別冊

雪頽人に災す(北越雪譜)2/32018/02/06 01:00

北越雪譜初編 巻之中
   越後湯沢 鈴木 牧之 編撰
   江  戸 京山人百樹 刪定

 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 2/3

○こゝに何村(なにむら)といふ所に家内の上下十人あまりの農人(のうにん)あり。主人(あるじ)は五十歳ばかり妻は四十にたらず、世息(せがれ)は二十(はたち)あまり娘は十八と十五也。いづれも孝子(かうし)の聞(きこえ)ありけり。一年(ひとゝせ)二月のはじめ、主人は朝より用ある所へ出行(いでゆき)しが其日も已(すで)に申(さる)の頃なれど帰りきたらず、さのみ間(ひま)をとるべき用にもあらざりければ、家内不審におもひ悴(せがれ)家僕をつれて其家にいたり父が事をたづねしにこゝへはきたらずといふ。しからばこゝならんかしこならんなど家僕とはかりて尋求(たづねもとめ)しかど更に音間(おとづれ)をきかず、日もはや暮なんとすれば空しく家に帰り、しか/\のよし母に語りければ、こは心得ぬ事也とて心あたりの処こゝかしこへ人を走らせて尋(たづね)させけるにその在家(ありか)さらにしれず。其夜四更(しかう)頃にいたれども主人は帰らず。此事近隣に聞えて人々集り種々(さま/”\)に評議して居(ゐ)たるをりしも一老夫来りていふやう、あるじの見え給はぬとや、我心あたりのあるゆゑしらせ申さんとて来れりといふ。すはこゝろあたりときゝて主人の妻大によろこび、子どもらもとも/”\に言語(ことば)をそろへてまづ礼をのべ、その仔細をたづねければ、老夫いふやう、それがし今朝(けさ)西山の嶺半(たふげなかば)にさしかゝらんとせし時、こゝのあるじ行逢(ゆきあひ)、何方(いづかた)へとたづねければ稲倉(いなくら)村へ行(ゆく)とて行過(ゆきすぎ)給ひぬ。我は宿へ帰り足にて遥(はるか)に行過たる頃、例の雪頽の音をきゝてこれかならずかの山ならんと嶺(たふげ)を無事に通りしをよろこびしにつけ、こゝのあるじはふもとを無難に行過給ひしや、万一なだれに逢(あひ)はし給はざりしかと案じつゝ宿へかへりぬ。今に帰り給はぬはもしやなだれにといひて眉を皺(しは)めければ、親子は心あたりときゝてたのみし事も案にたがひて、顔見あはせ泪(なみだ)さしぐむばかり也。老夫はこれを見てそこ/\に立かへりぬ。集居(あつまりゐ)たる若人(わかて)どもこれをきゝて、さらばなだれの処にいたりてたづねみん、炬(たいまつ)こしらへよなど立騒(たちさは)ぎければ、ひとりの老人がいふ、いな/\まづまち候へ、遠くたづねに行(ゆき)し者もいまだかへらず、今にもその人おなじくあるじの帰りたまはんもはかりがたし、雪頽にうたれ給ふやうなる不覚人(ふかくにん)にはあらざるをかの老奴(おやじ)めがいらざることをいひて親子たちの心を苦(くるしめ)たりといふに、親子はこれに励(はげま)されて心慰(こゝろひらけ)、酒肴(しゆかう)をいだして人々にすゝむ。これを見て皆打ゑみつゝ炉辺(ろへん)に座列(ゐならび)て酒酌(くみ)かはし、やゝ時うつりて遠く走(はせ)たる者ども立かへりしに行方(ゆくへ)は猶しれざりけり。
「校註 北越雪譜」野島出版より(P.53~58)

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 ○雪頽(なだれ)人に災(わざわひ)す 2/3

||○こゝに何村(なにむら)といふ所に家内の上下十人あまりの農人(のうにん)あり。主人(あるじ)は五十歳ばかり妻は四十にたらず、世息(せがれ)は二十(はたち)あまり娘は十八と十五也。いづれも孝子(かうし)の聞(きこえ)ありけり。

■某村に十人ほどが住んでいる農家がありました。
主人は五十歳くらいで妻は四十歳にはどかない年です。
息子は二十歳過ぎで娘は十八歳と十五歳の二人。
とても親孝行と評判でした。

||一年(ひとゝせ)二月のはじめ、主人は朝より用ある所へ出行(いでゆき)しが其日も已(すで)に申(さる)の頃なれど帰りきたらず、さのみ間(ひま)をとるべき用にもあらざりければ、家内不審におもひ悴(せがれ)家僕をつれて其家にいたり父が事をたづねしにこゝへはきたらずといふ。

■ある年の二月初め、主人が朝から所用があって出掛けたのですが、既に午後も大分過ぎて(午後四時頃)も帰ってこない。
さほど時間の掛かる用事でもないので、家族は心配する。
息子が使用人を連れて、父が出掛けた筈の家まで行って尋ねてみると、「いや、ここには来られなかった」と言う。

||しからばこゝならんかしこならんなど家僕とはかりて尋求(たづねもとめ)しかど更に音間(おとづれ)をきかず、日もはや暮なんとすれば空しく家に帰り、しか/\のよし母に語りければ、こは心得ぬ事也とて心あたりの処こゝかしこへ人を走らせて尋(たづね)させけるにその在家(ありか)さらにしれず。

■「それならばあそこかも」とあたりをつけた家を使用人と手分けして何軒も尋ねてみたのですが、どの家でも「いや、こっちには来ていない」と。
日も暮れてしまいそうなので、手掛かりもつかめないまま家に帰りました。
その事を母に話すと、母も心当たりのあちらこちらの家に使いを走らせて訪ねさせたのですが、どこにも行った痕跡が無い。

||其夜四更(しかう)頃にいたれども主人は帰らず。

■夜も更けて(午前二時前後)しまっても主人は戻ってこないのです。

||此事近隣に聞えて人々集り種々(さま/”\)に評議して居(ゐ)たるをりしも一老夫来りていふやう、あるじの見え給はぬとや、我心あたりのあるゆゑしらせ申さんとて来れりといふ。

■近所の人も聞きつけてその家に集まって、さてどこに出かけられたかと色々と推理して話をしていました。
そこへ、一人の老人が来ました。
「ご主人が行方不明とか、わたしに心当たりがあるのでその事をお知らせしようと思い、来ました」と言う。

||すはこゝろあたりときゝて主人の妻大によろこび、子どもらもとも/”\に言語(ことば)をそろへてまづ礼をのべ、その仔細をたづねければ、老夫いふやう、それがし今朝(けさ)西山の嶺半(たふげなかば)にさしかゝらんとせし時、こゝのあるじ行逢(ゆきあひ)、何方(いづかた)へとたづねければ稲倉(いなくら)村へ行(ゆく)とて行過(ゆきすぎ)給ひぬ。

■「心当たりがある」と聞いて、さてはと妻は大変喜んで、息子娘達も揃ってお礼の言葉を発しました。
それからその老人の話を聞きました。老人が話す。
老人は今朝、西山の峠の半ばまで行き着くあたりで、ここの主人と行き遭った。
「どこに行かっさる」「稲倉村までだ」と挨拶をしてすれ違ったと話しました。

||我は宿へ帰り足にて遥(はるか)に行過たる頃、例の雪頽の音をきゝてこれかならずかの山ならんと嶺(たふげ)を無事に通りしをよろこびしにつけ、こゝのあるじはふもとを無難に行過給ひしや、万一なだれに逢(あひ)はし給はざりしかと案じつゝ宿へかへりぬ。

■〈老人〉「わたしは宿屋への帰り道でした。
大分行き過ぎた頃に遠くに雪崩の音を聞いたのです。
『これは、あそこの山に違いない、通り過ぎてからでよかった』と喜んだのですが、『さっき会ったあの人は麓を大事無く通れただろうか、もしや雪崩に遭ったら』と心配しながら宿屋に帰りました」。

||今に帰り給はぬはもしやなだれにといひて眉を皺(しは)めければ、親子は心あたりときゝてたのみし事も案にたがひて、顔見あはせ泪(なみだ)さしぐむばかり也。

■〈老人〉「今の時間になってもお帰りにならないのはもしやその雪崩に、、」
と眉間にしわ。親子は、心当たりと聞いて喜んだのですが、予想外の話に、顔を見合わせて涙ぐんでしまいました。

||老夫はこれを見てそこ/\に立かへりぬ。

■老人は、その場に居た堪られなくなり、そこそこに帰ってしまいました。

||集居(あつまりゐ)たる若人(わかて)どもこれをきゝて、さらばなだれの処にいたりてたづねみん、炬(たいまつ)こしらへよなど立騒(たちさは)ぎければ、ひとりの老人がいふ、

■集まっていた中の若者たちはこれを聞いて、
〈若者〉「それなら雪崩の場所に行って捜索してみよう。まずは、松明の準備だ!」
と騒ぎ出しはじめました。これを聞いていた一人の老翁が諌める。

||いな/\まづまち候へ、遠くたづねに行(ゆき)し者もいまだかへらず、今にもその人おなじくあるじの帰りたまはんもはかりがたし、雪頽にうたれ給ふやうなる不覚人(ふかくにん)にはあらざるをかの老奴(おやじ)めがいらざることをいひて親子たちの心を苦(くるしめ)たりといふに、

■〈老翁〉「いやいや、先ず落着け。遠くに尋ねに行った者もまだ戻ってきていないのだ。
それらの人たちは今でも、主人が帰られたかどうかの判断もついていないのだぞ。
ここの主人は決して雪崩になど遭うような判断力の無い御仁ではない。
それをあの老いぼれ旅人の野郎が要らぬことを言って一家の気持を逆立てしやがって」。

||親子はこれに励(はげま)されて心慰(こゝろひらけ)、酒肴(しゆかう)をいだして人々にすゝむ。

■親子はこの老翁の言葉を聞いて、気持が落着き、酒肴の準備をして集まった人たちにお礼をしました。

||これを見て皆打ゑみつゝ炉辺(ろへん)に座列(ゐならび)て酒酌(くみ)かはし、やゝ時うつりて遠く走(はせ)たる者ども立かへりしに行方(ゆくへ)は猶しれざりけり。

■みんなも、穏やかな気持になって囲炉裏端に座り込んで、酒の席となりました。
しばらくして、遠くまで使いに行った人たちも帰って来ましたが、主人の行方は判らないままでした。



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