでは陰中に陽を抱(いだか)ずして天理に叶(かなは)ず、をり/\は夫に代りて理屈をいはざれば家内治(おさまら)ず、さればとて理屈に過(すぎ)牝鳥(めんどり)旦(とき)をつくればこれも又家内の陰陽前後して天理に違(たが)ふゆゑ家の亡(ほろぶ)るもと也。

■〈京山〉「この理(ことわり)を敷衍するとじゃな、

おかみさんはいつもお内儀様のままでは、陰中に陽を抱く事が無いので天理に叶うておらぬのじゃ。時々は、、、えーと、折にふれてはだな、夫に代わって小言のひとつも言わないと、家内の安寧は保てないのだな。

だからといって、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃと喋りすぎると、これはだな、〔めんどり(雌鳥)うたえば家亡ぶ〕ということばがあるのじゃ。これも過ぎると家内の陰陽が逆になるので、天の理に叶わないのだな」。

※〔人の体男は陽なるゆゑ九出し女は十出す〕と、女が陰、男が陽と、やはり『○雪の形』でしっかりと前振りして書いているのです(笑)。

||万物の天理誣(しふ)べからざる事かくのごとしといひければ、問客(とひしひと)唯々(いゝ)として去りぬ。

■〈京山〉「万物は天の理を違えてはならぬ、というのはこういうことなのじゃ」

と、講釈をしたら、その御仁は「へいへい、ありがたいお説でございますだ」と逃げて行ったわい。
アハハ。かんらかんら。

※悪乗り、いやいや、京山がそのように書いていると思えて仕方が無い(笑)。

||雪頽悉(こと/”\)く方形(かどだつ)のみにもあらざれども十にして七八は方形をうしなはず。故(ゆゑ)に此説を下(くだ)せり。

■雪崩は全ての形が角立つわけでは無いのですが、七八割が方形を保っている。
それなので、このように説明してみました。

||雪頽の図(づ)多く方形に従ふものは、其七八をとりて模様(もやう)を為すのみ。

■雪崩の絵を矩形の雪を多用して描いたのは、その為なのです。
(※これは、京水(絵師:京山の息子)の絵図の説明(言い訳)なのかも。
実際にはこんな物ではないという・・・)。



雪頽(北越雪譜)1/22018/02/04 19:46

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)1/2

 山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言に〔なだれ〕といふ、又〔なで〕ともいふ。按(あんず)になだれは撫下(なぜおり)る也。〔る〕を〔れ〕といふは活用(はたらかする)ことばなり、山にもいふ也。こゝには雪頽(ゆきくづる)の字を借(かり)て用ふ。字書に頽(たい)は暴風ともあればよく叶へるにや。さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふゞき)に双(ならべ)て雪国の難儀とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く凍るも又里よりは甚(はなはだ)し。我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅(あさき)しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば陽気地中より蒸(むし)て解(とけ)んとする時地
気と天気との為に破(われ)て響(ひゞき)をなす。一片破て片々(へん/\)破る、其ひゞき大木を折(をる)がごとし。これ雪頽(なだれ)んとするの萌(きざし)也。山の地勢と日の照(てら)すとによりて、なだるゝ処(ところ)となだれざる処あり。なだるゝはかならず二月にあり。里人(さとひと)はその時をしり、処をしり、萌(きざし)を知るゆゑに、なだれのために撃死(うたれし)するもの稀(まれ)也。しかれども天の気候不意にして一定(ぢやう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉(こ)に砕(くだ
く)もあり。雪頽の形勢(ありさま)いかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こほり)その大なるは十間以上小なるも九尺五尺にあまる、大小数百千悉(こと/”\)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく かならず方(かく)をなす事下に弁(べん)ず なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くづれおつ)る、その響百千の雷(いかづち)をなし、大木を折、大石を倒す。此時はかならず暴風(はやて)力をそへて粉に砕(くだき)たる沙礫(こじやり)のごとき雪を飛(とば)せ、白日も暗夜の如くその慄(おそろ)しき事筆紙(ひつし)に尽しがたし。此雪頽に命を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝしたるを次の巻(まき))に記(しる)して暖国の人の話柄(はなしのたね)とす。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.47~50)

 ・ ・ ・

 ○雪頽(なだれ)1/2

|| 山より雪の崩頽(くづれおつる)を里言に〔なだれ〕といふ、又〔なで〕ともいふ。按(あんず)になだれは撫下(なぜおり)る也。〔る〕を〔れ〕といふは活用(はたらかする)ことばなり、山にもいふ也。こゝには雪頽(ゆきくづる)の字を借(かり)て用ふ。字書に頽(たい)は暴風ともあればよく叶へるにや。

■ 山から雪が崩れ落ちる事を里言葉で【なだれ】といいます。【なで】ともいいます。
何でかと考えてみろと、なだれは〔撫下(なぜおり)る〕ではないかと思う。
「る」が「れ」となるのは語の活用によるのです。
ここでは、〔雪頽(ゆきくづる)〕という文字で記すことにします。
辞書を引けば、〔頽〕の字には爆風の意味もあるので意味も通じるでしょう。

※原文の雪頽は、この訳文ではなるべく雪崩と表記することにします(掲載子)。

||さて雪頽(なだれ)は雪吹(ふゞき)に双(ならべ)て雪国の難儀とす。高山(たかやま)の雪は里よりも深く凍るも又里よりは甚(はなはだ)し。

■雪崩は吹雪きと同じく雪国では難儀な事になります。
高山の雪は平地よりも深い雪となり、氷雪も平地とは較べものにならないほどです。

||我国東南の山々里にちかきも雪一丈四五尺なるは浅(あさき)しとす。此雪こほりて岩のごとくなるもの、二月のころにいたれば陽気地中より蒸(むし)て解(とけ)んとする時地気と天気との為に破(われ)て響(ひゞき)をなす。一片破て片々(へん/\)破る、其ひゞき大木を折(をる)がごとし。これ雪頽(なだれ)んとするの萌(きざし)也。

■越後山脈の裾野、平地に近い場所でも五メートル程度は浅いといってもよいほどです。
その雪が氷結して岩のようになるのです。
二月頃には、地中の陽気が出始めるので雪下は蒸されて解けだしてきます、
そのときに地の気と天の気がぶつかるので雪が音をたてて裂けるのです。
一箇所で裂けると次々に裂けてきます。
そのときの音は大木が折れるような音がします、この響きが雪崩の予兆です。

||山の地勢と日の照(てら)すとによりて、なだるゝ処(ところ)となだれざる処あり。なだるゝはかならず二月にあり。

■斜面の地形と日照の具合によって、雪崩が発生する所と発生しない場所があります。
雪崩る場所では必ず二月に発生します。

||里人(さとひと)はその時をしり、処をしり、萌(きざし)を知るゆゑに、なだれのために撃死(うたれし)するもの稀(まれ)也。しかれども天の気候不意にして一定(ぢやう)ならざれば、雪頽(なだれ)の下に身を粉(こ)に砕(くだく)もあり。

■その地に住む里人はその時節と場所を知っていて、予兆の響きも知っているので、雪崩に遭って死ぬ事はめったにはありません。
しかし、雪国の天候は急変する事があるので、雪崩にぶつかる事もあるのです。

||雪頽の形勢(ありさま)いかんとなれば、なだれんとする雪の凍(こほり)その大なるは十間以上小なるも九尺五尺にあまる、

■雪崩の規模といったら、崩れる凍った雪は、大きいものは十間(18メートル)以上、中小規模でも3メートル、1.5メートル程の塊となります。

||大小数百千悉(こと/”\)く方(しかく)をなして削りたてたるごとく-かならず方(かく)をなす事下に弁(べん)ず-なるもの幾千丈の山の上より一度に崩頽(くづれおつ)る、その響百千の雷(いかづち)をなし、大木を折、大石を倒す。

■数百千にもなる大小の塊が全て四角になって、高山の山頂から一度に削れ滑り落ちるのです。
そのさまは、無数の雷鳴とともに、大木をなぎ倒して、大きな山石をも転がすのです。
どうして、方(かく)になるのかは、この後で書きます。

||此時はかならず暴風(はやて)力をそへて粉に砕(くだき)たる沙礫(こじやり)のごとき雪を飛(とば)せ、白日も暗夜の如くその慄(おそろ)しき事筆紙(ひつし)に尽しがたし。

■このときには、暴風も発生して砕かれた氷雪は石礫のように雪を飛ばして昼間でも暗闇になってしまうのです。
その恐ろしさは表現のしようも無いほどです。

||此雪頽に命を捨(おと)しし人、命を拾(ひろひ)し人、我が見聞(みきゝしたるを次の巻(まき))に記(しる)して暖国の人の話柄(はなしのたね)とす。

■こういう雪崩に落命した人や危うく助かった人など、わたし(牧之)が見聞した事々については、
次巻に書く事にします。この雪国の恐ろしさをトカイの人への話の種としましょう。

※次巻(北越雪譜初編巻之中)予告で引っぱる(笑)。

まだまだ雪について書く事があったのだ。しかし、巻之上は、ぜひとも鈴木牧之を塩沢に訪ねるまでには、初稿を仕上げねばならない。
さて、どうするか。そして、巻之上の丁をあわせる(頁数を合わせる)ためにも、京山は書き出したのだ、それがまた、筆のいきおいは、止まらなくなってしまう。
(あくまで、本掲載子の想像(与太ですから(笑)))。



破目山(われめきやま)(北越雪譜)2018/02/02 01:16

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○破目山(われめきやま)

 魚沼郡清水村の奥に山あり、高さ一里あまり、周囲(めぐり)も一里あまり也。山中すべて大小の破隙(われめ)あるを以て山の名とす。山半(やまのなかば)は老樹条(えだ)をつらね半(なかば)より上は岩石畳々(でふ/\)として其形竜踊虎怒(そのかたちりようをどりとらいかる)がごとく奇々怪々言(いふ)べからず。麓の左右に渓川(たにがは)あり合して滝をなす、絶景又言べからず。旱(ひでり)の時此滝壷に●(あまこひ)すればかならず験(しるし)あり。一年(ひとゝせ)四月の半雪の消(きえ)たる頃清水村の農夫ら二十人あまり集り熊を狩(から)んとて此山にのぼり、かの破隙の窟(うろ)をなしたる所かならず熊の住処(すみか)ならんと例の番椒(たうからし)烟草(たばこ)の茎を薪(たきゞ)に交(まぜ)、窟にのぞんで焚(たき)たてしに熊はさらに出(いで)ず、窟の深(ふかき)ゆゑに烟(けふり)の奥に至らざるならんと次日(つぎのひ)は薪を増し山も焼(やけ)よと焚けるに、熊はいでずして一山の破隙こゝかしこより烟をいだして雲の起(おこる)が如くなりければ、奇異のおもひをなし熊を狩(から)ずして空しく立かへりしと清水村の農夫が語りぬ。おもふに此山半(なかば)より上は岩を骨として肉の土薄く地脈気を通じて破隙をなすにや、天地妙々の奇工(きかう)思量(はかりしる)べからず。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.46~47)

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 ○破目山(われめきやま)

|| 魚沼郡清水村の奥に山あり、高さ一里あまり、周囲(めぐり)も一里あまり也。山中すべて大小の破隙(われめ)あるを以て山の名とす。山半(やまのなかば)は老樹条(えだ)をつらね半(なかば)より上は岩石畳々(でふ/\)として其形竜踊虎怒(そのかたちりようをどりとらいかる)がごとく奇々怪々言(いふ)べからず。麓の左右に渓川(たにがは)あり合して滝をなす、絶景又言べからず。旱(ひでり)の時此滝壷に●(あまこひ)すればかならず験(しるし)あり。

■ 魚沼郡清水村の奥に、高さ六百メートル、周囲も六百メートルほどの山があります。
その山は全体が割れ目だらけなので、【破目山(われめきやま)】と呼ばれます。
山の中腹までは樹林ですが、それより上は岩石が何重にも畳み重なっています。
まさに、竜は舞い虎は吼えるの図の如し、その奇々怪々のさまは言葉になりません。
山麓の左右に渓流が流れ、それが合わさって滝になります、絶景かな絶景かな。
旱魃のときには、この滝壷で雨乞いをすると霊験あらたか必ず兆しが顕れるのです。

||一年(ひとゝせ)四月の半雪の消(きえ)たる頃清水村の農夫ら二十人あまり集り熊を狩(から)んとて此山にのぼり、かの破隙の窟(うろ)をなしたる所かならず熊の住処(すみか)ならんと例の番椒(たうからし)烟草(たばこ)の茎を薪(たきゞ)に交(まぜ)、窟にのぞんで焚(たき)たてしに熊はさらに出(いで)ず、窟の深(ふかき)ゆゑに烟(けふり)の奥に至らざるならんと次日(つぎのひ)は薪を増し山も焼(やけ)よと焚けるに、熊はいでずして一山の破隙こゝかしこより烟をいだして雲の起(おこる)が如くなりければ、奇異のおもひをなし熊を狩(から)ずして空しく立かへりしと清水村の農夫が語りぬ。

■ある年の四月半ばの雪の消えた時節に、清水村の農民が二十人ほど集まって熊狩りをしようとこの山に登りました。
岩の割れ目の隙間の洞は熊の住処になっている筈だと、唐辛子や煙草の茎を薪に混ぜて、洞の前で焚き火をしました。
が、熊は出てきません。
洞穴が深いので煙が奥まで届かないのだろうとと思い、翌日は更に薪を増やして山火事にでもなるほどに火を焚きました。
しかし熊は出てこずに、山のあちこちから煙が出て来てまるでそこから雲が湧き出るかのような景色になった。
全く不思議な事だと思って、結局熊狩りは諦めて戻ってきた。
この事は清水村の農夫が語った話でした。

||おもふに此山半(なかば)より上は岩を骨として肉の土薄く地脈気を通じて破隙をなすにや、天地妙々の奇工(きかう)思量(はかりしる)べからず。

■このことを考えてみると、この山の上半分は骨格が岩で出来ているので肉となる土が薄いのです。
その為、地脈の気が通り易いので、結果として割れ目の岩だらけになったのではないか。
天地の仕組みと働きは、絶妙奇妙、人の想像力を凌駕するのです。

「校註 北越雪譜」野島出版より(P.46~47)

新編会津風土記魚沼郡之四に「ワリメキ山」とある。らしい。



雪吹(ふゞき)(北越雪譜)5/52018/01/31 22:52

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪吹(ふゞき) 5/5

 雪吹(ふゞき)の人を殺す事大方右に類す、暖地の人花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞(びしやう)する雪吹と其異(ことなる)こと、潮干(しほひ)に遊びて楽(たのしむ)と洪涛(つなみ)に溺(おぼれ)て苦(くるしむ)との如し。雪国の難儀暖地の人おもひはかるべし。連日の晴天も一時に変じて雪吹となるは雪中の常也。其力(ちから)樹(き)を抜(ぬき)家を折(くじく)。人家これが為に苦(くるし)む事枚挙(あげてかぞへ)がたし。雪吹に逢(あひ)たる時は雪を堀(ほり)身を其内に埋(うづむ)れば雪暫時につもり、雪中はかへつて温(あたゝか)なる気味ありて且(かつ)気息(いき)を漏(もら)し死をまぬがるゝ事あり。雪中を歩(ほ)する人陰嚢(いんのう)を綿にてつゝむ事をす、しかざれば陰嚢まづ凍(こほり)て精気尽る也。又凍死(こゞえしゝ)したるを湯火(たうくわ)をもつて温(あたゝむ)れば助(たすか)る事あれども武火(つよきひ)熱湯(あつきゆ)を用ふべからず。命たすかりたるのち春暖にいたれば腫病(はれやまひ)となり、良医も治(ぢ)しがたし。凍死(こゞえしゝ)たるはまづ塩を●(煎、いり)て布に包(つゝみ)、しば/\臍(へそ)をあたゝめ、藁火(わらび)の弱(よわき)をもつて次第に温(あたゝむ)べし。助(たすか)りたるのち病(やまひ)を発せず。 人肌(ひとはだ)にて温(あたゝ)むはもつともよし。 手足の凍へたるも強き湯火(たうか)にてあたゝむれば、陽気いたれば灼傷(やけど)のごとく腫(はれ)、つひに腐(くさり)て指をおとす、百薬功なし。これ我が見たる所を記して人に示す。人の凍死(こゞえし)するも手足の亀手(かゞまる)も陰毒(いんどく)の血脈(けちみやく)を塞ぐの也。俄(にはか)に湯火(たうくわ)の熱を以て温(あたゝむ)れば人精(じんせい)の気血をたすけ、陰毒一旦解(とく)るといへども全く去(さら)ず、陰は陽に勝(かた)ざるを以て陽気至(いた)ば陰毒肉に暈(しみ)て腐(くさる)也。寒中雨雪(うせつ)に歩行(ありき)て冷(ひえ)たる人急に湯水を用ふべからず。己が人熱の温(あたゝか)ならしむるをまつて用ふべし、長生(ちやうせい)の一術なり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.39~44)

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 ○雪吹(ふゞき) 5/5

|| 雪吹(ふゞき)の人を殺す事大方右に類す、暖地の人花の散(ちる)に比(くらべ)て美賞(びしやう)する雪吹と其異(ことなる)こと、潮干(しほひ)に遊びて楽(たのしむ)と洪涛(つなみ)に溺(おぼれ)て苦(くるしむ)との如し。

■吹雪で死人が出るのは、あらかたは以上に書いたような事に依るのです。
トカイの人が散る花の風流を愛でる吹雪とは全く様相が違うのです。
それは、行楽の潮干狩りを楽しむのと、津波に溺れて災難にあうのとくらいの違いなのです。

||雪国の難儀暖地の人おもひはかるべし。連日の晴天も一時に変じて雪吹となるは雪中の常也。其力(ちから)樹(き)を抜(ぬき)家を折(くじく)。人家これが為に苦(くるし)む事枚挙(あげてかぞへ)がたし。

■雪国の難儀について、想像してみて下さい。
毎日晴天が続いていてもある時に急変して吹雪となるのは雪中ではよくあることなのです。
その強さは木を引き抜くし家は倒壊するほどなのです。
人も家もこの吹きに苦しむ事例は枚挙のいとまが無いほどなのです。

||雪吹に逢(あひ)たる時は雪を堀(ほり)身を其内に埋(うづむ)れば雪暫時につもり、雪中はかへつて温(あたゝか)なる気味ありて且(かつ)気息(いき)を漏(もら)し死をまぬがるゝ事あり。

■吹雪に遭った時には、雪を掘ってその中に入れば雪が次第に積っていくので、その中は却って暖かく呼吸をする隙間もできるので、助かることもあります。

※吹雪にあったときには雪を掘ってビバークするのがよいです、雪で埋もれれば体温低下を免れます。
呼吸出来る空間(口鼻が雪に直接触らないように)だけは確保しましょう。

||雪中を歩(ほ)する人陰嚢(いんのう)を綿にてつゝむ事をす、しかざれば陰嚢まづ凍(こほり)て精気尽る也。

■寒冷状態で歩行移動する場合は、最悪でもきんたまだけは凍らないようにします。
そうしないと一番先に凍ってしまい、生気を失ってしまいます。
陰嚢は自律生体反応でそれなりの温度調整機能がありますが、それが間に合わない急冷現象があると凍ってしまいやすい形状ともいえます。←こら、そうは書いていない!


||又凍死(こゞえしゝ)したるを湯火(たうくわ)をもつて温(あたゝむ)れば助(たすか)る事あれども武火(つよきひ)熱湯(あつきゆ)を用ふべからず。命たすかりたるのち春暖にいたれば腫病(はれやまひ)となり、良医も治(ぢ)しがたし。

■凍えた場合には暖めるのが処置方法の一つですが、熱すぎる火や熱湯は使わないでください。命は助かりますが、後になって腫瘍などは専門医にかかっても完治しません。

||凍死(こゞえしゝ)たるはまづ塩を●(煎、いり)て布に包(つゝみ)、しば/\臍(へそ)をあたゝめ、藁火(わらび)の弱(よわき)をもつて次第に温(あたゝむ)べし。

■凍えたときには、先ず塩を煎って布に包んで臍の辺り(臍下丹田か)にあててゆっくり温めます、藁を燃やした弱いほの火などでゆっくりと温めます。

||助(たすか)りたるのち病(やまひ)を発せず。
 人肌(ひとはだ)にて温(あたゝ)むはもつともよし。 

■この様にすると、後遺症が出にくくなります。一番良いのは、人肌で温めることです。

||手足の凍へたるも強き湯火(たうか)にてあたゝむれば、陽気いたれば灼傷(やけど)のごとく腫(はれ)、つひに腐(くさり)て指をおとす、百薬功なし。

■手足が凍えた場合も(あ、この↑上までは手足のことぢゃないのです)、強火や熱湯などで温めると、後になって火傷のようになって腫れたり、凍傷となって指が壊死しますので、結果として効果がありません。

||これ我が見たる所を記して人に示す。

■ホントですよ、自分はそれを見ているんですから。命あってのものだね、

||人の凍死(こゞえし)するも手足の亀手(かゞまる)も陰毒(いんどく)の血脈(けちみやく)を塞ぐの也。

■人が凍死してしまうのも、寒さで手足がひび割れる(亀手、きんしゅ)のも陰毒が血管を塞いでしまうからなのです。

||俄(にはか)に湯火(たうくわ)の熱を以て温(あたゝむ)れば人精(じんせい)の気血をたすけ、毒一旦解(とく)るといへども全く去(さら)ず、陰は陽に勝(かた)ざるを以て陽気至(いた)ば陰毒肉に暈(しみ)て腐(くさる)也。

■急に湯や火の熱で暖めるとその時には血管の機能的には、一旦血のめぐりが戻ったように思いますが、決して回復していないのです。
陰が陽に勝つことはないので、急激な陽に出会うと、陰毒は内側に染み入って腐るのです。

||寒中雨雪(うせつ)に歩行(ありき)て冷(ひえ)たる人急に湯水を用ふべからず。己が人熱の温(あたゝか)ならしむるをまつて用ふべし、長生(ちやうせい)の一術なり。

■寒冷地の雨や雪の中を歩いて冷え切った人をもてなすにも、急に湯に入れたりしては逆効果なのです。
先ずはその人の体内の熱が暖かく落着いてから使うのです。
これは長生きの為のひけつでもあります。

「校註 北越雪譜」野島出版より(P.39~44)



雪吹(ふゞき)(北越雪譜)4/52018/01/31 22:48

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪吹(ふゞき) 4/5

 さるほどに夫(おつと)は先に立妻は後(あと)にしたがひゆく。をつとつまにいふ、今日は頃日(このごろ)の日和(ひより)也、よくこそおもひたちたれ、今日夫婦孫をつれて来るべしとは親たちはしられ玉ふまじ、孫の顔を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。さればに候、父翁(とつさま)はいつぞや来(きた)られしが母人(かさま)はいまだ赤子(ねんね)を見給はざるゆゑことさらの喜悦(よろこび)ならん、遅(おそく)ならば一宿(とまり)てもよからんか、郎(おまへ)も宿(とまり)給へ。不可也(いや/\)二人とまりなば両親(おやたち)案(あんじ)給はん、われは帰(かへる)べし、などはなしの間(うち)児(こ)の啼(なく)に乳房くゝませつゝうちつれて道をいそぎ美佐嶋(みさしま)といふ原中に到りし時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲空に覆ひければ 是雪中の常也 夫(おつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹ならん、いかゞはせんと踉?(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、●(つちかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峰に登がごとし、朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒地狂(てんいかりちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の槍、凍雪は身を射(いる)箭(や)也。夫(おつと)は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼口襟袖(めくちゑりそで)はさら也。裾(すそ)へも雪を吹いれ、全身凍(こゞえ)呼吸(こきう)迫(せま)り半身は雪に埋められしが、命のかぎりなれば夫婦声をあげほうい/\と哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきゝ)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく、手足凍(こゞへ)て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しに)けり。此雪吹其日の暮に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹に埋(うづめ)られて見えざれども、赤子の啼声を雪の中にきゝければ人々大に怪(あやし)み、おそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、剛気(がうき)の者雪を堀てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらはれ)たり。扨(さて)は昨日の雪吹倒れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を堀、死骸を見るに夫婦手を引(ひき)あひて死(しゝ)居たり。児は母の懐にあり。母の袖児の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや、凍死(こゝえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又声をあげてなきけり。雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(しり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪(なみだ)をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑(みの)につゝみ夫の家に荷(にな)ひゆきけり。かの両親(ふたおや)は夫婦娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひおりしに、死骸を見て一言の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声あげて哭(なき)けるは見るも憐(あはれ)のありさま也。一人の男懐より児をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行の涙をおとしけるとぞ。△里言には雪吹を〔ふき〕といふ、こゝには里言によらず。

 ・ ・ ・

 ○雪吹(ふゞき) 4/5

|| さるほどに夫(おつと)は先に立妻は後(あと)にしたがひゆく。

■ 夫が先に立ち、妻がその後をついて行きます。

||をつとつまにいふ、今日は頃日(このごろ)の日和(ひより)也、よくこそおもひたちたれ、今日夫婦孫をつれて来るべしとは親たちはしられ玉ふまじ、孫の顔を見玉はゞさぞかしよろこび給ふらん。さればに候、父翁(とつさま)はいつぞや来(きた)られしが母人(かさま)はいまだ赤子(ねんね)を見給はざるゆゑことさらの喜悦(よろこび)ならん、遅(おそく)ならば一宿(とまり)てもよからんか、郎(おまへ)も宿(とまり)給へ。

■〈夫〉「今日はよく晴れた絶好の日和だ、良くぞ思い立ってくれましたね。
まさか夫婦揃って孫を抱いてくるとは親たちも思わぬことに吃驚するでしょう。
孫の顔を見たらさぞやお喜びになるだろうね」。
〈妻〉「とっさま(父)は先だって来ましたが、
かさま(義母)はまだ赤ちゃんの顔も見ていないので殊更喜びましょう。
遅くなりそうならば一泊しましょうか、貴方(夫)もお泊りになればよい」。

||不可也(いや/\)二人とまりなば両親(おやたち)案(あんじ)給はん、われは帰(かへる)べし、などはなしの間(うち)児(こ)の啼(なく)に乳房くゝませつゝうちつれて道をいそぎ美佐嶋(みさしま)といふ原中に到りし時、天色(てんしよく)倏急(にはか)に変り黒雲空に覆ひければ 是雪中の常也 

■〈夫〉「いやいや、二人泊って帰らなかったら親たち(夫の両親)が心配するだろう。
わたしは帰ることにしておこう」。
などと話をしながら、赤ん坊がむずがると歩きながら乳房を含ませたりして歩を進めていくました。
そして、美佐嶋(みさしま、現六日町美佐島)という原っぱまで行った時でした。
天候が急変、にわかに黒雲が空を覆ったのでした。

※これは、雪国の冬にはよくあることです。

||夫(おつと)空を見て大に驚怖(おどろき)、こは雪吹ならん、いかゞはせんと踉?(ためらふ)うち、暴風(はやて)雪を吹散(ふきちらす)事巨濤(おほなみ)の岩を越(こゆ)るがごとく、●(つちかぜ)雪を巻騰(まきあげ)て白竜(はくりやう)峰に登がごとし、

■夫は空を見て「これは大変、フキ(吹雪)になるぞ。どうしようか」
と躊躇っているうちに、暴風が雪を吹き散らして、旋風が雪を巻き上げるさまです。
まるで大波が岩を越える波涛のごとく、白竜が山峰を登っていく景色です。

||朗々(のどか)なりしも掌(てのひら)をかへすがごとく天怒地狂(てんいかりちくるひ)、寒風は肌(はだへ)を貫(つらぬく)の槍、凍雪は身を射(いる)箭(や)也。

■のどかな晴天がいきなり天は怒り地が狂ったような変わり様。
寒風は肌に突き刺す槍となって、凍雪は体を射る矢のようです。

||夫(おつと)は蓑笠を吹とられ、妻は帽子を吹ちぎられ、髪も吹みだされ、咄嗟(あはや)といふ間(ま)に眼口襟袖(めくちゑりそで)はさら也。
裾(すそ)へも雪を吹いれ、全身凍(こゞえ)呼吸(こきう)迫(せま)り半身は雪に埋められしが、

■夫は蓑笠も吹飛ばされて、妻は綿入帽子を吹き千切られて髪の毛も吹き乱されて、あっという間に目や口や襟首、袖口どころか裾も捲くれて雪が付着し、全身が凍える寒さで呼吸困難、半身は雪に埋まってしまいました。

||命のかぎりなれば夫婦声をあげほうい/\と哭叫(なきさけべ)ども、往来(ゆきゝ)の人もなく人家にも遠ければ助(たすく)る人なく、

■これでは死んでしまうと、夫婦は、ほういほういと声の限りに叫びました。
しかし、ほかに行き来する人もいません。近くには人家も無く、聞きつける人もいませんでした。

||手足凍(こゞへ)て枯木のごとく暴風に吹僵(ふきたふさ)れ、夫婦頭(かしら)を並(ならべ)て雪中に倒れ死(しに)けり。

■手足は凍えて枯木のように暴風で吹き倒されて、夫婦は頭を並べるようにして雪中に倒れて死んでしまいました。

||此雪吹其日の暮に止(やみ)、次日(つぎのひ)は晴天なりければ近村の者四五人此所を通りかゝりしに、かの死骸は雪吹に埋(うづめ)られて見えざれども、赤子の啼声を雪の中にきゝければ人々大に怪(あやし)み、おそれて逃(にげ)んとするも在(あり)しが、

■この吹雪はその日の夕方には止んでしまいました。
そして翌日はまた晴天でした。
そこを近隣の村の四、五人の若者が通りかかりましたが、夫婦のなきがら(亡骸)は雪の下なので見えません。
ところが、雪の中から赤ん坊の泣き声が聞こえてきたのです。
人びとはとても怪しんで、怖くなってその場所から逃げようとする人もいました。

※若者とは、後の文章に書いてあります。

||剛気(がうき)の者雪を堀てみるに、まづ女の髪の毛雪中に顕(あらはれ)たり。

■度胸のある気の強い人が雪を掘ってみました。
すると、先ず女の髪の毛が出てきたのです。

||扨(さて)は昨日の雪吹倒れならん 里言にいふ所 とて皆あつまりて雪を堀、死骸を見るに夫婦手を引(ひき)あひて死(しゝ)居たり。

■「さては昨日のふきだおれ(雪吹倒れ)だろう」
と全員で雪を掘り始めました。すると、夫婦者が手を引き合ったまま死んでいたのです。

||児は母の懐にあり。

■赤ん坊は、母の懐に入っていたのです。

||母の袖児の頭(かしら)を覆ひたれば児は身に雪をば触(ふれ)ざるゆゑにや、凍死(こゝえしな)ず、両親(ふたおや)の死骸の中にて又声をあげてなきけり。

■母の振袖が赤ん坊の頭を覆っていたので、赤ん坊の体には雪が着かなかったので凍死する事を免れたのです。
両親の死骸の間で、再び泣き声をあげました。

||雪中の死骸なれば生(いけ)るがごとく、見知(しり)たる者ありて夫婦なることをしり、我児(わがこ)をいたはりて袖をおほひ夫婦手をはなさずして死(しゝ)たる心のうちおもひやられて、さすがの若者らも泪(なみだ)をおとし、児は懐にいれ死骸は蓑(みの)につゝみ夫の家に荷(にな)ひゆきけり。

■雪中の死体は生きているようにそのままなので、顔見知りの人がいて、これはどこどこの夫婦者だと判りました。
我が子をかばって袖で覆い、夫婦は手を離さずに死んだその気持を想いやると、さすがの若者たちも涙を流しました。
赤ん坊は懐に入れて、死骸は蓑で包んで、夫の家まで担いで行きました。

||かの両親(ふたおや)は夫婦娵(よめ)の家に一宿(とまりし)とのみおもひおりしに、死骸を見て一言の詞(ことば)もなく、二人が死骸にとりつき顔にかほをおしあて大声あげて哭(なき)けるは見るも憐(あはれ)のありさま也。

■夫の両親の家では、「さては二人して嫁の家に泊った」とばかり思い込んでいたので、亡骸を見て言葉も失いました。
二人の死骸に取り付いて頬ずりして大声で慟哭する、見るも憐れです。

||一人の男懐より児をいだして姑(しうと)にわたしければ、悲(かなしみ)と喜(よろこび)と両行の涙をおとしけるとぞ。

■一人の若者が、懐に入れていた赤ん坊をしゅうと(夫の母)に渡しました。
大きな悲しみの中とさてもの一つの喜びとで、両方の涙を流したそうです。

||△里言には雪吹を〔ふき〕といふ、こゝには里言によらず。

■里言では、雪吹(ふぶき)を【ふき(吹き)】と言いますが、ここでは雪吹としました。
※ふき(吹き)は、越後の国だけではなく、奥会津地方でも〔ふき〕と言います。
また、それで無くなった人を〔ふきだおれ〕とも言う。
「どこどこで、ふきだおれがあった」



雪吹(ふゞき)(北越雪譜)3/52018/01/31 22:42

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪吹(ふゞき) 3/5

○かくて産後日を歴(へ)てのち、連日の雪も降止(ふりやみ)天気穏(おだやか)なる日、娵(よめ)夫(おつと)にむかひ、今日は親里へ行(ゆか)んとおもふ、いかにやせんといふ。舅(しゆうと)旁(かたはら)にありて、そはよき事也、男(せがれ)も行べし、実母(はゝどの)へも孫を見せてよろこばせ、夫婦して自慢せよといふ、娵はうちゑみつゝ姑(しうとめ)にかくといへば、姑は俄(にはか)に土産(みやげ)など取そろへる間(うち)に娵髪をゆひなどして嗜(たしなみ)の衣類を着し、綿入(わたいれ)の木綿帽子も寒国(かんこく)の習(ならひ)とて見にくからず、児(こ)を懐(ふところ)にいだき入んとするに姑旁よりよく乳(ち)を呑せていだきいれよ、途(みち)にてはねんねがのみにくからんと一言の詞(ことば)にも孫を愛する情(こゝろ)ぞしられける。夫(おつと)は蓑笠(みのかさ)稿(わら)脚衣(はゞき)すんべを穿(はき) 晴天(せいてん)にも蓑(みの)を着(きる)は雪中農夫(のうふ)の常也 土産物を軽荷(かるきに)に担ひ、両親(ふたおや)に暇乞(いとまごひ)をなし夫婦袂(たもと)をつらね喜躍(よろこびいさみ)て立出(たちいで)けり。正(これぞ)親子が一世(いつせ)の別れ、後の悲歎(なげき)とはなりけり。

 ・ ・ ・

 ○雪吹(ふゞき) 3/5

○かくて産後日を歴(へ)てのち、連日の雪も降止(ふりやみ)天気穏(おだやか)なる日、娵(よめ)夫(おつと)にむかひ、今日は親里へ行(ゆか)んとおもふ、いかにやせんといふ。

■そして子供が生れて数ヶ月も過ぎた頃、毎日降っていた雪も止んで、日も出て腫れたある日、嫁は、「今日は実家に孫見せにでも出かけようと思いますが、どうしましょう」と夫に話しかけました。

||舅(しゆうと)旁(かたはら)にありて、そはよき事也、男(せがれ)も行べし、実母(はゝどの)へも孫を見せてよろこばせ、夫婦して自慢せよといふ、

■舅(じさま)は傍にいたので会話を聞きつけて「それは良いことだ、にしゃ(息子)も行ってこ。
向うのばさま(実母)にも孫見せしたらそれは喜ぶべ。二人して行って自慢してくれば良い」と声をかける。

||娵はうちゑみつゝ姑(しうとめ)にかくといへば、姑は俄(にはか)に土産(みやげ)など取そろへる間(うち)に娵髪をゆひなどして嗜(たしなみ)の衣類を着し、綿入(わたいれ)の木綿帽子も寒国(かんこく)の習(ならひ)とて見にくからず、

■嫁は微笑んで、しゅうとめ様(ばさま)にその事を話しました。
「二人で行って来いと言わっちゃだが、かまねか(構わないですか)」
姑(ばさま)は「それはそれは大変だ(うれしい)」と、みやげ物の準備を始める。
その間に嫁は髪を整えて、よそ行きの着物に着替えて、綿入れ木綿の帽子も被るが、これは雪国の習慣なので全然おかしくないのです。

※伏線が書かれている。

||児(こ)を懐(ふところ)にいだき入んとするに姑旁よりよく乳(ち)を呑せていだきいれよ、途(みち)にてはねんねがのみにくからんと一言の詞(ことば)にも孫を愛する情(こゝろ)ぞしられける。

■そして赤子を懐(ふところ)包みで抱き入れようとすると、ばさまは、
「乳をよく飲ませてから包めよ、途中で歩きながらでは赤子(あかっこ)も呑み難くがべ」
と、しゅうと様の掛ける言葉一つにも、孫をめごがる(可愛かる)気持が出て来てしまいます。

||夫(おつと)は蓑笠(みのかさ)稿(わら)脚衣(はゞき)すんべを穿(はき) 
晴天(せいてん)にも蓑(みの)を着(きる)は雪中農夫(のうふ)の常也 

■夫のいでたちは、蓑に笠、藁で作った〔はばき(脚絆、きゃはん〕に藁沓(すんべ)を履いています。
※晴天の日でも蓑を着けるのは雪国の農夫はいつもの事なのです。
(これも伏線かも)

||土産物を軽荷(かるきに)に担ひ、両親(ふたおや)に暇乞(いとまごひ)をなし夫婦袂(たもと)をつらね喜躍(よろこびいさみ)て立出(たちいで)けり。

■お土産の品を背負子(しょいこ)に軽々と担いで、両親に出掛けの挨拶をして、夫婦揃って手を繋ぐばかりに喜び勇んで出掛けたのです。

||正(これぞ)親子が一世(いつせ)の別れ、後の悲歎(なげき)とはなりけり。

■これが、親子の今生の別れ、この後に悲しい悲劇になってしまったのです。



雪吹(ふゞき)(北越雪譜)2/52018/01/31 22:38

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪吹(ふゞき) 2/5

 余が住(すむ)塩沢に遠からざる村の農夫男(せがれ)一人あり、篤実にして善(よく)親に仕(つか)ふ。廿二歳の冬、二里あまり隔たる村より十九歳の娵(よめ)をむかへしに、容姿(すがた)憎(にく)からず、生質(うまれつき)柔従(やはらか)にて糸織(いとはた)の伎(わざ)にも怜利(かしこ)ければ舅姑(しうとしうめ)も可愛(かあい)がり、夫婦の中も睦(むつまし)く家内可祝(めでたく)春をむかへ、其年九月のはじめ安産してしかも男子なれければ、掌中(てのうち)に球(たま)を得たる心地にて家内悦びいさみ、産婦も健(すこやか)に肥立(ひだち)乳汁(ちゝ)も一子に余るほどなれば小児(せうに)も肥太り、可賀(めでたき)名をつけて千歳(ちとせ)を寿(ことぶき)けり。此一家の者すべて篤実なれば耕織(かうしよく)を勤行(よくつとめ)、小農夫(こびやくしやう)なれども貧(まづし)からず、善(よき)男(せがれ)をもち良娵(よめ)をむかへ好(よき)孫をまうけたりとて一村(そん)の人々常に羨(うらやみ)けり。かゝる善人の家に天災(わざわひ)を下ししは如何(いかん)ぞや。

 ・ ・ ・ 
 ○雪吹(ふゞき) 2/5

|| 余が住(すむ)塩沢に遠からざる村の農夫男(せがれ)一人あり、篤実にして善(よく)親に仕(つか)ふ。

■魚沼は塩沢の近郊のとある村の農家に、一人の息子がおりました。
実直で誠実な青年で、大変な親孝行者でした。

||廿二歳の冬、二里あまり隔たる村より十九歳の娵(よめ)をむかへしに、容姿(すがた)憎(にく)からず、生質(うまれつき)柔従(やはらか)にて糸織(いとはた)の伎(わざ)にも怜利(かしこ)ければ舅姑(しうとしうめ)も可愛(かあい)がり、夫婦の中も睦(むつまし)く家内可祝(めでたく)春をむかへ、

■その男は、二十二歳の年の冬に、【二里】ほど離れた隣村から十九歳の嫁を迎えました。
その嫁は、容姿は整い生れついての優しい性格でした。
【糸織(いとはた)】(糸作りや機織)も上手なので舅(しゅうと)姑(しゅうとめ)も、
とても歓迎して誉められ可愛がられました。
夫婦も仲良く一家はめでたく春を迎えました。

※【二里】:1.3キロメートル程かもしれません。
※【糸織】糸作りと機織(はたおり)は冬の女性の仕事となっていた。

||其年九月のはじめ安産してしかも男子なれければ、掌中(てのうち)に球(たま)を得たる心地にて家内悦びいさみ、産婦も健(すこやか)に肥立(ひだち)乳汁(ちゝ)も一子に余るほどなれば小児(せうに)も肥太り、可賀(めでたき)名をつけて千歳(ちとせ)を寿(ことぶき)けり。

■そして九月の初めには第一子誕生、安産のうえ男の子だったので、まるで掌に宝石を受けたような慶事でありました。
嫁も大過なく産後の肥立ちも良くて、母乳も呑みきれないほど、赤ん坊も丸々としています。
子供の名前は千歳(ちとせ)と、めでたい名前をつけてお祝いをしました。

||此一家の者すべて篤実なれば耕織(かうしよく)を勤行(よくつとめ)、小農夫(こびやくしやう)なれども貧(まづし)からず、善(よき)男(せがれ)をもち良娵(よめ)をむかへ好(よき)孫をまうけたりとて一村(そん)の人々常に羨(うらやみ)けり。

■一家全員が真面目で、田畑の耕しと機織(はたおり)仕事もよく努めます、
小さな農家ですが充分な生活が出来ました。
「孝行息子に器量良しの嫁さま、それに良い孫までなした」と村の人も事あるごとに羨ましがって話しています。

||かゝる善人の家に天災(わざわひ)を下ししは如何(いかん)ぞや。

■こんな善行の幸せな家庭に、災害が降りかかるとは、何という天の采配なのでしょう。



雪吹(ふゞき)(北越雪譜)1/52018/01/31 22:33

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪吹(ふゞき) 1/5

 雪吹(ふゞき)は樹(き)などに積りたる雪の風に散乱するをいふ。其状(そのすがた)優美(やさしき)ものゆゑ花のちるを是に比して花雪吹(はなふゞき)とすいて古歌(こか)にもあまた見えたり。是東南寸雪(すんせつ)の国の事也。北方丈雪(ぢやうせつ)の国我が越後の雪深(ふかき)ところの雪吹は雪中の暴風(はやて)、雪を巻騰(まきあぐる)?(つぢかぜ)也。雪中第一の難儀これがために死する人年々也。その一ツを挙(あげ)てこゝに記(しる)し、寸雪の雪吹のやさしきを観(みる)人の為に丈雪の雪吹の愕貽(おそしき)を示す。

 ・ ・ ・

 ○雪吹(ふゞき) 1/5
 〈雪吹の寸雪の国と丈雪の国の違いについて〉

|| 雪吹(ふゞき)は樹(き)などに積りたる雪の風に散乱するをいふ。其状(そのすがた)優美(やさしき)ものゆゑ花のちるを是に比して花雪吹(はなふゞき)といひて古歌(こか)にもあまた見えたり。是東南寸雪(すんせつ)の国の事也。

■吹雪は、樹木などに積った雪が風に吹かれて散乱する状態をいいます。
その様は花が散る優しい景色として【花吹雪】などといわれて詩歌にも数知れないほど書かれていますが、
それは暖かい東南の3センチほども積るか積らないかのトカイの話です。

||北方丈雪(ぢやうせつ)の国我が越後の雪深(ふかき)ところの雪吹は雪中の暴風(はやて)、雪を巻騰(まきあぐる)●(つぢかぜ)也。

■北国の3メートルも積る越後の国では、深い雪の場所での吹雪は、暴風で雪を巻き上げる台風のようになるのです。

||雪中第一の難儀これがために死する人年々也。

※●(つぢかぜ):“旋風”のような字。

||その一ツを挙(あげ)てこゝに記(しる)し、寸雪の雪吹のやさしきを観(みる)人の為に丈雪の雪吹の愕貽(おそしき)を示す。

■その例の一つをあげて、寸雪の風流しか見たことの無い人に、丈雪の吹雪がどれだけ恐ろしいかを、ここに書いておきましょう。



雪中の虫(北越雪譜)2018/01/27 00:53

北越雪譜初編 巻之上
   越後湯沢 鈴木  牧之 編撰
   江  戸 京山人 百樹 刪定

 ○雪中の虫(むし)

 唐土(もろこし)蜀(しよく)の峨眉山(がびさん)には夏も積雪(つもりたるゆき)あり。其雪の中に雪蛆(せつじよ)といふ虫あること山海経(さんがいきやう)に見えたり。唐土(もろこし)の書此説空(むなし)からず、越後の雪中にも雪蛆(せつじよ)あり、此虫早春の頃より雪中に生じ雪消終(きえをはれ)ば虫も消終(きえをは)る、始終の死生を雪と同(おなじ)うす。字書を按(あんずる)に蛆(じよ)は腐中(ふちゆう)の蠅(はへ)とあれば所謂(いはゆる)蛆蠅(うじばへ)也。蛆(たつ)は?(たい)の類(るゐ)、人を螫(さす)とあれば蜂の類也。雪中の虫は蛆(じよ)の字に従ふべし、しかれば雪蛆は雪中の蛆蠅也。木火土金水(もくくわどごんすゐ)の五行中皆虫を生ず、木の虫、土の虫、水の虫は常に見る所めづらしからず。蠅(はへ)は灰(はひ)より生ず、灰は火の燼末(もえたこな)也、しかれば蠅は火の虫也。蠅を殺して形あるもの灰中(はひのなか)におけば蘇(よみがへる)也。又蝨(しらみ)は人の熱より生ず、熱は火也、火より生たる虫ゆゑに蠅も蝨も共に暖(あたゝか)なるをこのむ。金中(かねのなか)の虫は肉眼(ひとのめ)におよばざる冥塵(ほこり)のごとき虫ゆゑに人これをしらず。およそ銅鉄の腐(くさる)はじめは虫を生ず、虫の生じたる所色を変ず。しば/\これを拭(ぬぐへ)ば虫をころすゆゑ其所(そのところ)腐(くさら)ず。錆(さびる)は腐(くさる)の始(はじめ)、錆の中かならず虫あり。肉眼(にくがん)におよばざるゆゑ人しらざる也。金中猶虫あり、雪中虫無(なから)んや。しかれども常をなさゞれば、奇とし妙として唐土(もろこし)の書にも記(しる)せり。我越後の雪蛆はちひさき事蚊の如し。此虫は二種あり、一ツは翼(はね)ありて飛行(とびあるき)、一ツははねあれども蔵(おさめ)て?行(はひあるく)。共に足六ツあり、色は蠅に似て淡(うす)く 一は黒し 其の居(を)る所は市中原野蚊に同じ。しかれども人を螫(さす)むしにはあらず、験微鏡(むしめがね)にて視たる所をこゝに図(づ)して物産家(ぶつさんか)の説を待つ。

「校註 北越雪譜」野島出版より(P.37~38)

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雪蛆の図
雪蛆の図
せつぢよ の づ

此虫夜中ハ
雪中に

凍死
こほりしに たるが ごとく

日光を得れバ

たちまち▲


いろ くろし
▲自在を●●● 
又奇と●●し

色蒼
いろ くろし


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 ○雪中の虫(むし)

|| 唐土(もろこし)蜀(しよく)の峨眉山(がびさん)には夏も積雪(つもりたるゆき)あり。
其雪の中に雪蛆(せつじよ)といふ虫あること山海経(さんがいきやう)に見えたり。
-山海経 唐土(もろこし)の書-

■中国は四川省の西南にある峨眉山(がびさん)は、夏も雪を冠する有名な山です。
『山海経(せんがいきょう)』という地誌には、その山の雪中に【雪蛆(せつじょ)】という虫がいるということが書かれています。

||此説空(むなし)からず、越後の雪中にも雪蛆(せつじよ)あり、此虫早春の頃より雪中に生じ雪消終(きえをはれ)ば虫も消終(きえをは)る、始終の死生を雪と同(おなじ)うす。

■実は、越後の国の雪中にもいるのです。
この虫は春先の頃に雪の中から生れて、雪が消えるとこの虫もいなくなってしまうのです。
虫の一生が雪の一生と同じ季節なのです。

||字書を按(あんずる)に蛆(じよ)は腐中(ふちゆう)の蠅(はへ)とあれば所謂(いはゆる)蛆蠅(うじばへ)也。
蛆(たつ)は?(たい)の類(るゐ)、人を螫(さす)とあれば蜂の類也。
雪中の虫は蛆(じよ)の字に従ふべし、しかれば雪蛆は雪中の蛆蠅也。

■辞書を引いて調べてみると、
【蛆(じょ)〔腐り物の中の蝿〕】とある、つまりいわゆる蛆蠅(うじばえ)のことになる。
蛆(たつ)と読んで引いてみると、
【蛆(たつ)〔●(たい)の類、人を射す〕】とある。これだと、つまりは蜂のことになる。
とすると、この雪中の虫は“じょ(蛆)”と読ませるのが妥当でしょう。
雪中の虫、ユキムシ(雪虫、雪蛆)は、雪中の蛆蠅なんですね。

※●(たい):虫偏に“旦”の字。

||木火土金水(もくくわどごんすゐ)の五行中皆虫を生ず、木の虫、土の虫、水の虫は常に見る所めづらしからず。

■万物流転の物質五行、全ての【木火土金水】の中からは虫が生じます。
【木の虫】【土の虫】【水の虫】は日常でも見るもので珍しくはありません。

||蠅(はへ)は灰(はひ)より生ず、灰は火の燼末(もえたこな)也、しかれば蠅は火の虫也。
蠅を殺して形あるもの灰中(はひのなか)におけば蘇(よみがへる)也。

■【蝿(はえ)】は灰(はい)から生ずるのです。灰は火の結末状態なのです。
それゆえ蝿は【火の虫】なのです。蝿を殺してそのまま灰の中におくと、蝿は蘇生するのです。
(※駄洒落ではないらしい)

||又蝨(しらみ)は人の熱より生ず、熱は火也、火より生たる虫ゆゑに蠅も蝨も共に暖(あたゝか)なるをこのむ。

■では【虱(しらみ)】はというと、虱は人の熱から生じるのです。
熱はつまり火です。火から生じた虫なので、蝿も虱を暖かい環境を好むのです。

||金中(かねのなか)の虫は肉眼(ひとのめ)におよばざる冥塵(ほこり)のごとき虫ゆゑに人これをしらず。
およそ銅鉄の腐(くさる)はじめは虫を生ず、虫の生じたる所色を変ず。
しば/\これを拭(ぬぐへ)ば虫をころすゆゑ其所(そのところ)腐(くさら)ず。
錆(さびる)は腐(くさる)の始(はじめ)、錆の中かならず虫あり。
肉眼(にくがん)におよばざるゆゑ人しらざる也。

■【金の虫】はこの様に説明が出来る。
金の中の虫は肉眼では見えないほどの微塵のような虫なので人はその事を知りません。
胴や徹は腐り始めに虫を出します、その虫の生じた所は色が変わるのです。
胴や徹は、たびたび拭くと虫が死ぬのでその個所が腐りません。
錆びるというのは腐り始めの現象なのです、だから錆の中には必ず虫がいるのです。
小さすぎて目に見えないので人が気付かないだけなのです。

||金中猶虫あり、雪中虫無(なから)んや。
しかれども常をなさゞれば、奇とし妙として唐土(もろこし)の書にも記(しる)せり。

■金中なをもちて虫生ず、いはんや雪中をや。とな、かはは。
※親鸞様の「善人なをもちて往生をとぐ、いはんや悪人をや」のやうな御説でごじゃりまする(笑)。

||我越後の雪蛆はちひさき事蚊の如し。
此虫は二種あり、一ツは翼(はね)ありて飛行(とびあるき)、一ツははねあれども蔵(おさめ)て?行(はひあるく)。
共に足六ツあり、色は蠅に似て淡(うす)く 一は黒し 其の居(を)る所は市中原野蚊に同じ。

■越後の国のユキムシは蚊ほどの小ささです。
この虫には二種類あって、ひとつは羽根があって飛びます。
もうひとつは羽根はあるが畳んだままで這い歩きます。
どちらも足は六本、色は蝿に似て薄灰色で、町中でも野原でも蚊と同じような場所に棲息しています。
〔追記:色は薄いものと、黒いものがいます〕。

||しかれども人を螫(さす)むしにはあらず、験微鏡(むしめがね)にて視たる所をこゝに図(づ)して物産家(ぶつさんか)の説を待つ。

■しかし、人を射す虫ではありません。
※蜂の種類ではない事を強調しているらしい。
虫眼鏡で観察した図をここにあげて、研究者の判断を待ちたいところです。

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