北越雪譜初編 巻之中
越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
江 戸 京山人百樹 刪定
○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 3/3
○かくて夜も明(あけ)ければ、村の者どもはさら也、聞(きゝ)しほどの人々此家(このいへ)に群(あつま)り来り、此上はとて手に/\木鋤(こすき)を持家内の人々も後(あと)にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの処に至りけり。さて雪頽を見るにさのみにはあらぬすこしのなだれなれば、道を塞(ふさぎ)たる事二十間(けん)余り雪の土手をなせり。よしやこゝに死たりともなだれの下をこゝぞとたづねんよすがもなければ、いかにやせんと人々佇立(たゝずみ)たるなかに、かの老人よし/\所為(しかた)こそあれとて若き者どもをつれ近き村にいたりて●(にはとり)をかりあつめ、雪頽の上にはなち餌(ゑ)をあたえつゝおもふ処へあゆませけるに、一羽の●羽たゝきして時ならぬに為晨(ときをつくりければ余(ほか)のにはとりもこゝにあつまりて声をあはせけり。こは水中の死骸をもとむる術(じゅつ)なるを雪に用ひしは応変(おうへん)の才也しと、のち/\までも人々いひあへり。老人衆(しゆう)にむかひあるじはかならず此下に在(あ)るべし、いざ掘れほらんとて大勢一度に立かゝりて雪頽を砕きなどして堀けるほどに、大なる穴をなして六七尺もほり入れしが目に見ゆるものさらになし。猶ちからを尽してほりけるに真白(ましろ)なる雪のなかに血を染たる雪にほりあて、すはやとて猶ほり入れしに片腕ちぎれて首なき死骸をほりいだし、やがて腕(かひな)はいでたれども首はいでず、こはいかにとて広く穴にしたるなかをあちこちほりもとめてやう/\首もいでたり。雪中にありしゆゑ面生(おもていけ)るがごとく也。さいぜんよりこゝにありつる妻(つま)子らこれを見るより妻は夫が首を抱へ、子どもは死骸にとりすがり声をあげて哭(なき)けり、人々もこのあはれさを見て袖(そで)をぬらさぬはなかりけり。かくてもあられねば妻は着たる羽織に夫の首をつゝみてかゝへ、世息(せがれ)は布子(ぬのこ)を脱(ぬぎ)て父の死骸に腕(うで)をそへて泪ながらにつゝみ背負(せおは)んとする時、さいぜん走りたる者ども戸板むしろなど担(かた)げる用意をなしきたり、妻がもちたる首をもなきからにそへてかたげれば、人々前後につきそひ、つま子らは哭(なく)々あとにつきて帰りけるとぞ。此ものがたりは牧之が若かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。これのみならずなだれに命をうしなひし人猶多かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。其怖(おそろし)さいはんかたなし。かの死骸の頭(かしら)と腕(かひな)の断離(ちぎれ)たるは、なだれにうたれて磨断(すりきら)れたる也。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)
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○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 3/3
||○かくて夜も明(あけ)ければ、村の者どもはさら也、聞(きゝ)しほどの人々此家(このいへ)に群(あつま)り来り、
■さて、夜が明けてから、集落の人たちは勿論の事、その話を聞いた人たちがこの家に大勢集まりました。
||此上はとて手に/\木鋤(こすき)を持家内の人々も後(あと)にしたがひてかの老夫がいひつるなだれの処に至りけり。
■それならば(捜索となるのであれば)と、手に手にコスキ(木鋤)を持って、家内の人たちもその後について、昨晩の旅の老人が言っていた雪崩の場所まで行ったのです。
||さて雪頽を見るにさのみにはあらぬすこしのなだれなれば、道を塞(ふさぎ)たる事二十間(けん)余り雪の土手をなせり。
■その雪崩の場所は、それほど大きい雪崩ではなかったようで、道は雪で二十間(六十メートル)ほどが塞がれて土手のようになっていました。
||よしやこゝに死たりともなだれの下をこゝぞとたづねんよすがもなければ、いかにやせんと人々佇立(たゝずみ)たるなかに、
■仮にこの場所で亡くなったとしても、雪崩の下のどの場所を探せばいいのか、どこから探せばいいのかもわからない。
さてどうしようかと、人びとは手をあぐねています。
||かの老人よし/\所為(しかた)こそあれとて若き者どもをつれ近き村にいたりて●(にはとり)をかりあつめ、雪頽の上にはなち餌(ゑ)をあたえつゝおもふ処へあゆませけるに、一羽の●羽たゝきして時ならぬに為晨(ときをつくり)ければ余(ほか)のにはとりもこゝにあつまりて声をあはせけり。
(●は、“鶏”の鳥の字が“隹”の字)
■昨晩の老翁は「そういうときの方法もあるのだ」と言って、若者を連れ立って近くの村に行きました。
そして家々からニワトリを借り集めました。
そして、ニワトリを雪崩の雪上に放して、餌をばら撒いてニワトリを自由に歩かせると一羽が羽ばたきをして朝でもないのにコケコッコーと鳴いたのです。
すると、他のニワトリもその場所に集まってきて、呼応して鳴くのです。
||こは水中の死骸をもとむる術(じゅつ)なるを雪に用ひしは応変(おうへん)の才也しと、のち/\までも人々いひあへり。
■これは、水中の死体を捜す方法を雪上に応用した機転の知恵だと、人びとは感心して後々まで語られたことでした。
||老人衆(しゆう)にむかひあるじはかならず此下に在(あ)るべし、いざ掘れほらんとて大勢一度に立かゝりて雪頽を砕きなどして堀けるほどに、大なる穴をなして六七尺もほり入れしが目に見ゆるものさらになし。
■老翁は若者たちに向かって「なきがらは絶対にこの下にある」と宣言しました。
さあ掘れ、掘り出せと、大勢で一緒にその場所の雪を砕いたりして掘っていくと、大きな穴になって背丈以上も掘ったのですが、何も見えません。
||猶ちからを尽してほりけるに真白(ましろ)なる雪のなかに血を染たる雪にほりあて、すはやとて猶ほり入れしに片腕ちぎれて首なき死骸をほりいだし、やがて腕(かひな)はいでたれども首はいでず、こはいかにとて広く穴にしたるなかをあちこちほりもとめてやう/\首もいでたり。
■それでも、力の限りと掘っていくと、真っ白な雪の中に血に染んだ雪が出てきました。
ここだ!ともっと深く迄掘ると、片腕が千切れて首の無い死骸があったのです。
少ししてその腕も出てきましたが、首が見つからない。
いったいどういうことかと、穴を広げてその中をあちらこちらを掘っていくと、やっと首も見つかったのです。
||雪中にありしゆゑ面生(おもていけ)るがごとく也。
■冷たい雪の中だったので、その顔はまるで生きているままのようでした。
||さいぜんよりこゝにありつる妻(つま)子らこれを見るより妻は夫が首を抱へ、子どもは死骸にとりすがり声をあげて哭(なき)けり、人々もこのあはれさを見て袖(そで)をぬらさぬはなかりけり。
■しばらく前からその場所にいた妻と子供たち、それを見たとたんに、妻は夫の首を抱えて、子供は死骸に取りすがって、慟哭しました。
周りの人々も、あまりの気の毒さを見て泣かない人はいなかったのです。
||かくてもあられねば妻は着たる羽織に夫の首をつゝみてかゝへ、世息(せがれ)は布子(ぬのこ)を脱(ぬぎ)て父の死骸に腕(うで)をそへて泪ながらにつゝみ背負(せおは)んとする時、さいぜん走りたる者ども戸板むしろなど担(かた)げる用意をなしきたり、妻がもちたる首をもなきからにそへてかたげれば、人々前後につきそひ、つま子らは哭(なく)々あとにつきて帰りけるとぞ。
■そうしている訳にもいかないので、妻は自分の着ていた羽織で夫の頭部を包んで抱えて、
息子は綿入れの上着を脱いで、父の死骸に腕をそろえて、泣きながら包んで背負おうとしました。
そのときに、しばらく前(発見した時)に走って行った人たちが、戸板や莚を持ってきて担いで運ぶ準備をしていたのです。
そして、妻が持っていた首も一緒にして、担いでいきます。
人たちは前後ろに付き添って、妻と子供たちも泣きながらその後について家まで帰ったそうです。
||此ものがたりは牧之が若かりし時その事にあづかりたる人のかたりしまゝをしるせり。
■この話は、わたし(牧之)が若い頃に、この現場に立ち会った人が語ったことをそのままに記しました。
||これのみならずなだれに命をうしなひし人猶多かり、またなだれに家をおしつぶせし事もありき。其怖(おそろし)さいはんかたなし。
■この例だけで無く、雪崩で命を失った人は多いのです。
また雪崩で家を押し潰されることもあります。
なんとも言いようの無い怖ろしいことです。
||かの死骸の頭(かしら)と腕(かひな)の断離(ちぎれ)たるは、なだれにうたれて磨断(すりきら)れたる也。
■この死骸が、胴体から頭と腕が切断されてしまったのは、雪崩に打たれて擦られて引き千切れてしまったのです。
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